私の中のもうひとりのわたし
2016/11/29
今日は心療内科の日。
私のうろうろ徘徊ぐせがどうしても治らないので、主治医は色々薬の処方を変えて試してみている。
エビリファイを半分にする。
エビリファイとタスモリン(エビリファイの副作用に対抗する薬)を飲んでみる。
エビリファイを止めて、タスモリンだけにする……等々。
「アカシジア(エビリファイの副作用)だと思うんだよねえ…。」
主治医はもう必死である。
私は違うと思うんだけれど、取りあえず主治医に従うしかない。
この徘徊ぐせは、元々私が持っている癖だと思うのだ。
良く考えてみると、自分が何かに追い詰められている時、迷っている時、不安でたまらない時などに、昔からよく部屋中をぐるぐる歩き回っていた気がするのだ。
それがうつのせいで酷くなったのでは…と勝手に自己診断している。
歩きすぎてもう膝も腰もガタガタだ。
主治医にもそれは言ってあるのだが、どうしてもアカシジアだと言い張る。
ところで。
私の通っている心療内科と薬局は両方ともショッピングセンターの中にある。
心療内科で診察を終え、薬局へ処方箋を持って向かうのだが、この薬局が厄介なのだ。
手際が悪いのか、薬剤師さんが少ないのか、薬を出してくれるまでとっても時間がかかる。待ち時間1時間なんて当たり前で、もらった番号札と、電子掲示板の今薬を出してもらっている人の番号を見比べて、その差にいつも倒れそうになる。
ずっと薬局の待合室で待つのは、狭くて人との距離が近いし、子供がぐずったりして騒がしい。私には到底無理なので、その間時間を潰しにどこかに行く訳だけれど、ここはショッピングセンターである。
ブティックだらけ。雑貨屋さんだらけ。しまむらも入っているし、時間を潰すのには不自由しない環境なんだけれど…。
この空き時間が、私にとって仇になるのだ。
どうしても余計なものを買いまくってしまう。
しかし今日は心を鬼に。
絶対に何も買っては駄目!
固い決意で私はあちこち店を回り始めた(それでも見て回るんだ)
恐ろしい金額を今月引き落とされ、12月分の引き落としの金額が、今の時点でもう、信じられない金額になっている。
もうこれ以上、絶対にカードは使えない(現金も)。
不思議なもので、ちょっとお金に余裕があるときは良い物がなく、収穫なしで帰るのに、お金が無くて買い物できないけど、見るだけ…と言う日に限って、あれこれと良い物に巡り合う。
今日もそうで、またたくまに欲しいものがいくつか出て来てしまった。
試着してしまうと買ってしまうので、今日は脱ぎ着がしにくい格好をし、スヌードも首の周りにぐるぐる巻いてきて、解くのが面倒にして来た。
これで試着が億劫になるはず。
私の買い物依存には、その時々の「ブーム」がある。
例えば、ブーツが欲しくなるといくつも買ってしまい、スヌードやマフラーが欲しくなるとそればっかり集めようとするのだ。
今は冬なので、ジャケットやコートなど、アウターのブームが来ている。
いいロングのダウンで、しかも安くなっているのを見つけ、羽織ってみてしまう。
……着やすいし、安いな、コレ。
いいじゃん!…と私の中の買い物狂はすっかり買う気になっていて、もう頭の中でどこからこの金額をひねり出すか算段を始めた。
──しかし。
今日は、理性である「もうひとりのわたし」が強かった。
「同じようなデザインで同じような色の、持ってる!」
「これ以上クローゼット入らないよ!」
と、しきりに私に耳打ちし、はっと我に返って買うのを止めた。
危なかった……。
滅茶苦茶に買い物しまくる病気の私は、普段前面に出てきていて、私にものを買わそうとする。
「もうひとりのわたし」は、たまにしか出てこない。
買い物を済ませてしまった後に出てきて、散々私を責め立てる。
「ばかみたい。また同じようなの買って。」
「こんなの使わないよ、買ったって。」
「自分のクローゼットの中見てごらん。タグも取れてないのたくさんあるよ。」
「どうすんの。これ以上ものを増やして!」
かわいいトートバッグがあったので、見ていると、
「かばん今、幾つ持ってるか、この間数えたよね。リュックとトートとボディバッグとショルダーバッグと。50はあったよね。…まだ買うの?」
容赦なく責められ、今日はとうとう何も買わずに帰途に着いた。
ほっとする私。今日は乗り切れた。
この「もうひとりのわたし」が、いつも前面に出てきてくれてるといいんだけれど。
けれども、何にも興味が湧いて来ず、何もする気が起きず、ベッドで寝てばかりいた私が、物欲に塗れて夢中になっている。
昔に比べれば、雲泥の差だ。
何かに夢中になれるなんて。
……だけど。
夢中になるものが「買い物」じゃないほうが良かったなあ…。

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私のうろうろ徘徊ぐせがどうしても治らないので、主治医は色々薬の処方を変えて試してみている。
エビリファイを半分にする。
エビリファイとタスモリン(エビリファイの副作用に対抗する薬)を飲んでみる。
エビリファイを止めて、タスモリンだけにする……等々。
「アカシジア(エビリファイの副作用)だと思うんだよねえ…。」
主治医はもう必死である。
私は違うと思うんだけれど、取りあえず主治医に従うしかない。
この徘徊ぐせは、元々私が持っている癖だと思うのだ。
良く考えてみると、自分が何かに追い詰められている時、迷っている時、不安でたまらない時などに、昔からよく部屋中をぐるぐる歩き回っていた気がするのだ。
それがうつのせいで酷くなったのでは…と勝手に自己診断している。
歩きすぎてもう膝も腰もガタガタだ。
主治医にもそれは言ってあるのだが、どうしてもアカシジアだと言い張る。
ところで。
私の通っている心療内科と薬局は両方ともショッピングセンターの中にある。
心療内科で診察を終え、薬局へ処方箋を持って向かうのだが、この薬局が厄介なのだ。
手際が悪いのか、薬剤師さんが少ないのか、薬を出してくれるまでとっても時間がかかる。待ち時間1時間なんて当たり前で、もらった番号札と、電子掲示板の今薬を出してもらっている人の番号を見比べて、その差にいつも倒れそうになる。
ずっと薬局の待合室で待つのは、狭くて人との距離が近いし、子供がぐずったりして騒がしい。私には到底無理なので、その間時間を潰しにどこかに行く訳だけれど、ここはショッピングセンターである。
ブティックだらけ。雑貨屋さんだらけ。しまむらも入っているし、時間を潰すのには不自由しない環境なんだけれど…。
この空き時間が、私にとって仇になるのだ。
どうしても余計なものを買いまくってしまう。
しかし今日は心を鬼に。
絶対に何も買っては駄目!
固い決意で私はあちこち店を回り始めた(それでも見て回るんだ)
恐ろしい金額を今月引き落とされ、12月分の引き落としの金額が、今の時点でもう、信じられない金額になっている。
もうこれ以上、絶対にカードは使えない(現金も)。
不思議なもので、ちょっとお金に余裕があるときは良い物がなく、収穫なしで帰るのに、お金が無くて買い物できないけど、見るだけ…と言う日に限って、あれこれと良い物に巡り合う。
今日もそうで、またたくまに欲しいものがいくつか出て来てしまった。
試着してしまうと買ってしまうので、今日は脱ぎ着がしにくい格好をし、スヌードも首の周りにぐるぐる巻いてきて、解くのが面倒にして来た。
これで試着が億劫になるはず。
私の買い物依存には、その時々の「ブーム」がある。
例えば、ブーツが欲しくなるといくつも買ってしまい、スヌードやマフラーが欲しくなるとそればっかり集めようとするのだ。
今は冬なので、ジャケットやコートなど、アウターのブームが来ている。
いいロングのダウンで、しかも安くなっているのを見つけ、羽織ってみてしまう。
……着やすいし、安いな、コレ。
いいじゃん!…と私の中の買い物狂はすっかり買う気になっていて、もう頭の中でどこからこの金額をひねり出すか算段を始めた。
──しかし。
今日は、理性である「もうひとりのわたし」が強かった。
「同じようなデザインで同じような色の、持ってる!」
「これ以上クローゼット入らないよ!」
と、しきりに私に耳打ちし、はっと我に返って買うのを止めた。
危なかった……。
滅茶苦茶に買い物しまくる病気の私は、普段前面に出てきていて、私にものを買わそうとする。
「もうひとりのわたし」は、たまにしか出てこない。
買い物を済ませてしまった後に出てきて、散々私を責め立てる。
「ばかみたい。また同じようなの買って。」
「こんなの使わないよ、買ったって。」
「自分のクローゼットの中見てごらん。タグも取れてないのたくさんあるよ。」
「どうすんの。これ以上ものを増やして!」
かわいいトートバッグがあったので、見ていると、
「かばん今、幾つ持ってるか、この間数えたよね。リュックとトートとボディバッグとショルダーバッグと。50はあったよね。…まだ買うの?」
容赦なく責められ、今日はとうとう何も買わずに帰途に着いた。
ほっとする私。今日は乗り切れた。
この「もうひとりのわたし」が、いつも前面に出てきてくれてるといいんだけれど。
けれども、何にも興味が湧いて来ず、何もする気が起きず、ベッドで寝てばかりいた私が、物欲に塗れて夢中になっている。
昔に比べれば、雲泥の差だ。
何かに夢中になれるなんて。
……だけど。
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