言葉の暴力
2016/04/25
4月25日(月) 晴れのちくもり
修理に出していたモバイルノートPCが、修理が終わって戻ってきたと連絡があった。
今度こそ正真正銘の「初期不良」で、代金がかからずに済んだので有難い。
消耗品のバッテリー部分だったのに幸運だ。
明日、迎えに行ってやらねば…。
今日はダンナの給料日なので銀行巡りをするために街へ出かけた。
最寄りの駅に着くと、運悪く電車が行ってしまったところ。だが駅前にバスが来ていたので、少し躊躇したのだが思い切って乗り込む。乗り込んだ途端に激しく後悔した。
…満員だ。
バスは電車と違って狭いので(特に巡回バスなので造りが小さい)他人との距離が近い。
そのことが私を酷いストレスに晒す。
大声で会社の不満を言い合っているママ二人組(幸運なことに子供は乗っていなかった)の会話が否応なしにキンキンと耳に飛び込み、耳栓をして来なかったのをこれまた激しく後悔する。
主治医に「外では危ないので出来るだけ耳栓は外して慣らすように」と言われているので、少しずつ実行してみているのだ。
息苦しくなって来たので、我慢できずに途中のバス停で降りてしまった。
街まではまだ大分あるが、運動だと思ってウォーキングすることにした。
携帯している水を入れたペットボトルでデパスを流し込んでから、歩き始めた。
大通りに沿った歩道を、ごく普通に歩いていた。
と、前方から自転車に乗った作業服のおじさんが向かってきた。
私とぶつかりそうになり、何なの、このおじさん…と避けたところ、すれ違いざまに罵声を浴びせかけられた。
「──どけってんだよ、バカ。」
一瞬、何を言われたのか判らず、きょとんとしてしまったが、次の瞬間どーんと落ち込んでしまった。
ちなみに、車道は左側にあり、私は歩道を建物側(歩道の右側)を歩いていたのだ。
おじさんも同じように向こうから建物側をふらふらと走ってきた。
…え?私が悪かったの?歩道は歩行者優先じゃないの?
酷く悲しくなってしまい、すぐに帰りたくなって用事を済ませてさっさと帰途に着いた。
帰宅してから悶々と考えたが、そもそも自転車は車道を走らなければならないし、歩道を走るなら、車道側(つまりはこの場合はおじさんにとって右側)を走らなければいけない筈だ。
私に非なんてないじゃないか、これぽっちも。
そう思うと怒りと共に泣きたくなってきた。
おじさんは何かでイライラしていたのかもしれない。
でもそれは私には無関係だし、まるで自分が正しいかのように暴言を吐いて去って行ったのだ。
私は街なかで、こういう他人の何気ない暴言に傷つけられることが多々ある。
皆、多かれ少なかれそういうことがあるだろうが、私はそれをスルー出来ない。
「何あれ。バカみたい」で済ませればいいのだが、それがどうしても出来ないのだ。
いつまでも、言葉で傷つけられた箇所をいじいじとほじくっては痛みを感じ続けてしまう。
世の中これだけ人間が溢れていれば、様々な「接触事故」を起こすことも少なくないだろうが、相手はいつも、不意に信じられない言葉の刃を向けてくる。
今までで一番忘れられないのが、とある駅で電車を降り、昇りエスカレーターに乗っていた時のことだ。
初めは気付かなかったのだが、何やら後ろからブツブツと声がする。
声の調子から、若い男の人のようだった。
誰かと話している様でもなく、気持ち悪いなあと思った瞬間、彼の次の言葉に固まった。
「頭の後ろが薄くなってんだ。だっせぇー。女のくせに。」
そう聞き取れた瞬間、私は身体が硬直してしまった。
背中に一斉にべっとりと冷たい汗が噴き出すのを感じた。
私は髪の毛のつむじが後頭部の目立つところにあり、ぐるぐると渦を巻いている。
それがとても目立つので、子供の頃から自分でも気にしていたのである。
──後ろの男の人は、私に言ってるんだ!
そう気づいた途端、ショックで身体が震えだし、涙が出そうになるのを必死に堪えた。
どうしてこんなことを言われなくてはならないのだろう。
咄嗟に考えたのは「私が何か気に障るようなことを彼にしたのか?」ということだ。
けれども、心当たりがまるで無い。
なんとなく覚えているのは、自分と同じドアから降りて、すぐ傍にあったエスカレーターに乗って来た人ではないような気がするということだ。
私は降車側とは反対側のドアのところに立っていて、慌てて向きを変えて降りたので、多分降りたのも最後。乗っていたのもたったの二駅だ。
エスカレーターで順番を割り込んだ覚えもない。
振り向く勇気がとてもないまま、呆然とエスカレーターを降り、私はその場に崩れ折れそうになった。
なんで見ず知らずの人に、そんなことを言われなければならないのだろう。
理不尽さに涙が出た。
私に何か、人をイライラさせる要素でもあるのだろうかと、それから一時は酷く落ち込み、外出する時はいつもイヤホンで音楽を聴いていた。
他人の言葉で傷つけられないためだ。
現在の「聴覚過敏」の芽が、この頃からもう既にある。
イヤホンが耳栓に変わっただけ。
私は「音」と同時に、何時ぶつけられるかも知れぬこうした「他人の暴言」をも恐れている。
以前に私は、「言葉は人を殺す」という記事を書いたが、本当に「言葉」ほど証拠が残らず、完全犯罪で相手を殺せる凶器は無い。
心無い言葉を、ただ自分の自己満足のために、或いは気まぐれに他人にぶつけた人間は、その相手がどれほど傷つくか想像してみたことがあるだろうか。
どれほど心の中で血を流すか、大きなカサブタを作るか、考えてみたことがあるだろうか。
何だかこういうことがあると、本当に落ち込む。
世の中の人みんな、自分も含めて「セトモノ」ばかりのような気がしてしまう今日この頃だ。
甘いものでも食べて、元気を出そう…。

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修理に出していたモバイルノートPCが、修理が終わって戻ってきたと連絡があった。
今度こそ正真正銘の「初期不良」で、代金がかからずに済んだので有難い。
消耗品のバッテリー部分だったのに幸運だ。
明日、迎えに行ってやらねば…。
今日はダンナの給料日なので銀行巡りをするために街へ出かけた。
最寄りの駅に着くと、運悪く電車が行ってしまったところ。だが駅前にバスが来ていたので、少し躊躇したのだが思い切って乗り込む。乗り込んだ途端に激しく後悔した。
…満員だ。
バスは電車と違って狭いので(特に巡回バスなので造りが小さい)他人との距離が近い。
そのことが私を酷いストレスに晒す。
大声で会社の不満を言い合っているママ二人組(幸運なことに子供は乗っていなかった)の会話が否応なしにキンキンと耳に飛び込み、耳栓をして来なかったのをこれまた激しく後悔する。
主治医に「外では危ないので出来るだけ耳栓は外して慣らすように」と言われているので、少しずつ実行してみているのだ。
息苦しくなって来たので、我慢できずに途中のバス停で降りてしまった。
街まではまだ大分あるが、運動だと思ってウォーキングすることにした。
携帯している水を入れたペットボトルでデパスを流し込んでから、歩き始めた。
大通りに沿った歩道を、ごく普通に歩いていた。
と、前方から自転車に乗った作業服のおじさんが向かってきた。
私とぶつかりそうになり、何なの、このおじさん…と避けたところ、すれ違いざまに罵声を浴びせかけられた。
「──どけってんだよ、バカ。」
一瞬、何を言われたのか判らず、きょとんとしてしまったが、次の瞬間どーんと落ち込んでしまった。
ちなみに、車道は左側にあり、私は歩道を建物側(歩道の右側)を歩いていたのだ。
おじさんも同じように向こうから建物側をふらふらと走ってきた。
…え?私が悪かったの?歩道は歩行者優先じゃないの?
酷く悲しくなってしまい、すぐに帰りたくなって用事を済ませてさっさと帰途に着いた。
帰宅してから悶々と考えたが、そもそも自転車は車道を走らなければならないし、歩道を走るなら、車道側(つまりはこの場合はおじさんにとって右側)を走らなければいけない筈だ。
私に非なんてないじゃないか、これぽっちも。
そう思うと怒りと共に泣きたくなってきた。
おじさんは何かでイライラしていたのかもしれない。
でもそれは私には無関係だし、まるで自分が正しいかのように暴言を吐いて去って行ったのだ。
私は街なかで、こういう他人の何気ない暴言に傷つけられることが多々ある。
皆、多かれ少なかれそういうことがあるだろうが、私はそれをスルー出来ない。
「何あれ。バカみたい」で済ませればいいのだが、それがどうしても出来ないのだ。
いつまでも、言葉で傷つけられた箇所をいじいじとほじくっては痛みを感じ続けてしまう。
世の中これだけ人間が溢れていれば、様々な「接触事故」を起こすことも少なくないだろうが、相手はいつも、不意に信じられない言葉の刃を向けてくる。
今までで一番忘れられないのが、とある駅で電車を降り、昇りエスカレーターに乗っていた時のことだ。
初めは気付かなかったのだが、何やら後ろからブツブツと声がする。
声の調子から、若い男の人のようだった。
誰かと話している様でもなく、気持ち悪いなあと思った瞬間、彼の次の言葉に固まった。
「頭の後ろが薄くなってんだ。だっせぇー。女のくせに。」
そう聞き取れた瞬間、私は身体が硬直してしまった。
背中に一斉にべっとりと冷たい汗が噴き出すのを感じた。
私は髪の毛のつむじが後頭部の目立つところにあり、ぐるぐると渦を巻いている。
それがとても目立つので、子供の頃から自分でも気にしていたのである。
──後ろの男の人は、私に言ってるんだ!
そう気づいた途端、ショックで身体が震えだし、涙が出そうになるのを必死に堪えた。
どうしてこんなことを言われなくてはならないのだろう。
咄嗟に考えたのは「私が何か気に障るようなことを彼にしたのか?」ということだ。
けれども、心当たりがまるで無い。
なんとなく覚えているのは、自分と同じドアから降りて、すぐ傍にあったエスカレーターに乗って来た人ではないような気がするということだ。
私は降車側とは反対側のドアのところに立っていて、慌てて向きを変えて降りたので、多分降りたのも最後。乗っていたのもたったの二駅だ。
エスカレーターで順番を割り込んだ覚えもない。
振り向く勇気がとてもないまま、呆然とエスカレーターを降り、私はその場に崩れ折れそうになった。
なんで見ず知らずの人に、そんなことを言われなければならないのだろう。
理不尽さに涙が出た。
私に何か、人をイライラさせる要素でもあるのだろうかと、それから一時は酷く落ち込み、外出する時はいつもイヤホンで音楽を聴いていた。
他人の言葉で傷つけられないためだ。
現在の「聴覚過敏」の芽が、この頃からもう既にある。
イヤホンが耳栓に変わっただけ。
私は「音」と同時に、何時ぶつけられるかも知れぬこうした「他人の暴言」をも恐れている。
以前に私は、「言葉は人を殺す」という記事を書いたが、本当に「言葉」ほど証拠が残らず、完全犯罪で相手を殺せる凶器は無い。
心無い言葉を、ただ自分の自己満足のために、或いは気まぐれに他人にぶつけた人間は、その相手がどれほど傷つくか想像してみたことがあるだろうか。
どれほど心の中で血を流すか、大きなカサブタを作るか、考えてみたことがあるだろうか。
何だかこういうことがあると、本当に落ち込む。
世の中の人みんな、自分も含めて「セトモノ」ばかりのような気がしてしまう今日この頃だ。
甘いものでも食べて、元気を出そう…。

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