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不安に殺される…その後

2016/05/24
今回も書きなぐりで支離滅裂な文章になってしまうと思います。
すみません。
前回の記事で、色々ご心配下さった方々、本当に温かいコメントをありがとうございました。


不安な日々はまだまだ続いています。
私は調子をすっかり崩し(友人に言われて気付いたのですが、今年に入ってから低空飛行が続いているような…)、不安とネガティブ思考が蔓延している私の脳はどうやら、一切のことを「億劫だからやりたくない」と指令を出したようで、身体が様々な日常のルーチンを拒否し始めました。

入浴も外出も億劫で出来ません。
ちいももの朝のケージの掃除が辛くて涙が出そうです。
アニマルセラピーは確かに効果があるけれども、調子の悪い時には世話が却って負担になることがある…と以前主治医に言われたのですが、身をもって味わっています。
けれども彼らはお腹を空かせて待っているのです。
その愛くるしい瞳や仕草を眺めて、自分を奮い立たせつつ何とかこなしているのですが、倦怠感が酷く、途中で何度か横になってしまいます。
そして、ダンナにも申し訳ないのですが、ただ冷食を詰めておにぎりを握るだけだと言うのに、お弁当作りも免除させてもらっている有様です。

私の場合、何かひとつ不安要素があると、不安神経症に拍車がかかります。
常時息苦しく、突然動悸が始まったりするので、ここ数日はデパスをOD気味です。
主治医にも言われたのですが、私は「思考が粘着性を帯びていて、ひとつのことに固執する」性質だそうですが、これも今更ながらに再認識しています。
そして、そこに物事を悪い方、悪い方へと流して行く、うつ特有の思考の癖が相乗効果を呼び、もはや冷静でいられなくなっています。


ダンナは今週に入って再検査に行きました。
ダンナ自身もそうでしょうが、この日まで、一日が本当に辛く長かった。
「一日千秋」とはこのことです。
すぐに「白黒つけたがる」うつ傾向の人間には、「答えを待つ」ことが至極辛いのです。

前日は送付されて来た決まった食事しかとることが出来ず、ダンナは辛くて寝てばかりいました。
見ると、レトルトのおかゆや豆腐ハンバーグ(申し訳ないけれど、それを温めるのも億劫な私)、飲むゼリーなどで、あれでは空腹でたまらなかったと思います。気の毒なので、私も気を遣って自室で食事をしたりしていました。

再検査は下部内視鏡検査と言うやつで、その場で結果が判ります。
本当は私も一緒について行きたいくらいだったのですが(家で待っている時間が怖い)ダンナに「子供じゃないんだから付き添いなんか要らない」ときっぱりと拒否されて(冷静に考えればそうですよね…)仕方なく家で待機していました。
そう言えば、私もうつになり始めの頃、急に物をうまく飲み込めなくなってしまって、病院で胃カメラを飲んだことがあったのを思い出しました。
その時の「食道がんなのではないか」という気が狂いそうな不安な気持ちを、あの時はダンナにも相談せず、ひとりで抱え込んで検査に臨んだのです。結果は異状無しでしたが、思えばあれもうつの前駆症状だったのかもしれません。
……そうだ、あの時私だってひとりで行ったんだから…としみじみと思い出しました。

そして。
ダンナの結果ですが(血圧の問題も無事クリアして検査できたようです)、便潜血検査で二回とも引っかかっているので何も無い訳はないだろうなと内心覚悟していたのですが、やはりS状結腸のあたりに1センチくらいのポリープが見つかりました。
それなのに「此処では内視鏡では取れない」と言われたというではありませんか。
ポリープが見つかれば切除してもらい、次は組織検査の結果待ちでまた不安な日々が続くなあと覚悟していた私ですが、肩透かしをくらって眩暈がしました。
理由をダンナに訊いても、「血管が通ってるかもしれないから止めときますって言われた。」とのほほんと答えるのみ。
再検査に行ったところは病院ではなく、「健康診断センター」の様な所なので、きっと大出血のようなリスクのある施術は出来ないのでしょう。(私の父がやはり大腸のポリープを内視鏡で取っているのですが、その時大きな血管が通っていたため、大出血になって大変でした)
切除するにはもしかしたら開腹になるかもしれない…と言われたらしく、私はそれを聞いて一段と落ち込みました。
そして地元の割と大きな病院に紹介状を書いてもらったようです。(今ってデータをディスクで遣り取りするんですね…驚いた)

ダンナは「あれはがんじゃないよ。がんの色じゃないもん。ピンク色だったもん。」などとお気楽なことを抜かしていますが、もう私はそれどころではありません。
ネットで色々と調べ、ポリープや大腸がんの画像を見まくって夢にまで出てくる始末です。
なのにダンナは恐るべきことを言い出しました。

「半年以内に行けばいいって言われたから、そのうち行く。」

先生が「半年以内に行けばいい」と言うのなら、そう緊急性を要するものではないのかもしれません。
本来なら喜ぶべき…ひとまず安堵するべきことなのでしょう。
けれども私は「なんでそんな余計なことを言うんだ」という気持ちでいっぱいになってしまいました。
ダンナの性格を知っているからです。
そんなことを言われたら、この人は忙しさにかまけて病院にも行かず、放置するに決まっています。
会社の健康診断の胃のバリウム検査を、嫌だからと何年も勝手に拒否したりする人間なのです。
冗談じゃない…と私は思いました。
お願いだから、早く病院に行って診てもらってくれ、病院の先生の見立てはまた違うかもしれないし、開腹になるかもしれないのに、半年なんて待ってたらもっと大きくなっちゃうよ…等々と懇々と言い聞かせました。
ネットで調べたのですが、大腸ポリープは、大きさが1センチを超えるとがんになる確率が急に上がるそうです。ダンナは1センチくらいなので微妙なのですが、さすがにそのことは言えませんでした。

「だって仕事休めないよ。」
「それ、優先順位が違うでしょう!」

私はうつになってから、ダンナに強い口調で接することが出来なくなりました。
以前は自分も仕事をしていたこともあり、家事との両立と自分が自分に課した「完璧ルール」に縛られて、くたくたでついダンナに当たってしまい、喧嘩になることもよくありましたが、うつになって仕事を辞めてからは、全くそれが無くなりました。
いつも心のどこかに自己嫌悪と、「こんな壊れた無職主婦の自分を養ってくれている人に大きな口なんか叩けない」という引け目があったのですが、今回ばかりは強く言ってしまいました。
私も仕事をしていた時、とても休みが取りづらい職場だったので、気持ちは痛いほど判るのです。
判るのですけれど、でも…言ってしまいました。

ダンナは渋々、病院の予約を取ってました。


うつになってから、私はこのブログにも自分の調子がどうだとか、何が出来ないとか出来たとか、「自分」のことについて、「自分」に対する不安などばかり書き綴ってきましたけれども、ある意味それが出来たということは幸せなことだったんだと思います。
自分のことだけを掘り下げて考え悩み、療養に徹することをさせてくれたダンナを含めた周りの全ての人々…その人たちはこの先もずっと健康でいて自分を見守ってくれている…と、無意識に過信していたのです。
そんなことは決してないのに…。

…何だか、結果が出る前にもう、疲労困憊の私です。
「一日千秋」はまだまだ続きそうです。



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ももは大丈夫でした。
結局おかしかったのはあの日だけで、あの日は外で遊ばせても何かに怯えているようで全く寄って来ず、本当に不安になりましたが、翌日になると普通にガツガツとごはんを食べていました。
私たちの不安オーラを感じ取っていたのかな…と勝手に解釈しています。




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19:08 うつになって感じたこと | コメント(7)

不安に殺される

2016/05/14
ごめんなさい。
今回私、かなり乱れていて、書きなぐりのようになってしまうと思うのですけれども、不安な気持ちをここで吐き出させて下さい。


今週に入り、私の調子はガタガタになってしまいました。
不安感が脳を始めとして身体全体を覆い、今これを書いている間も指先が震えて止まりません。
デパスを一日に何度も投与してみましたが、一向に不安感が消えることはありません。
うつは、外部からの刺激になる要因が何も無ければ、ある程度は落ち着いていられるのですが、ふとしたことがきっかけで、ネガティブの海に沈み始めます。


私のダンナは過酷な労働条件(酷い時は3週間休みなし、朝早く夜遅いという勤務状態…そして薄給という、殆どブラック企業なんです)にも耐え、たまに対人関係のストレスで蕁麻疹が出るくらいで、風邪も滅多に引かないと言う頑強ぶりで毎日を乗り切り、無職主婦の私と言う荷物を抱えて頑張って働いてくれています。

ところが、今春の会社の健康診断で、要再検査になりました。
便検査で二回とも潜血反応が出たのです。
私はそれを淡々と告げるダンナから聞いた瞬間、もう深い海溝に落ちてしまいました。

一番最初に頭に浮かんだのは、義父が「大腸がん」でなくなっているということ。
これは、口にはしませんが、ダンナも多分同様だと思います。

再検査は内視鏡を入れ、ポリープがあればその場で切り取って組織検査をすると言うことだそうですが、ダンナは高血圧なので、もし検査日に血圧が高ければ検査はその日は出来ないと言われたそうです。
それでも一応、再検査の予約を取り、あとはその日を待つだけなのですが、私はもう何も手につかなくなってしまいました。

もしも…と、最悪の状態をどうしても頭の中に描いてしまうのです。
物事を何でもネガティブ方向に考えてしまう…これはうつ病患者にとって得意な事のひとつでもあるので、無理もありません。
最近私は、これは「防衛本能」なのではと思うようになりました。
最悪の事態を自分が乗り越えていけるか、自信が無い…だから敢えて最悪の事態を予測して、その時のショックに自分が耐えられるように予め、脳がシュミレーションをしておくのではないか…と。

不安は次々に襲ってきて、私の脳内はそればかりでもうメモリが一杯です。
したがって、他のことがなにひとつ満足に出来なくなってしまいました。
料理はもちろんですが、ちいももの世話も、入浴も、散歩も買い物も、何にも心が乗らず集中できずに、暇さえあれば最悪の事態を想像してネガティブの海溝にどんどん深く落ちています。
そして前にもまして、眠れなくなってしまいました。


もし、がんだったら。
すでに転移していたら。
もし、内視鏡の手術だけでは手に負えず、開腹になったら。
長期の入院になったら。
その間、生活はどうすればいい。
私には収入が無い。ローンが払えない。
何より、こんな状態で私はその事態を乗り越えていけるのか?


「だから言ったじゃない」
もうひとりの冷酷な私が自分自身をここぞとばかりに責め始めます。
「人生何があるか判らないんだから、我慢して働いていれば良かったのよ。あなた、こういう事態を全く想像してなかった訳じゃないでしょう?」

そうだよ。私が働いていないからいけないんだ。
だらだらと家事もろくにせず、いい加減な食生活をさせているからいけないんだ。
ポリープやがんは、ストレスが大きな要因だと言う。
こんな寄生虫の私の存在も、ダンナにとってもしかしてストレスなんじゃないのか。
早く働いて欲しいと思ってるんじゃないのか。
私が働いていれば、ダンナの不安も少しは軽減してるはずなのに。


そして。もし、もし。
──私ひとり、遺されたら。


今の段階で考えても仕方のないことは自分でも理解しているつもりです。
けれども不安は止まらず、私を次々に打ちのめします。

一番ショックをうけているであろうダンナは、つとめて明るくふるまっていますが、iPadで必死に何かを調べたり、ソファに座ったままテレビを観るでもなくぼーっとした顔でいるのを見てしまうと、胸がぎゅっと締め付けられて、まるで彼の不安が自分に伝染するかのように落ち着かなくなるのです。
一番不安なのは彼なのだから、彼を刺激するようなことを言ってはいけない。
私が不安と恐怖で混乱しているのを悟られてはいけない…と自分に言い聞かせて何とか平静を保っています。

そして。
それとまるで呼応するように、ももの様子がおかしくなりました。
ごはんをあげる時、いつも飛びついてきて離れないのに、ケージの隅に蹲ったままです。
入れてあげたごはんにも見向きもせず、大好きなおやつなら食べるかとあげてみても、ぺろりとひとなめするだけでまた蹲ってしまいます。
私は泣きたい気持ちになりました。
今のこの状況で、ももにも何かがあったら、もう正気で居られる自信がありません。

頭の中を整理しよう。

まず、ダンナのことは再検査の結果が出るまで今は悪い方に考えるのを止めよう。
結果如何で、仙台行きは断ろう。
ももは、このまま様子がおかしければ病院に連れて行こう。

必死に自分を宥め、落ち着こうとしている私です。

それと同時に深く思ったこと。
うつ病になって、療養させてくれる環境を与えてもらっていることは、本当に幸せなことなのだと。





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22:50 うつになって感じたこと | コメント(10)

どうしてもどうしても料理ができない

2016/05/09
かつて私のストレス解消法は「買い物」でありました。
一度、「欲しいよう病」が発症すると、しばらく鎮火しません。
働いていた頃はそれなりに自由になるお金もあったし、制服のない職場だったため、着るものばかり買っていました。
ところが今は療養中の「無職主婦」であるこの身。
自由になるお金など全くありません。
なので最近のストレス解消法は、「ネットショッピング買い物かご遊び」です。
ネットで欲しいものをあれこれと眺めては、買い物かごに入れ、買ったつもりになるという…(笑)
「あと◯◯円で送料無料です」とか出たり、在庫見たりしてるの、割と楽しいです。
ちなみに今月は、カットソー、anelloのリュック、バッグインバッグ、キャスケット、うさぎのストラップ…等々を「つもり買い」しました。
もう、買い物かごパンパンです。
たのし~…そしてむなし~ィ(笑)

そんな私ですが、家事は以前に比べて手を抜いて出来るようになりました。
「きちんとやれるようになった」ではなく、私の場合「手を抜いて出来るようになった」のが進歩にあたります。
何故かと言えば、以前の私は、働きながらでも手を抜かずに、異常なまでに完璧に家事をこなさなければ気が済まない性分でした。(だから壊れました)
掃除ひとつとっても、「掃除日」なる日を一週間に一日設定し、徹底的にやるのです。
ただ掃除機をかけるのではなく、洗面所もお風呂もキッチンもトイレも磨き上げ、その他家中のありとあらゆる小物をどかし、手に取り、埃を払い、ふきんがけをし、磨き、また元の位置に戻してようやく掃除機をかけて雑巾がけすると言う…全部終わるのにゆうに3時間はかかります。
その他の日も家中のものの埃を払い、コロコロは必ず…という徹底ぶりでした。
そこまでやらないと気が済まないのです。
うつの急性期でどうしてもやる気が起きない時でも、この自分に課した義務を果たさねば…という強迫観念に苦しめられ、泣きながら掃除をしていたこともありました。
それに比べたら、今は「もうこのへんはテキトーでいいや」と考えることが出来るようになってきたので、これは私にとって格段の進歩なのです。
自分にとってあまり苦にならない家事の順で言えば、「洗濯」「掃除」「料理」…になるでしょうか。
料理だけは今でも、入浴するのと同じくらいに苦痛で苦痛でたまらないのです。

先日ダンナに、「お醤油の卵焼き、毎日食べたい」と言われて酷くへこみました。
毎朝ダンナのお弁当を作っていますが、おかずは冷食の詰め合わせです。
卵焼きさえ、出来合いのものか、冷食のものをチンするだけです。
私はウィンナーを茹で、おにぎりを握るだけなのですが、この「おにぎりを握る」と言う行為さえ億劫で毎朝めげそうになっているのです。
以前、自分のと二人分のお弁当だった頃は、卵焼きだけは自分で作っていました。
ソテーしたほうれん草やウィンナーを卵で巻いたり、甘い味、醤油の味、ふりかけを入れて焼いてみたりと、結構これまた凝って作っていたのです。
その日は朝からたまたま「ポジティブな私」が主導権を握っていたので、冷蔵庫の卵を使って久々に醤油味の卵焼きを作ったのです。それが美味しかったとダンナにしては珍しく褒めてくれましたが、毎日作るなんざ到底無理で、考えただけで泣きたくなります。

そんな調子なので、うつになってからはご飯を炊くのが精一杯で、あとは買ってきたお惣菜で済ませるか、それさえも億劫で出来ない時、調子が悪く辛い時はお弁当を買ってきて済ませています。
料理という行為は、「料理をする」だけでは済みません。
献立を考え、買い物に行き、帰ってきて他の家事と並行しながら段取りを考え、材料を切り、焼くなり煮るなり、揚げるなりし、味見をして盛り付け、そして洗い物をして食器をしまう…こんなに沢山のプロセスを必要とするのです。
今の私の壊れた頭では、もう第一段階の「献立を考える」がまず億劫で無理です。
なので、今は野菜も肉も一切買っていません。
無駄になるのが判っているからです。

ところがダンナが会社の人から、とんでもない有難いものをもらってきました。
私はそれを見て泣きそうになりました。

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ダンナの職場はしょっちゅうあちこち出張だの、研修だの行かされるので、色んな人がお土産を買ってきてくれるのですが、それが有難い時もあれば、そうではない時もあるのです。(頂いた方には大変申し訳ないです)

「今日食べる?」とダンナが期待に満ちた瞳で訊くので、私は「調子の良い時に作るね」と言って、さっさとストックの引き出しにそれを放り込み、はや数日たってしまいました。
賞味期限はまだ全然大丈夫なのですが、私の調子が全然大丈夫じゃありません。

こんなの、ただお湯を沸かして野菜を足して麺を茹でて、スープを丼ぶりにあけ、熱湯を注いでそこに茹で上がった麺をただぶちこめばいいのです。
料理とも言えない工程なのに、どうしてもそれが億劫で出来ないのです。
そんな訳で数日ラーメンセットを放置していたのですが、ダンナが食べたがっているのをひしひしと感じるし、自分も落ち着かないしで数日間、これが原因で不安定になってしまいました。
何をしていても、「ラーメンセット」が頭から離れないのです。

とうとう意を決して昨夜作ったのですが、「今日作る」と朝に決めた途端に酷く憂鬱な気分になり、夜が来るのが嫌になってしまい、昨日はどんよりとした一日を送ることになってしまいました。
で、夜になり作り始めたのですけれども。
案の定、脳が上手く機能せずに段取りが悪く、シンクもメチャメチャになり、ほんとに涙が出そうになりました。
山の様な(私にとって)洗い物も億劫で溜まりません。

──料理って、なんでこんなに辛いんだろう。

ひしひしと改めて感じた私。
元通りに「一応、ひと通りのものは作ることは出来る」レベルにまで自分が回復するのは一体いつになるのか。
これは何だかそう近い気がしないのは気のせいでしょうか。

とにかく今は、ダンナが再び「ラーメンセット」をもらって来ないことを祈るばかりです。




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18:38 うつになって感じたこと | コメント(15)

ただ、そっとしておいて…

2016/05/05
先日の記事に「自分でもびっくりするくらいのポジティブ思考に突き動かされて毎日出歩いている」と、意気揚々と書いた私ですが、さすがに4日、5日の人ごみは半端ではなく、街なかでクラクラ眩暈がしてしまい、不意に不安感に襲われて慌てて帰ってきました。
ここのところ、朝の二度寝(結局我慢できずに寝てしまっている)の後の覚醒がすっきりとせず、起きた瞬間から胸の中に物凄くざわざわ感があるのです。
不安はとても漠然としていて、具体的に何が不安なんだ、と言われても答えられません。
そのまま家にいてじっとしていても不安感が増すだけなので、外出してみたのですが無謀でした。
しばらくは様子を見ようと思います。
せっかくのポジティブ思考に最早ついていけなくなっている私の身体です…。

ところで。
先日の記事にちらっと書いたのですけれども、6月末に仙台に行くことになりました。
これがプライベートな「旅行」ならば、不安を感じつつも少しは楽しみの種にもなるのですが、残念なことにそうではありません。
親戚が仙台で結婚をするのです。
式は挙げず(後日友人たちを呼んで披露パーティみたいなものはするそうですが)、親戚同士が集まって夜に親睦を兼ねて食事会をするというので、それに出席しなければならなくなりました。
私の父の弟の娘…つまり従妹なのですが、あまり仲良くもなく、交流も殆どありません。
なのに何故、敢えて私が行かねばならなくなったかと言うと、私の実家の方は元々親戚が少ないのですが、このままでは新婦の家族以外、誰も出席できない…と言う状態に陥りそうだったからなのです。

というのも、父方の叔母は末期の肺がんでホスピスにいる状態、そして招待を受けた両親はふたりとも高齢でしかも持病持ち…父は肺気腫で長い移動はとても無理、母は高血圧で最近状態が悪化していて予断を許さない状況…妹は子供がいるので無理な訳で、このままでは新婦側から誰も出席しない可能性が出てきたのです。
それでもいいじゃないか、と私は思うのですが、父は叔父に対して申し訳なさを感じてしまった様で、ちいももの世話はするから、代わりに行ってくれないかと私に白羽の矢を立ててきました。

──冗談じゃありません!

私の今の状態を知っている筈なのに、何故そんなことを言うのか。
ひとりで東京駅まで行き、新幹線に乗り、そして見知らぬ(従妹家族はいますが)人たちと緊張しながら食事をするなんざ、今の私にはとても無理です。考えただけで動悸がして来ます。
「それならば、◯◯ちゃん(ダンナ)は一緒に行けないのか」とまたまた無謀なことを言う父。
食事会をするのは迷惑なことに平日の夜で、慌ただしいので一泊になるし、ダンナは仕事で行ける訳がありません。
この話が私に持ち込まれたのは4月の半ばだったのですが、私は即座に断りました。

ところが、しばらくしてまた父から懇願の電話がありました。
どうしても行けないのなら、自分が頑張って行って来る…と言います。
叔父に対しての負い目も面子もあるし、父は私の病気のことを知っていて、その上で頼み込んできている訳なのでよっぽどのことなんだろうな…と、そう考えたら私も頑として断ることが出来なくなってしまったのです。
ただし。
「一人では不安だし、パニック発作が起きたりしたら怖くて絶対に行けない。ダンナが溜まってる代休(溜まりまくっていて会社からも取れと言われている)をもし取れるようなら二人で行く」
…と返事をした訳です。

ダンナが代休取れないといいな…などとちらっと思う悪魔な私でしたが、ダンナにこのことを話すともう乗り気です。
「まだ判らないけど、もう少ししたらスケジュールが上がって来るから、そしたら言ってみる」等と笑顔で言い出す始末です。
それで結局、4月の終わりになって、無事ダンナは6月に代休をとれることが決まり(あーあ)、私の仙台行きが決定したと言う訳なのです。
ダンナは本当にポジティブな性格で、見ず知らずの人達と食事をすることや、幾度も顔を合わせていない私の親戚に会うことの煩わしさなどには何の抵抗もない様です。
「仙台って言えば牛タンだよね、あと笹かま。」などと、旅行気分でネットで色々調べています。
そんなダンナを尻目に、私は気分が沈んでいくのを止めることが出来ませんでした。

それというのも。叔父や叔母(叔父の妻)は、私のこの病気のことを知っているからなのです。
(父は何でも話してしまう・・・)
どういう顔をして彼らに会えばいいのか、考えただけで胸に重石を乗せられたような気分になります。
叔父はともかく、私はこの叔母が初対面からとても苦手で、出来れば接触したくないタイプの人です。
「結婚するべき」「子供を産むべき」という全身ステロタイプに塗れた思考の持ち主で、人の気持ちを考えずにずけずけと物を言い、それを「私は黙ってられない。言いたいことはズバズバ言う、大らかな人間なの。」と勘違いしている人種…私が世の中で最も苦手とするタイプの人なのです。
今まで親戚の集まりなどで、何度腹を立てたか判りません。
私のダンナを最初に会わせた時、開口一番「なんだ、まだ子供じゃないの~」(ダンナは確かに若く見られます)と言い放った人なのです。
そんな彼女に、病気のことを根掘り葉掘り聞かれるのかと思うと、従妹の結婚を祝福してあげる余裕もなく、ついでの仙台観光なんかもうどうでもいい気分です。

うつ病患者に対して、健常者の他人の取る態度は千差万別です。
理解しようと必死に話を聞いてくれる人、遠巻きにして眺める人、異常に同情してくれる人、そして「うつ」という病気を全く受け付けず、最初から認識していない人…。
悲しいけれども、うつ病患者のこの闇は、経験した人にしか判りません。
私がもし健常者で友人がうつだとしたら、理解しようと努めるでしょうが、きっと彼女の本当の深い闇には触れることが出来ません。
うつ病患者本人にさえきちんと把握できない自分の病状、心情を、受け止めようと見捨てずに食い下がってくれる人はごく僅かです。
これは仕方のないことだと思います。
理解してくれようとするだけ、見捨てないでいてくれるだけでもこんなに有難いことはないのです。
が、健常者の中には、「うつ病は病気ではない、ただの逃げだ。甘えだ」「メンタルが弱いのだ」という認識を持っている人も沢山存在していて、「うつ病」だと言うと厄介だと眉を顰める人が多々いることも事実です。

理解してくれとはいいません。
それはただの甘えだと思うからです。
ただ、そっとしておいて欲しいのです。
自分の価値観を押し付けて、うつ病の人間を追いつめるようなことだけは避けて欲しい…というのが私の素直な気持ちです。
うつ病の人間は、全てにおいて感覚がネガティブ方向へ過敏になっています。
何のことはなくかけた言葉が、うつ病の人の心ををかき乱し、壊すことになるかもしれません。

さて。
着て行けるようなワンピース一着も持っていない私は、両親がお金を出してくれると言うのであちこち服を見に行っては試着しています。こういうの何年ぶりだろう…。
ホテル代や交通費は従妹側が持ってくれる(当たり前だ)というので、慌てて「手配は自分でやるから!」と叫ぶ私。
親戚と同じ新幹線、同じホテルなんかにされてしまったら、間違いなく耐えられずにパニック発作が起きるに決まっています。
なるべく叔母との接触を少なくしたいのですが…それでも多分、平静を装い、固い笑顔で叔母の質問攻めに答える自分を想像してしまっている私です。

──態度には出せない気の弱い私…。





家メガネがとうとう壊れたので、仕方なくJINSで安いやつを買った。
フレームが柔らかくて心地が良い。
しかしZoffもだけど、メガネケースがダッサ…。
タダだから文句は言えないけど。

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22:30 うつになって感じたこと | コメント(4)

GWの人の多さにイライラ!

2016/05/03
5月3日 晴れのような曇りのような

最近、私は少し「頑張っている」
この、どこへ行っても人で溢れかえっているGWに、毎日外出をしているのだ。
しかも無謀にも「耳栓を外して」である。

最初はこの厄介な休日の塊に、どこへ出かけても煩わしいだけだしずっと家に閉じこもっていよう…などと思っていたのだが、「急性期を脱したら少し動いて、時には頑張った方が良い」という言葉を思い出し、やってみようと思い立ったのだ。
勿論、最近「ネガティブの海底」から帰還したばっかりだし、相変わらず良く眠れないし、体調は万全とは言い難い。けれども何よりも「やる気」がここのところ顔を覗かせているので、これに乗らない手はない。
家でベッドに横になって何の実りもない思考を繰り広げているくらいなら、少しは外の爽やかな風に当たって、以前のように身体を少し動かしてみようじゃないか…という、自分でもびっくりのポジティブな思考に突き動かされて、毎日外出しているのだ。
毎日、敢えて人の多いあちこちの街へ、ウォーキングがてらだったり、電車に乗ったりして出掛けている。

実は6月の終わりに仙台へ行かなければいけなくなったので(旅行ではない)、あれこれ急に忙しくなった所為もあるのだが。(この話はまた別の機会に書きます)
毎日、「今日は◯◯へ行って、◯◯を済ませる」「今日は◯◯へ行って◯◯を買ってくる」…等と用事を設定し、水の入ったボトルと、デパスを携帯して耳栓を外してこれも携帯して家を出る。

・無事、用事を済ませて帰って来られれば、ミッションコンプリート。
・パニック発作が起きてしまって出来なければ、無理せずそのまま引き返して帰宅。

このふたつをきちんと頭に入れて、決して無理はしないようにした。

主治医に、「外出時の耳栓だけは出来るだけしないように」と言われているし、自分でも耳栓を外して騒音になれることを少し頑張ってみようと思ったのだ。
いつまでも立ち止まっていては、前へ進めない(おそろしいまでのポジティブ思考に今、私は支配されている。揺り返しが怖い)。
時折顔を覗かせる「億劫病の私」は、つまんでむこうへポイと投げるイメージを頭の中に思い浮かべた。
──ついにイメトレまで始めたよ、この人。

ところが、そう簡単には行かず、満員バスの中で我慢できずに耳栓をしたり、とにかく街へ出ると「イライラ」が止まらない。
ぶつかりそうになるくらい人の溢れかえったショッピングセンターで、横に広がって歩く家族連れにイライラ。自転車で歩道を並走してくるガキども若者たちにイライラ。レジの行列にイライラ。
床にふんぞり返ってギャン泣きする子供を放置している親にイライラ……。
何でこんなに人がいるんだと叫び出しそうになるのを、「いや。普段仕事で頑張っている人達が休日を謳歌しているんだ。自分なんか毎日休日じゃないか。」と堪え、イライラを鎮める。
私の場合デパスの効果は絶大で、切れてくると顕著に情緒不安定な状態になるので、あまりにイライラや不安感が酷い時は、道の端っこでデパスを補充する。
そんなこんなで何とか、耳栓なしで人ごみを歩けるようになってきた。
私にとってこれはすごい進歩である。


今日の行先は「西松屋」である。
赤ちゃん用品を売っているこの店に、何の縁もゆかりも無い私が何故、足を踏み入れるのかと言うと、ここで売られていると言う「トンちゃん」という人形を買う為である。

実は私は「ドール」が結構好きで、ドール関連のサイトさんなんかを時折徘徊したりしているのだが、最近あちこちで見かけるこの人形がとても気になっていた。
お金があれば、スーパードルフィーなんか欲しかったりするのだが、とても手が届かない。
700円くらいのこの「トンちゃん」なら手が届くので、見に行ってみた。

子供を抱っこするお父さんやお母さん、小さな子供を連れた集団に紛れて、「トンちゃん」コーナーの前で陣取り、数分間もあれこれ手にとっては吟味する場違いな私。
候補を絞って残った最後のふたつのうち、ひとつがどうしても決められない。

と、幼稚園児くらいの男の子が不意に隣に来て、話しかけてきた。
「ぬいぐるみみてるの?」
「人形だよ。どれにするか迷ってんの。」(私は子供にも、大人と同じ口調で会話する)
周りを見回したが、親らしき人の姿はない。
男の子は隣にあったピアノのおもちゃを鳴らして遊び始めた。
私も一緒に鳴らしてやったら喜んだので、面白くなってふたりで鳴らしまくった。
試しに彼に問うてみた。
「これと、これと、どっちがいいと思う?」
彼は興味もなさそうに、ちらっと見る。
「ぼくはぬいぐるみとかすきじゃなくて、あんぱんまんとかだから」
「そうか、男の子は人形になんか興味ないよな。」
そこで、お母さんらしき人が登場。
「すみません」と会釈してきたので、こっちも返した。

つくづく私は、「子供が嫌い」なのではなくて、「子供が迷惑をかけているのに無関心な親」が苦手なんだと改めて思う。
…まあ、ポジティブな今の状態だから出来たことだが。
ネガティブ状態だったらそもそもこんなところにまで遠征出来ない。
何だか気分が良くなって、トンちゃんを買って店を出た。

このままこの状態が続いてくれることを祈る。
けれども。「仙台に行かなければならない」用事のことを思うと、徐々に気分が下降してくる私なのであった。




お迎えしたトンちゃん。色んなパターンがある。
髪が思い切り長いので少しカットして、チークが薄めなので足してみた。
(余談だが、友人に「トンちゃん」って人形が欲しいと言ったら、検索してくれたようで「元首相の人形?」と言われて転げまわって笑った)

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21:00 日記 | コメント(7)
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