「起きなさい、ウサギが死んだよ」
2016/02/03
自分の中のイメージなのですが。
頭の中には、ぐしゃぐしゃでもう自分でさえ解けないほどに複雑に絡み合った糸の束があって、その束からはあちこちから、ぴんぴんと糸の先端が飛び出しています。
そして何かの拍子にその糸の先端を引っ張ると、しまい込んで忘れていた古い記憶がずるずると引き出され、自分でもびっくりすることがあります。
人が死ぬか生きるかの瀬戸際の状態に直面した時に、今までの記憶が走馬灯のように頭の中を駆け巡るのは、「何とか今までの自分の経験からこの場を切り抜ける術はないか?」と、脳が必死にあちこちの記憶の引き出しを開け閉めしているからだそうです。
ただの肉の塊なのに、複雑怪奇な「脳」。
──私の場合、この「脳」が只今修理中なんで、こんな状態な訳なのですが…。
何故こんなことを急に思うのかと言うと、最近子供の頃の夢ばかり見るのです。
自分の記憶が漠然と始まった頃からのものですから、いつも夢の中では小学生か、それよりちょっと幼いくらいか。(不思議なもので、中学生や高校生の頃の夢はまるで見ません)
これでもかというくらいに続けて見ることもあるのです。
大抵は公園の遊具(あの丸い、ぐるぐるまわすやつ)で遊んでいて芸能人にたい焼きをもらうとか(笑)、幽霊(?)に追いかけられてみんなで逃げたり隠れたりするとか、他愛もないフィクションなのですが、ノンフィクションであることも多く、覚醒してから「ああ。そんなこともあったな…。」と気味悪くなるくらいにそれは鮮明に、深く沈んでいたはずの記憶をなぞっているのです。
一番気味が悪かったのは、幼稚園の時の夢でした。
幼稚園の時、確か(うろ覚えなんですが)、毎日のお昼はお弁当を持っていくか、幼稚園でパンを注文して食べるかのどちらかだったように記憶しています。
母がお弁当を作れない日にパンを注文する訳です。(さっき母に確認までした私)
そのパンもバリエーションが豊富な訳ではなく、クリームパンかチョコレートパンか…そんな感じで豪勢なものではありませんでした。
朝、親にパン券というものを持たされ、それを幼稚園に持って行くのです。
お昼になりそれを食べるのですが、そのパンの形状をきっちり夢の中で見ているのです。
先生に渡すパン券の小ささも、きちんと覚えているのです。
くるくると渦を巻いたチョココロネと、クリームパンはグローブのような形をしていました。
チョココロネは小さく、すぐ食べ終わってしまうのです。
目が覚めて、私は気味が悪くなりました。
何十年も前の、記憶力さえまだおぼつかない年齢の頃に経験したことなのに、パンの形状までしっかりと脳は記憶しているのです。
そして何より、「これは勝手に脳が作り上げたイメージではなく、事実そのものだ」と自分の中で確信があったことです。
確かに自分はああいうパン券をパンと交換して、子供の頃何度も食していたのです。
気味が悪いのは、どうして今頃こんな記憶を脳が引っ張り上げてきたのか…ということです。
何か深い意味でもあるのでしょうか。
ぼんやりと私はしばらくベッドの中で考え込んでしまいました。
子供の頃、ウサギを飼っていました。
白く、目の赤い小さな子ウサギで、飼って間もなく死んでしまったのですけれども。
そのウサギが死んだときの夢をついこの間、見ました。
どこからかもらってきたのか、それとも買ったのかはもう覚えていません。夢にも出てきませんでした。その記憶はきっと、脳の深い深いところに沈んでしまったのでしょう。
今思うと動物虐待に近いのですが、ウサギはきちんとした小屋も与えられず、アイロンの入っていた木箱に入れられて飼われていたと記憶しています。(ひどい)
その木箱はとても小さく、小さなウサギでも方向転換も出来ないくらいのものでした。
夢の中で、私は母に起こされたのです。
「起きなさい、ウサギが死んだよ。」
起き上がった私の目に映ったのは自分が眠っていた白いシーツと、父の背中と母の顔でした。(両親がどういう表情をしていたのか、よく思い出せません)
見ると、背中を向けた父の傍らの布団の上で、ウサギが硬直して横たわっています。
私はそこで目が覚めました。
今なら判りますがウサギは夜行性なのです。
夜も木箱に入れられていたのですが、遊んで欲しくて夜中に箱を抜け出し、寝ている父の布団に潜り込み、寝返りをうった父の下敷きになって死んでしまったのでした。
ウサギが死んでしまったこの記憶は、その後何十年も経って自分自身でウサギを飼い、そして今も二羽目のウサギを飼っている私の中では、割と浅い位置にある記憶だと思います。
けれども。母の、
「起きなさい、ウサギが死んだよ。」
と言う声で起こされたことは、夢で見るまで忘れていました。
母のその声は、イントネーションまで今でははっきりと思い出すことが出来ます。
その後、あのウサギをどうやって弔ってあげたのかとても気になっているのに、そこは夢では見ないのです。
もしかしたら、両親が私の知らないところで埋葬してあげていて、私の記憶には元から無いのかもしれません。
少し気になったので、「子供の頃の夢を見る」時の深層心理を調べてみました。
私は占いなどはあまり信じないのですが、夢診断は割と気にする方です。
自分の与り知らぬところで、脳に何が起こっているのかを知る手段のような気がするのです。
すると、「過去に未練がある」「過去にトラウマを抱えていて、解放されたいと思っている」「現実逃避」「偽りの自分を作ることに疲れ、純真だった子供の頃に戻りたいと思っている」「やり残したことがあり、気になって前に進めない」……などなど、思い当たるふしがあるようなことばかり出てきました(笑)
ウサギの夢は、実はももがここのところ様子が少しおかしかったので、(擬似妊娠でした。機会があったらこのことは後日書こうと思います)「ウサギ」というキーワードで脳が慌てて記憶の束から引っ張ってきたのかもしれません。
私の脳はもしかしたら、このいつまでも悶々として前に進めない現状をどうにか打開したく、今日もあちこちの記憶の引き出しを一生懸命開け閉めしているのかもしれません。
けれどもあんまり触って欲しくないところは、そのままカオス状態にしておいて欲しいなあ…なんて思う私なのです。
旅行中(一泊だけど)、ちいももの世話を頼む父のために、取説を作った。
億劫でずっと途中で放置してたが、やっと完成…。

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頭の中には、ぐしゃぐしゃでもう自分でさえ解けないほどに複雑に絡み合った糸の束があって、その束からはあちこちから、ぴんぴんと糸の先端が飛び出しています。
そして何かの拍子にその糸の先端を引っ張ると、しまい込んで忘れていた古い記憶がずるずると引き出され、自分でもびっくりすることがあります。
人が死ぬか生きるかの瀬戸際の状態に直面した時に、今までの記憶が走馬灯のように頭の中を駆け巡るのは、「何とか今までの自分の経験からこの場を切り抜ける術はないか?」と、脳が必死にあちこちの記憶の引き出しを開け閉めしているからだそうです。
ただの肉の塊なのに、複雑怪奇な「脳」。
──私の場合、この「脳」が只今修理中なんで、こんな状態な訳なのですが…。
何故こんなことを急に思うのかと言うと、最近子供の頃の夢ばかり見るのです。
自分の記憶が漠然と始まった頃からのものですから、いつも夢の中では小学生か、それよりちょっと幼いくらいか。(不思議なもので、中学生や高校生の頃の夢はまるで見ません)
これでもかというくらいに続けて見ることもあるのです。
大抵は公園の遊具(あの丸い、ぐるぐるまわすやつ)で遊んでいて芸能人にたい焼きをもらうとか(笑)、幽霊(?)に追いかけられてみんなで逃げたり隠れたりするとか、他愛もないフィクションなのですが、ノンフィクションであることも多く、覚醒してから「ああ。そんなこともあったな…。」と気味悪くなるくらいにそれは鮮明に、深く沈んでいたはずの記憶をなぞっているのです。
一番気味が悪かったのは、幼稚園の時の夢でした。
幼稚園の時、確か(うろ覚えなんですが)、毎日のお昼はお弁当を持っていくか、幼稚園でパンを注文して食べるかのどちらかだったように記憶しています。
母がお弁当を作れない日にパンを注文する訳です。(さっき母に確認までした私)
そのパンもバリエーションが豊富な訳ではなく、クリームパンかチョコレートパンか…そんな感じで豪勢なものではありませんでした。
朝、親にパン券というものを持たされ、それを幼稚園に持って行くのです。
お昼になりそれを食べるのですが、そのパンの形状をきっちり夢の中で見ているのです。
先生に渡すパン券の小ささも、きちんと覚えているのです。
くるくると渦を巻いたチョココロネと、クリームパンはグローブのような形をしていました。
チョココロネは小さく、すぐ食べ終わってしまうのです。
目が覚めて、私は気味が悪くなりました。
何十年も前の、記憶力さえまだおぼつかない年齢の頃に経験したことなのに、パンの形状までしっかりと脳は記憶しているのです。
そして何より、「これは勝手に脳が作り上げたイメージではなく、事実そのものだ」と自分の中で確信があったことです。
確かに自分はああいうパン券をパンと交換して、子供の頃何度も食していたのです。
気味が悪いのは、どうして今頃こんな記憶を脳が引っ張り上げてきたのか…ということです。
何か深い意味でもあるのでしょうか。
ぼんやりと私はしばらくベッドの中で考え込んでしまいました。
子供の頃、ウサギを飼っていました。
白く、目の赤い小さな子ウサギで、飼って間もなく死んでしまったのですけれども。
そのウサギが死んだときの夢をついこの間、見ました。
どこからかもらってきたのか、それとも買ったのかはもう覚えていません。夢にも出てきませんでした。その記憶はきっと、脳の深い深いところに沈んでしまったのでしょう。
今思うと動物虐待に近いのですが、ウサギはきちんとした小屋も与えられず、アイロンの入っていた木箱に入れられて飼われていたと記憶しています。(ひどい)
その木箱はとても小さく、小さなウサギでも方向転換も出来ないくらいのものでした。
夢の中で、私は母に起こされたのです。
「起きなさい、ウサギが死んだよ。」
起き上がった私の目に映ったのは自分が眠っていた白いシーツと、父の背中と母の顔でした。(両親がどういう表情をしていたのか、よく思い出せません)
見ると、背中を向けた父の傍らの布団の上で、ウサギが硬直して横たわっています。
私はそこで目が覚めました。
今なら判りますがウサギは夜行性なのです。
夜も木箱に入れられていたのですが、遊んで欲しくて夜中に箱を抜け出し、寝ている父の布団に潜り込み、寝返りをうった父の下敷きになって死んでしまったのでした。
ウサギが死んでしまったこの記憶は、その後何十年も経って自分自身でウサギを飼い、そして今も二羽目のウサギを飼っている私の中では、割と浅い位置にある記憶だと思います。
けれども。母の、
「起きなさい、ウサギが死んだよ。」
と言う声で起こされたことは、夢で見るまで忘れていました。
母のその声は、イントネーションまで今でははっきりと思い出すことが出来ます。
その後、あのウサギをどうやって弔ってあげたのかとても気になっているのに、そこは夢では見ないのです。
もしかしたら、両親が私の知らないところで埋葬してあげていて、私の記憶には元から無いのかもしれません。
少し気になったので、「子供の頃の夢を見る」時の深層心理を調べてみました。
私は占いなどはあまり信じないのですが、夢診断は割と気にする方です。
自分の与り知らぬところで、脳に何が起こっているのかを知る手段のような気がするのです。
すると、「過去に未練がある」「過去にトラウマを抱えていて、解放されたいと思っている」「現実逃避」「偽りの自分を作ることに疲れ、純真だった子供の頃に戻りたいと思っている」「やり残したことがあり、気になって前に進めない」……などなど、思い当たるふしがあるようなことばかり出てきました(笑)
ウサギの夢は、実はももがここのところ様子が少しおかしかったので、(擬似妊娠でした。機会があったらこのことは後日書こうと思います)「ウサギ」というキーワードで脳が慌てて記憶の束から引っ張ってきたのかもしれません。
私の脳はもしかしたら、このいつまでも悶々として前に進めない現状をどうにか打開したく、今日もあちこちの記憶の引き出しを一生懸命開け閉めしているのかもしれません。
けれどもあんまり触って欲しくないところは、そのままカオス状態にしておいて欲しいなあ…なんて思う私なのです。
旅行中(一泊だけど)、ちいももの世話を頼む父のために、取説を作った。
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