ネガティブの波
2016/03/17
久々にちょっとしんどい波が来ています。
何がきっかけかは判っています。
ハロワに行ったり、求人雑誌を見たり、ネットで求人情報を調べたり。
就活をぼちぼち再開したからなのです。
半年ほど前、少し病状が回復した時に就活を始めてみたのですが、これがもう玉砕状態でした。
やはり自分の年齢とスキルでは、希望している元のような職種に就くのはもはや難しいのだと実感しました。
そしてその後、また病状が悪化したのでしばらく就活を止めていたのですが、再開してみて状況は何も変わっていないこと(当たり前)に改めて気づき、悄然としました。
まだまだ病状は不安定で、きちんと働ける自信はありません。
「社会」に出て、他人と仕事をしていく事に「恐怖」すら感じています。
正直なところ、本当に仕事がしたいのか…と問われると、即座に「はい」と言えない自分がいます。
ですが、今のような生活を続けていくことを考えると、その先には絶望しかありません。
私のような状態でも、頑張って働いている人は沢山いるのです。
現実は厳しく、私が収入を得ないと生活していけません。
いつまでも療養生活をしていられるほど、うちには余裕がないのです。
「今は休むことが私の仕事」と言われ、もう2年近く私は休みました。
けれどもまだまだ寛解には遠い手応えを日々感じています。
きっともう少し「自分を休ませる期間」が必要なのかもしれません。
少しずつ病状は良くはなっていますが、「もう大丈夫」という実感は全くありません。
でも。
もしかしたら、もう「自分を休ませる」ことが必要な期間はとっくに終わっているのじゃないか。
そもそも、何をもって「寛解」したと言うのか。
うつ病は「~の数値が上がったからもう大丈夫です」と言うように、その病状が数値で表せる類の病ではないので、「寛解」を判断するのは一体誰なのか?主治医なのか、自分なのか?
もしかしたら。
日々、自堕落な生活を送っている、今のこれは「自分を休ませる」ために行っているのではなく、ただの惰性で、怠惰のなせる業なんじゃないのか。
──だとしたら、早く復帰しないと本当に社会に戻れなくなる。
そんな結論に達した私は、焦って就活を再開させたのですが、どうも心がついて来ません。
「焦るとろくなことが無い」というのはダンナの持論ですが、そんなことは誰に言われるまでもなく、自分でも良く判っています。
けれども自分の今置かれている状況は、「焦るな」と言われても無理なぐらい逼迫しています。
その「焦り」がネガティブの波を呼び、心身共に、またあの気怠さを呼んで来るのです。
今朝は本当に起きるのが辛く、やっとの思いでダンナのお弁当を作り、ちいももの世話を済ませ、そこで糸が切れたように自室にこもってまた爆睡してしまいました。
昼近くまで深く眠り、怠い身体をベッドから引き剥がすようにして起こし、身支度を軽く整えて(それも面倒でたまらない。ジーンズに履き替えることさえも苦痛で仕方がないのです)、嫌々夕食の買い物に出かけました。
夕食の買い物と言っても出来合いの安いお弁当を買うだけ。
料理も出来ない無職主婦は、キッチンに立って小さなお弁当用の卵焼きを焼くことさえ、今は出来ないのです。
外で懸命に働き帰宅するダンナに、手料理のひとつも食べさせられない。
一日家に居るのに、毎日毎日一体何をしているのか。
これはただの「怠惰」なのではないか…と考えると、どこまでが病気のせいなのか判らなくなります。
そしてそんなことを考え始めると自分に嫌悪感を抱き、焦燥感、劣等感、希死念慮…様々なネガティブな思考が待ってましたとばかりに私を包みこんで離さないのです。
私なんかただの怠けた人間なんじゃないのか。
どうして皆が普通に出来ることが私には出来ないのか。
生きてる価値のない、ダンナにパラサイトしてる寄生虫。
ダンナも本当は迷惑なんじゃないのか。
毎日ウンザリしてるんじゃないのか。
思考の螺旋は止まらず、デパスをODしながら例のごとくじっとしていられないため、部屋の中をただうろうろと歩き回ります。
友人はそんな私をいつも宥めてくれます。
「ポジティブ」に戻ってくるように、言葉を掛けてくれます。
有難いと思うのに、なかなか上がっていく事が出来ません。
「ポジティブ」にも限度があります。
「ポジティブ」に徹することが出来るのは、救いの道がまだ残されている時だけ。
今のように何もない状態では、暗い道の先に「ポジティブ」の光は見えません。
物事を「ポジティブ」に捉えることが出来れば、うつ病などにならずにすんだと思います。
そもそも私の思考の癖は、デフォルトが「ネガティブ」なので、それをこじらせるともう這い上がって来られないところまですぐに沈んでしまいます。
そこは誰の言葉も聞こえません。
そしてそんな自分を掬い上げるのも結局は誰でもなく、自分しかいないのです。
判っているのに、今はただ沈み込んでいくばかりです。
……何だか今日は、取り留めのない文章になってしまいました(いつもですが)
けれども、これが今の私の赤裸々な心情です。
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何がきっかけかは判っています。
ハロワに行ったり、求人雑誌を見たり、ネットで求人情報を調べたり。
就活をぼちぼち再開したからなのです。
半年ほど前、少し病状が回復した時に就活を始めてみたのですが、これがもう玉砕状態でした。
やはり自分の年齢とスキルでは、希望している元のような職種に就くのはもはや難しいのだと実感しました。
そしてその後、また病状が悪化したのでしばらく就活を止めていたのですが、再開してみて状況は何も変わっていないこと(当たり前)に改めて気づき、悄然としました。
まだまだ病状は不安定で、きちんと働ける自信はありません。
「社会」に出て、他人と仕事をしていく事に「恐怖」すら感じています。
正直なところ、本当に仕事がしたいのか…と問われると、即座に「はい」と言えない自分がいます。
ですが、今のような生活を続けていくことを考えると、その先には絶望しかありません。
私のような状態でも、頑張って働いている人は沢山いるのです。
現実は厳しく、私が収入を得ないと生活していけません。
いつまでも療養生活をしていられるほど、うちには余裕がないのです。
「今は休むことが私の仕事」と言われ、もう2年近く私は休みました。
けれどもまだまだ寛解には遠い手応えを日々感じています。
きっともう少し「自分を休ませる期間」が必要なのかもしれません。
少しずつ病状は良くはなっていますが、「もう大丈夫」という実感は全くありません。
でも。
もしかしたら、もう「自分を休ませる」ことが必要な期間はとっくに終わっているのじゃないか。
そもそも、何をもって「寛解」したと言うのか。
うつ病は「~の数値が上がったからもう大丈夫です」と言うように、その病状が数値で表せる類の病ではないので、「寛解」を判断するのは一体誰なのか?主治医なのか、自分なのか?
もしかしたら。
日々、自堕落な生活を送っている、今のこれは「自分を休ませる」ために行っているのではなく、ただの惰性で、怠惰のなせる業なんじゃないのか。
──だとしたら、早く復帰しないと本当に社会に戻れなくなる。
そんな結論に達した私は、焦って就活を再開させたのですが、どうも心がついて来ません。
「焦るとろくなことが無い」というのはダンナの持論ですが、そんなことは誰に言われるまでもなく、自分でも良く判っています。
けれども自分の今置かれている状況は、「焦るな」と言われても無理なぐらい逼迫しています。
その「焦り」がネガティブの波を呼び、心身共に、またあの気怠さを呼んで来るのです。
今朝は本当に起きるのが辛く、やっとの思いでダンナのお弁当を作り、ちいももの世話を済ませ、そこで糸が切れたように自室にこもってまた爆睡してしまいました。
昼近くまで深く眠り、怠い身体をベッドから引き剥がすようにして起こし、身支度を軽く整えて(それも面倒でたまらない。ジーンズに履き替えることさえも苦痛で仕方がないのです)、嫌々夕食の買い物に出かけました。
夕食の買い物と言っても出来合いの安いお弁当を買うだけ。
料理も出来ない無職主婦は、キッチンに立って小さなお弁当用の卵焼きを焼くことさえ、今は出来ないのです。
外で懸命に働き帰宅するダンナに、手料理のひとつも食べさせられない。
一日家に居るのに、毎日毎日一体何をしているのか。
これはただの「怠惰」なのではないか…と考えると、どこまでが病気のせいなのか判らなくなります。
そしてそんなことを考え始めると自分に嫌悪感を抱き、焦燥感、劣等感、希死念慮…様々なネガティブな思考が待ってましたとばかりに私を包みこんで離さないのです。
私なんかただの怠けた人間なんじゃないのか。
どうして皆が普通に出来ることが私には出来ないのか。
生きてる価値のない、ダンナにパラサイトしてる寄生虫。
ダンナも本当は迷惑なんじゃないのか。
毎日ウンザリしてるんじゃないのか。
思考の螺旋は止まらず、デパスをODしながら例のごとくじっとしていられないため、部屋の中をただうろうろと歩き回ります。
友人はそんな私をいつも宥めてくれます。
「ポジティブ」に戻ってくるように、言葉を掛けてくれます。
有難いと思うのに、なかなか上がっていく事が出来ません。
「ポジティブ」にも限度があります。
「ポジティブ」に徹することが出来るのは、救いの道がまだ残されている時だけ。
今のように何もない状態では、暗い道の先に「ポジティブ」の光は見えません。
物事を「ポジティブ」に捉えることが出来れば、うつ病などにならずにすんだと思います。
そもそも私の思考の癖は、デフォルトが「ネガティブ」なので、それをこじらせるともう這い上がって来られないところまですぐに沈んでしまいます。
そこは誰の言葉も聞こえません。
そしてそんな自分を掬い上げるのも結局は誰でもなく、自分しかいないのです。
判っているのに、今はただ沈み込んでいくばかりです。
……何だか今日は、取り留めのない文章になってしまいました(いつもですが)
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