それでも薬を飲まなきゃいけない時もある
2016/02/29
ざわざわ感がまだ続いています。
当初の頃よりはだいぶましになり、治まっている時間もあります。
けれども始まってしまうと落ち着かなく、家中を歩き回ったりして、とにかくじっとしていられないのです。
エビリファイを増薬して、少ししてから始まったこの状態。
…うーん。どうやらやっぱり副作用の気がします。
けれども今のところ薬は中断できないし、生活に支障が出るほどの副作用でもないので仕方ないとあきらめています。
作用と引き換えの、この「副作用」は本当に厄介なものです。
あまり酷くなるようなら、主治医に相談してみよう…。
ところで、私は「薬」を飲むことにさほど抵抗はありません。
抗うつ剤は脳に作用する薬なので、最初は抵抗がありましたが、「飲め」と言われれば素直に飲みます。
「私はできるだけ薬を飲まずに治したい」などと頑なに拒んだり出来る状態でもありませんでしたし。
昔、通っていた耳鼻科で、隣で治療を受けていた人が「抗生剤は要りません」ときっぱりと先生に言っていたことがありました。
何故ゆえ?…と先生が問うと、その患者のおじさんは意気揚々と、「薬は嫌いなんで。信用できないんで。」と言い放ち、私の方がドギマギと事の成り行きを見守っていたことがあります。
すると先生は一喝。
「それでも飲まなきゃいけない時があります!」
──おじさんはすごすごと治療室を出ていき、受付で処方箋をもらっていましたが、あのおじさん、飲んでないんじゃないかな~(笑)
人間や動物には、「自己治癒力」「自浄作用」というものが備わっていますが、それがきちんと機能できないレベルの「身体の故障」もあると思うのです。それを補うのが薬であって、あまりに依存してしまうのも考えものですが、きちんと自分の体質を理解し、決められた処方を守って使えば、嫌悪するほどのことでもないと考えています。
そしてどんな薬にも多かれ少なかれ「副作用」が発現する恐れがあることは至極当然のことだとも理解しているのです。
片頭痛もちの私は、酷い頭痛などが始まると我慢している時間が勿体ないのですぐ頭痛薬を飲んでしまいます。
(実際、頭痛はあまり我慢しないほうが良いと言う説もあるらしいですが良く判りません)
が、世の中にはあのおじさんの様に薬を徹底的に否定していて嫌悪さえ感じている人達もいます。
以前勤めていた会社の同僚がそうでした。
別の同僚の子がやはりひどい頭痛もちで、「頭痛外来」に通っているような状態だったので、良く薬を飲んでいたのですが(病院で処方された薬)、その様子を見て「あまり薬を飲むのは良くない。我慢したほうがいい。」と、それはしつこく言い張るのです。何故かときくと、「自分で治せるものは自分で治した方がいいよ。」と頑なに主張するのです。
痛みが我慢できないから彼女はきちんと病院に通って検査をし、薬を処方されて飲んでいる訳であって、それをとやかく言われる筋合いはありません。
「ほらー、また薬飲んでる!」「だめだよ、身体に悪いよ」
…そんなの人の勝手だと思うのに、しつこくしつこく諭すのです。
そして何かあるとすぐ、「薬飲んでるからだよー」「薬のせいだよー」……。
頭痛もちの同僚の子は軽く流していましたが、私の方が聞いていて不快になるほどでした。
確かに薬を使わないで済むならそれに越したことはないと思うのですが、それを人に押し付けるのはどうかと。
どうしても薬を飲まなくてはならない時もあるのでは、と思うのです。
私は今、うつ病で3種類くらいの薬を飲んでいますが、副作用もそこそこあります。
中には重篤な副作用に苦しんでいても、飲み続けている人も多いと思います。
それは「飲まなくてはならない」状況だから、飲んでいるのだと思うのです。
私自身、薬にだいぶ助けられてきた部分もあると思っています。
到底、薬なしでは自分の力でここまで這い上がっては来れませんでした。
「感情をコントロールするようにする」「考え方を変える」…などなど、心療内科に通って薬を処方してもらう以外にも色々な対処法はあったかもしれませんが、私には無理でした。
そもそも、それが出来ないからうつ病になった訳で。
それどころかこの様々な身体の不調を「病気」と認めず、「誰にでもよくあること」「みんな我慢している」…と頑なに決めつけ、自分の力でなんとかしようとしていたら、今頃どうなっていたか判りません。
それほどうつの症状は根が深いのです。
健常者には理解して貰えないかもしれませんが、口で言うほど簡単に治せるものではないのです。
私もうつ病になるまでは、これほど精神の病というものが辛いものだとは全く知りませんでした。
決して薬に全幅の信頼を置いてる訳じゃないけれど。
今は薬の助けを借りて、自分で何とかできるようになるレベルまで、引き上げてもらっている最中。
私はそう思って、今日も薬を飲んでいます。
具合が悪くてダンナの帰りを待たずに早く寝てしまった日。
朝起きたら、伝言板にダンナからのメッセージが。笑った。

★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



当初の頃よりはだいぶましになり、治まっている時間もあります。
けれども始まってしまうと落ち着かなく、家中を歩き回ったりして、とにかくじっとしていられないのです。
エビリファイを増薬して、少ししてから始まったこの状態。
…うーん。どうやらやっぱり副作用の気がします。
けれども今のところ薬は中断できないし、生活に支障が出るほどの副作用でもないので仕方ないとあきらめています。
作用と引き換えの、この「副作用」は本当に厄介なものです。
あまり酷くなるようなら、主治医に相談してみよう…。
ところで、私は「薬」を飲むことにさほど抵抗はありません。
抗うつ剤は脳に作用する薬なので、最初は抵抗がありましたが、「飲め」と言われれば素直に飲みます。
「私はできるだけ薬を飲まずに治したい」などと頑なに拒んだり出来る状態でもありませんでしたし。
昔、通っていた耳鼻科で、隣で治療を受けていた人が「抗生剤は要りません」ときっぱりと先生に言っていたことがありました。
何故ゆえ?…と先生が問うと、その患者のおじさんは意気揚々と、「薬は嫌いなんで。信用できないんで。」と言い放ち、私の方がドギマギと事の成り行きを見守っていたことがあります。
すると先生は一喝。
「それでも飲まなきゃいけない時があります!」
──おじさんはすごすごと治療室を出ていき、受付で処方箋をもらっていましたが、あのおじさん、飲んでないんじゃないかな~(笑)
人間や動物には、「自己治癒力」「自浄作用」というものが備わっていますが、それがきちんと機能できないレベルの「身体の故障」もあると思うのです。それを補うのが薬であって、あまりに依存してしまうのも考えものですが、きちんと自分の体質を理解し、決められた処方を守って使えば、嫌悪するほどのことでもないと考えています。
そしてどんな薬にも多かれ少なかれ「副作用」が発現する恐れがあることは至極当然のことだとも理解しているのです。
片頭痛もちの私は、酷い頭痛などが始まると我慢している時間が勿体ないのですぐ頭痛薬を飲んでしまいます。
(実際、頭痛はあまり我慢しないほうが良いと言う説もあるらしいですが良く判りません)
が、世の中にはあのおじさんの様に薬を徹底的に否定していて嫌悪さえ感じている人達もいます。
以前勤めていた会社の同僚がそうでした。
別の同僚の子がやはりひどい頭痛もちで、「頭痛外来」に通っているような状態だったので、良く薬を飲んでいたのですが(病院で処方された薬)、その様子を見て「あまり薬を飲むのは良くない。我慢したほうがいい。」と、それはしつこく言い張るのです。何故かときくと、「自分で治せるものは自分で治した方がいいよ。」と頑なに主張するのです。
痛みが我慢できないから彼女はきちんと病院に通って検査をし、薬を処方されて飲んでいる訳であって、それをとやかく言われる筋合いはありません。
「ほらー、また薬飲んでる!」「だめだよ、身体に悪いよ」
…そんなの人の勝手だと思うのに、しつこくしつこく諭すのです。
そして何かあるとすぐ、「薬飲んでるからだよー」「薬のせいだよー」……。
頭痛もちの同僚の子は軽く流していましたが、私の方が聞いていて不快になるほどでした。
確かに薬を使わないで済むならそれに越したことはないと思うのですが、それを人に押し付けるのはどうかと。
どうしても薬を飲まなくてはならない時もあるのでは、と思うのです。
私は今、うつ病で3種類くらいの薬を飲んでいますが、副作用もそこそこあります。
中には重篤な副作用に苦しんでいても、飲み続けている人も多いと思います。
それは「飲まなくてはならない」状況だから、飲んでいるのだと思うのです。
私自身、薬にだいぶ助けられてきた部分もあると思っています。
到底、薬なしでは自分の力でここまで這い上がっては来れませんでした。
「感情をコントロールするようにする」「考え方を変える」…などなど、心療内科に通って薬を処方してもらう以外にも色々な対処法はあったかもしれませんが、私には無理でした。
そもそも、それが出来ないからうつ病になった訳で。
それどころかこの様々な身体の不調を「病気」と認めず、「誰にでもよくあること」「みんな我慢している」…と頑なに決めつけ、自分の力でなんとかしようとしていたら、今頃どうなっていたか判りません。
それほどうつの症状は根が深いのです。
健常者には理解して貰えないかもしれませんが、口で言うほど簡単に治せるものではないのです。
私もうつ病になるまでは、これほど精神の病というものが辛いものだとは全く知りませんでした。
決して薬に全幅の信頼を置いてる訳じゃないけれど。
今は薬の助けを借りて、自分で何とかできるようになるレベルまで、引き上げてもらっている最中。
私はそう思って、今日も薬を飲んでいます。
具合が悪くてダンナの帰りを待たずに早く寝てしまった日。
朝起きたら、伝言板にダンナからのメッセージが。笑った。

★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



スポンサーサイト
ざわざわ…ざわざわ…
2016/02/27
ここのところ調子が良かったのですが、少し下り気味です。
何かおかしい…。
落ち込みとも不安感ともつかない、ざわざわとした落ち着かなさが頭の中で渦巻いています。
何をしていても、何か重大なことを忘れているような、そんな足元の不安定さ。
こんな感覚は初めてなので、戸惑っています。
足がムズムズしたりはしないので、「アカシジア」(薬の副作用で、足がムズムズしてじっとしていられなくなり、不安感、ソワソワ感などが現れる)ではないと思うのですが…。
同時に「だるだる病」が再発し、もう嫌になってしまいました。
今朝目が覚めると、全てのことが億劫でたまらないあの感覚に久々に襲われました。
エビリファイを増やしてからというもの、ぐっすりと眠れて中途覚醒もせず、この間の診療日で
「やる気が出てきて調子が良いです」
…と言って主治医とにこやかに会話したばかりだと言うのに、もうこの有様。
病状が酷い頃に比べると、不調な時の来るスパンが長くなったのですが、このアップダウンが頻繁なのもそれはそれで辛いなあ…。
土曜日ですがダンナは土日とも出勤なので、やっと身を起こしました。
土日出勤の日はお弁当作りを免除させてもらっているのですが(ダンナもたまにはコンビニ弁当が食べたいだろうし)、ボトルに入れて持っていくお茶だけは沸かさなければなりません。
それからちいもものケージの掃除もあるのですが…。
ちいももの掃除もとてもやる気がなく(ちいももごめん)、ダンナを送り出した後、私はキッチンに座り込んでしまいました。
けれどもこっちの都合なんか、ちいももには関係ありません。
ふたりとも、「はやくごはん~!」と騒いでいます。
以前、主治医にちいを飼うことを相談したところ、「世話をするのがかえって負担になることもある」…のようなことを言われたのですが、こういうことなんだな…と改めて理解。
なんとか掃除をすませ、ふたりにごはんをあげると、またごそごそと私はベッドに戻ってしまいました。
けれども今度はじっと寝ていることも出来ず、起き上がってうろうろと歩き回る始末。
部屋の中を何往復したか判りません。
良くなったと思って動けば、また調子が悪くなって何もする気が起きなくなる。
もうほんとにこの繰り返しで、自分でも嫌になります。
こんな調子なので、来週友人たちと会う約束があるのですが、行くかどうか迷い始めてしまいました。
昔勤めていた会社の同僚たちで、もう何年も会っていません。
その中の一人からLINEで連絡が来て、皆で久々に集まって飲もうと言うのです。
懐かしさもあり、私も調子が良くなってきていたので、この会合が何かプラス方向への起爆剤になるかも…とポジティブな気分になって快諾したのですが、今のこの調子では、逆にネガティブ方向に引っ張られそうです。
既婚者も未婚者もいますが、皆は仕事をしていて、近況報告になると、私は情けないことに何も言うべきことがありません。
うつだということはオープンにしていなく、「病気で会社を辞めて家に居る」とだけ話している仲間たちなのですが、オープンにすべきかどうか、微妙な距離で付き合っている仲間たちです。
…というと何か上から目線になってしまいますが、オープンにしたところでどういう反応が返ってくるのかが怖いのです。
私は人付き合いがあまり上手くないので、数人の友人と「じっくり深く付き合う」タイプです。
そしてそういう相手はとても少ないです。
でも付き合いもあるし、社会の中ではそれなりに「群れ」が出来るものなので、あえて孤立するほど社会性が無い訳でもなく、そのへんは上手く渡ってきました。
今回会おうと言う仲間は、その「群れていた」友人たちで、ともに仕事をしていた頃はそれなりに付き合いもあり、一緒に居て楽しかったのですが、職場がバラバラになり会うこともなくなってからは付き合いも途絶えていました。
集団としての付き合い方を私はしていたので、個々ではとても気持ちの良いいい人達ばかりなのですが、自分がうつであることをオープンにしたい人たちか…と問われればそうではないのです。
このへんがとても難しいところで、私はいつも悩みます。
自分がうつであることを別に話す必要なんかないし、皆に気遣って欲しいと願っている訳ではありません。
けれども普通の専業主婦(私は無職主婦)のふりをして、皆と会話が出来るかと言うと、私の性格上、どうしても劣等感、焦燥感に押しつぶされそうになること必須です。
うーん。…悩む。
…ので、一旦思考停止。
まだ時間はあるのだし、自分のその時の調子もどうなっているか判らない。
けれども、毎日毎日ダンナ以外とは会話もせず、引きこもって淀んだ空気の中で生活している私にとっては、外部からの刺激も少しは必要なことだな…とも最近思っているのです。
ひとりで考えてばかりでは、何も解決しない。
少しずつ、少しずつ、いろんなものを受け入れていこう。
もうそろそろ、それが出来るかもしれない。
少なくとも、私の病状はそのステージにはもう上がっているはずです。
もう少しよく考えてから決めよう…と部屋をうろうろしながら、結論を先延ばしにしてみた私です。
ところで、これを書いている間も、ざわざわが消えません。
全く不快です。
セブンイレブン限定のコカ・コーラ・レモン。
さっぱりしてて美味しい!
飲みかけですみません(^^;)

★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



何かおかしい…。
落ち込みとも不安感ともつかない、ざわざわとした落ち着かなさが頭の中で渦巻いています。
何をしていても、何か重大なことを忘れているような、そんな足元の不安定さ。
こんな感覚は初めてなので、戸惑っています。
足がムズムズしたりはしないので、「アカシジア」(薬の副作用で、足がムズムズしてじっとしていられなくなり、不安感、ソワソワ感などが現れる)ではないと思うのですが…。
同時に「だるだる病」が再発し、もう嫌になってしまいました。
今朝目が覚めると、全てのことが億劫でたまらないあの感覚に久々に襲われました。
エビリファイを増やしてからというもの、ぐっすりと眠れて中途覚醒もせず、この間の診療日で
「やる気が出てきて調子が良いです」
…と言って主治医とにこやかに会話したばかりだと言うのに、もうこの有様。
病状が酷い頃に比べると、不調な時の来るスパンが長くなったのですが、このアップダウンが頻繁なのもそれはそれで辛いなあ…。
土曜日ですがダンナは土日とも出勤なので、やっと身を起こしました。
土日出勤の日はお弁当作りを免除させてもらっているのですが(ダンナもたまにはコンビニ弁当が食べたいだろうし)、ボトルに入れて持っていくお茶だけは沸かさなければなりません。
それからちいもものケージの掃除もあるのですが…。
ちいももの掃除もとてもやる気がなく(ちいももごめん)、ダンナを送り出した後、私はキッチンに座り込んでしまいました。
けれどもこっちの都合なんか、ちいももには関係ありません。
ふたりとも、「はやくごはん~!」と騒いでいます。
以前、主治医にちいを飼うことを相談したところ、「世話をするのがかえって負担になることもある」…のようなことを言われたのですが、こういうことなんだな…と改めて理解。
なんとか掃除をすませ、ふたりにごはんをあげると、またごそごそと私はベッドに戻ってしまいました。
けれども今度はじっと寝ていることも出来ず、起き上がってうろうろと歩き回る始末。
部屋の中を何往復したか判りません。
良くなったと思って動けば、また調子が悪くなって何もする気が起きなくなる。
もうほんとにこの繰り返しで、自分でも嫌になります。
こんな調子なので、来週友人たちと会う約束があるのですが、行くかどうか迷い始めてしまいました。
昔勤めていた会社の同僚たちで、もう何年も会っていません。
その中の一人からLINEで連絡が来て、皆で久々に集まって飲もうと言うのです。
懐かしさもあり、私も調子が良くなってきていたので、この会合が何かプラス方向への起爆剤になるかも…とポジティブな気分になって快諾したのですが、今のこの調子では、逆にネガティブ方向に引っ張られそうです。
既婚者も未婚者もいますが、皆は仕事をしていて、近況報告になると、私は情けないことに何も言うべきことがありません。
うつだということはオープンにしていなく、「病気で会社を辞めて家に居る」とだけ話している仲間たちなのですが、オープンにすべきかどうか、微妙な距離で付き合っている仲間たちです。
…というと何か上から目線になってしまいますが、オープンにしたところでどういう反応が返ってくるのかが怖いのです。
私は人付き合いがあまり上手くないので、数人の友人と「じっくり深く付き合う」タイプです。
そしてそういう相手はとても少ないです。
でも付き合いもあるし、社会の中ではそれなりに「群れ」が出来るものなので、あえて孤立するほど社会性が無い訳でもなく、そのへんは上手く渡ってきました。
今回会おうと言う仲間は、その「群れていた」友人たちで、ともに仕事をしていた頃はそれなりに付き合いもあり、一緒に居て楽しかったのですが、職場がバラバラになり会うこともなくなってからは付き合いも途絶えていました。
集団としての付き合い方を私はしていたので、個々ではとても気持ちの良いいい人達ばかりなのですが、自分がうつであることをオープンにしたい人たちか…と問われればそうではないのです。
このへんがとても難しいところで、私はいつも悩みます。
自分がうつであることを別に話す必要なんかないし、皆に気遣って欲しいと願っている訳ではありません。
けれども普通の専業主婦(私は無職主婦)のふりをして、皆と会話が出来るかと言うと、私の性格上、どうしても劣等感、焦燥感に押しつぶされそうになること必須です。
うーん。…悩む。
…ので、一旦思考停止。
まだ時間はあるのだし、自分のその時の調子もどうなっているか判らない。
けれども、毎日毎日ダンナ以外とは会話もせず、引きこもって淀んだ空気の中で生活している私にとっては、外部からの刺激も少しは必要なことだな…とも最近思っているのです。
ひとりで考えてばかりでは、何も解決しない。
少しずつ、少しずつ、いろんなものを受け入れていこう。
もうそろそろ、それが出来るかもしれない。
少なくとも、私の病状はそのステージにはもう上がっているはずです。
もう少しよく考えてから決めよう…と部屋をうろうろしながら、結論を先延ばしにしてみた私です。
ところで、これを書いている間も、ざわざわが消えません。
全く不快です。
セブンイレブン限定のコカ・コーラ・レモン。
さっぱりしてて美味しい!
飲みかけですみません(^^;)

★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



給料日は落ち込む日
2016/02/25
先日、心療内科の診療日でした。
エビリファイを増やしたせいなのか、少しずつだけれど改善がみられるので、しばらくこのままで…という診断に落ち着きました。ふと、最近気になっていることを主治医に訊いてみました。
「抗うつ剤で白髪が増えるって副作用、ありますか?」
そうなんです。私、ここ1年半くらいの間にドバーッと白髪が増えてしまいまして…。
私はもともと年齢のわりには白髪が無い方で、染める必要もなかったのですが、この間鏡を見て愕然としました。すごーい勢いで白髪が増えてるんです。
主治医はびっくりして、「今初めてそういう事例聞いた。」とか言ってました。
「そういうデータはないなあ…。人によるのかもしれないけど。」
加齢もあるだろうし、と私も仕方なく思ってはいるのですが、あまりに急激なのでちょっとびっくりしてしまったのです。
まあ、薬はどれも病気の治療が第一と考えられますから、白髪などは別に命に関わるものでもないので、特別にデータとして記載されてないのかもしれません。でもネットなどで見るとちらほらそういう事例もあるみたいです。
「薬の副作用と言うよりも、ストレスが酷いからそのせいかもしれないよ。」との主治医のお答えでした。
ストレスと言えば、今日は本当に久々に落ち込んでいます。
それは「ダンナの給料日」だからなのです。
家に居て家事もろくにできないこんな無職主婦を養ってくれて、頑張ってくれてありがとう…という思いと共に、毎月この日を迎えるのですが、私にとっては「落ちる日」でもあるのです。
ダンナの収入だけでは毎月当然のように赤字で(昇進して管理職になったので残業代がつかなくなり、バーンと収入が落ちた…)、今はその分貯金やボーナスをを切り崩して補填し、何とか毎月暮らしています。
けれども、いつか貯金も底をつきます。
予期せぬ大出費があったらもうアウトです。
この先のことを考えると、どうしても落ちてしまうのです。
私が働くこと以外、選択肢がないのは判っています。
一時、調子がとても上がっていた頃は、びくつきながらも義務感に押されて就活をしていましたが、その後ドカーンと調子が悪くなってからは、求人雑誌にさえ目を通していません。
派遣の仕事は、来る紹介メールは都心でのフルタイムの仕事ばかり(まあ、エントリーしてもそこから振るい落とされること必須ですけれども)で、とても出来る自信がありません。
ハロワにもめっきり通わなくなってしまいました。
けれども、そろそろ就活を再開しなければいけません。
焦るなとか無理だとか、そういう問題ではなく、もう死活問題なのです。
──と頭では判っているのに、どうしても怖くて社会に身を投じる覚悟が出来ないでいます。
調子のいい時は、「またやれるんじゃないか」「頑張れるんじゃないか」という気力が持ち上がって来るのですが、いざとなると怖気づいてしまうのです。
またあの「真っ白病」が再発するのではないか、自分はもう、使い物にならないのではないか。
そもそも「音」が怖くて耳栓を一日中して暮らしているのに、それを外して働くことができるのか
…。不安はあとからあとから湧いてきて、私の手を引っ張ります。
ブランクが長ければ長いほど、復帰するのは自分的にも、雇用されるのも難しくなります。
それは健常者さえそうなのですから、私のような状態の人間には本当に過酷な試練です。
以前のようにフルタイムで働くことはもう無理なので(これだけは自分の中で決定してる…採用してくれるところも年齢的に無いだろうし)、一日数時間のパートか、フルタイムで週に3、4日くらいの仕事があればいいのですが…。
でも、それでさえ不安で仕方がありません。
仕事なんか選ばなければなんでもあるよ、レジとか、コンビニのバイトとか……とよく言われますが、今度は長く続けられる仕事を探したいのです。
接客は苦手で、「真っ白病」でレジの前で固まる自分を容易に想像出来るため、やはり長年経験のある事務職で探したいのですが、なかなか募集がなかったのを覚えています。
いつもいつも自分の身体の調子ばかり気にしていて、家事も何もかもそれに左右される毎日。
そんな中で忘れていた厳しい現実(目を背けていただけかもしれません)を、目の前に突き付けられるのがなんとも皮肉なことに、毎月のダンナの給料日なのです。
今の私に確実に出来ることは「節約」です。
電気代節約のために、厚着をして極力暖房は点けず(ちいももごめん)、水道代、ガス代など光熱費は徹底的に少なく抑えています。
食費も、自分があまり食欲のないことも手伝って、ダンナの分だけきちんと用意し、自分はお昼はダンナのお弁当の残りのご飯で作ったおにぎりひとつ、夜はサラダだけ…という生活を長い間していました。
ところが、ストレスで抵抗力がただでさえ落ちています。
そこへそんな食生活をしていたせいなのか……。滅多にひいたこともなかったのに、この前風邪をひいてしまいました。なのでそれからは、食事だけは自分もきちんと採るようにしました。
心身の「健康」が一番だと身をもって知っているはずの私。
けれども「節約」も限度がありますね。つくづく難しいなあと思っています。
人間、どんなにつましく暮らしているつもりでも、どうしても削れない必要なものはたくさんあって、不可抗力の出費がかさみます。
──そんな訳で、今日はテンションが低くてすみません……。
ちいのインコ臭を嗅いで元気を出す(笑)

★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



エビリファイを増やしたせいなのか、少しずつだけれど改善がみられるので、しばらくこのままで…という診断に落ち着きました。ふと、最近気になっていることを主治医に訊いてみました。
「抗うつ剤で白髪が増えるって副作用、ありますか?」
そうなんです。私、ここ1年半くらいの間にドバーッと白髪が増えてしまいまして…。
私はもともと年齢のわりには白髪が無い方で、染める必要もなかったのですが、この間鏡を見て愕然としました。すごーい勢いで白髪が増えてるんです。
主治医はびっくりして、「今初めてそういう事例聞いた。」とか言ってました。
「そういうデータはないなあ…。人によるのかもしれないけど。」
加齢もあるだろうし、と私も仕方なく思ってはいるのですが、あまりに急激なのでちょっとびっくりしてしまったのです。
まあ、薬はどれも病気の治療が第一と考えられますから、白髪などは別に命に関わるものでもないので、特別にデータとして記載されてないのかもしれません。でもネットなどで見るとちらほらそういう事例もあるみたいです。
「薬の副作用と言うよりも、ストレスが酷いからそのせいかもしれないよ。」との主治医のお答えでした。
ストレスと言えば、今日は本当に久々に落ち込んでいます。
それは「ダンナの給料日」だからなのです。
家に居て家事もろくにできないこんな無職主婦を養ってくれて、頑張ってくれてありがとう…という思いと共に、毎月この日を迎えるのですが、私にとっては「落ちる日」でもあるのです。
ダンナの収入だけでは毎月当然のように赤字で(昇進して管理職になったので残業代がつかなくなり、バーンと収入が落ちた…)、今はその分貯金やボーナスをを切り崩して補填し、何とか毎月暮らしています。
けれども、いつか貯金も底をつきます。
予期せぬ大出費があったらもうアウトです。
この先のことを考えると、どうしても落ちてしまうのです。
私が働くこと以外、選択肢がないのは判っています。
一時、調子がとても上がっていた頃は、びくつきながらも義務感に押されて就活をしていましたが、その後ドカーンと調子が悪くなってからは、求人雑誌にさえ目を通していません。
派遣の仕事は、来る紹介メールは都心でのフルタイムの仕事ばかり(まあ、エントリーしてもそこから振るい落とされること必須ですけれども)で、とても出来る自信がありません。
ハロワにもめっきり通わなくなってしまいました。
けれども、そろそろ就活を再開しなければいけません。
焦るなとか無理だとか、そういう問題ではなく、もう死活問題なのです。
──と頭では判っているのに、どうしても怖くて社会に身を投じる覚悟が出来ないでいます。
調子のいい時は、「またやれるんじゃないか」「頑張れるんじゃないか」という気力が持ち上がって来るのですが、いざとなると怖気づいてしまうのです。
またあの「真っ白病」が再発するのではないか、自分はもう、使い物にならないのではないか。
そもそも「音」が怖くて耳栓を一日中して暮らしているのに、それを外して働くことができるのか
…。不安はあとからあとから湧いてきて、私の手を引っ張ります。
ブランクが長ければ長いほど、復帰するのは自分的にも、雇用されるのも難しくなります。
それは健常者さえそうなのですから、私のような状態の人間には本当に過酷な試練です。
以前のようにフルタイムで働くことはもう無理なので(これだけは自分の中で決定してる…採用してくれるところも年齢的に無いだろうし)、一日数時間のパートか、フルタイムで週に3、4日くらいの仕事があればいいのですが…。
でも、それでさえ不安で仕方がありません。
仕事なんか選ばなければなんでもあるよ、レジとか、コンビニのバイトとか……とよく言われますが、今度は長く続けられる仕事を探したいのです。
接客は苦手で、「真っ白病」でレジの前で固まる自分を容易に想像出来るため、やはり長年経験のある事務職で探したいのですが、なかなか募集がなかったのを覚えています。
いつもいつも自分の身体の調子ばかり気にしていて、家事も何もかもそれに左右される毎日。
そんな中で忘れていた厳しい現実(目を背けていただけかもしれません)を、目の前に突き付けられるのがなんとも皮肉なことに、毎月のダンナの給料日なのです。
今の私に確実に出来ることは「節約」です。
電気代節約のために、厚着をして極力暖房は点けず(ちいももごめん)、水道代、ガス代など光熱費は徹底的に少なく抑えています。
食費も、自分があまり食欲のないことも手伝って、ダンナの分だけきちんと用意し、自分はお昼はダンナのお弁当の残りのご飯で作ったおにぎりひとつ、夜はサラダだけ…という生活を長い間していました。
ところが、ストレスで抵抗力がただでさえ落ちています。
そこへそんな食生活をしていたせいなのか……。滅多にひいたこともなかったのに、この前風邪をひいてしまいました。なのでそれからは、食事だけは自分もきちんと採るようにしました。
心身の「健康」が一番だと身をもって知っているはずの私。
けれども「節約」も限度がありますね。つくづく難しいなあと思っています。
人間、どんなにつましく暮らしているつもりでも、どうしても削れない必要なものはたくさんあって、不可抗力の出費がかさみます。
──そんな訳で、今日はテンションが低くてすみません……。
ちいのインコ臭を嗅いで元気を出す(笑)

★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



感情が死んじゃった
2016/02/22
抗うつ剤には様々な種類があります。
サイトを巡っていても、皆さんそれぞれ様々な抗うつ剤を服用されてるんだなあ…と思います。
同じ「うつ病」といってもその症状は人によって違うので、処方される薬も様々なんだろうと。
何が違うのふと気になって調べてみたのですが…。
以下、自分用メモ。
■ 三環系(モノアミン再取り込み阻害薬)…効果は強力。副作用も多い(人による)
アモキサン・ノリトレン・トリプタノール・トフラニール・アナフラニール など
■ 四環系(三環系の改良型)…副作用が少なくなった分、即効性あるが効果は弱い。不眠に効く。
ルジオミール・テシプール・テトラミド など
■ SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)…セロトニンだけを選択して作用する。副作用少ない(人による)
デプロメール・ルボックス・パキシル・ジェイゾロフト・レクサプロ など
■ SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)…ノルアドレナリンも選択して作用。副作用少ない(人による)
トレドミン・サインバルタ など
■ NaSSA (ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬)…再取り込みを阻害するのではなく、分泌そのものを増やす。四環系の改良型のため、眠気が起きやすい。
リフレックス・レメロン など
※モノアミン:神経伝達物質の総称でセロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンなど
※ドーパミン:快楽を司り報酬系と言われる神経伝達物質。向上心やモチベーション、記憶や学習能力、運動機能に関与。ノルアドレナリンの前駆体。分泌が不足すると、物事への関心が薄れ、運動機能、学習機能、性機能が低下する可能性があり。
※ノルアドレナリン:物事への意欲の源、生存本能を司る。ストレスに反応して怒りや不安・恐怖などの感情を起こす。分泌が不足すると、気力や意欲の低下、物事への関心の低下など抑うつ状態になりやすい。
※セロトニン:精神を安定させる役割を担う。ノルアドレナリンやドーパミンの分泌をコントロールして暴走を抑制。咀嚼や呼吸、歩行といった反復する運動機能にも関与。
うつ病はモノアミンが減少して起きる症状なので、これを増やしてやればいい訳です。
私の飲んでいるのはレクサプロで、SSRI系の薬です。
SSRI系はセロトニンが分解されにくいようにする薬で(脳内で取り込まれ損なったセロトニンが再取り込みされて、吸収、分解されるのを防ぐ)、セロトニンの吸収・分解を抑えれば、セロトニンは長く脳内に留まることになり、結果として脳内のセロトニン量は多くなっていくという寸法です。
効果の強さと副作用の少なさのバランスに優れているとのことですが、私には目立った副作用はありませんでした。服用し始めた頃、やたらと眠くなった…といったくらいです。私にはたまたま合っていたのでしょう。
ただ、SSRI系の薬は、何事も億劫になってやる気の無くなる私の「だるだる病」には効かないので、(ドーパミン・ノルアドレナリン量のコントロールはできない)それを補うために主治医はエビリファイを処方したんだな…とか勝手に思っている私。
けれども最近思うのですが、抗うつ剤のおかげで「不安感、イライラ感、落ちこみ」などは軽減されたことは確かなのですが、何だか感情が全て「死んでしまった」気がするのです。
「不安感」については、目立った軽減はまだそんなには感じられませんが、以前ほどではありません。
けれども、「落ち込み」の来るスパンは長くなり、波が来て落ち込んでも浮上までの時間が短くなりました。
一番特筆すべきなのが、「イライラ感」の軽減です。
以前の私は、始終イライラしていて、常時不機嫌で何かに対して不満を持っていたようなところがありました。けれども、波が引いたようにその感情が軽減されてしまったのです。
もちろん日々、小さなイライラは発生します。けれども以前のような、目の前が赤くなるほど腹が立ち、つい言葉や行動に出してしまう…といったレベルのものはなくなりました。
(というか、喧騒などではイライラするより恐怖感が勝ってるだけかもですが)
抗うつ剤の「感情を安定させる」作用というのが何だか効きすぎているのか、うつだからまだそうなのか最近判らなくなってきました。
調子の良い時は本を読んだり、映画やドラマを観たり出来るのですが、何を観ても、何を聴いても全く心が動かないのです。試しに、昔観て大泣きした映画のBDを借りてきて観たのですが、まあ二度目ということもあるのですが、何とも白けた、興覚めした感覚で画面を追っていた私です。
心の中は、以前に比べて多少明るくなってきてはいるけれど、何をしても楽しめません。興味が湧かないのです。心が動きません。あの、波打つような感情の鼓動が戻って来ないのです。
フィギュアを観ても、以前のようには感動できません。バラエティを観ても笑えません。
「イライラする」「怒る」感情と一緒に、「感動する」「楽しい」などのポジティブな感情までがどこかへ行ってしまった気がするのです。
これは、果たして「快方」に向かっていると言っていいのか、最近疑問に思っています。
そう言えばもうずいぶん、声を上げて笑ってないな…。
本能のみで生きられるのが一番いいのかもしれない…

★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



サイトを巡っていても、皆さんそれぞれ様々な抗うつ剤を服用されてるんだなあ…と思います。
同じ「うつ病」といってもその症状は人によって違うので、処方される薬も様々なんだろうと。
何が違うのふと気になって調べてみたのですが…。
以下、自分用メモ。
■ 三環系(モノアミン再取り込み阻害薬)…効果は強力。副作用も多い(人による)
アモキサン・ノリトレン・トリプタノール・トフラニール・アナフラニール など
■ 四環系(三環系の改良型)…副作用が少なくなった分、即効性あるが効果は弱い。不眠に効く。
ルジオミール・テシプール・テトラミド など
■ SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)…セロトニンだけを選択して作用する。副作用少ない(人による)
デプロメール・ルボックス・パキシル・ジェイゾロフト・レクサプロ など
■ SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)…ノルアドレナリンも選択して作用。副作用少ない(人による)
トレドミン・サインバルタ など
■ NaSSA (ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬)…再取り込みを阻害するのではなく、分泌そのものを増やす。四環系の改良型のため、眠気が起きやすい。
リフレックス・レメロン など
※モノアミン:神経伝達物質の総称でセロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンなど
※ドーパミン:快楽を司り報酬系と言われる神経伝達物質。向上心やモチベーション、記憶や学習能力、運動機能に関与。ノルアドレナリンの前駆体。分泌が不足すると、物事への関心が薄れ、運動機能、学習機能、性機能が低下する可能性があり。
※ノルアドレナリン:物事への意欲の源、生存本能を司る。ストレスに反応して怒りや不安・恐怖などの感情を起こす。分泌が不足すると、気力や意欲の低下、物事への関心の低下など抑うつ状態になりやすい。
※セロトニン:精神を安定させる役割を担う。ノルアドレナリンやドーパミンの分泌をコントロールして暴走を抑制。咀嚼や呼吸、歩行といった反復する運動機能にも関与。
うつ病はモノアミンが減少して起きる症状なので、これを増やしてやればいい訳です。
私の飲んでいるのはレクサプロで、SSRI系の薬です。
SSRI系はセロトニンが分解されにくいようにする薬で(脳内で取り込まれ損なったセロトニンが再取り込みされて、吸収、分解されるのを防ぐ)、セロトニンの吸収・分解を抑えれば、セロトニンは長く脳内に留まることになり、結果として脳内のセロトニン量は多くなっていくという寸法です。
効果の強さと副作用の少なさのバランスに優れているとのことですが、私には目立った副作用はありませんでした。服用し始めた頃、やたらと眠くなった…といったくらいです。私にはたまたま合っていたのでしょう。
ただ、SSRI系の薬は、何事も億劫になってやる気の無くなる私の「だるだる病」には効かないので、(ドーパミン・ノルアドレナリン量のコントロールはできない)それを補うために主治医はエビリファイを処方したんだな…とか勝手に思っている私。
けれども最近思うのですが、抗うつ剤のおかげで「不安感、イライラ感、落ちこみ」などは軽減されたことは確かなのですが、何だか感情が全て「死んでしまった」気がするのです。
「不安感」については、目立った軽減はまだそんなには感じられませんが、以前ほどではありません。
けれども、「落ち込み」の来るスパンは長くなり、波が来て落ち込んでも浮上までの時間が短くなりました。
一番特筆すべきなのが、「イライラ感」の軽減です。
以前の私は、始終イライラしていて、常時不機嫌で何かに対して不満を持っていたようなところがありました。けれども、波が引いたようにその感情が軽減されてしまったのです。
もちろん日々、小さなイライラは発生します。けれども以前のような、目の前が赤くなるほど腹が立ち、つい言葉や行動に出してしまう…といったレベルのものはなくなりました。
(というか、喧騒などではイライラするより恐怖感が勝ってるだけかもですが)
抗うつ剤の「感情を安定させる」作用というのが何だか効きすぎているのか、うつだからまだそうなのか最近判らなくなってきました。
調子の良い時は本を読んだり、映画やドラマを観たり出来るのですが、何を観ても、何を聴いても全く心が動かないのです。試しに、昔観て大泣きした映画のBDを借りてきて観たのですが、まあ二度目ということもあるのですが、何とも白けた、興覚めした感覚で画面を追っていた私です。
心の中は、以前に比べて多少明るくなってきてはいるけれど、何をしても楽しめません。興味が湧かないのです。心が動きません。あの、波打つような感情の鼓動が戻って来ないのです。
フィギュアを観ても、以前のようには感動できません。バラエティを観ても笑えません。
「イライラする」「怒る」感情と一緒に、「感動する」「楽しい」などのポジティブな感情までがどこかへ行ってしまった気がするのです。
これは、果たして「快方」に向かっていると言っていいのか、最近疑問に思っています。
そう言えばもうずいぶん、声を上げて笑ってないな…。
本能のみで生きられるのが一番いいのかもしれない…

★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



完璧が度を越して救急車で運ばれた話
2016/02/21
エビリファイのお陰なのか、だいぶ動けるようになった私。
そうすると、今まで出来なかった色んな事が急に気になりだし、今度は「全てをきちんとやらなければ」という義務感に押し潰されそうになります。
溜まっていた洗濯物はもちろん、カレーの作り置きもしたいし、掃除もしたい。お風呂も洗ってない。
…とにかく、動けない間一番気になっていた汚い部屋が急に気になりだし、4時間もかけて大掃除しました(年末か)
それが済むと物凄い勢いであちこち切れている物を買い出しに出かけ、帰宅した頃はへとへとになっていました。
それでも休まず、今度は料理にとりかかり、気がつけばもう夕方でした。
仕事を辞めて家に居るようになってから実感しているのですが、「家事」って大変だなあ…。
私は家事もろくにできない「無職主婦」ですが、これを完璧にこなしている方には本当に頭が下がります。
うちは夫婦ふたりなので大した家事の量でもないのですが、それでも毎日毎日こなさなければならない事は沢山あります。
仕事をしながら子育てしている兼業主婦の方って、ほんとに今の私から言えば、「神の領域」です。
けれども自分も昔は、子供はいませんがずっと兼業主婦だった訳です。
その頃のことを思うと、私ではなく誰か別人のことを思い出しているような違和感を感じます。
もう、あんな生活は到底無理だと思っています。
結婚した当初、籍だけ先に入れてダンナと同居を始め、結婚式は後でした。
その頃も私は仕事をしていたのですが、なんと往復3時間かかるところまで通勤していたのです。
仕事内容はCADのオペレーターや、PCの入力などでそう多忙を極める職場ではなかったのですが、なんとも通勤が辛かったのを覚えています。
それでも私は例によって、早朝暗いうちに起き出し、ダンナの分と二人分お弁当を作り、職場で朝一番に出社していました。
そして仕事が終わると飛んで帰って、きちんとした夕飯を作るのです。
(当たり前のことなんですが、今の私からしたら奇跡です)
しかも、ハンバーグをいちからこねて作ったり、揚げ物を作ったり、本で見た美味しそうな料理に挑戦してみたりと毎日毎日それはまめに料理していました。
まあ、新婚なんでやる気満々な訳ですね(笑)
その他の家事も毎日予定を立てて完璧にこなし、部屋は毎日掃除を行き届かせて快適に仕上げ、残業などで時々予定がずれ込むと気になって仕方がありませんでした。
その頃だけのことではありませんが、今思うと、兼業主婦の頃は帰宅してからは時間との戦いでした。
いつも時計を見ていたような気がします。
そしてその合間に、結婚式の準備をするのです。
ダンナは昔から帰宅時間が遅くて、あまり家に居ず、結婚式の準備はほとんど一人でやりました。
招待客を決めるところから、席順、料理や引き出物選び、結婚のお祝いを頂いた方へのお返し、招待状の発送…披露宴にしても決めなくてはいけないことが山ほどあります。
双方の親からの問い合わせも頻繁にあります。
これを、長時間かけて通勤して仕事をし、帰宅してから家事を手を抜かずにこなし、それから夜中までかかって色々考え、眠る…。毎日がその繰り返しでした。
こんな訳で、心身ともに疲労困憊していたのだと思います。
ある日の夜中、信じられない胃の痛みで私は起こされました。
しばらくじっと我慢していたのですが、そのうち吐き気が止まらなくなり、トイレを往復すること数十回。
吐くものがなくなっても吐き気は治まらず、ついには悪寒と眩暈までして来ました。
これは尋常じゃないと何とかダンナを起こし、救急車を呼んでくれと頼んだのですが、ダンナはビビり、
「大丈夫だよ。もう少ししたら治まるよ。朝になったら病院行けばいいよ。」とかほざいてたような気がします。
しかしもう、私の意識はその頃朦朧としていて、これ以上吐いたら次は血へどを吐きそうな勢いでトイレに駆け込んでいました。
真夏のことだったので、咄嗟に「何か夕食で変なものでも食ったか?!」という考えが頭を過ったのですが、ダンナは何ともありません。
そうこうするうちに渋々とダンナが呼んでくれた救急車が到着し、私は病院へと運ばれました。
救急車の中で、受け入れてくれる病院がなかなかなく、隊員の人達が右往左往していたのが記憶にあります。
私はと言えば、その頃近所に「あそこに行くと殺される」という芳しくない噂のある病院があって、うわごとのように
「◯○病院だけはやめて~。あそこに行くと殺される~」
…としつこく言っていた気が。
隊員の人が、「あーハイハイ」と面倒臭げに答えていたそうです(笑)
こんな訳で私はそのまま数日入院し、あちこち検査をしたのですが、特に異常は見当たらず「急性胃腸炎」という診断に収まりました。(ダンナが着替えを持ってきてくれるまで、夏だったのでTシャツと短パンといういでたちで、病院内を検査のためにあちこち連れ回されて恥ずかしかったです)
今思うと、あれは過度なストレスによって、身体が悲鳴を上げた瞬間だったのでしょう。
昔から私は、この「何事も完璧に」やらないと気が済まない考え方の癖があります。
疲れているなら明日に回せばいい。
毎日やってることなんだから、たまにはのんびり休めばいい。
時には手を抜いて楽をする。
──そういったことが出来ないのです。
「やるなら徹底的に。完璧に。」
この考え方の癖はそれ以降も私を縛り付け、身体は今度は違う形で私に警告を発してきました。
それでも頑張ってしまい、今はこのていたらくです。
「休め」と言われても、何をしていいのか判らない私。
「休む」ことに罪悪感がある私。
良く考えると、時間に追われ、次々と手際よく自分の立てたスケジュールをこなして行く時の自分の方が、いちばん「自分らしい」気がするし、いちばん生き生きとしているような気がするのも事実なのです。
けれどもどうも身体の方は、それにはついて行けないようです。
うつになった今の状態でも、少し動けるようになるとこの「完璧癖」が、ひょこっとすぐに顔を出して来るのです。
「考え方の癖」を治すのは、私にとっては至難の業のようです。
ナチュラルローソンのグリーンスムージー。
最近ハマってる。わりと飲みやすくて美味しい。

★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



そうすると、今まで出来なかった色んな事が急に気になりだし、今度は「全てをきちんとやらなければ」という義務感に押し潰されそうになります。
溜まっていた洗濯物はもちろん、カレーの作り置きもしたいし、掃除もしたい。お風呂も洗ってない。
…とにかく、動けない間一番気になっていた汚い部屋が急に気になりだし、4時間もかけて大掃除しました(年末か)
それが済むと物凄い勢いであちこち切れている物を買い出しに出かけ、帰宅した頃はへとへとになっていました。
それでも休まず、今度は料理にとりかかり、気がつけばもう夕方でした。
仕事を辞めて家に居るようになってから実感しているのですが、「家事」って大変だなあ…。
私は家事もろくにできない「無職主婦」ですが、これを完璧にこなしている方には本当に頭が下がります。
うちは夫婦ふたりなので大した家事の量でもないのですが、それでも毎日毎日こなさなければならない事は沢山あります。
仕事をしながら子育てしている兼業主婦の方って、ほんとに今の私から言えば、「神の領域」です。
けれども自分も昔は、子供はいませんがずっと兼業主婦だった訳です。
その頃のことを思うと、私ではなく誰か別人のことを思い出しているような違和感を感じます。
もう、あんな生活は到底無理だと思っています。
結婚した当初、籍だけ先に入れてダンナと同居を始め、結婚式は後でした。
その頃も私は仕事をしていたのですが、なんと往復3時間かかるところまで通勤していたのです。
仕事内容はCADのオペレーターや、PCの入力などでそう多忙を極める職場ではなかったのですが、なんとも通勤が辛かったのを覚えています。
それでも私は例によって、早朝暗いうちに起き出し、ダンナの分と二人分お弁当を作り、職場で朝一番に出社していました。
そして仕事が終わると飛んで帰って、きちんとした夕飯を作るのです。
(当たり前のことなんですが、今の私からしたら奇跡です)
しかも、ハンバーグをいちからこねて作ったり、揚げ物を作ったり、本で見た美味しそうな料理に挑戦してみたりと毎日毎日それはまめに料理していました。
まあ、新婚なんでやる気満々な訳ですね(笑)
その他の家事も毎日予定を立てて完璧にこなし、部屋は毎日掃除を行き届かせて快適に仕上げ、残業などで時々予定がずれ込むと気になって仕方がありませんでした。
その頃だけのことではありませんが、今思うと、兼業主婦の頃は帰宅してからは時間との戦いでした。
いつも時計を見ていたような気がします。
そしてその合間に、結婚式の準備をするのです。
ダンナは昔から帰宅時間が遅くて、あまり家に居ず、結婚式の準備はほとんど一人でやりました。
招待客を決めるところから、席順、料理や引き出物選び、結婚のお祝いを頂いた方へのお返し、招待状の発送…披露宴にしても決めなくてはいけないことが山ほどあります。
双方の親からの問い合わせも頻繁にあります。
これを、長時間かけて通勤して仕事をし、帰宅してから家事を手を抜かずにこなし、それから夜中までかかって色々考え、眠る…。毎日がその繰り返しでした。
こんな訳で、心身ともに疲労困憊していたのだと思います。
ある日の夜中、信じられない胃の痛みで私は起こされました。
しばらくじっと我慢していたのですが、そのうち吐き気が止まらなくなり、トイレを往復すること数十回。
吐くものがなくなっても吐き気は治まらず、ついには悪寒と眩暈までして来ました。
これは尋常じゃないと何とかダンナを起こし、救急車を呼んでくれと頼んだのですが、ダンナはビビり、
「大丈夫だよ。もう少ししたら治まるよ。朝になったら病院行けばいいよ。」とかほざいてたような気がします。
しかしもう、私の意識はその頃朦朧としていて、これ以上吐いたら次は血へどを吐きそうな勢いでトイレに駆け込んでいました。
真夏のことだったので、咄嗟に「何か夕食で変なものでも食ったか?!」という考えが頭を過ったのですが、ダンナは何ともありません。
そうこうするうちに渋々とダンナが呼んでくれた救急車が到着し、私は病院へと運ばれました。
救急車の中で、受け入れてくれる病院がなかなかなく、隊員の人達が右往左往していたのが記憶にあります。
私はと言えば、その頃近所に「あそこに行くと殺される」という芳しくない噂のある病院があって、うわごとのように
「◯○病院だけはやめて~。あそこに行くと殺される~」
…としつこく言っていた気が。
隊員の人が、「あーハイハイ」と面倒臭げに答えていたそうです(笑)
こんな訳で私はそのまま数日入院し、あちこち検査をしたのですが、特に異常は見当たらず「急性胃腸炎」という診断に収まりました。(ダンナが着替えを持ってきてくれるまで、夏だったのでTシャツと短パンといういでたちで、病院内を検査のためにあちこち連れ回されて恥ずかしかったです)
今思うと、あれは過度なストレスによって、身体が悲鳴を上げた瞬間だったのでしょう。
昔から私は、この「何事も完璧に」やらないと気が済まない考え方の癖があります。
疲れているなら明日に回せばいい。
毎日やってることなんだから、たまにはのんびり休めばいい。
時には手を抜いて楽をする。
──そういったことが出来ないのです。
「やるなら徹底的に。完璧に。」
この考え方の癖はそれ以降も私を縛り付け、身体は今度は違う形で私に警告を発してきました。
それでも頑張ってしまい、今はこのていたらくです。
「休め」と言われても、何をしていいのか判らない私。
「休む」ことに罪悪感がある私。
良く考えると、時間に追われ、次々と手際よく自分の立てたスケジュールをこなして行く時の自分の方が、いちばん「自分らしい」気がするし、いちばん生き生きとしているような気がするのも事実なのです。
けれどもどうも身体の方は、それにはついて行けないようです。
うつになった今の状態でも、少し動けるようになるとこの「完璧癖」が、ひょこっとすぐに顔を出して来るのです。
「考え方の癖」を治すのは、私にとっては至難の業のようです。
ナチュラルローソンのグリーンスムージー。
最近ハマってる。わりと飲みやすくて美味しい。

★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



お気に入りの場所でガンガン飲む
2016/02/19
東京は春みたいな陽気が続いてますね。
急にこうなると着るものに困ります…っていうのは仕事をしてた時の話。
今は殆ど引きこもり状態で、化粧もしなければ髪も束ねたまんまなんで、どうでもいい感じです。
誰に見られる訳じゃなし、買い物も近くのスーパーのみだし。
美容院とか病院とか行くときは、一生懸命考えて着るものを一応選んでますが(これがまた決められない)、もう最後はどうでもいいや…という感じで、いつものコーディネートに収まる私。
さて、エビリファイが3ミリから6ミリに増薬となった訳ですが、最初はだるくてだるくて仕方がありませんでした。
以前も一度同じように増薬して、やはり輪をかけて何もする気がなくなり、元に戻された経緯があるので、「増やしましょう」と主治医に再び言われた時、一瞬戸惑いがあったのですが従ってみました。
やはり今回も倦怠感が一時酷くなり、何もする気が全くなくなってしまったのですが、それを脱したら何だか調子が良くなってきています。
上階からの物音にびくつくのは治らず、耳栓もしたままですが、ちょっとは動けるようになりました。
中途覚醒、早朝覚醒もなくなり、なかなか寝付かれない日も時折あったのがなくなりました。
今度は「当たり」だったみたいです。
やはり、以前増薬した時とは、今はもう病状が違うのでしょう。
少しずつ、上がってきているといいのですが…。
元々エビリファイは、うつ病では単体で使われることはなく、「抗うつ剤」の補助的な役割をする薬なので、抗うつ剤のレクサプロを手伝って、うまく効くようにしてくれているのだと思います。
エビリファイ単体でも、ドーパミンの調整(多い時には減らし、少ない時には増やす)や、セロトニンを増やしてくれる作用もあるようですが…。
そんな訳で、やっと洗濯ものを片付け、銀行にも出かけて行き、掃除もざっとですが済ませることが出来て、専業主婦としては当たり前のことなんですけれども、その「当たり前」のことが出来る喜びといったらありません。
これは本当に、経験した人間にしか判らないことだと思います。
家事もひと段落して、私は「お気に入りの場所」に、ブラックコーヒーを持って出ていきました。
私がこの家で、唯一本当に寛げる場所です。
それは自室でもなく、リビングでもなく、…ベランダだという悲しさ!(屋外だよ。笑)
ここでは上からの音にびくつくこともありません。(聞こえる時もありますが)
耳栓をしているので、外の騒音も海の底にいるようにぼわーんと響くのみです。
角部屋(これは譲れない条件だった)なので、ぐるりとベランダがあり、その隅っこに物置があります。
その前に小さなベンチを置いたここが、私の唯一の「安らぎの場所」なのです。

元々、家の中ではタバコ禁止なので作った「喫煙所」だったのですが、ダンナは面倒くさくて換気扇の下で喫うようになり、私だけがここに来てのんびりするようになりました。
スマホと灰皿とタバコとライターと、飲み物(夜は懐中電灯も)を専用のバスケットに入れていそいそと出ていく私を見て、ダンナは「そこまでするか~」と引き気味ですが。
幸い、周りのマンションとは隣接していないので、階段がすぐ傍にあることを除けば、絶好の場所です。
座ると、空しか見えません。近くにある川の匂いも風に乗ってやってきて、本当に気持ちのいい場所なのです。
一度、テーブルを置いてノートを持ちだし、ここでネットをやろうかと思ったのですが、それだと一日中ここにいそうなので流石にそれは止めておきました(笑)
友人たちとメールやLINEをするのも主にここです。
ここは私の第二の自室のようになっています。
朝は、近所の高校へ登校して行く生徒の微かな嬌声を聞きつつ、風に吹かれてのんびりとし、昼は日向ぼっこしてぼんやりしたり、そして夕方からは徐々に表情を変えていく空の色と、舞い出すこうもりを眺めながら、ひたすらがんがん飲んでいます。
飲んでるのは、今でこそノンアルコールの「オールフリー」ですが、アルコール依存だった時は、風呂上りに気持ちのいい風に身をさらしながら、ひたすらがんがんアルコール飲んでました。
やはりお酒は、野外で飲むのが一番美味しいというのが私の持論です。
皆でワイワイ飲むお酒も好きでしたが、それよりも一人でまったり飲むのが好きだった私です。
けれども家の中の淀んだ空気の中で飲んでいると、かえって冴え冴えとしてしまってちっとも酔えないので、ここで外気を吸いながら、そして空を眺め、ゆっくりと酔っぱらってくるあの溶けるような幸福感が好きでした。
ダンナがよく、「また『居酒屋』行っちゃうの?」とか言ってましたが、その頃のここは、本当に私にとって『ひとり居酒屋』のようなものでした。
今ではお酒がノンアルコール飲料に変わっただけで、この習慣だけが残った訳です。
(でも厳密にいうと、これでは「アルコール依存症」の完治にはなってないそうですが…。)
嬉しい時も、会社で嫌なことがあって落ち込んでいる時も、上階からの騒音が怖い時も、いつでもここに来て、ただひたすら飲んでました。
アルコール依存というのは恐ろしいもので、「飲まないと自分でいられない」気がするのです。
落ち込んでいる時、怒っている時、嬉しい時、いつでも私はお酒と共に生きてきました。
それぞれの時によって味は違うのですが、あのまったりとしたほろ酔い感(私は滅多に泥酔しないのです)を味わう一瞬のために、毎日を生きていたようなところがあります。
お酒が好きだったのか、飲んで自分が誘われる、あの心地よい感覚が好きだったのか、断酒した今となっては判りませんが。
そして私の脳が疲弊して、上手く働かなくなってからは、ここは全てのものから「逃げ込む場所」になりました。
嫌なこと、傷ついた思いを忘れるため、アルコールをここで飲むのですが、アルコールはかえってその辛い気持ちを時に増幅させ、何度も反芻させ、ますます私は暗い海の中へと潜り込むような飲み方をするようになりました。
酔った状態で、じっとベランダから下を覗き込んだり、何度していたか判りません。
きっと一番「死」が近い瞬間でした。
あの頃の私は、間違いなくボーダーラインギリギリのところにいたんだなあ…と、今日もここにいて回顧する私なのです。
★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



急にこうなると着るものに困ります…っていうのは仕事をしてた時の話。
今は殆ど引きこもり状態で、化粧もしなければ髪も束ねたまんまなんで、どうでもいい感じです。
誰に見られる訳じゃなし、買い物も近くのスーパーのみだし。
美容院とか病院とか行くときは、一生懸命考えて着るものを一応選んでますが(これがまた決められない)、もう最後はどうでもいいや…という感じで、いつものコーディネートに収まる私。
さて、エビリファイが3ミリから6ミリに増薬となった訳ですが、最初はだるくてだるくて仕方がありませんでした。
以前も一度同じように増薬して、やはり輪をかけて何もする気がなくなり、元に戻された経緯があるので、「増やしましょう」と主治医に再び言われた時、一瞬戸惑いがあったのですが従ってみました。
やはり今回も倦怠感が一時酷くなり、何もする気が全くなくなってしまったのですが、それを脱したら何だか調子が良くなってきています。
上階からの物音にびくつくのは治らず、耳栓もしたままですが、ちょっとは動けるようになりました。
中途覚醒、早朝覚醒もなくなり、なかなか寝付かれない日も時折あったのがなくなりました。
今度は「当たり」だったみたいです。
やはり、以前増薬した時とは、今はもう病状が違うのでしょう。
少しずつ、上がってきているといいのですが…。
元々エビリファイは、うつ病では単体で使われることはなく、「抗うつ剤」の補助的な役割をする薬なので、抗うつ剤のレクサプロを手伝って、うまく効くようにしてくれているのだと思います。
エビリファイ単体でも、ドーパミンの調整(多い時には減らし、少ない時には増やす)や、セロトニンを増やしてくれる作用もあるようですが…。
そんな訳で、やっと洗濯ものを片付け、銀行にも出かけて行き、掃除もざっとですが済ませることが出来て、専業主婦としては当たり前のことなんですけれども、その「当たり前」のことが出来る喜びといったらありません。
これは本当に、経験した人間にしか判らないことだと思います。
家事もひと段落して、私は「お気に入りの場所」に、ブラックコーヒーを持って出ていきました。
私がこの家で、唯一本当に寛げる場所です。
それは自室でもなく、リビングでもなく、…ベランダだという悲しさ!(屋外だよ。笑)
ここでは上からの音にびくつくこともありません。(聞こえる時もありますが)
耳栓をしているので、外の騒音も海の底にいるようにぼわーんと響くのみです。
角部屋(これは譲れない条件だった)なので、ぐるりとベランダがあり、その隅っこに物置があります。
その前に小さなベンチを置いたここが、私の唯一の「安らぎの場所」なのです。

元々、家の中ではタバコ禁止なので作った「喫煙所」だったのですが、ダンナは面倒くさくて換気扇の下で喫うようになり、私だけがここに来てのんびりするようになりました。
スマホと灰皿とタバコとライターと、飲み物(夜は懐中電灯も)を専用のバスケットに入れていそいそと出ていく私を見て、ダンナは「そこまでするか~」と引き気味ですが。
幸い、周りのマンションとは隣接していないので、階段がすぐ傍にあることを除けば、絶好の場所です。
座ると、空しか見えません。近くにある川の匂いも風に乗ってやってきて、本当に気持ちのいい場所なのです。
一度、テーブルを置いてノートを持ちだし、ここでネットをやろうかと思ったのですが、それだと一日中ここにいそうなので流石にそれは止めておきました(笑)
友人たちとメールやLINEをするのも主にここです。
ここは私の第二の自室のようになっています。
朝は、近所の高校へ登校して行く生徒の微かな嬌声を聞きつつ、風に吹かれてのんびりとし、昼は日向ぼっこしてぼんやりしたり、そして夕方からは徐々に表情を変えていく空の色と、舞い出すこうもりを眺めながら、ひたすらがんがん飲んでいます。
飲んでるのは、今でこそノンアルコールの「オールフリー」ですが、アルコール依存だった時は、風呂上りに気持ちのいい風に身をさらしながら、ひたすらがんがんアルコール飲んでました。
やはりお酒は、野外で飲むのが一番美味しいというのが私の持論です。
皆でワイワイ飲むお酒も好きでしたが、それよりも一人でまったり飲むのが好きだった私です。
けれども家の中の淀んだ空気の中で飲んでいると、かえって冴え冴えとしてしまってちっとも酔えないので、ここで外気を吸いながら、そして空を眺め、ゆっくりと酔っぱらってくるあの溶けるような幸福感が好きでした。
ダンナがよく、「また『居酒屋』行っちゃうの?」とか言ってましたが、その頃のここは、本当に私にとって『ひとり居酒屋』のようなものでした。
今ではお酒がノンアルコール飲料に変わっただけで、この習慣だけが残った訳です。
(でも厳密にいうと、これでは「アルコール依存症」の完治にはなってないそうですが…。)
嬉しい時も、会社で嫌なことがあって落ち込んでいる時も、上階からの騒音が怖い時も、いつでもここに来て、ただひたすら飲んでました。
アルコール依存というのは恐ろしいもので、「飲まないと自分でいられない」気がするのです。
落ち込んでいる時、怒っている時、嬉しい時、いつでも私はお酒と共に生きてきました。
それぞれの時によって味は違うのですが、あのまったりとしたほろ酔い感(私は滅多に泥酔しないのです)を味わう一瞬のために、毎日を生きていたようなところがあります。
お酒が好きだったのか、飲んで自分が誘われる、あの心地よい感覚が好きだったのか、断酒した今となっては判りませんが。
そして私の脳が疲弊して、上手く働かなくなってからは、ここは全てのものから「逃げ込む場所」になりました。
嫌なこと、傷ついた思いを忘れるため、アルコールをここで飲むのですが、アルコールはかえってその辛い気持ちを時に増幅させ、何度も反芻させ、ますます私は暗い海の中へと潜り込むような飲み方をするようになりました。
酔った状態で、じっとベランダから下を覗き込んだり、何度していたか判りません。
きっと一番「死」が近い瞬間でした。
あの頃の私は、間違いなくボーダーラインギリギリのところにいたんだなあ…と、今日もここにいて回顧する私なのです。
★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



どうしたらいいの?…「音」のはなし
2016/02/16
(今回の記事は、読んでご不快に思われる方がいらっしゃるかもしれません。ご容赦下さい)
旅行からこっち、ただでさえ調子が悪いのに、ここ2、3日上階からの騒音が凄く、まるで毎日が拷問のようです。
家に居て久々にパニック状態になり、数日間デパスをODしました。
何だか頭がふわ~っとしております。
私は「音」に異常に敏感で、聴覚過敏の人が普通苦手とする水の音やテレビの大きな音などは全く平気なのですが、街中の喧騒…子供の嬌声や人の大きな話し声などがダメでびくついてしまいます。
マンションに住んでいるのですが、特に苦手なのが、家に居る時にする上階からの騒音です。
(私が聴覚過敏になった経緯はコチラを読んで下さると幸いです)
上階には幸いな(?)ことに今現在、子供はいないようです。(住人が変わらない限りは)
老夫婦ふたり(引っ越して来た時に敵情視察(笑)で挨拶に行って確かめた)で住んでいるようで、普段は静かなのですが、時々狂ったように騒がしい数日があります。
コトン…という何かを床に落とす音に始まり、ドスン、ドッシーンと足元に振動まで来るような物凄い物音のする時もあるし、コンコンコン…と何かを打ち付けるような音が一日中響いてくることもあります。(DIYでもやっているのでは…と思われる…。)
うちは最上階の一つ下の階なのですが、結構最上階に住んでいる人は自分のところは上からの騒音が無いため、自分の出す音に対してあまり意識していない人が多いケースがあるそうです。
毎回決まっているのは、音がしだすと数日間続く…ということで、その間階下の私はただただ恐怖に打ち震え、ノイローゼ状態になって苦しめられ続けます。
対策として、もう身体の一部のようになってしまっている耳栓と、その上からヘッドフォンをして音楽を聴いたりしていますが(音を音で殺す対処法)通常のヘッドフォンだと動き回るのに不自由なため、ワイヤレスのものまで購入しました。

それでも、酷い振動音は防げません。
これでもダメなのかと絶望的になり、死にたくなります。
この「音」に対する不安が始まりパニック状態に陥ると、「次の音がいつ来るのか」と始終身構えてしまっていて、何も手につかずに緊張したままの状態でいなければならないので心身ともにぐったりとしてしまいます。
主治医に、「その音は幻聴でないのか」と訊かれ、一瞬不安になった私ですが、引っ越した当初(この頃が一番酷かった)ダンナも「うるさい」と言っていたのでそれは無いと思います。
「薬もずっと飲んでるし、やらなきゃいけないことはやってるんだけどねえ…」と主治医も困惑気味で、「管理人さんに言って貼り紙してもらうとかできないの?」と言われました。
「それか、引っ越すか。そこを売って、上に住人がいないところに住み替えるのはどうかな。見積もりだけでも出してもらってみたら?」
けれども、ダンナはここを気に入っていますし、私の独断だけでそんなことは出来ません。
どう説明しても、何故引っ越したいのか理解してもらえる自信もありません。
となると、どうしても嫌なら 離婚して私が出ていく他、ありません。
それより何よりまず、住み替えることなど、今の困窮した経済状態では全くの不可能です。
マンションのローンだってまだまだ始まったばかりです。
やんわりと管理人さんを通して注意してもらうことも考えましたが…。
もしそれが原因で上階の人と折り合いが悪くなって逆恨み(この話はよく聞きます。注意してもらった途端、ますます騒音が酷くなると言う…)でもされたら、こっちがますます参るだけです。
被害者、加害者を特定しない注意喚起の貼り紙は、さして効果もないでしょう。
──それに、自分でも判っているのです。
この「音」はきっと、「健常者なら我慢できる範疇の音である」ということを。
ネットで色々検索してみたのですが、世の中にはもっと酷い状況の騒音を受けて(私なら間違いなくベランダから身を踊らせているレベルの騒音)その中、神経をすり減らして生活している人もいるようです。
天井の電気が揺れるくらいの子供たちの大運動会が日に何度もあり、すっかり神経症になってしまった人の話など…例を挙げると枚挙にいとまがありません。
特に子供のたてる音というものは、「ある程度は子供なんだから仕方がない」「お互いさま。自分も昔はそうだったでしょう」…などという不文律が世の中にはあるので、苦しめられている側の人間が引っ越すなり、身体を壊すなりして泣き寝入りするケースが殆どです。
私の場合、今のところ子供のたてる騒音ではありませんが、住人が変わって小さい子供のいる家族なんかが引越して来たらと思うと、考えるだけで恐ろしいです。
正気を保っていられる自信がありません。
うちのマンションで売却して引っ越していく世帯があると、空いた分の駐車場の抽選があるのですが、その通知が来るたびに、もしかして上の住人が引っ越すのでは…それでリフォームとかが始まって、挙句の果てに子供の居る世帯が引っ越して来るのでは…などと不意に夜も眠れないほど不安になり、わざわざ上階の玄関先に引越しの段ボールなんかが積まれていないか確認しに行ったことがありました。(バカです)
現在、上の住人の発する騒音に悩まされているのに、住人が変わるのも嫌だと言う…まるで矛盾しているのですが、「子供がドタバタしないだけまし」と自分に言い聞かせても、苦手なものはどうしようもありません。
集合住宅では騒音はつきもので、以前お世話になった不動産会社の人に、「まあ、古い造りのものよりは新しいものの方が防音はしっかりしてますけどね…。でも、いくら設備が新しくてしっかりしていても、全く騒音のないマンションはありません。」と、言い切られました。
上階からの騒音が嫌なら、大金をつぎ込んで新築の最上階を買うしか手立てはないのです。
中古のマンションがやっとの私達には到底無理な話でした。
なら、戸建てが良かったのかというと、これもそうではなく…。
私の友人がやはり「騒音」で悩まされているひとりなのですが、郊外の戸建てに住んでいます。
家の前の道路が子供の遊び場のようになってしまっていて、車にボールがぶつけられたり、塀を昇ってきたりと、やりたい放題されて、悩んでいます。
「近所付き合いもあるから簡単には苦情言えないし、子供たちが大きくなるまでの我慢って言われてもねえ…何年我慢すればいいんだよって。」
まさに「家を買う」のは「運」なのです。
建物や設備などは自分の好きなように快適に出来ても、周囲の住民などの環境は選ぶことは出来ません。
つまり、どこに住んでもきっと私のような人間はうまく適合できないのです。
「音」をやり過ごすことが出来ないのです。
どんな人でも「騒音」を感じて不快になることはあると思いますが、私のように異常に敏感に反応し、辛さのあまり死を考えるまでになってしまうともう、毎日は地獄以外のなにものでもありません。
今思うと、ここを買う時にはもう聴覚過敏で苦しんでいたのだから、もっときちんとダンナに対して自己主張して「嫌だ」と言えば良かったのです。
「自分は、上からの騒音にはきっと耐えられない」 と。
けれども内覧して一目で気に入り、いつもは自分から色々動こうとしない彼が、珍しく自分からあれこれと手続きを進めていくのを目の当たりにして何も言うことが出来ませんでした。
今までは軽量鉄骨造の、最上階でも下からの騒音が聞こえたようなアパートだったけど、今度は鉄筋コンクリート造のマンションなんだから、騒音も違うかもしれない…などと僅かに期待をして引越ししてしまったのです。
つくづく甘い了見でした。
全ては私の自業自得なのです。
そんな時に友人がメールで、「認知行動療法」のことを教えてくれました。
自分の「考え方」を徐々に訓練によって変えていく方法です。
私も何度も目にして記事を読んだりしていたのですが、自分には無理だと思って深く追究していませんでした。
『パニック障害の患者は「ものごとを重大に、そして悪い方向に感じとる傾向が強い」という説も提唱されていますが、このことをもう少し詳しく分析すると、次のようなことがあげられます。
① 十分な根拠がないのにもかかわらず、断定してしまう
② 「オール・オア・ナッシング」的思考である
③ ものごとの悪い面だけをみてしまう
④ すべて自分の責任と感じてしまう
⑤ ものごとを自分の感情を基準にして判断する
認知療法は、このようなパニック障害の原因と考えられているかたよった思考パターンを正していく治療法です』
(一部抜粋)
「認知行動療法」について、主治医とも相談して少し勉強してみようと思います。
聴覚過敏を克服できない限り、病状は悪化するばかりです。
何があっても動じない(先日の地震でも無反応だった)
牧草をただただ貪り食うもも

★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



旅行からこっち、ただでさえ調子が悪いのに、ここ2、3日上階からの騒音が凄く、まるで毎日が拷問のようです。
家に居て久々にパニック状態になり、数日間デパスをODしました。
何だか頭がふわ~っとしております。
私は「音」に異常に敏感で、聴覚過敏の人が普通苦手とする水の音やテレビの大きな音などは全く平気なのですが、街中の喧騒…子供の嬌声や人の大きな話し声などがダメでびくついてしまいます。
マンションに住んでいるのですが、特に苦手なのが、家に居る時にする上階からの騒音です。
(私が聴覚過敏になった経緯はコチラを読んで下さると幸いです)
上階には幸いな(?)ことに今現在、子供はいないようです。(住人が変わらない限りは)
老夫婦ふたり(引っ越して来た時に敵情視察(笑)で挨拶に行って確かめた)で住んでいるようで、普段は静かなのですが、時々狂ったように騒がしい数日があります。
コトン…という何かを床に落とす音に始まり、ドスン、ドッシーンと足元に振動まで来るような物凄い物音のする時もあるし、コンコンコン…と何かを打ち付けるような音が一日中響いてくることもあります。(DIYでもやっているのでは…と思われる…。)
うちは最上階の一つ下の階なのですが、結構最上階に住んでいる人は自分のところは上からの騒音が無いため、自分の出す音に対してあまり意識していない人が多いケースがあるそうです。
毎回決まっているのは、音がしだすと数日間続く…ということで、その間階下の私はただただ恐怖に打ち震え、ノイローゼ状態になって苦しめられ続けます。
対策として、もう身体の一部のようになってしまっている耳栓と、その上からヘッドフォンをして音楽を聴いたりしていますが(音を音で殺す対処法)通常のヘッドフォンだと動き回るのに不自由なため、ワイヤレスのものまで購入しました。

それでも、酷い振動音は防げません。
これでもダメなのかと絶望的になり、死にたくなります。
この「音」に対する不安が始まりパニック状態に陥ると、「次の音がいつ来るのか」と始終身構えてしまっていて、何も手につかずに緊張したままの状態でいなければならないので心身ともにぐったりとしてしまいます。
主治医に、「その音は幻聴でないのか」と訊かれ、一瞬不安になった私ですが、引っ越した当初(この頃が一番酷かった)ダンナも「うるさい」と言っていたのでそれは無いと思います。
「薬もずっと飲んでるし、やらなきゃいけないことはやってるんだけどねえ…」と主治医も困惑気味で、「管理人さんに言って貼り紙してもらうとかできないの?」と言われました。
「それか、引っ越すか。そこを売って、上に住人がいないところに住み替えるのはどうかな。見積もりだけでも出してもらってみたら?」
けれども、ダンナはここを気に入っていますし、私の独断だけでそんなことは出来ません。
どう説明しても、何故引っ越したいのか理解してもらえる自信もありません。
となると、どうしても嫌なら 離婚して私が出ていく他、ありません。
それより何よりまず、住み替えることなど、今の困窮した経済状態では全くの不可能です。
マンションのローンだってまだまだ始まったばかりです。
やんわりと管理人さんを通して注意してもらうことも考えましたが…。
もしそれが原因で上階の人と折り合いが悪くなって逆恨み(この話はよく聞きます。注意してもらった途端、ますます騒音が酷くなると言う…)でもされたら、こっちがますます参るだけです。
被害者、加害者を特定しない注意喚起の貼り紙は、さして効果もないでしょう。
──それに、自分でも判っているのです。
この「音」はきっと、「健常者なら我慢できる範疇の音である」ということを。
ネットで色々検索してみたのですが、世の中にはもっと酷い状況の騒音を受けて(私なら間違いなくベランダから身を踊らせているレベルの騒音)その中、神経をすり減らして生活している人もいるようです。
天井の電気が揺れるくらいの子供たちの大運動会が日に何度もあり、すっかり神経症になってしまった人の話など…例を挙げると枚挙にいとまがありません。
特に子供のたてる音というものは、「ある程度は子供なんだから仕方がない」「お互いさま。自分も昔はそうだったでしょう」…などという不文律が世の中にはあるので、苦しめられている側の人間が引っ越すなり、身体を壊すなりして泣き寝入りするケースが殆どです。
私の場合、今のところ子供のたてる騒音ではありませんが、住人が変わって小さい子供のいる家族なんかが引越して来たらと思うと、考えるだけで恐ろしいです。
正気を保っていられる自信がありません。
うちのマンションで売却して引っ越していく世帯があると、空いた分の駐車場の抽選があるのですが、その通知が来るたびに、もしかして上の住人が引っ越すのでは…それでリフォームとかが始まって、挙句の果てに子供の居る世帯が引っ越して来るのでは…などと不意に夜も眠れないほど不安になり、わざわざ上階の玄関先に引越しの段ボールなんかが積まれていないか確認しに行ったことがありました。(バカです)
現在、上の住人の発する騒音に悩まされているのに、住人が変わるのも嫌だと言う…まるで矛盾しているのですが、「子供がドタバタしないだけまし」と自分に言い聞かせても、苦手なものはどうしようもありません。
集合住宅では騒音はつきもので、以前お世話になった不動産会社の人に、「まあ、古い造りのものよりは新しいものの方が防音はしっかりしてますけどね…。でも、いくら設備が新しくてしっかりしていても、全く騒音のないマンションはありません。」と、言い切られました。
上階からの騒音が嫌なら、大金をつぎ込んで新築の最上階を買うしか手立てはないのです。
中古のマンションがやっとの私達には到底無理な話でした。
なら、戸建てが良かったのかというと、これもそうではなく…。
私の友人がやはり「騒音」で悩まされているひとりなのですが、郊外の戸建てに住んでいます。
家の前の道路が子供の遊び場のようになってしまっていて、車にボールがぶつけられたり、塀を昇ってきたりと、やりたい放題されて、悩んでいます。
「近所付き合いもあるから簡単には苦情言えないし、子供たちが大きくなるまでの我慢って言われてもねえ…何年我慢すればいいんだよって。」
まさに「家を買う」のは「運」なのです。
建物や設備などは自分の好きなように快適に出来ても、周囲の住民などの環境は選ぶことは出来ません。
つまり、どこに住んでもきっと私のような人間はうまく適合できないのです。
「音」をやり過ごすことが出来ないのです。
どんな人でも「騒音」を感じて不快になることはあると思いますが、私のように異常に敏感に反応し、辛さのあまり死を考えるまでになってしまうともう、毎日は地獄以外のなにものでもありません。
今思うと、ここを買う時にはもう聴覚過敏で苦しんでいたのだから、もっときちんとダンナに対して自己主張して「嫌だ」と言えば良かったのです。
「自分は、上からの騒音にはきっと耐えられない」 と。
けれども内覧して一目で気に入り、いつもは自分から色々動こうとしない彼が、珍しく自分からあれこれと手続きを進めていくのを目の当たりにして何も言うことが出来ませんでした。
今までは軽量鉄骨造の、最上階でも下からの騒音が聞こえたようなアパートだったけど、今度は鉄筋コンクリート造のマンションなんだから、騒音も違うかもしれない…などと僅かに期待をして引越ししてしまったのです。
つくづく甘い了見でした。
全ては私の自業自得なのです。
そんな時に友人がメールで、「認知行動療法」のことを教えてくれました。
自分の「考え方」を徐々に訓練によって変えていく方法です。
私も何度も目にして記事を読んだりしていたのですが、自分には無理だと思って深く追究していませんでした。
『パニック障害の患者は「ものごとを重大に、そして悪い方向に感じとる傾向が強い」という説も提唱されていますが、このことをもう少し詳しく分析すると、次のようなことがあげられます。
① 十分な根拠がないのにもかかわらず、断定してしまう
② 「オール・オア・ナッシング」的思考である
③ ものごとの悪い面だけをみてしまう
④ すべて自分の責任と感じてしまう
⑤ ものごとを自分の感情を基準にして判断する
認知療法は、このようなパニック障害の原因と考えられているかたよった思考パターンを正していく治療法です』
(一部抜粋)
「認知行動療法」について、主治医とも相談して少し勉強してみようと思います。
聴覚過敏を克服できない限り、病状は悪化するばかりです。
何があっても動じない(先日の地震でも無反応だった)
牧草をただただ貪り食うもも

★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



電池が切れたみたいに動けない…
2016/02/14
旅行から帰ってきて2、3日は調子が良く動けたのですが、反動が来たのか、だるくて仕方がありません。
電池が切れたように動けなくなりました。
今回はネガティブの波には捕まっていないのですが「だるだる病」と「聴覚過敏」が酷い…という状態です。
こうしてブログを更新できるのですから、まだ「どん底」ではないと思います。
特に午前中が駄目です。あまりに酷いのでここ数日はダンナのお弁当作りも免除させてもらっています。
朝のちいももの世話さえも億劫で、休み休みやっつけています。
お昼を回り、夕方になるとだんだんと動けるようになるのですが、料理などとんでもなく、近くのコンビニに夕食を買いに行って終わりです。
まるで春が来たかのような穏やかな天気が続いているというのに、掃除もせず、リビングはちいの羽とももの毛だらけ。
洗濯もまたもや溜まり放題。
食事はずっと手抜き状態…(ダンナ、ほんとにすみません)。
ちいももが旅行から帰ってから物凄く「遊んで遊んで」攻撃をしてくるので、構ってやる時間も増やしてあげなければなりません。甥っ子が無事に高校入試に合格したので、そのお祝いも買いに行かなければなりません。
やらなきゃいけないことは山のようにあるのに…意に反してベッドに横になってばかりいます。
こんなことではネガティブの波に捕まると思い、何かしなければと不意に身を起こして焦る私。
無理に(主治医に怒られそうですが)家事をやろうとするのですが、途中で嫌になって放り出し、またもダラダラと自室に戻ってベッドで過ごす始末。
録画したものが溜まっているので観ようとするのですが、最初の30分で集中力が続かずこれもリタイア。
一番億劫なのが入浴で、もう二日も髪洗ってません(汚…)
聴覚過敏の方は、旅行に行く少し前から悪化していたので、エビリファイを3ミリから6ミリに増やされたのですが、そのせいもあるのでしょうか。
それでも旅行ではあんなに精力的に動けたんだけどなあ…。
とにかく今は、全てのことが億劫でたまりません。
現在の自分は、職場などで嫌な思いをしている訳ではありません。
家事もろくにせず、無職主婦のくせにダンナのお陰で食べさせてもらって、生活は困窮していますが何とか暮らして行けています。
もっと過酷な状況で日々暮らされている方々からしたら、「なんて甘い」「贅沢な」とお叱りを受けそうですけれども、この先いつ病状が良くなるかも判らない…、社会に復帰出来るかどうかも判らない…、このままこの先の人生、私はずっと「音」に怯えて耳栓をして暮らして行くのだろうか…それも判らない。
判らないづくしの自分の現状と未来に嫌気が差して、本当に疲れてしまっています。
寛解された方たちは、一体どういうきっかけで這い上がれたのでしょうか。
そればかりが最近気になってしかたありません。
先日、動けるうちにと思い、障害年金の書類をやっと書き上げました。
辛い過去に戻って、その暗澹たる状況を自分の中で掘り起こしながら文章にまとめていく作業は、自分が予想していたよりもずっと過酷なものでした。審査に通る可能性も低いのに、どうしてこんなこと始めようと思ったんだろう…などと考えるとますますテンションが下がって集中力が続かず、何度も中座してタバコに逃げ、主治医の書いてくれた診断書(悪筆すぎてところどころ読めない)に照らし合わせながら、食い違いの無いように注意し、やっとの思いで書き上げた時は、身体が鉛のように重くなっていました。
これを私なんかよりもっと症状の重い方が成し遂げるにはかなりのエネルギーを要します。
どうしても無理な方は手続きの代理を社労士に依頼したりするようですが、うちにはそんな余裕ありません。
色々なサイトを巡ってみて、結構自分でされてる方々が多いので、私も頑張ってみたのですが、正直もう二度とやりたくありません。
その後、再び年金事務所に提出に行ったのですが、物凄い混みように怖気づき、一旦帰りかける私。
けれども今済まさないと、いつまた動けなくなるかも判らない状況なので、意を決して喧騒の中に入りこみました。
パニック発作が出ないようにデパスを飲んで来たのですが、だんだんと不安感が増して来ます。
気をそらそうと壁に貼ってある紙を読んだり、スマホをいじくり回したり、色んなことをして時間を潰しました。
こういう時は聞こえづらいとまずいので、耳栓が出来ずにかなり苦しい思いをしました。
やっと名前を呼ばれ(何故か私だけ番号でなく名前で呼ばれた)窓口に向かい、係の人と対峙します。
持参した書類に係の人が逐一目を通す長い間、私はずっと俯いていました。
緊張で汗びっしょり状態です。背中が冷たくなってきました。
係の人が「あれ?」って感じでPCを触ったり、また前の書類に戻って何かを確認したりする様子をチラ見するたびに、ばくんと心臓が跳ね上がる思いです。
やがて一枚の紙をプリントアウトし、私に「あの…」と話し掛けてきたので、思わず元気よく返事をしてしまいました(笑)
「…今回の申請には関係ないんですけれど、過去に年金未納の期間があるので、将来もらえる老齢年金も少なくなってしまいますし……」
…きっちり未納期間のことまで指摘されてますます俯く私です。
申請は無事終わり、審査には2、3ヶ月かかるとのことでした。
年金事務所を出た時はもう脱力状態で、ただただ「終わった…」の一言しか出てきませんでした。
繰り返し言ってしまいますけれども、ほんとにもう二度とやりたくない作業です。
結果はもうどうでも良くなっていました。
──とにかく終わったんだ、もう色々思い出したり、嫌な思いもすることないんだ…。
その思いにつきます。気持ちが軽くなりました。
帰りに、駅前の喫煙スペースでブラックコーヒーを買って一服しました。
コーヒーもタバコも、ものすごーく美味しかったです(笑)
そんな思いをして書類を提出してきましたが、正解だったと今思っています。
あの時行かなければ、もう当分何もできない今の状態…。
私の「やる気スイッチ」は一体どうすれば入るのでしょうか。
旅行で買ってきたご当地「ばかうけ」
あさりバター風味……。ビミョー……。

★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



電池が切れたように動けなくなりました。
今回はネガティブの波には捕まっていないのですが「だるだる病」と「聴覚過敏」が酷い…という状態です。
こうしてブログを更新できるのですから、まだ「どん底」ではないと思います。
特に午前中が駄目です。あまりに酷いのでここ数日はダンナのお弁当作りも免除させてもらっています。
朝のちいももの世話さえも億劫で、休み休みやっつけています。
お昼を回り、夕方になるとだんだんと動けるようになるのですが、料理などとんでもなく、近くのコンビニに夕食を買いに行って終わりです。
まるで春が来たかのような穏やかな天気が続いているというのに、掃除もせず、リビングはちいの羽とももの毛だらけ。
洗濯もまたもや溜まり放題。
食事はずっと手抜き状態…(ダンナ、ほんとにすみません)。
ちいももが旅行から帰ってから物凄く「遊んで遊んで」攻撃をしてくるので、構ってやる時間も増やしてあげなければなりません。甥っ子が無事に高校入試に合格したので、そのお祝いも買いに行かなければなりません。
やらなきゃいけないことは山のようにあるのに…意に反してベッドに横になってばかりいます。
こんなことではネガティブの波に捕まると思い、何かしなければと不意に身を起こして焦る私。
無理に(主治医に怒られそうですが)家事をやろうとするのですが、途中で嫌になって放り出し、またもダラダラと自室に戻ってベッドで過ごす始末。
録画したものが溜まっているので観ようとするのですが、最初の30分で集中力が続かずこれもリタイア。
一番億劫なのが入浴で、もう二日も髪洗ってません(汚…)
聴覚過敏の方は、旅行に行く少し前から悪化していたので、エビリファイを3ミリから6ミリに増やされたのですが、そのせいもあるのでしょうか。
それでも旅行ではあんなに精力的に動けたんだけどなあ…。
とにかく今は、全てのことが億劫でたまりません。
現在の自分は、職場などで嫌な思いをしている訳ではありません。
家事もろくにせず、無職主婦のくせにダンナのお陰で食べさせてもらって、生活は困窮していますが何とか暮らして行けています。
もっと過酷な状況で日々暮らされている方々からしたら、「なんて甘い」「贅沢な」とお叱りを受けそうですけれども、この先いつ病状が良くなるかも判らない…、社会に復帰出来るかどうかも判らない…、このままこの先の人生、私はずっと「音」に怯えて耳栓をして暮らして行くのだろうか…それも判らない。
判らないづくしの自分の現状と未来に嫌気が差して、本当に疲れてしまっています。
寛解された方たちは、一体どういうきっかけで這い上がれたのでしょうか。
そればかりが最近気になってしかたありません。
先日、動けるうちにと思い、障害年金の書類をやっと書き上げました。
辛い過去に戻って、その暗澹たる状況を自分の中で掘り起こしながら文章にまとめていく作業は、自分が予想していたよりもずっと過酷なものでした。審査に通る可能性も低いのに、どうしてこんなこと始めようと思ったんだろう…などと考えるとますますテンションが下がって集中力が続かず、何度も中座してタバコに逃げ、主治医の書いてくれた診断書(悪筆すぎてところどころ読めない)に照らし合わせながら、食い違いの無いように注意し、やっとの思いで書き上げた時は、身体が鉛のように重くなっていました。
これを私なんかよりもっと症状の重い方が成し遂げるにはかなりのエネルギーを要します。
どうしても無理な方は手続きの代理を社労士に依頼したりするようですが、うちにはそんな余裕ありません。
色々なサイトを巡ってみて、結構自分でされてる方々が多いので、私も頑張ってみたのですが、正直もう二度とやりたくありません。
その後、再び年金事務所に提出に行ったのですが、物凄い混みように怖気づき、一旦帰りかける私。
けれども今済まさないと、いつまた動けなくなるかも判らない状況なので、意を決して喧騒の中に入りこみました。
パニック発作が出ないようにデパスを飲んで来たのですが、だんだんと不安感が増して来ます。
気をそらそうと壁に貼ってある紙を読んだり、スマホをいじくり回したり、色んなことをして時間を潰しました。
こういう時は聞こえづらいとまずいので、耳栓が出来ずにかなり苦しい思いをしました。
やっと名前を呼ばれ(何故か私だけ番号でなく名前で呼ばれた)窓口に向かい、係の人と対峙します。
持参した書類に係の人が逐一目を通す長い間、私はずっと俯いていました。
緊張で汗びっしょり状態です。背中が冷たくなってきました。
係の人が「あれ?」って感じでPCを触ったり、また前の書類に戻って何かを確認したりする様子をチラ見するたびに、ばくんと心臓が跳ね上がる思いです。
やがて一枚の紙をプリントアウトし、私に「あの…」と話し掛けてきたので、思わず元気よく返事をしてしまいました(笑)
「…今回の申請には関係ないんですけれど、過去に年金未納の期間があるので、将来もらえる老齢年金も少なくなってしまいますし……」
…きっちり未納期間のことまで指摘されてますます俯く私です。
申請は無事終わり、審査には2、3ヶ月かかるとのことでした。
年金事務所を出た時はもう脱力状態で、ただただ「終わった…」の一言しか出てきませんでした。
繰り返し言ってしまいますけれども、ほんとにもう二度とやりたくない作業です。
結果はもうどうでも良くなっていました。
──とにかく終わったんだ、もう色々思い出したり、嫌な思いもすることないんだ…。
その思いにつきます。気持ちが軽くなりました。
帰りに、駅前の喫煙スペースでブラックコーヒーを買って一服しました。
コーヒーもタバコも、ものすごーく美味しかったです(笑)
そんな思いをして書類を提出してきましたが、正解だったと今思っています。
あの時行かなければ、もう当分何もできない今の状態…。
私の「やる気スイッチ」は一体どうすれば入るのでしょうか。
旅行で買ってきたご当地「ばかうけ」
あさりバター風味……。ビミョー……。

★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



「宿はボロボロ(笑)…旅の終わり」~うつ旅行記その3~
2016/02/12
さて、最後に宿の話になりますが。
正直言って、「うーん…」でした。格安パックなので仕方ないのですけれども。
今まで泊まった国内のホテルのベスト1(何の?)に入るかもしれません。
とてもボロボロの年季が入ってる建物で、あとで築年数を調べてみたら、増改築はしてるみたいですがなんと50年近くも経っています。
あまり大きくないホテルで(大規模なホテルは高いし、人が多そうなので外しました)、フロントも売店もこじんまり。
ボロボロのこれまた年季の入ったエレベーターに乗った時から予想はしてたんですが、全く予想通りの和室でした。
ただ、角部屋だったのが嬉しかったです。
畳は比較的綺麗でしたが、障子も壁もとても年季が入ってました。どのドアもキイキイと軋みます。
けれども窓からの眺めは海を一望でき、それが救いになりました。
この辺りのホテルは皆「全室オーシャンビュー」を売りにしているのですが、さもありなん、客室が全て海側に作られています。
テーブルも座椅子も冷蔵庫も古びた中で、テレビとトイレだけが妙に真新しいのが何だか不釣り合いで、そこだけ浮いていました。
けれども、不愉快になるような古さではなく、私の中では許容範囲です。
ダンナはもとより全くそういうことは気にしません。けれどもさすがの彼も、部屋についている干からびたタイルの風呂を開けて見て「うわーっ!ここ、入る人いるのかな?」とか叫んでいました(笑)
宿は私にとっていつも最大の難関で、その旅の全てが宿で決まると言っても過言ではありません。
何が気になるかと言うと…
「上下左右の騒音がひどくないか」「窓が開くか開かないか」
(窓が開かないところは息が詰まる気がして、私ダメなのです)
このふたつがクリアされていないとどうにも落ち着かないのです。
今回は古びたホテルなので、ある程度の騒音はもう覚悟していました。
ただただ「上階や隣がうるさい人でありませんように」と祈るのみです。
以前泊まった羽田空港の近辺のホテルで、どうやら上階の部屋には子供がいたらしく、夜中ドタバタと騒がしくて地獄のような思いをしたことがあり、これが結構トラウマになっていて、ホテルに居ると家に居る時のように不安になることがあるのです。
もちろんその頃から、旅行には耳栓を携帯していたのですが。
そんな訳で内心ビクビクしていたのですが、幸運なことに夜になっても、上からも隣からも耐え難い物音はして来ませんでした。
古い建物なので、あちこちから扉を開け閉めする音、何だか判らない物音などが響いてくるのですが、何と不思議なことに、私は耳栓をしないでもいられたのです。
家では常時耳栓をしていないと不安で不安で仕方ない私が、です。
たまにする物音に最初のうちはビクつき、すぐに「耳栓!」と身構えていたのですが、そのうちあまり気にならなくなりました。
結局、ホテルでは眠る時以外耳栓を使用することはありませんでした。
今でも不思議に思います。
どうしてあの時平気でいられたのか…。事実これを今家で書いている私は、しっかり耳栓装着中なのですから。
羽田空港近辺のホテルでの一件の場合は例外ですが(あれはトラウマレベルの常軌を逸した騒音でした)、ホテルは一泊のみで、その日限りのことで終わります。その思いを強く抱くようにしたことと、今回は古いホテルなのであらかじめ多少は覚悟していたこと…などなどのおかげで今回は大丈夫だったのかもしれません。
しかし、ホテルと違って自分の家ではそこに住んでいる限り、上階からの騒音に「終わり」はありません。「終わり」どころか、これから先「悪化」する可能性も充分にあるのです。
自分の精神状態を左右するカギは、全て上階の住人である「他人」が握っていて、自分にはどうすることも出来ません。
慣れることなど到底出来ず、そのことがいつもいつまでも恐怖となって、私を苦しめているのではないかと…。
よく判りませんが、そんな気がしました。
そんな訳で宿はいまひとつでしたが(期待してた温泉もぬるくて小さかった…泣)、食事はとても美味でした。
自分の希望通り夕食、朝食ともにバイキングだったため、ダンナは喜び勇んで何度も料理を取りに行ってました。
郷土料理をはじめとした料理の品数も多く、和洋どれも美味しそうで目移りします。
私も普段よりは食べられたような気がします。
夕食にサービスで付いた舟盛りのお刺身。お刺身は小さかったけど(笑)美味しかったです。

朝食のクロワッサンとフレンチトーストがもうたまらない美味しさ!
本気で持って帰りたかった。

こんな訳で、うつ状態での一泊旅行は無事終わりました。
ダンナが思いつきで決め、調子も良くなかった私は当初、あまり乗り気ではありませんでした。
けれども不安ながらもやはり行って良かったと今では思っています。
旅行して気付かされた自分のこと、ダンナのことなどもたくさんありました。
以下、旅行前に自分で作った「旅行の心得」を見ながら簡単に総括。
「自分が嫌だと思うことは無理にしないこと」
→「ダメだ」「嫌だ」と思うことは極力回避して過ごした。耳栓のことは嬉しい誤算だった。
「『せっかく旅行に来てるんだから、何もかもポジティブに…!』…なんてのは無理なんだから、自分の心の動きに素直になり、自分を否定しないこと」
→ところどころ危ない場面もあったが、一旦思考停止で乗り切った。
「疲れたと思ったら、休むこと」
→疲れなかった(!)
「自分の心地よいと思う環境を作りだせるようなプランだと尚良い」
→総じて自分にとっては良いプランだった。
「同行者に疲れるまで気遣いをしないこと」
→どちらかと言うと、今回はダンナが私に気を遣ってくれていたのでは…と思う。
モタモタしてても気長に待ってくれたり、とんちんかんなことを言ってもイライラせず、細かいところでは部屋のテレビの音量を上げてくれるなど…(家ではいつも音量大きめ)
うつ病患者にとって旅行は、辛く重い時期(急性期)は却って負担になってしまうので良くないそうですが、そうでなければ適度なリフレッシュになって良いこともあるかもしれません。
ただ、あれこれと観光の予定を分刻みに詰め込み、疲れてしまうような旅行では逆効果になることもあるようです。
私の今回したような、宿と交通手段以外何も決めずに、着いたらその場でどうするか決める(こういう旅行をしたのも初めてです)のんびりした小旅行は、「非日常」を堪能するのにぴったりのような気がします。
たかが一泊くらいの短期間、旅行をしたからといって何かが変わる訳ではなく、病状が良くなる訳ではありません。
ですが、「息継ぎ」にはなるかもしれません。
外出するのが億劫で家に籠りがちになり、ぐるぐると思考はいつも同じところを堂々巡りしてひたすらに自分を痛めつける…そんな「日常」から少しでも解放された気分が味わえて、私の場合はプラスになったと思っています。
ダンナに今回は本当に感謝です。
この旅行で自分の中の何かがほんの少し浄化されたような気分になれました。
いつまでこの上昇気流が続くかは神のみぞ知る、ですけれども……。
さて、セロトニンの素もたくさん取り込んできたし(笑)。
この旅行で得たものが、これから再び苦しい「日常」の中に身を置かねばならない自分にとって、どう作用するか…。
病状を少しでも良い方向へ向けてくれればいいのですが……。
★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



正直言って、「うーん…」でした。格安パックなので仕方ないのですけれども。
今まで泊まった国内のホテルのベスト1(何の?)に入るかもしれません。
とても
あまり大きくないホテルで(大規模なホテルは高いし、人が多そうなので外しました)、フロントも売店もこじんまり。
ただ、角部屋だったのが嬉しかったです。
畳は比較的綺麗でしたが、障子も壁もとても年季が入ってました。どのドアもキイキイと軋みます。
けれども窓からの眺めは海を一望でき、それが救いになりました。
この辺りのホテルは皆「全室オーシャンビュー」を売りにしているのですが、さもありなん、客室が全て海側に作られています。
テーブルも座椅子も冷蔵庫も古びた中で、テレビとトイレだけが妙に真新しいのが何だか不釣り合いで、そこだけ浮いていました。
けれども、不愉快になるような古さではなく、私の中では許容範囲です。
ダンナはもとより全くそういうことは気にしません。けれどもさすがの彼も、部屋についている干からびたタイルの風呂を開けて見て「うわーっ!ここ、入る人いるのかな?」とか叫んでいました(笑)
宿は私にとっていつも最大の難関で、その旅の全てが宿で決まると言っても過言ではありません。
何が気になるかと言うと…
「上下左右の騒音がひどくないか」「窓が開くか開かないか」
(窓が開かないところは息が詰まる気がして、私ダメなのです)
このふたつがクリアされていないとどうにも落ち着かないのです。
今回は古びたホテルなので、ある程度の騒音はもう覚悟していました。
ただただ「上階や隣がうるさい人でありませんように」と祈るのみです。
以前泊まった羽田空港の近辺のホテルで、どうやら上階の部屋には子供がいたらしく、夜中ドタバタと騒がしくて地獄のような思いをしたことがあり、これが結構トラウマになっていて、ホテルに居ると家に居る時のように不安になることがあるのです。
もちろんその頃から、旅行には耳栓を携帯していたのですが。
そんな訳で内心ビクビクしていたのですが、幸運なことに夜になっても、上からも隣からも耐え難い物音はして来ませんでした。
古い建物なので、あちこちから扉を開け閉めする音、何だか判らない物音などが響いてくるのですが、何と不思議なことに、私は耳栓をしないでもいられたのです。
家では常時耳栓をしていないと不安で不安で仕方ない私が、です。
たまにする物音に最初のうちはビクつき、すぐに「耳栓!」と身構えていたのですが、そのうちあまり気にならなくなりました。
結局、ホテルでは眠る時以外耳栓を使用することはありませんでした。
今でも不思議に思います。
どうしてあの時平気でいられたのか…。事実これを今家で書いている私は、しっかり耳栓装着中なのですから。
羽田空港近辺のホテルでの一件の場合は例外ですが(あれはトラウマレベルの常軌を逸した騒音でした)、ホテルは一泊のみで、その日限りのことで終わります。その思いを強く抱くようにしたことと、今回は古いホテルなのであらかじめ多少は覚悟していたこと…などなどのおかげで今回は大丈夫だったのかもしれません。
しかし、ホテルと違って自分の家ではそこに住んでいる限り、上階からの騒音に「終わり」はありません。「終わり」どころか、これから先「悪化」する可能性も充分にあるのです。
自分の精神状態を左右するカギは、全て上階の住人である「他人」が握っていて、自分にはどうすることも出来ません。
慣れることなど到底出来ず、そのことがいつもいつまでも恐怖となって、私を苦しめているのではないかと…。
よく判りませんが、そんな気がしました。
そんな訳で宿はいまひとつでしたが(期待してた温泉もぬるくて小さかった…泣)、食事はとても美味でした。
自分の希望通り夕食、朝食ともにバイキングだったため、ダンナは喜び勇んで何度も料理を取りに行ってました。
郷土料理をはじめとした料理の品数も多く、和洋どれも美味しそうで目移りします。
私も普段よりは食べられたような気がします。
夕食にサービスで付いた舟盛りのお刺身。お刺身は小さかったけど(笑)美味しかったです。

朝食のクロワッサンとフレンチトーストがもうたまらない美味しさ!
本気で持って帰りたかった。

こんな訳で、うつ状態での一泊旅行は無事終わりました。
ダンナが思いつきで決め、調子も良くなかった私は当初、あまり乗り気ではありませんでした。
けれども不安ながらもやはり行って良かったと今では思っています。
旅行して気付かされた自分のこと、ダンナのことなどもたくさんありました。
以下、旅行前に自分で作った「旅行の心得」を見ながら簡単に総括。
「自分が嫌だと思うことは無理にしないこと」
→「ダメだ」「嫌だ」と思うことは極力回避して過ごした。耳栓のことは嬉しい誤算だった。
「『せっかく旅行に来てるんだから、何もかもポジティブに…!』…なんてのは無理なんだから、自分の心の動きに素直になり、自分を否定しないこと」
→ところどころ危ない場面もあったが、一旦思考停止で乗り切った。
「疲れたと思ったら、休むこと」
→疲れなかった(!)
「自分の心地よいと思う環境を作りだせるようなプランだと尚良い」
→総じて自分にとっては良いプランだった。
「同行者に疲れるまで気遣いをしないこと」
→どちらかと言うと、今回はダンナが私に気を遣ってくれていたのでは…と思う。
モタモタしてても気長に待ってくれたり、とんちんかんなことを言ってもイライラせず、細かいところでは部屋のテレビの音量を上げてくれるなど…(家ではいつも音量大きめ)
うつ病患者にとって旅行は、辛く重い時期(急性期)は却って負担になってしまうので良くないそうですが、そうでなければ適度なリフレッシュになって良いこともあるかもしれません。
ただ、あれこれと観光の予定を分刻みに詰め込み、疲れてしまうような旅行では逆効果になることもあるようです。
私の今回したような、宿と交通手段以外何も決めずに、着いたらその場でどうするか決める(こういう旅行をしたのも初めてです)のんびりした小旅行は、「非日常」を堪能するのにぴったりのような気がします。
たかが一泊くらいの短期間、旅行をしたからといって何かが変わる訳ではなく、病状が良くなる訳ではありません。
ですが、「息継ぎ」にはなるかもしれません。
外出するのが億劫で家に籠りがちになり、ぐるぐると思考はいつも同じところを堂々巡りしてひたすらに自分を痛めつける…そんな「日常」から少しでも解放された気分が味わえて、私の場合はプラスになったと思っています。
ダンナに今回は本当に感謝です。
この旅行で自分の中の何かがほんの少し浄化されたような気分になれました。
いつまでこの上昇気流が続くかは神のみぞ知る、ですけれども……。
さて、セロトニンの素もたくさん取り込んできたし(笑)。
この旅行で得たものが、これから再び苦しい「日常」の中に身を置かねばならない自分にとって、どう作用するか…。
病状を少しでも良い方向へ向けてくれればいいのですが……。
★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



「ただひたすらに海と風」~うつ旅行記その2~
2016/02/11
今回の旅行で、私はひとつ試してみようと思っていたことがありました。
それは「どうしてもダメな時以外は耳栓をしない」…ということです。
普段の生活で私は、入浴時と外出して誰かと話さなければならない用事の時以外、常時耳栓を装着して暮らしています。
家にいる時は、外から漏れ聞こえる子供の嬌声や人の笑い声、そして上階からの物音が怖く、外出時はざわざわとした喧騒がダメで、あらゆる「音」に恐怖さえ感じて毎日びくびくと怯えて暮らしています。
この「聴覚過敏」の症状は、発病以前からあったものです。
うつの治療を始めても、こればかりは全く改善されることがなく、主治医に「一日のうち数時間でもいいから耳栓を外す努力をしてみて。」と言われていたのですが、なかなか出来ないでいたのです。
そのため、家でもダンナとコミュニケーションが取り辛い時もあり(ダンナは低い声でボソボソと喋るので、たまに何言ってるのか聞き取れない)、まあそんなに会話もない夫婦なので(笑)、何とか乗り越えているのですが。
(ちなみにダンナは私の耳栓にも触れることなく、見て見ないふりをしてくれている…と思います)
けれども。
敢えて観光名所ではなく人の少ない場所を選び、しかも平日であってそんなに喧騒に出くわすこともないだろうと思い、自分が「どうしても無理だ」と感じた時以外、初めて耳栓なしで過ごしてみよう、と思っていました。
「非日常」の中でなら、出来るかもしれない…そう考えていたのです。
その反面、「やっぱりダメかもしれないなあ」と尻込みしたり。
試してみようと決めてからは、毎日葛藤でした。
白浜は人も少なく、観光バスで大挙して押し寄せるツアー客もいません。ホテルでも子供連れのお客さんを見たのは食事の時に一回きり。ロビーも人で溢れかえって…という状態ではまるでありませんでした。
バスの中ではずっとiPodで音楽を聴いていたので、ほぼ耳栓をしていた状態と同じです。
ホテルに着いて私は恐る恐るイヤホンを外し、途端に飛び込んでくる様々な音に身を任せることにしたのです。
ホテルの近くに灯台がありました。
フロントの人が歩いても行ける距離だと言うので、ダンナとふたり散歩がてら行ってみることにしました。
聴こえるのは僅かな人々の話し声と、波の音と風の音ばかり。
観光客も年配の方々が多く、道々でも走り回るお子様達にも出くわしませんでした。
そこにあったのは、ただただ寡黙な自然のみです。
私の鼓膜が、久々に思い切り風を吸って、深呼吸してるみたいに感じました。
さんさんと降り注いでくる日の光が暖かく、心地よかったです。
雨女の私ですが、今回は本当に天気に恵まれました。
一週間前の予報では雪マークだったので期待してなかったんですけれども…。
房総半島の最南端・野島崎に立っている野島埼灯台。南房総国定公園の中にあります。
「日本の灯台50選」に選ばれていて、国の登録有形文化財にも登録されているらしい…。
昇ることが出来るので(100段近くの螺旋状の階段を昇る!)行ってみました。
高所恐怖症のダンナは壁に貼りついていましたが、私は下を覗き込んだりして、真っ青な太平洋のパノラマを堪能しました。
灯台資料展示館も併設されています。

七福神を祭った厳島神社や、海人の航海安全を願う三峰神社などが周辺にあります。

ひたすら青い海と、黒い岩とのコントラストが美しい。

観光客もまばらで、不思議なことに何事にもあんなに「億劫」だった私が、あちこちに精力的に足を運びました。
まるで何かのスイッチが切り替わったかのようです。
ここでは何の「不安」も「焦燥感」も感じる必要がありません。
一旦ホテルに戻り、ダラダラした後、近くにスーパーがあることを調べておいたので再び出かける私たち。
そして温泉に浸かった後、夕陽を見ようと昼間に灯台の近くで見たこれ↓を目指してまたもや出かける私たち。

こんなに身体が軽く動くのは、もう本当に久しぶりです。
まるで何か重い荷物を下ろしたような感覚がずっとしていました。
風も穏やかでひたすら静寂…。

あーもう。暗くなっちゃうよ(間に合いませんでしたので、途中で一枚)

日も暮れた公園の中は、私たち二人のみ。
ここでの私は、耳栓も薬も要らない…そんな錯覚にさえ陥りそうな気持のいい空間でした。
幻想的な雰囲気を醸し出す夜の野島埼灯台。
ホテルからみんな写真を撮っていました。

★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★



それは「どうしてもダメな時以外は耳栓をしない」…ということです。
普段の生活で私は、入浴時と外出して誰かと話さなければならない用事の時以外、常時耳栓を装着して暮らしています。
家にいる時は、外から漏れ聞こえる子供の嬌声や人の笑い声、そして上階からの物音が怖く、外出時はざわざわとした喧騒がダメで、あらゆる「音」に恐怖さえ感じて毎日びくびくと怯えて暮らしています。
この「聴覚過敏」の症状は、発病以前からあったものです。
うつの治療を始めても、こればかりは全く改善されることがなく、主治医に「一日のうち数時間でもいいから耳栓を外す努力をしてみて。」と言われていたのですが、なかなか出来ないでいたのです。
そのため、家でもダンナとコミュニケーションが取り辛い時もあり(ダンナは低い声でボソボソと喋るので、たまに何言ってるのか聞き取れない)、まあそんなに会話もない夫婦なので(笑)、何とか乗り越えているのですが。
(ちなみにダンナは私の耳栓にも触れることなく、見て見ないふりをしてくれている…と思います)
けれども。
敢えて観光名所ではなく人の少ない場所を選び、しかも平日であってそんなに喧騒に出くわすこともないだろうと思い、自分が「どうしても無理だ」と感じた時以外、初めて耳栓なしで過ごしてみよう、と思っていました。
「非日常」の中でなら、出来るかもしれない…そう考えていたのです。
その反面、「やっぱりダメかもしれないなあ」と尻込みしたり。
試してみようと決めてからは、毎日葛藤でした。
白浜は人も少なく、観光バスで大挙して押し寄せるツアー客もいません。ホテルでも子供連れのお客さんを見たのは食事の時に一回きり。ロビーも人で溢れかえって…という状態ではまるでありませんでした。
バスの中ではずっとiPodで音楽を聴いていたので、ほぼ耳栓をしていた状態と同じです。
ホテルに着いて私は恐る恐るイヤホンを外し、途端に飛び込んでくる様々な音に身を任せることにしたのです。
ホテルの近くに灯台がありました。
フロントの人が歩いても行ける距離だと言うので、ダンナとふたり散歩がてら行ってみることにしました。
聴こえるのは僅かな人々の話し声と、波の音と風の音ばかり。
観光客も年配の方々が多く、道々でも走り回るお子様達にも出くわしませんでした。
そこにあったのは、ただただ寡黙な自然のみです。
私の鼓膜が、久々に思い切り風を吸って、深呼吸してるみたいに感じました。
さんさんと降り注いでくる日の光が暖かく、心地よかったです。
雨女の私ですが、今回は本当に天気に恵まれました。
一週間前の予報では雪マークだったので期待してなかったんですけれども…。
房総半島の最南端・野島崎に立っている野島埼灯台。南房総国定公園の中にあります。
「日本の灯台50選」に選ばれていて、国の登録有形文化財にも登録されているらしい…。
昇ることが出来るので(100段近くの螺旋状の階段を昇る!)行ってみました。
高所恐怖症のダンナは壁に貼りついていましたが、私は下を覗き込んだりして、真っ青な太平洋のパノラマを堪能しました。
灯台資料展示館も併設されています。

七福神を祭った厳島神社や、海人の航海安全を願う三峰神社などが周辺にあります。

ひたすら青い海と、黒い岩とのコントラストが美しい。

観光客もまばらで、不思議なことに何事にもあんなに「億劫」だった私が、あちこちに精力的に足を運びました。
まるで何かのスイッチが切り替わったかのようです。
ここでは何の「不安」も「焦燥感」も感じる必要がありません。
一旦ホテルに戻り、ダラダラした後、近くにスーパーがあることを調べておいたので再び出かける私たち。
そして温泉に浸かった後、夕陽を見ようと昼間に灯台の近くで見たこれ↓を目指してまたもや出かける私たち。

こんなに身体が軽く動くのは、もう本当に久しぶりです。
まるで何か重い荷物を下ろしたような感覚がずっとしていました。
風も穏やかでひたすら静寂…。

あーもう。暗くなっちゃうよ(間に合いませんでしたので、途中で一枚)

日も暮れた公園の中は、私たち二人のみ。
ここでの私は、耳栓も薬も要らない…そんな錯覚にさえ陥りそうな気持のいい空間でした。
幻想的な雰囲気を醸し出す夜の野島埼灯台。
ホテルからみんな写真を撮っていました。

★よろしかったらポチッとお願いします。励みになります…★


