絶対に壊れる仕事のしかた
2016/02/06
私は短大を卒業してから、正社員を数年間、その後に派遣社員、契約社員と色々なスタンスで仕事をして来ました。
どこに行ってもどんな仕事でも、仕事に対する姿勢はいつも同じです。
「ただ、がむしゃらに」仕事をするタイプでした。
ここでは、直近の10年間在籍していた会社と、その後うつになって僅か3年で辞めることになった会社でのことを主に書こうと思います。
両方の会社ともに、私は契約社員として仕事をしていました。
アウトソーシング事業といって、クライアントが自分の会社のうち、ひとつの部署をまるまる外部(私の在籍していた会社です)に委託し、クライアントの要望のもとにそこで私達外部の人間が仕事をするのです。
ですからその部署は、上司も周りの人間も全てクライアントの人間ではなく、外部の人間だということになります。
クライアント(上司達は『社員様』と呼んでいた)と話が出来るのは、私達の上司のみ。
私達はクライアントからあれこれと指示を受けた上司の下で、請け負った仕事を進めていました。
派遣と違うのは、周りで一緒に仕事をする人間が全て自分と同じ契約社員だということ。
その点はとても気楽ではありました。
私はいつも上司よりも早く、殆どフロアで一番に出社をしていました。(よくフロアの電気を点けていた)
「早いねー」と上司に茶化されると、「年寄りなんで早く目が覚めちゃって(笑)」とか切り返していましたが、自分より部下が早く出社するということを良く思っていない上司達もいたかもしれません。
早く出社する理由は二つありました。
ひとつめは、「通勤途中に誰にも会いたくないから」です。
通勤途中で知った顔に会うと、どうしても会社までの道のりを同行することになります。
気心の知れた人なら良いのですが、そこそこの距離の付き合いの人と出くわしてしまうと、弾まない会話に気を遣ってしまい、会社に着くまでに気疲れでへとへとになることもしばしばでした。
私はそう親しくもない相手と会話するのが昔から苦手で、そのくせ沈黙が続くのが怖く、自分からばんばん話題を振って、沈黙が続かないようにしてしまうところがありました。
この「気疲れ会話」が嫌で、それならば誰にも会わないで済む時間帯に出社しようと思ったのです。
それと、朝の女子トイレの混みようも苦手で苦手でたまりませんでした。
鏡の前を独占し、朝からハイテンションで声高に喋りまくっている人達の中に入っていくのは勇気さえ要ります。
人の居ない時間帯ならば、ゆっくり化粧直しもできるというもので一石二鳥でした。
人付き合いも良く、くだらないことを言っては皆をよく笑わせ、いつも集団の中に居る私が、実はこんなふうに思っていたことは、きっと誰も知らなかったと思います。
私はそう思われないように自分を繕い、じゅうぶんに気を遣っていたのですから。
もうひとつは当然のごとく「仕事に早く取り掛かりたいから」です。
私の居たところは大変多忙な部署であり、残業も当たり前のところでした。
少しでも早く始めて早く帰りたかったことと、仕事で良く判らない箇所、つまずいている箇所を就業時間の前に頭の中で整理し、スッキリと理解できた状態で毎日仕事を始めたかったというのがありました。
まさに、「予習、復習」です。
就業時間内に自分なりのマニュアルを(これも微に入り細に入り、細かいものを作り上げて同僚によくびっくりされていた)作りたくても、いざ始まってしまうと、疑問点を整理する時間もなくて、ストレスが溜まっていたのです。
そんな訳で、「だったら就業時間の前にやればいい」…という結論に達したのでした。(自分が勝手に早出をしているので気が引けてタイムカードは定時からにしていた小心者の私)
そんな私の仕事に対する姿勢を上から評価され、そのうちあちこち問題のあるチーム(すぐに人が辞めてしまうとか、処理件数が少ないとか、要するに上手く回ってないチーム)に回され、立て直しを頼まれるようになりました。
上司曰く、「あなたに越えられない試練はないから」なのだそうです。(……口八丁)
その時自分の取り掛かっている仕事が好きで離れたくないこともあったりして、自分ではいつも異動に積極的ではありませんでしたが、上司の上司まで出てきて説得されるに及び、最後は渋々承諾していました。
けれどもどこへ回されても、とにかく「がむしゃらに仕事をする」私なので、何とか切り抜けてやっていました。
よく言えば「重宝がられている」悪く言えば「良いように使われている」私だったのです。
頼まれると嫌と言えない私(気弱な訳では決してなく、自分のプライドがそうさせていたのだと思います)でしたが、上司に感謝されたり、同僚や後輩に頼られたりすると嬉しい気持ちがあったのは事実ではありました。
がむしゃらな私はとにかく、朝「今日はここまでやる」と決めたら、絶対に終わらせないと気が済みません。
ランチタイムもそこそこに職場に戻り、仕事の続きを始めたり、残業出来る日は積極的にしていました。
とにかく全てが「自分の決めたスケジュールに沿って完遂」しないと気が済まないのです。
そして帰宅後にはこれまた自分で決めた「家事の予定」がびっしりと詰まっている毎日でした。
自分に厳しい私ですが、他人にはそれを要求しないのも自分の中の規律でした。
同僚の中には楽な所にばかり手を付けて、誰もが嫌がる(私も嫌)仕事は上手く回避するような人がどこへ行ってもひとりはいます。繁忙期にライブに行くからと(周りに言ってしまうのもスゴイ)早退したり、訳の判らない理由で休んでばかりいたり…こういった無責任な人間も多々います。
その分、しわ寄せは私を含めた周りの人間に来る訳です。
頭の中はあまりの怒りで朦朧としているのですが、とにかくやらないことには終わりません。
そんな時、私は進んでその「みんなが嫌がる仕事」に手を付けていました。
決して「いいカッコ」をしてる訳ではなく、それも自分のためでした。
自分の中で「『どん底』を最初に知れば、後は楽になる」という絶対的な仕事の進め方があり、皆が嫌がるような複雑な案件、ユーザーがくせのあるところで誰もやりたがらない案件…等々を初めに率先してこなし、慣れてしまえば後が楽になると思っていたのです。
私は全て、そのやり方で仕事をして来ました。
ところが、こんな状態がそうそう続けられる訳もなく、自分で決めた「規律」に縛られて私は徐々に壊れ、思うように仕事がこなせなくなって来ていました。今思うとこのあたりが「おかしくなり始め」だったのだと思います。
そんなところへ、クライアントの都合でその部署はまるごと無くなることになり、私達はあっけなく全員首切りに遭いました。
次に勤めたところは、仕事の内容も複雑で融通の利かないユーザーとの電話のやり取りも多く、以前よりもさらに過酷な職場でした。今でこそ思いますが、よく3年も持ったと思うのです。
その頃はもう最初から自分は不調であったし、そんな状態の中でも「自分の規律」を無理に押し通して仕事を進め続けた結果、私はどんどん壊れて行きました。
あれほど無駄なく、手際よく自分の決めたスケジュールをこなして仕事をすることが出来ていた私なのに、それがどうしてもどうしても出来なくなりました。
自分のやりたいことに、「脳」がついて来ないのです。
人の言っていることが理解できない、ものが覚えられない、同じ凡ミスを何度もする、自分で作ったマニュアルのどこにそれが書いてあるかそれさえも探せない…しまいには萎縮してキーボードも思うように叩けない、電話に出られない(電話は最初苦手でしたが、これも「『どん底』を最初に知れば、後は楽になる」の精神で克服し、どちらかと言えば得意な方になりました)、…こんな有様になってしまったのです。
それでも私は自分がおかしいのだ、壊れているのだと決して認めることをせず、「仕事内容が難しいからだ」「こんなはずない。出来るはずなんだ」「もう少しすればすらすらと出来るようになるはずなんだ」とさらに自分で自分を追いつめ、深い谷底へと落ちて行ったのでした。
私の中にはいつも、「こうあるべき自分」「こうでなければいけない自分」というものが存在しており、それから外れることは、決してあってはならないことだったのです。
仕事も完璧に、家事も完璧に、人付き合いも完璧に……。
それを死守するために、私はいつも水でいっぱいいっぱいのコップを頭の中に抱え、調子が悪くなってからも規律を曲げることをせず、コップの中の水は表面張力でもっているようなものでした。
そしてある日、全てこぼれてしまったのです。
完全にキャパオーバーだったのだと思います。
今の私は、「こうあるべき自分」とはかけ離れた私でいます。
今となっては、あのがむしゃらに仕事をしていた自分が、別人のように感じられてなりません。
私の「こうあるべき自分」とは、一体何だったのか。
何のためにそんなことをしていたのか。
何に駆り立てられて、私は頑張っていたのか。
今となってはもう、思い出せないでいます。
のんびりだらりといきましょう……

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どこに行ってもどんな仕事でも、仕事に対する姿勢はいつも同じです。
「ただ、がむしゃらに」仕事をするタイプでした。
ここでは、直近の10年間在籍していた会社と、その後うつになって僅か3年で辞めることになった会社でのことを主に書こうと思います。
両方の会社ともに、私は契約社員として仕事をしていました。
アウトソーシング事業といって、クライアントが自分の会社のうち、ひとつの部署をまるまる外部(私の在籍していた会社です)に委託し、クライアントの要望のもとにそこで私達外部の人間が仕事をするのです。
ですからその部署は、上司も周りの人間も全てクライアントの人間ではなく、外部の人間だということになります。
クライアント(上司達は『社員様』と呼んでいた)と話が出来るのは、私達の上司のみ。
私達はクライアントからあれこれと指示を受けた上司の下で、請け負った仕事を進めていました。
派遣と違うのは、周りで一緒に仕事をする人間が全て自分と同じ契約社員だということ。
その点はとても気楽ではありました。
私はいつも上司よりも早く、殆どフロアで一番に出社をしていました。(よくフロアの電気を点けていた)
「早いねー」と上司に茶化されると、「年寄りなんで早く目が覚めちゃって(笑)」とか切り返していましたが、自分より部下が早く出社するということを良く思っていない上司達もいたかもしれません。
早く出社する理由は二つありました。
ひとつめは、「通勤途中に誰にも会いたくないから」です。
通勤途中で知った顔に会うと、どうしても会社までの道のりを同行することになります。
気心の知れた人なら良いのですが、そこそこの距離の付き合いの人と出くわしてしまうと、弾まない会話に気を遣ってしまい、会社に着くまでに気疲れでへとへとになることもしばしばでした。
私はそう親しくもない相手と会話するのが昔から苦手で、そのくせ沈黙が続くのが怖く、自分からばんばん話題を振って、沈黙が続かないようにしてしまうところがありました。
この「気疲れ会話」が嫌で、それならば誰にも会わないで済む時間帯に出社しようと思ったのです。
それと、朝の女子トイレの混みようも苦手で苦手でたまりませんでした。
鏡の前を独占し、朝からハイテンションで声高に喋りまくっている人達の中に入っていくのは勇気さえ要ります。
人の居ない時間帯ならば、ゆっくり化粧直しもできるというもので一石二鳥でした。
人付き合いも良く、くだらないことを言っては皆をよく笑わせ、いつも集団の中に居る私が、実はこんなふうに思っていたことは、きっと誰も知らなかったと思います。
私はそう思われないように自分を繕い、じゅうぶんに気を遣っていたのですから。
もうひとつは当然のごとく「仕事に早く取り掛かりたいから」です。
私の居たところは大変多忙な部署であり、残業も当たり前のところでした。
少しでも早く始めて早く帰りたかったことと、仕事で良く判らない箇所、つまずいている箇所を就業時間の前に頭の中で整理し、スッキリと理解できた状態で毎日仕事を始めたかったというのがありました。
まさに、「予習、復習」です。
就業時間内に自分なりのマニュアルを(これも微に入り細に入り、細かいものを作り上げて同僚によくびっくりされていた)作りたくても、いざ始まってしまうと、疑問点を整理する時間もなくて、ストレスが溜まっていたのです。
そんな訳で、「だったら就業時間の前にやればいい」…という結論に達したのでした。(自分が勝手に早出をしているので気が引けてタイムカードは定時からにしていた小心者の私)
そんな私の仕事に対する姿勢を上から評価され、そのうちあちこち問題のあるチーム(すぐに人が辞めてしまうとか、処理件数が少ないとか、要するに上手く回ってないチーム)に回され、立て直しを頼まれるようになりました。
上司曰く、「あなたに越えられない試練はないから」なのだそうです。(……口八丁)
その時自分の取り掛かっている仕事が好きで離れたくないこともあったりして、自分ではいつも異動に積極的ではありませんでしたが、上司の上司まで出てきて説得されるに及び、最後は渋々承諾していました。
けれどもどこへ回されても、とにかく「がむしゃらに仕事をする」私なので、何とか切り抜けてやっていました。
よく言えば「重宝がられている」悪く言えば「良いように使われている」私だったのです。
頼まれると嫌と言えない私(気弱な訳では決してなく、自分のプライドがそうさせていたのだと思います)でしたが、上司に感謝されたり、同僚や後輩に頼られたりすると嬉しい気持ちがあったのは事実ではありました。
がむしゃらな私はとにかく、朝「今日はここまでやる」と決めたら、絶対に終わらせないと気が済みません。
ランチタイムもそこそこに職場に戻り、仕事の続きを始めたり、残業出来る日は積極的にしていました。
とにかく全てが「自分の決めたスケジュールに沿って完遂」しないと気が済まないのです。
そして帰宅後にはこれまた自分で決めた「家事の予定」がびっしりと詰まっている毎日でした。
自分に厳しい私ですが、他人にはそれを要求しないのも自分の中の規律でした。
同僚の中には楽な所にばかり手を付けて、誰もが嫌がる(私も嫌)仕事は上手く回避するような人がどこへ行ってもひとりはいます。繁忙期にライブに行くからと(周りに言ってしまうのもスゴイ)早退したり、訳の判らない理由で休んでばかりいたり…こういった無責任な人間も多々います。
その分、しわ寄せは私を含めた周りの人間に来る訳です。
頭の中はあまりの怒りで朦朧としているのですが、とにかくやらないことには終わりません。
そんな時、私は進んでその「みんなが嫌がる仕事」に手を付けていました。
決して「いいカッコ」をしてる訳ではなく、それも自分のためでした。
自分の中で「『どん底』を最初に知れば、後は楽になる」という絶対的な仕事の進め方があり、皆が嫌がるような複雑な案件、ユーザーがくせのあるところで誰もやりたがらない案件…等々を初めに率先してこなし、慣れてしまえば後が楽になると思っていたのです。
私は全て、そのやり方で仕事をして来ました。
ところが、こんな状態がそうそう続けられる訳もなく、自分で決めた「規律」に縛られて私は徐々に壊れ、思うように仕事がこなせなくなって来ていました。今思うとこのあたりが「おかしくなり始め」だったのだと思います。
そんなところへ、クライアントの都合でその部署はまるごと無くなることになり、私達はあっけなく全員首切りに遭いました。
次に勤めたところは、仕事の内容も複雑で融通の利かないユーザーとの電話のやり取りも多く、以前よりもさらに過酷な職場でした。今でこそ思いますが、よく3年も持ったと思うのです。
その頃はもう最初から自分は不調であったし、そんな状態の中でも「自分の規律」を無理に押し通して仕事を進め続けた結果、私はどんどん壊れて行きました。
あれほど無駄なく、手際よく自分の決めたスケジュールをこなして仕事をすることが出来ていた私なのに、それがどうしてもどうしても出来なくなりました。
自分のやりたいことに、「脳」がついて来ないのです。
人の言っていることが理解できない、ものが覚えられない、同じ凡ミスを何度もする、自分で作ったマニュアルのどこにそれが書いてあるかそれさえも探せない…しまいには萎縮してキーボードも思うように叩けない、電話に出られない(電話は最初苦手でしたが、これも「『どん底』を最初に知れば、後は楽になる」の精神で克服し、どちらかと言えば得意な方になりました)、…こんな有様になってしまったのです。
それでも私は自分がおかしいのだ、壊れているのだと決して認めることをせず、「仕事内容が難しいからだ」「こんなはずない。出来るはずなんだ」「もう少しすればすらすらと出来るようになるはずなんだ」とさらに自分で自分を追いつめ、深い谷底へと落ちて行ったのでした。
私の中にはいつも、「こうあるべき自分」「こうでなければいけない自分」というものが存在しており、それから外れることは、決してあってはならないことだったのです。
仕事も完璧に、家事も完璧に、人付き合いも完璧に……。
それを死守するために、私はいつも水でいっぱいいっぱいのコップを頭の中に抱え、調子が悪くなってからも規律を曲げることをせず、コップの中の水は表面張力でもっているようなものでした。
そしてある日、全てこぼれてしまったのです。
完全にキャパオーバーだったのだと思います。
今の私は、「こうあるべき自分」とはかけ離れた私でいます。
今となっては、あのがむしゃらに仕事をしていた自分が、別人のように感じられてなりません。
私の「こうあるべき自分」とは、一体何だったのか。
何のためにそんなことをしていたのか。
何に駆り立てられて、私は頑張っていたのか。
今となってはもう、思い出せないでいます。
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