人はなぜ「自分は大雑把」をアピールするのか
2015/12/20
以前、会社のランチで、何かの話題から転じて「どういうふうに家の掃除をしているか」という話になったことがありました。
ひとりの子が、「キッチンはいつも綺麗にしておかないと気が済まない。だから手のかかる料理をした後は片付けに時間がかかる」(私みたいだ)…のようなことを言ったのですが、それに対して誰かが、
「えー?私、キッチンなんかいつも適当に掃除してるよ。だってすぐ汚れるじゃん。」
……と何故か得意気(?)に言ったのです。
それをきっかけに、「自分の部屋なんかもう何週間も掃除機かけてない。」だの、「お風呂の掃除は気が向いたときだけやってる。」だの、「だって汚いからって死ぬ訳じゃないじゃん。」「あんまりそういう細かいとこ気にしない。」「私もそのへんテキトー。」などなど、まるで「大雑把」自慢大会のようになってしまったことがあります。(これは大雑把というよりも無精なのか?)
最初に「きちんとしてる」と言った友人は困ったような笑みを浮かべていたのを覚えています。
私はその時とても、「掃除は曜日ごとに場所を決めて徹底的にやってる!」などと口にできませんでした。
もし口にしたら、「こまかー!!」……とか大合唱されそうな雰囲気だったからです。
これは掃除の話題に限ったことではなく、仕事上など別の場面でも、「ごめんね、大雑把な人間で。」とか「私、そのへんあんまりこだわらない人だからさー。」などとすぐ口にする人がいます。
そういう人をどうこう言う訳ではないのですが、何故人は、「自分が何ごとにおいても大雑把である」ということを口にする時、あんなにドヤ顔なのでしょう。
反面、「几帳面、神経質、真面目」と言われることをあまり好まないのでしょうか。(私だけかな)
それが不思議で仕方ありませんでした。
大雑把:①細部にまで注意が届かず、雑であるさま。
②細部にわたらず、全体を大きくとらえるさま。おおまか。(コトバンクより)
「大雑把」はよく言えば合理的、ということなのでしょうが、何故か「大雑把」はポジティブ、プラスのイメージがあり、「几帳面」「神経質」「真面目」はネガティブ、マイナスなイメージが定着してしまっている気がしてならないのです。
小さなことにこだわらない大雑把な人は付き合いやすく、几帳面で真面目な人間は融通が利かずに扱いづらい…そんな風潮がある気がします。
これに世間一般に浸透している血液型別の特性が加わるとなお一層厄介で、もううんざりします。
以前、一緒に組んで仕事をしていた同僚が、何かにつけ「自分はO型だから大雑把」「A型は細かい」という持論を振りかざすので辟易していたことがありました。(彼女はO型、私はA型です)
仕事のやり方ひとつとっても、「そんな面倒なやり方してんの?私なんか~だよ。」「さすが、A型!」とことあるごとに言うので、「何故私はこんなに否定されるのだろう」「何故彼女は、やたらに自分が大雑把であることを誇示するのだろう。」といつも不思議に思っていました。
「私は大雑把な人間なの」をやたらに口にする人は、その言葉の向こうに「私は小さいことは気にしない、おおらかな人間なのよ~」という自己アピールが見え隠れしている気がしてならないのです。
(逆に、あまりそういうことを口にしない人の方が本当におおらかで度量が大きかったりする)
私はうつになるくらいなので、大雑把な方ではありません。
全てにおいて、と言う訳ではありませんが、几帳面で神経質なところがあります。
(というよりも、「自分で決めたルール」に対しては几帳面・神経質になるというだけなのですが)
やるべきことは徹底的にきちんとしなければ気が済まないし、また、些細なことが気になって思い悩んでしまうような小心者です。
けれども、周囲にそういう印象を持たれるのが嫌で、わざと細かいことは気にしない、大雑把な自分を演じてしまうことが多々ありました。
そういうレッテルを貼られてしまうと、何かと生きにくい世の中な気がしていたからです。
おおらかで、細かいことなど気にしない楽観主義でいられれば、こんな病気にならなかったのかもしれません。
ある時、営業マンに電話で「みちるさんは真面目だからなあ~」と言われて何故か落ち込んだことがありました。
何故、私は落ち込むのだろうとその時ふと不思議に思いました。
けれども今思うと、自分でもそんな自分が嫌でたまらなかったのかもしれません。
大雑把でいられる人間を羨み、几帳面で神経質で真面目な自分を疎んじていたのは何より自分自身だったのです。
けれども「几帳面で神経質で真面目であること」それがそんなにいけないことでしょうか。
これが「自分」なのです。
病気が回復しても、持って生まれた性格はそうそう変えられるものではありません。
これからも付き合っていく他ないのです。
几帳面だっていいじゃないか。
神経質だっていいじゃないか。
だってこれが「私」なんだから。
──最近、そう思うようになりました。
大雑把で楽観主義な人、神経質で几帳面な人、双方それぞれにお互いにはない良いところがあると思うのです。(大雑把だと宣言している人でも、神経質な部分はあるでしょうし、几帳面な人にも、ずぼらな部分はあるでしょうし…実際そんなにはっきりと区別できるものでもないと思うのですが)
双方どうしても相容れない部分もあるでしょうが、そこは相手に強要しない、相手を否定しないことが大切だなあとしみじみ感じる今日この頃なのです。
最初コンビニで見かけた時は、「うげえ?!」と思ったけど、わりと美味しい。
──だけど、食べるのはちょこっとでいいかな……

★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



ひとりの子が、「キッチンはいつも綺麗にしておかないと気が済まない。だから手のかかる料理をした後は片付けに時間がかかる」(私みたいだ)…のようなことを言ったのですが、それに対して誰かが、
「えー?私、キッチンなんかいつも適当に掃除してるよ。だってすぐ汚れるじゃん。」
……と何故か得意気(?)に言ったのです。
それをきっかけに、「自分の部屋なんかもう何週間も掃除機かけてない。」だの、「お風呂の掃除は気が向いたときだけやってる。」だの、「だって汚いからって死ぬ訳じゃないじゃん。」「あんまりそういう細かいとこ気にしない。」「私もそのへんテキトー。」などなど、まるで「大雑把」自慢大会のようになってしまったことがあります。(これは大雑把というよりも無精なのか?)
最初に「きちんとしてる」と言った友人は困ったような笑みを浮かべていたのを覚えています。
私はその時とても、「掃除は曜日ごとに場所を決めて徹底的にやってる!」などと口にできませんでした。
もし口にしたら、「こまかー!!」……とか大合唱されそうな雰囲気だったからです。
これは掃除の話題に限ったことではなく、仕事上など別の場面でも、「ごめんね、大雑把な人間で。」とか「私、そのへんあんまりこだわらない人だからさー。」などとすぐ口にする人がいます。
そういう人をどうこう言う訳ではないのですが、何故人は、「自分が何ごとにおいても大雑把である」ということを口にする時、あんなにドヤ顔なのでしょう。
反面、「几帳面、神経質、真面目」と言われることをあまり好まないのでしょうか。(私だけかな)
それが不思議で仕方ありませんでした。
大雑把:①細部にまで注意が届かず、雑であるさま。
②細部にわたらず、全体を大きくとらえるさま。おおまか。(コトバンクより)
「大雑把」はよく言えば合理的、ということなのでしょうが、何故か「大雑把」はポジティブ、プラスのイメージがあり、「几帳面」「神経質」「真面目」はネガティブ、マイナスなイメージが定着してしまっている気がしてならないのです。
小さなことにこだわらない大雑把な人は付き合いやすく、几帳面で真面目な人間は融通が利かずに扱いづらい…そんな風潮がある気がします。
これに世間一般に浸透している血液型別の特性が加わるとなお一層厄介で、もううんざりします。
以前、一緒に組んで仕事をしていた同僚が、何かにつけ「自分はO型だから大雑把」「A型は細かい」という持論を振りかざすので辟易していたことがありました。(彼女はO型、私はA型です)
仕事のやり方ひとつとっても、「そんな面倒なやり方してんの?私なんか~だよ。」「さすが、A型!」とことあるごとに言うので、「何故私はこんなに否定されるのだろう」「何故彼女は、やたらに自分が大雑把であることを誇示するのだろう。」といつも不思議に思っていました。
「私は大雑把な人間なの」をやたらに口にする人は、その言葉の向こうに「私は小さいことは気にしない、おおらかな人間なのよ~」という自己アピールが見え隠れしている気がしてならないのです。
(逆に、あまりそういうことを口にしない人の方が本当におおらかで度量が大きかったりする)
私はうつになるくらいなので、大雑把な方ではありません。
全てにおいて、と言う訳ではありませんが、几帳面で神経質なところがあります。
(というよりも、「自分で決めたルール」に対しては几帳面・神経質になるというだけなのですが)
やるべきことは徹底的にきちんとしなければ気が済まないし、また、些細なことが気になって思い悩んでしまうような小心者です。
けれども、周囲にそういう印象を持たれるのが嫌で、わざと細かいことは気にしない、大雑把な自分を演じてしまうことが多々ありました。
そういうレッテルを貼られてしまうと、何かと生きにくい世の中な気がしていたからです。
おおらかで、細かいことなど気にしない楽観主義でいられれば、こんな病気にならなかったのかもしれません。
ある時、営業マンに電話で「みちるさんは真面目だからなあ~」と言われて何故か落ち込んだことがありました。
何故、私は落ち込むのだろうとその時ふと不思議に思いました。
けれども今思うと、自分でもそんな自分が嫌でたまらなかったのかもしれません。
大雑把でいられる人間を羨み、几帳面で神経質で真面目な自分を疎んじていたのは何より自分自身だったのです。
けれども「几帳面で神経質で真面目であること」それがそんなにいけないことでしょうか。
これが「自分」なのです。
病気が回復しても、持って生まれた性格はそうそう変えられるものではありません。
これからも付き合っていく他ないのです。
几帳面だっていいじゃないか。
神経質だっていいじゃないか。
だってこれが「私」なんだから。
──最近、そう思うようになりました。
大雑把で楽観主義な人、神経質で几帳面な人、双方それぞれにお互いにはない良いところがあると思うのです。(大雑把だと宣言している人でも、神経質な部分はあるでしょうし、几帳面な人にも、ずぼらな部分はあるでしょうし…実際そんなにはっきりと区別できるものでもないと思うのですが)
双方どうしても相容れない部分もあるでしょうが、そこは相手に強要しない、相手を否定しないことが大切だなあとしみじみ感じる今日この頃なのです。
最初コンビニで見かけた時は、「うげえ?!」と思ったけど、わりと美味しい。
──だけど、食べるのはちょこっとでいいかな……

★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



いつも拝読させて頂いております。
私も職場で、「まじめ、細かい」とよく言われます。
私にしてみれば、周りの人間の方がおおざっぱすぎて、自分では細かいと思わないのですが、確かに言われるといい気はしませんね。
細かいから、そうでない人からしてみれば、色々イライラされるのかもしれません。でも、私もそれでいいと思っています。
世の中色んな人がいますものね。
みちるさんの言う通り、相手にそれを強要しない、相手を否定しないことがお互い大切だと思います。
私も細かく神経質なところがあるのですが、それを悟られまいとして来たような部分がありました。
(でも親しくなるとすぐ見破られますが…(笑))
でも、私は私なのだから、これでいいやと思うようになりました。
自分を否定するところから私の病気は始まっているようなので、これからは少しずつ色んなことを受け入れて行こうと思っています。
よろしければまたいらして下さいね。
いつもついお邪魔してしまいます。
私はB型なのですが、私はBということで、新入社員の時、嫌な気分を味わいました。女性の先輩はAの人が多く、B型だからね~とことごとく言われ、よくその服装で会社に来れる・・・とか。言葉のいじめかな・・・と思ったけれど気にしないことにしました。同僚の小さくぷっくりした同期はO型でかわいかったようで、ずいぶん差別されたような・・・でも、ひるまない態度のせいか気が付いたら、先輩たちもラフな服装でくるようになり、Bの言葉はいっさいなくなりました。考えてみると、みちるさんと似ているけど血液型の違いがありますよね。きっと血液型ではなくそういう言い方をする人種がいるということだと思います。
確か日本人はA型の人一番多いと聞いたような・・・なので私はA型に憧れてますよ。一度だけA型と言われた時はすごく嬉しかったことがあります。
私からみると几帳面なのは本当に理想です。神経質は自分は生活面ではそうでないけれど、人に対して神経質だと思っています。性格はもちろん真面目だと思っています。たいていの方が真面目な人だと思っています。
私も自分が決めたルールみたいなのには几帳面で神経質です。それがくだらないことなのでたまに自分で馬鹿みたく感じたりしますが・・・
それでいいんだと思います。真面目だと思われた方がいいと思いますよ。
自分で適当にできなかったり、細かいところに気が付いてしまう時、嫌になるときありますが・・・でも性格だから・・・と諦めます。
きっと人それぞれでいいんだと思います。
いつも丁寧なコメントありがとうございます。励みになります!
nagoさんはB型なのですね。B型もよく色々言われる対象のような…。
嫌な気持ちも沢山味わったのではないでしょうか。
几帳面だということをよく揶揄する人がいますが、そういう人に限って「自分は大雑把」だと公言するのです。その言葉の裏に「だから大抵のことは我慢してね」とか、「おおらかで付き合いやすい人間なのよ」という意味合いが含まれているような気がしてしまう時もあります。考えすぎでしょうか。
大抵の人は皆、真面目ですよね。
私も自分が決めたバカみたいなルール(笑)には忠実で几帳面で神経質です。
皆、几帳面で神経質になる部分を持ち合わせているんだけれども、それが人それぞれなんだと思います。
大雑把というより、要領が悪くて片付けられないんです。
自分には生まれつき発達障害があって、物事を段取りよく進められません。
部屋もすぐ散らかります。一度に複数のことができないからです。
みちるさんは自分みたいないい加減な人間は嫌いですか。
でも自分だって好き好んで部屋を散らかしてるわけじゃないんですよ。
いつもいつの間にか散らかってるんです。
世の中みちるさんみたいに何でも几帳面に細かくできる人間ばかりじゃないんですよ。
みちるさんこそ真面目で几帳面を暗に押しつけてないですか。
悪いけど自分がみちるさんといると、真面目で几帳面を押しつけられそうで息が詰まると思います。
私はponchさんのおっしゃるような「片付けられない人間が嫌い」という趣旨のことを書いた覚えは今、読み返してみても全くないのですが…。
ただ、「自分は大雑把な人間である」と公言して几帳面な人間は厄介だと決めつけるような類の人に閉口している…けれども人それぞれ。お互いにそれを否定せず、強要せずやっていくのが大事だと。
好きも嫌いもありません。
ご不快にさせてしまって申し訳ありませんでした。