05月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫07月

デパスとさよならする日

2016/06/28
心療内科に行ってきました。
主治医が、「トラゾドンを断薬したが体重増加はいかに?」と訊くので、「体重は変わりません」と言ったところ、満面の笑みになる主治医。
「太ってないなら良かったね。」

……そうじゃないんです、先生!
体重増加は止まったものの、全く落ちなくなってしまったのは変わらないんです。
今の体重がデフォルトになってしまったら困るんです、先生!

叫びたかったけれども、もうそこで億劫になってしまう私。
これではいけないと帰途で色々思い返し、今度はレクサプロの減薬を(主治医が一回、試みようとして止めたので)お願いしてみよう…と決心しました。

ところで、私が一日で一番お世話になっているのがデパスです。
今、0.5mgを朝昼晩一錠ずつ、就寝時に二錠。
それからその他不安感が酷い時に頓服として飲んでいます。
一日六錠が限度なので、それを超えないように調整しているのですが、ODしてしまう日も少なくありません。
けれども最近、ふと「デパスは本当に私に効いているのか?」…と思うようになりました。



デパス(エチゾラム)(お薬110番より引用)

【効用】
●抗不安作用…おだやかな作用で不安や緊張感をやわらげます。
●鎮静・催眠作用…興奮状態やイライラをしずめたり、寝つきをよくします。同系の薬で、とくに催眠作用の強いものは睡眠薬として用いられています。
●筋緊張緩和作用…筋肉のこわばりや、つっぱりをほぐす作用があります。そのため、がんこな肩こり、腰痛、緊張型頭痛などにも応用されます。
●抗けいれん作用…けいれんを予防したり抑えます。
●チエノジアゼピン系の抗不安薬(緩和精神安定薬)です。作用的には、ベンゾジアゼピン系とだいたい同じです。
比較的安全性が高く、依存性もそれほど強くありません。
←ここ、少々疑問
●同類薬のなかでは、作用がやや強く、作用時間は短いほうです(作用/時間:中~強/短時間型 6時間以内)

【副作用】
●依存…長期に多めの量を飲み続けると、体が薬に慣れた状態になりやめにくくなる。このとき急に中止すると、いらいら、強い不安感、不眠、ふるえ、けいれん、混乱、幻覚など思わぬ症状があらわれることがある(徐々に減量すれば大丈夫)。
●刺激興奮…興奮、もうろう状態、取り乱す、かえって眠れない。(もともと精神障害がある場合などに、まれに出現)
●呼吸抑制…息苦しい、起床時の頭痛・頭重感。(もともと呼吸器系の弱っている人で、まれに出現)
●眠気、ボーッとする、注意力・集中力低下、頭が重い感じ
●ふらつき、めまい、けん怠感、脱力、まぶたが下がる
●生理不順、乳汁分泌
●長期連用で効き目が悪くなる



特に私には副作用らしきものは出現せず、ぼーっと眠くなるくらいで済んでいます。
心が落ち着き、正常に近くなるので、安心して食欲が増して太ってしまう…ということもあるようですが、むしろ以前より食欲の落ちた私はこれには当てはまりません(デパスのせいで太ったとか言われたら、もう飲む薬ないよ私…)
ので、私には合っている薬なのかもしれません。

私の症状の中で一番酷いのは「不安神経症」で、あらゆる不安要素を自分で作りだしてしまい、それが脳の中に定着してしまって離れず、終始苦しめられています。
と同時に神経質で周囲の状況が気になって止まらず、特に「音」に対する恐怖が酷い「聴覚過敏」です。
これらの不安や恐怖を取り除いてくれるのがデパスなのですが、どうも摂取しすぎていて、最近あまり効いてないんじゃないかと思うことがよくあるのです。
それに、「おだやかな作用で不安や緊張感をやわらげます」ってことは、ぼーっと心を落ち着かせてしまって、反対に「やる気」を失わせてしまっていて、それで日々の「億劫感」が強いのでは…と疑うようになりました。

──そもそも、本当にデパスは私の体の中で作用しているのか。
最近、甚だ疑問です。

外出先で不安発作が起きそうな時は確かに飲むと落ち着くけれども、それはデパスが効いてるんじゃなくて、「デパスを飲んだから大丈夫」という、いわば「プラセボ効果」なんじゃ…と疑うようになって来ました。
こう考えるようになったのは、体重増加のせいで、「薬をあまり飲みたくない」「依存症になりたくない」と言う気持ちが私の中に芽生え始めつつあるからなのです。
体重のことなどを気にするようになったのは、当初に比べていくらか回復傾向にあるのだと思います。以前は見てくれなんかどうでも良かったので…というか、気にする気力もありませんでした。

うつ病になり始めの頃、私は抗うつ剤や抗不安薬を飲むことにとても抵抗がありました。出来れば薬を使わずに治したいと思っていたのです。
しかし、私のその時の状態はとてもそんなに甘いものではなく、薬が必要だと主治医に懇々と説明されました。
その時の私は、薬に対する「恐怖」がとても強かったのですが、とにかく「治りたい」「元に戻りたい」の一心で、こわごわ薬を飲み始めたのです。
几帳面な私は、浴びるほど毎日飲んでいた酒もぴったりと止め、それからは薬の効力に望みをかけて過ごしてきたのです。
「そんなに薬を飲んで大丈夫なの?」と、周囲の人間が何の気なしに言い放つ言葉に時に落ち込み、「自分だって不安なんだよ!」と苛立ちながらも続けてきました。

確かにそのおかげか、一時は面接に行ったり、ハロワに行ったりと精力的に就職活動をできるまでに回復しました。
けれどもうつ病はやはり厄介な病気で、そのまま寛解することは無く、その後も山あり谷あり、数回のどん底を相変わらずやり過ごして今に至っています。

あんなに飲むのを躊躇していた抗うつ剤、抗不安薬も、今では何の躊躇もなく口に放り込むようになった私…。
もう2年以上服用を続けている私は、すっかり依存症になってしまっていて、特に朝と夕方はデパスを飲まないと不安で不安で仕方がありません。
それで結局は飲んでしまうのですけれども、いつか本当に「さよなら」出来る日が来るのでしょうか。
その日をひたすら待つ私です。



旅行から帰ってきてもマイペースなもも

1464082685917.jpg


ちいはしばらくすごーくしつこかった…

ちいgif





★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★




スポンサーサイト



18:26 うつになって感じたこと | コメント(0)

仙台行き、最悪でした…

2016/06/26
親戚の結婚式(食事会だけど)に出席するため仙台に行ってきました。
私は2月にもうつ状態下で小旅行をしたのですが、その時とは比べ物になりません。
今回はもう、最低最悪でした…(泣)

まず、ダンナの手術他諸々の事柄が先に控えていて、その他の事でも何かと忙しく、やらなければいけないことが多いのに脳が上手く機能してくれないというジレンマに陥り、行く前の数日間からとても苦痛でした。
仙台行きの準備なんか、前日に適当に荷物をカバンに放り込んだだけです。
トラゾドンの離脱症状もあってか苛々が止まらず、うつの調子の方はもう行く前からどん底だったのです。
それに、今回は単なる「旅行」と言う訳ではなく、厄介な食事会がメインのため(会いたくない親戚もいるし)、楽しみな気持ちも最後まで湧いて来ず、それどころかはっきり言って、「行きたくない」気持ちで一杯になってしまいました。

そして。その気持ちに加勢するかのように、当日の悪天候
朝に家を出た頃は土砂降りに近く、小さな折りたたみの傘では駅に着くまでにはもうすでにびしょ濡れと言う事態が、一層テンションを低くさせました。
今までダンナは「晴れ男」を自負していて、どこに旅行しても、天気予報が雨でも降られたことが殆どなかったのです。けれども「晴れ男」も梅雨前線にはどうやら勝てない模様。

初日にほんの少し観光するつもりで、新幹線の時間を早めたので、もろに大荷物でラッシュにぶつかりました。
私は久々のラッシュに眩暈がしてしまい、動悸と不安感で手が震えだす始末です。
途中の駅で慌ててデパスを二錠流し込みました。(これは自業自得なのである程度覚悟はしていた)
東京駅に着く頃にはもうぐったりで、縦横に足早に歩く人々の間をよろよろとどうにか歩き、新幹線に乗り込んだ時には「もう帰りたい」気持ちMAX状態でした。
席に着くなり、イヤホンを耳にする私。
けれども救いだったのは、新幹線では行きも帰りも周りの席はビジネスマンが多く、静かだったことです。
これで騒がしいおばさん連中だの、ギャン泣きする子供だのが近くにいたら、私は間違いなく不安発作に見舞われていたと思います。

仙台は降ってないかも…という淡い期待は思い切り裏切られ、仙台でも雨。しかも時に土砂降りと言う最低最悪の中、私たちは観光を決行しました。
せっかく仙台まで来たんだから…という、もはや意地です。やけくそです(笑)
夜には食事会があるので、比較的市街地から近いところしか回れませんでしたが。



一日乗車券を買い、「るーぷる仙台」というレトロな可愛い観光バスであちこち回ります。
このバスが可愛くて、チョロQが売っていたので思わず買ってしまった。

CIMG0857_convert_20160625220049.jpg



伊達政宗が眠る瑞鳳殿

CIMG0807_convert_20160625215856.jpg



有名な騎馬像。
本丸跡から仙台市内を見下ろすことができるのですが、雨のため霞がかってて何も見えませんでした(笑)
晴れてたら絶景だと思います。

CIMG0840_convert_20160625215947.jpg



雨なので観光客が少なく、それは私にとってラッキーでもありました。
ただやはり雨の旅行と言うのはテンションが上がりません。
右手の傘がどこに行っても鬱陶しいです。


せっかく来たのだから(もうこの思いに突き動かされている)と、大嫌いな行列に加わり、あちこちの店の牛タンも堪能してきました。
仙台は食べ物がどれもこれも美味しいです。

1466859694868.jpg



食事会に関しては、ここに記すことは特にありません。
予想通り親戚から質問攻めに遭い、嫌な思いをしたということしか記憶にありません。
私達は早々にホテルへ退散しました。
ビジネス街にあるホテルなので、客もまたまた出張のビジネスマンという風情の人が多く、ホテルでは静かでゆっくりできました。(もちろん耳栓は必須でしたが)


今回の「旅行」では、私は絶不調でした。
不安神経症の症状が酷く、「新幹線に乗り遅れるのではないか」「ホテルの部屋がうるさいのではないか」「バスが凄く混むのでは」「時間に間に合わないのでは」…等々、次々に不安要素が脳の中に生まれて陣取り、片時も「旅を楽しむ」感に身を委ねられた時がありませんでした。
それに始終、頭が重く、気が塞いでいて、どこへ行っても気持ちが動きません。
疲労感ばかりがどんどんと増していて、終いには歩くのさえ辛くなってしまったほどです。
せっかくホテルに大浴場があるのに、億劫になってしまい部屋のユニバスで済ませようかと思ったほどです。(温泉好きの私には珍しいことです)

うつ状態での旅行は、症状が酷い「急性期」を除けば良い気分転換にもなるようですが、今回の私は「急性期」に近い状態だったため、殆どの時間が苦痛でしかありませんでした。
何をしていても胸のざわざわ感、億劫感が抜けませんでした。
こうなってしまうともう、「旅行」は逆効果です。
撮った写真を見ると、私はどれも目が死んでいます(笑)
帰ってきてもその重苦しい気分が抜けず、調子が上がらないままでいます。
行く前よりも、疲労した分悪化したかもしれません。

けれども、煩わしい「しなければならないこと」に取り巻かれる日常から、ほんの少しの間でも逃れられたことは、僅かながら救いになりました。

雨の中、バスの車窓から眺めただけになってしまいましたが、仙台は美しい街でした。
次は是非、調子の良い時に単なる楽しい「旅行」で訪れたいものです。

──今度は「晴れ」の日に(笑)





★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★




14:43 うつになって感じたこと | コメント(4)

「やらなければいけない」をやめられない地獄

2016/06/17
トラゾドンを断薬した私ですが、少し苛々感が出ています。
久々に、「ぶつけようのない苛々感」というのを味わっています。

うつになって、私の中から次々に色んなポジティブな感情が出て行き、残ったのは「絶望感」と「自己嫌悪」のみ…。
他人に怒るという感情も、何だかおこがましく思えるようになってしまった私は、今では日々の生活の中で、微妙に「イラッ」とすることはあっても、昔のようには怒りが持続しなくなりました。
今思うと、抑うつ状態真っ只中で知らずに仕事をしていた頃は、全てのことが気に障って仕方がなかったのです。
通勤でも、仕事でも、街へ出ても、私は始終何かに苛々していました。
駅で前の人が歩くのが遅いとか、会社で嫌いな人が出勤してくるのが遅いとか、とにかくのべつ幕なし何かに腹を立てていたのです。
考えてみると、私の場合は「こうあるべき」という自分の中のルールを、周囲の人達にも知らず知らずのうちに当てはめて考え、ルールを外れて行動している人を見ると腹が立って仕方がなかったのだと思います。

そんな苛々感も手伝い、今私は「やらなければいけない」のに「できない」ジレンマに陥り、とても苦しい日々を送っています。

うつになりやすい人の気質と言えば、

・神経質・几帳面である(小さなことが気になって仕方がない)
・粘着質(ひとつのことに異様にこだわる)
・仕事を他人に任せられない(自分ルールが強すぎる)
・完璧主義者(何事も自分の中で完璧にしないと気が済まない)
・理想主義者(ハードルの高い理想や目標を立てる)
・融通が利かない・臨機応変さがない(突発的な事に弱い)
・人に頼まれると断れない(どう思われるかとかあれこれと考えてしまう)
・まじめで何事にも熱心、責任感や義務感が人一倍強い(異常に頑張る)
・他人の評価が気になり過ぎる(どう見られているか、思われているかばかり気にする)


…こんな感じですが、これ全部、私は見事に当てはまります。
中でも一番厄介だなあと思っているのは、「完璧主義」と、「融通が利かない」点です。

今、ダンナの手術だの保険やプロバイダの切り替えだの、仙台行きだのと色々なことが控えていて、私の中にはそれに付随する「やらなければいけない」ことがひしめいています。
けれども、気力の方がとても追いつかないのです。
何をするのも億劫で、とにかく身体も脳も円滑に働いてくれません。

これではダメだと「スケジュール表」を作って(出た、完璧主義)壁に貼ったのですが、どうもこれがいけなかったようです。
「今日はこれをする日だから、絶対にしなければいけない」
・・・という、義務感に囚われ、却って苦痛になりました。

旅行代理店に行く、と決めた日も、NTTに電話する、と決めた日も、きちんとその通りにタスクを完遂させないと気分が悪くて仕方がないのです。
けれども自分の調子の方はそう上手く対応してくれません。
朝、起きた瞬間からだるく、何もする気が起きない日も、やらなければいけないことは決められています。
「億劫病」が酷い時は入浴も辛く、とにかく身体が動きません。
洗剤が無くなったからボトルに詰め替え用を入れる…という作業さえ面倒で面倒でたまらないのです(こういう小さい作業が特に億劫)
そんなにも調子が悪いのに、完璧主義な私は、這ってでも予定を完遂させようとするのです。

──調子が悪ければ休んで、その用事は後に回せばいい。

頭では判っているのです。
けれどもそれがどうしてもどうしても出来ないのです。
予定が狂ってしまって、すべきことができないともどかしさに苛々し、そしてしまいには情けなくて涙まで出てくる始末。
もうほんとに病気です。(あ、病気だった)

うつの人は、とにかく何でも自分の中ですぐに「義務化」する傾向にあるので、注意しないといけない、と主治医に言われたことがあります。
例えば、毎日ウォーキングをするのも、一日一回は外出するのもいいけれど、それを「義務だ」とすぐに考えてしまい、やがてそれが苦痛になってしまうのです。
「今日は気分が良いからウォーキングに行こう」という、臨機応変な柔らかい思考ではなくて、「ウォーキングに行かなければいけない」という考えだと逆効果になって良くないそうです。

私は昔から時間の使い方が下手で、少しでも空き時間があると「やらなければいけないこと」をすぐに探しにかかっていました。
今でもぼーっと身体を休めることが上手く出来ず、「掃除したい」「ダンナの服の衣替えしたい」とか「窓が汚れているから拭きたい」とか、「カーテン洗濯したいなあ」とか…「~したい」がいつしか「しなければいけない」に変わってしまって、調子が悪いのに泣きべそをかきながら休むことなく動き回り、へとへとになってしまうのです。
とにかく何かやることを見つけると、「いいか、あとで」が出来ないのです。

この過剰なまでの「義務感」、これが無くなれば随分楽に毎日を過ごせると思うのですが。
2年も抗うつ剤などなどを飲んでいるのに、「考え方」は変えることが出来ないのかなあ…。
きっと持って生まれた性質って、そう簡単には変わらないものなんですよね。

……それにしても疲れる…。




ももと一緒にダイエット続行中。…ふたりとも変化なし(泣)
思えば最初に居た子ミュウも太りすぎだったかもしれないなあ。

myu.jpg



★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★






22:06 うつになって感じたこと | コメント(6)

体重増加が止まらない

2016/06/10
ダンナの手術日も決まり、次は地震保険更新のついでに入ることにした家財保険(今まで入ってなかった…アブナイ)の手続き。
次に生命保険に電話して書類を送ってもらう。
そして仙台行きの準備(お金も払って来なくちゃならない)に、修理に出したPCの引き取り…。
その上、ただでさえこのくそ忙しい時になんと光回線のプロバイダを変えることにしたので(家電量販店でセールストークに捕まってしまった)、その手続き…工事日だの、あっちこっちに解約の電話だの…やることが一気に押し寄せてしまって、眩暈がしています。

用事って、何もない時は本当に何もない。
けれども重なる時は重なる…という感じで、5月に引き続き情緒不安定な毎日を過ごしている私です。

通常の状態なら良いのですけれども、いかんせんここのところ身体の調子が良くなく、「億劫病」に支配されているため、ひとつひとつの手続きが面倒でなりません。
電話一本かけるのに、小一時間は部屋中を意味もなくうろうろする始末。
以前なら頭の中で整理して、順序良く次々に用事を潰していくことができたのですが、現在の壊れた脳ではそれも不可能で、とうとう私は「スケジュール表」なるものを作ることにしました。
そうじゃないと、何からどう手を付ければいいのか、気持ちの方も落ち着かないのです。
頭の中で色々考えながら家事(大した家事じゃないですが)をこなしていると、先日のように追い炊きしたつもりの冷たい湯船に入り、悲鳴を上げる…という事態に陥ります。

うつ病は物事を段取りよくこなしていくのがとても困難になります。
集中力、判断力が著しく衰えてしまうためらしいのですが…。
仕事もそれが原因で、退職する直前の頃はよく席でパニック状態に陥っていました。

さて。
そんな中、もうひとつとても気になっていることがありました。
どうも最近、身体がひと回り大きくなった様な気がするのです。
抗うつ剤を飲み始めてもうちょうど2年になりますが…。
私は確実に徐々に太っています。
けれども治療のためなので、ある程度は仕方がないとあきらめていました。

抗うつ剤は、その薬の種類にも服用する人の体質にもよりますが、副作用として太ることがあります。
抗うつ剤の持つ、抗ヒスタミン作用(ヒスタミンが抑えられると満腹中枢を刺激しなくなるので、満腹感が得られなくなって食欲が増加してしまう)と、また精神を安定させてリラックス状態を作るセロトニンを増やすことによって、セロトニンの持つ代謝抑制作用のせいで、どうしても身体の代謝が下がって、脂肪を蓄えやすい身体になってしまうために、人にもよりますが(逆に痩せる人もいるらしい…)太ってしまうこともあるというのです。
私はどうやら、吐き気や頭痛などの他の副作用は一切出ない代わりに、太る体質のようです(泣)

ここのところ、勢いをつけて、ぐん!と体重が増えたような気がしていたのですが、怖くて体重計に乗れませんでした。
それが友人にもダンナにも「あれ、顔が丸くなった?」「太ったね」と続けざまに言われ、意を決して体重計に乗ったところ……私は卒倒しました。

◯十年生きてきて、今までで一番体重があります、私!!(号泣)
あきらめる限度…超えてます!!


食は以前よりかなり細くなっているし、間食もたまにお団子なんかの和菓子をちょこっと食べるのみ。
そして億劫な身体に鞭打って毎日最低5000歩はウォーキングもしています。
それなのに体重は日々増える一方なのです。
私は主治医に半泣きで訴えました。
「…うーん。食べてない?無意識のうちに。」
主治医は「抗うつ剤は飲むだけでは太らない。それによって食欲が増すために太る」という考えの持ち主で、以前も一度太った時に相談したのですが、まず私の過食を疑うのです。
いいえ!と即座に否定する私。
それどころか、体重がどこまで増えるのか恐ろしくなり、おにぎり一個でも躊躇するくらい毎日食べ物に怯えているのです。
うーん…と主治医はしばらく悩んでいましたが、やがて一つの答えが。
「…減薬してみよう。」

私は今、抗うつ剤のレクサプロとエビリファイ、そしてトラゾドン(レスリン)を就寝前に下剤と流し込んでいます(副作用で便秘気味なのです)
その他に一日6錠(ODぎりぎり)、デパスを服用しているのですが、正直色んな薬を飲みすぎなんじゃないかと思っていました。
抗うつ剤三種も飲む必要が果たしてあるのか、素人には判断がつきません。
どの薬も、例えばレクサプロの利きが最初悪かったので補助としてエビリファイを、入眠障害があるので、トラゾドンを…と追加していった結果です。
主治医は最初、レクサプロを半錠に…と考えたようなのですが(内心ガッツポーズだった私)、すぐ思い直して、
「トラゾドンを止めましょう。デパス就寝前に2錠飲んでるし、それだけで睡眠は大丈夫かもしれない。それで様子を見ましょう。」

…結局レクサプロはそのままで、トラゾドンを断薬することになりました。
それだけでも私には気が軽くなる処方です。
そう言えば、効かないわりにトラゾドンを飲み出してから短時間で急激に太った気がするのです。
トラゾドン(レスリン)は、それでも太る副作用はそう多くない薬の様ですが、他の抗うつ剤で代謝がすでにドーンと悪くなっている私の身体に追い打ちをかけたのかもしれません。

飲んでいる薬を少しでも減らしたい…という気持ちがいつもこころの根底に流れています。
いずれ、どの薬も飲まないで済むようになりたい。
まだまだ長い道のりですが、今は耐えるしかありません。

さて、トラゾドンを止めてみてどうなるか。
しばらく様子見です。




ももを爪切りに連れて行ったら「要ダイエット」を言い渡されました。
ぜい肉がすごいそうです(泣)
一緒にダイエットがんばろうね、もも!

1456310961166.jpg



★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



20:00 うつになって感じたこと | コメント(8)

やけくそ日記…その2

2016/06/06
6月2日(木) 晴れ

いよいよ病院に行く日になった。

病院は会社からそう遠くないので、ダンナは仕事を抜けて行くと言う。
なので現地集合ということになった。
再検査の健診センターで貰ったディスクの入ったぶ厚い紹介状の封筒を、リュックに詰め込んで出勤していくダンナを見送った。

健診センターの先生の見立てと、病院の主治医の見立てはまた、違うかもしれない。
私達が考えているよりももっと本当は重篤なのかもしれない。

様々な「不安」がまた脳の中で渦を巻きつつあったが、どうせ色々ろくでもない憶測をし、不安の渦に飲み込まれても結果は厳然たる事実としてもう決められているのだ。
右往左往しても無駄だ。
私はもう、心配しても全ては無駄だ、なるようにしかならない…と、「ケセラセラ」の思考から更に進んで悟りでも開いたかのような諦めの境地に今や達していた。
というか、「心配する」ことに疲れてしまったのだと思う。

だが、自分の調子は…というと、最悪だった。
その日、起床してすぐに「あ、今日はダメだな」と感じた。
酷い「億劫感」が覚醒したと同時に襲って来て、やっとの思いでちいももの世話をこなし、そのまままたベッドに倒れ込んでしまった。
身体の方は本当に正直で、思考は「ケセラセラ」で誤魔化せても、無理がきかない。
診察は午後からなのでそのまま小一時間ほど眠ってしまった。
昼になり食欲がなかったが、薬を飲むためにおにぎりを流し込むように食した。

皆そうだと思うが、私は「病院」が苦手である。
それも今回行くような大規模な「総合病院」のような類だと、待たされる時間が多いために人いきれに当たってしまうのだ。
どんなに新しく綺麗な病院でも、そこに来ている人々から発せられるマイナスのオーラのようなものに反応して疲れてしまう。
パニック発作が出そうな感じでもあったので、私は念の為にデパスを携帯して行った。
とぼとぼと歩いて病院に向かう途中、ダンナから「つきましたよ~。これから受付行っちゃいますよ~!」という底抜けに明るいLINEが来て、私は脱力した。

地元の病院なので有ることは知っていたが、実際に入ったのは初めてだった。
意外にこじんまりとした総合病院である。
混雑も思ったよりは酷くなく、私はほっとした。
待ち時間もそうかからず、ほぼ予約の時間に私達は診察室に入ることが出来た。

結果はやはり、ポリープはひとつのみだが1センチ強であること。
けれどもキノコのように茎があるタイプなので内視鏡手術で行けるという話だった。
一泊二日の入院になる。
私は、主治医のPCに大きく映し出されているダンナのポリープの写真に釘付けになってしまった。
思ってたよりもグロテスクで大きい……。
これがダンナの身体の中にあるんだ…と思うと嫌悪感で一杯になる。

「手術はいつにしますか?今からだと早くて6月24日の金曜日なんだけど…」
淡々とした主治医の言葉にダンナと私は顔を見合わせた。

仙台行きの日に見事にぶち当たったからである(笑)

結局、これ以降の金曜日ならいつでもいいというので一週間後の7月1日の金曜日にしてもらうことにした。
この時点で仙台にもふたりで行くことが決まった。
実は、予約してあるホテルや新幹線のキャンセル料が発生し始めるのが翌日で、私は手術日如何ではダンナの分をキャンセルしなくてはならないため、そのまま帰りに旅行代理店に寄るつもりでいたのだ。

これでひとりで仙台に行かなくて済む…そのことが私を少しほっとさせた。
ところが入れ違いにトーンダウンしていたのがダンナである。
「あのポリープの色…がんだよ。検査の時はもっとピンク色だったよ。がんの色だよ。」
「入院しなきゃダメなのかなあ。…入院か…。」
「またあのへんなおかゆとか食べて、ガンガン下剤飲むんだ…」


がんかどうかなんて、ポリープを取って実際に組織検査してみないと判らないし、キノコ型なので転移の可能性も少ないと主治医も言っていたじゃないか…などと私は一生懸命宥めたが、どうやら彼の耳には入っていない様子である。
必死で会社に連絡を入れ、何か訴えている。
私は本人じゃないのでそれ以上無体なことも迂闊に口に出来ず、私たちは病院の前で別れた。

帰り道、私もぐったりしてしまって電車の中で眠ってしまったが、これでひとつ、懸案事項に「答え」が貰えたことになる。いや、仙台行きも決まったのでふたつだ。
そのことが私を少し楽にしていた。

これからのことはこれから考えるしかない。
金銭面の問題も、出せと言うのなら出すしかない。
ケセラセラ。なるようになるだ。
もうあれこれと悩んで心配するのには疲れた。
決められている流れに、あまり悩まず乗って行くしかない。
あれこれと考え、悩むのは取りあえず「結果」を貰ってからにしよう、何でも。



追記:修理に出していたモバイルPCが修理に3万かかると言う。
「ケセラセラ」が揺るぎそうである……。




換羽の時期に入り、部屋中ちいの羽だらけだ。
ちいもボサボサでイライラしている。

chil3.jpg


★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★






18:46 日記 | コメント(2)

やけくそ日記…その1

2016/06/03
6月1日(水)  晴れ

ついに私の思考は麻痺した。

人間、毎日毎日不安に苦しめられていると、脳の方も「不安になる」ことに疲れてくるのかもしれない。
あらゆる不安要素をわざわざ自分で見つけ出しては、それを吟味しつくし不安の穴をどんどん広げる。
こんなことを繰り返してどこまでもどこまでも落ちてゆくと、底に突き当たる。
その底をバリッと破ってさらに落下すると、そこにはどうやら「やけくそ」という感情が手を広げて待っているようだ。

ダンナのことで頭が一杯だった私だが、主治医に「ネットで大腸ポリープとか大腸がんとか調べるの禁止!」…と言い渡された。
ネットは便利だが、そこに溢れている情報は千差万別で、真偽も定かではないので、全てを鵜呑みにするのはとても危険だ。それは自分でも判っているつもりなのだが、どうしても不安であれこれ調べてしまう。
私の場合、自分にとってその情報が必要か必要じゃないのかさえ、もう判断がつかなくなっていると言うのだ。
「わざわざ不安になるために人の体験談とか、見る必要はないよ。人それぞれ違うんだから」
きっぱりと主治医に言われ、相変わらず夜眠れないのでデパスをまたも増薬。
さすがに就寝前の抗うつ剤三種とデパス二錠の効果は絶大で、私はコトリと入眠できるようになった。早朝覚醒も中途覚醒も無い。それだけが救いで、相変わらずだるさと「億劫病」は続いている。

そんなところに。
朝、リビングの窓を開けたら、吊っているエアコンの室外機のホースが外れ、だらんと垂れ下がっていた。ホースに触ってみると、バリバリと砕ける。
紫外線劣化というやつだろう。
このエアコンは以前の住人が置いて行ったもので、もう十年以上使われてきたと思われる。
あちこちに不具合も出ていて、水漏れに悩まされていた。(これもストレスだった)
まだエアコンを使う陽気ではないが、今年は猛暑だというし、ももがいるのでエアコンを使わない訳にはいかない。
修理をするなら買い換えようという話に自ずとなった。

この色々と入用の時に…と、私は酷く落ち込んだが、仕方がない。
そんなところに今度は、「地震保険の更新のお知らせ」が来た。
地震保険は五年ごとに支払っているので、五年経ったから更新するなら保険料払えよ…という通知だ。五年分を一括で払うのでそこそこの金額である。

どうしてこのタイミングなんだ…。

私はその場に崩れ折れた。(これ、比喩じゃないです)

……お金って、出て行く時はどうして一気に出ていくんだろう。
そしてどこまで貯金を崩せばいいのか。
どんな問題よりも一番ストレスになるのが「金銭」の問題である。

そんな日々を送っていたのだが、今度はノートPCの調子が再び悪くなり、またも家電量販店に入院させる羽目になった。
その間、もう一台のモバイルPCを使っていたのだが、なんとこっちもおかしくなった。
うんともすんとも反応しない。(こっちはWindows10にしてから不安定なので、明らかにそれが原因だと思う)
……笑っちゃうような話だが、事実である。
私は自分が何か「負のオーラ」でも出しているんじゃないかと本気で疑ったくらいだ。
そんな訳で、二台のPCは入院。
保証には入っているが、有償になる場合もあるしな…と、もう笑うしかない。

もうこのへんで私の中で何かが「ブチッ」と音を立てて切れたようである。

色んなことを先回りしてあれこれと悩んでいても無駄なのだ。
こうやって、予測不可能のことが次々に起こるではないか。
最悪の事態を予測して脳がしきりに行っているシミュレーションなんか、無駄なのだ。
予測して対処できるほど、世の中の物事は単純には進まない。

何にでも「答え」はすでに決まっていて、いくら悩んでも心配しても祈っても、その「答え」は変わることは無い。
私達はそれを知るために前へ進んでいき、それを知って黙って受け入れるしかないのだ。
受け入れて、それから「どうするか」を決めるしかない。
まさに人生、なるようにしかならない。「ケセラセラ」なのである。

何だか思考が麻痺したというか、不意にストンとそこに行きあたった。
これはもしかして「やけくそ」なのかもしれないが、うつの私にとってはもしかして素晴らしくポジティブな思考なのではないか…とふと思ったりする。

そんな「ケセラセラ状態」で、私はダンナと病院に行く日を迎えたのだった。





癒し★

1464947868936.jpg


★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★




19:26 日記 | コメント(6)
 | HOME |