「宿はボロボロ(笑)…旅の終わり」~うつ旅行記その3~
2016/02/12
さて、最後に宿の話になりますが。
正直言って、「うーん…」でした。格安パックなので仕方ないのですけれども。
今まで泊まった国内のホテルのベスト1(何の?)に入るかもしれません。
とてもボロボロの年季が入ってる建物で、あとで築年数を調べてみたら、増改築はしてるみたいですがなんと50年近くも経っています。
あまり大きくないホテルで(大規模なホテルは高いし、人が多そうなので外しました)、フロントも売店もこじんまり。
ボロボロのこれまた年季の入ったエレベーターに乗った時から予想はしてたんですが、全く予想通りの和室でした。
ただ、角部屋だったのが嬉しかったです。
畳は比較的綺麗でしたが、障子も壁もとても年季が入ってました。どのドアもキイキイと軋みます。
けれども窓からの眺めは海を一望でき、それが救いになりました。
この辺りのホテルは皆「全室オーシャンビュー」を売りにしているのですが、さもありなん、客室が全て海側に作られています。
テーブルも座椅子も冷蔵庫も古びた中で、テレビとトイレだけが妙に真新しいのが何だか不釣り合いで、そこだけ浮いていました。
けれども、不愉快になるような古さではなく、私の中では許容範囲です。
ダンナはもとより全くそういうことは気にしません。けれどもさすがの彼も、部屋についている干からびたタイルの風呂を開けて見て「うわーっ!ここ、入る人いるのかな?」とか叫んでいました(笑)
宿は私にとっていつも最大の難関で、その旅の全てが宿で決まると言っても過言ではありません。
何が気になるかと言うと…
「上下左右の騒音がひどくないか」「窓が開くか開かないか」
(窓が開かないところは息が詰まる気がして、私ダメなのです)
このふたつがクリアされていないとどうにも落ち着かないのです。
今回は古びたホテルなので、ある程度の騒音はもう覚悟していました。
ただただ「上階や隣がうるさい人でありませんように」と祈るのみです。
以前泊まった羽田空港の近辺のホテルで、どうやら上階の部屋には子供がいたらしく、夜中ドタバタと騒がしくて地獄のような思いをしたことがあり、これが結構トラウマになっていて、ホテルに居ると家に居る時のように不安になることがあるのです。
もちろんその頃から、旅行には耳栓を携帯していたのですが。
そんな訳で内心ビクビクしていたのですが、幸運なことに夜になっても、上からも隣からも耐え難い物音はして来ませんでした。
古い建物なので、あちこちから扉を開け閉めする音、何だか判らない物音などが響いてくるのですが、何と不思議なことに、私は耳栓をしないでもいられたのです。
家では常時耳栓をしていないと不安で不安で仕方ない私が、です。
たまにする物音に最初のうちはビクつき、すぐに「耳栓!」と身構えていたのですが、そのうちあまり気にならなくなりました。
結局、ホテルでは眠る時以外耳栓を使用することはありませんでした。
今でも不思議に思います。
どうしてあの時平気でいられたのか…。事実これを今家で書いている私は、しっかり耳栓装着中なのですから。
羽田空港近辺のホテルでの一件の場合は例外ですが(あれはトラウマレベルの常軌を逸した騒音でした)、ホテルは一泊のみで、その日限りのことで終わります。その思いを強く抱くようにしたことと、今回は古いホテルなのであらかじめ多少は覚悟していたこと…などなどのおかげで今回は大丈夫だったのかもしれません。
しかし、ホテルと違って自分の家ではそこに住んでいる限り、上階からの騒音に「終わり」はありません。「終わり」どころか、これから先「悪化」する可能性も充分にあるのです。
自分の精神状態を左右するカギは、全て上階の住人である「他人」が握っていて、自分にはどうすることも出来ません。
慣れることなど到底出来ず、そのことがいつもいつまでも恐怖となって、私を苦しめているのではないかと…。
よく判りませんが、そんな気がしました。
そんな訳で宿はいまひとつでしたが(期待してた温泉もぬるくて小さかった…泣)、食事はとても美味でした。
自分の希望通り夕食、朝食ともにバイキングだったため、ダンナは喜び勇んで何度も料理を取りに行ってました。
郷土料理をはじめとした料理の品数も多く、和洋どれも美味しそうで目移りします。
私も普段よりは食べられたような気がします。
夕食にサービスで付いた舟盛りのお刺身。お刺身は小さかったけど(笑)美味しかったです。

朝食のクロワッサンとフレンチトーストがもうたまらない美味しさ!
本気で持って帰りたかった。

こんな訳で、うつ状態での一泊旅行は無事終わりました。
ダンナが思いつきで決め、調子も良くなかった私は当初、あまり乗り気ではありませんでした。
けれども不安ながらもやはり行って良かったと今では思っています。
旅行して気付かされた自分のこと、ダンナのことなどもたくさんありました。
以下、旅行前に自分で作った「旅行の心得」を見ながら簡単に総括。
「自分が嫌だと思うことは無理にしないこと」
→「ダメだ」「嫌だ」と思うことは極力回避して過ごした。耳栓のことは嬉しい誤算だった。
「『せっかく旅行に来てるんだから、何もかもポジティブに…!』…なんてのは無理なんだから、自分の心の動きに素直になり、自分を否定しないこと」
→ところどころ危ない場面もあったが、一旦思考停止で乗り切った。
「疲れたと思ったら、休むこと」
→疲れなかった(!)
「自分の心地よいと思う環境を作りだせるようなプランだと尚良い」
→総じて自分にとっては良いプランだった。
「同行者に疲れるまで気遣いをしないこと」
→どちらかと言うと、今回はダンナが私に気を遣ってくれていたのでは…と思う。
モタモタしてても気長に待ってくれたり、とんちんかんなことを言ってもイライラせず、細かいところでは部屋のテレビの音量を上げてくれるなど…(家ではいつも音量大きめ)
うつ病患者にとって旅行は、辛く重い時期(急性期)は却って負担になってしまうので良くないそうですが、そうでなければ適度なリフレッシュになって良いこともあるかもしれません。
ただ、あれこれと観光の予定を分刻みに詰め込み、疲れてしまうような旅行では逆効果になることもあるようです。
私の今回したような、宿と交通手段以外何も決めずに、着いたらその場でどうするか決める(こういう旅行をしたのも初めてです)のんびりした小旅行は、「非日常」を堪能するのにぴったりのような気がします。
たかが一泊くらいの短期間、旅行をしたからといって何かが変わる訳ではなく、病状が良くなる訳ではありません。
ですが、「息継ぎ」にはなるかもしれません。
外出するのが億劫で家に籠りがちになり、ぐるぐると思考はいつも同じところを堂々巡りしてひたすらに自分を痛めつける…そんな「日常」から少しでも解放された気分が味わえて、私の場合はプラスになったと思っています。
ダンナに今回は本当に感謝です。
この旅行で自分の中の何かがほんの少し浄化されたような気分になれました。
いつまでこの上昇気流が続くかは神のみぞ知る、ですけれども……。
さて、セロトニンの素もたくさん取り込んできたし(笑)。
この旅行で得たものが、これから再び苦しい「日常」の中に身を置かねばならない自分にとって、どう作用するか…。
病状を少しでも良い方向へ向けてくれればいいのですが……。
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正直言って、「うーん…」でした。格安パックなので仕方ないのですけれども。
今まで泊まった国内のホテルのベスト1(何の?)に入るかもしれません。
とても
あまり大きくないホテルで(大規模なホテルは高いし、人が多そうなので外しました)、フロントも売店もこじんまり。
ただ、角部屋だったのが嬉しかったです。
畳は比較的綺麗でしたが、障子も壁もとても年季が入ってました。どのドアもキイキイと軋みます。
けれども窓からの眺めは海を一望でき、それが救いになりました。
この辺りのホテルは皆「全室オーシャンビュー」を売りにしているのですが、さもありなん、客室が全て海側に作られています。
テーブルも座椅子も冷蔵庫も古びた中で、テレビとトイレだけが妙に真新しいのが何だか不釣り合いで、そこだけ浮いていました。
けれども、不愉快になるような古さではなく、私の中では許容範囲です。
ダンナはもとより全くそういうことは気にしません。けれどもさすがの彼も、部屋についている干からびたタイルの風呂を開けて見て「うわーっ!ここ、入る人いるのかな?」とか叫んでいました(笑)
宿は私にとっていつも最大の難関で、その旅の全てが宿で決まると言っても過言ではありません。
何が気になるかと言うと…
「上下左右の騒音がひどくないか」「窓が開くか開かないか」
(窓が開かないところは息が詰まる気がして、私ダメなのです)
このふたつがクリアされていないとどうにも落ち着かないのです。
今回は古びたホテルなので、ある程度の騒音はもう覚悟していました。
ただただ「上階や隣がうるさい人でありませんように」と祈るのみです。
以前泊まった羽田空港の近辺のホテルで、どうやら上階の部屋には子供がいたらしく、夜中ドタバタと騒がしくて地獄のような思いをしたことがあり、これが結構トラウマになっていて、ホテルに居ると家に居る時のように不安になることがあるのです。
もちろんその頃から、旅行には耳栓を携帯していたのですが。
そんな訳で内心ビクビクしていたのですが、幸運なことに夜になっても、上からも隣からも耐え難い物音はして来ませんでした。
古い建物なので、あちこちから扉を開け閉めする音、何だか判らない物音などが響いてくるのですが、何と不思議なことに、私は耳栓をしないでもいられたのです。
家では常時耳栓をしていないと不安で不安で仕方ない私が、です。
たまにする物音に最初のうちはビクつき、すぐに「耳栓!」と身構えていたのですが、そのうちあまり気にならなくなりました。
結局、ホテルでは眠る時以外耳栓を使用することはありませんでした。
今でも不思議に思います。
どうしてあの時平気でいられたのか…。事実これを今家で書いている私は、しっかり耳栓装着中なのですから。
羽田空港近辺のホテルでの一件の場合は例外ですが(あれはトラウマレベルの常軌を逸した騒音でした)、ホテルは一泊のみで、その日限りのことで終わります。その思いを強く抱くようにしたことと、今回は古いホテルなのであらかじめ多少は覚悟していたこと…などなどのおかげで今回は大丈夫だったのかもしれません。
しかし、ホテルと違って自分の家ではそこに住んでいる限り、上階からの騒音に「終わり」はありません。「終わり」どころか、これから先「悪化」する可能性も充分にあるのです。
自分の精神状態を左右するカギは、全て上階の住人である「他人」が握っていて、自分にはどうすることも出来ません。
慣れることなど到底出来ず、そのことがいつもいつまでも恐怖となって、私を苦しめているのではないかと…。
よく判りませんが、そんな気がしました。
そんな訳で宿はいまひとつでしたが(期待してた温泉もぬるくて小さかった…泣)、食事はとても美味でした。
自分の希望通り夕食、朝食ともにバイキングだったため、ダンナは喜び勇んで何度も料理を取りに行ってました。
郷土料理をはじめとした料理の品数も多く、和洋どれも美味しそうで目移りします。
私も普段よりは食べられたような気がします。
夕食にサービスで付いた舟盛りのお刺身。お刺身は小さかったけど(笑)美味しかったです。

朝食のクロワッサンとフレンチトーストがもうたまらない美味しさ!
本気で持って帰りたかった。

こんな訳で、うつ状態での一泊旅行は無事終わりました。
ダンナが思いつきで決め、調子も良くなかった私は当初、あまり乗り気ではありませんでした。
けれども不安ながらもやはり行って良かったと今では思っています。
旅行して気付かされた自分のこと、ダンナのことなどもたくさんありました。
以下、旅行前に自分で作った「旅行の心得」を見ながら簡単に総括。
「自分が嫌だと思うことは無理にしないこと」
→「ダメだ」「嫌だ」と思うことは極力回避して過ごした。耳栓のことは嬉しい誤算だった。
「『せっかく旅行に来てるんだから、何もかもポジティブに…!』…なんてのは無理なんだから、自分の心の動きに素直になり、自分を否定しないこと」
→ところどころ危ない場面もあったが、一旦思考停止で乗り切った。
「疲れたと思ったら、休むこと」
→疲れなかった(!)
「自分の心地よいと思う環境を作りだせるようなプランだと尚良い」
→総じて自分にとっては良いプランだった。
「同行者に疲れるまで気遣いをしないこと」
→どちらかと言うと、今回はダンナが私に気を遣ってくれていたのでは…と思う。
モタモタしてても気長に待ってくれたり、とんちんかんなことを言ってもイライラせず、細かいところでは部屋のテレビの音量を上げてくれるなど…(家ではいつも音量大きめ)
うつ病患者にとって旅行は、辛く重い時期(急性期)は却って負担になってしまうので良くないそうですが、そうでなければ適度なリフレッシュになって良いこともあるかもしれません。
ただ、あれこれと観光の予定を分刻みに詰め込み、疲れてしまうような旅行では逆効果になることもあるようです。
私の今回したような、宿と交通手段以外何も決めずに、着いたらその場でどうするか決める(こういう旅行をしたのも初めてです)のんびりした小旅行は、「非日常」を堪能するのにぴったりのような気がします。
たかが一泊くらいの短期間、旅行をしたからといって何かが変わる訳ではなく、病状が良くなる訳ではありません。
ですが、「息継ぎ」にはなるかもしれません。
外出するのが億劫で家に籠りがちになり、ぐるぐると思考はいつも同じところを堂々巡りしてひたすらに自分を痛めつける…そんな「日常」から少しでも解放された気分が味わえて、私の場合はプラスになったと思っています。
ダンナに今回は本当に感謝です。
この旅行で自分の中の何かがほんの少し浄化されたような気分になれました。
いつまでこの上昇気流が続くかは神のみぞ知る、ですけれども……。
さて、セロトニンの素もたくさん取り込んできたし(笑)。
この旅行で得たものが、これから再び苦しい「日常」の中に身を置かねばならない自分にとって、どう作用するか…。
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