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「東京駅が怖い」~うつ旅行記その1~

2016/02/10
房総半島、千葉の白浜というところに一泊で行ってきました。

どうにも体調・精神状態ともに当日までに整わず、おまけに十数年ぶりに市販の風邪薬を飲まざるを得ないレベルの風邪までひいてしまい…。(どうして今なのよと思った)
はっきり言ってもう全てが「億劫」だったのですが、何とか行って来ることができました。

たかが一泊と言えども何しろ久々で、そしてうつになってからは初めての旅行なので、行く事が決まった途端に不安と緊張の渦に巻き込まれて体調不良に輪をかけてしまうという有様で、こんなんで大丈夫なのかと心配になりました。
元気な頃は「旅行」大好きだった私としては、こんなに「旅行すること」が億劫だったのは初めてです。
けれども、結果としては少し気分も上がり、海をはじめとする自然に「浄化」されたような気持ちです。
おそるべし「自然の力」!
天気も良く、穏やかな空気の中で日の光をいっぱい浴びて、セロトニン作ってきました(笑)
長くなるので、数回に分けてその時のことを書こうと思います。



当日、私は例のごとくまだ真っ暗なうちに目が覚めてしまい、ごそごそと支度を始めました。
旅行の用意は体調が悪かったこともあって、もう前夜の寝る前にやっつけで適当にリュックに詰め込むと言う始末。
以前の私だったら無駄のないようにまず、「持っていく物リスト」を作成していました。
あれこれと場面を想定してリストのものを取捨選択しながら、ひとつひとつバッグに詰め込んではリストから消していく…と言う完璧な手順を踏んで準備していたのですが、もうそんな高度なことが今の私に出来っこありません。
脳がうまく機能せず、必要なもの、不要なものの選り分けさえも満足に出来ずにおろおろとする有様。
それならばいっそ、「使うかも」というものは全部持ってけ…という暴挙に出ました。
よってリュックはパンパンです。このうち40%のものは触れもせずに終わると思うのですが、もういいや…という私にしては大雑把な決断で荷物の準備は乗り切りました。
結構「投げやり」入ってます(笑)
それよりも、ちいももを両親に託していくことの方が不安で不安でたまらなく、ちいももの周りのことだけは世話してくれる父が困らないように万全に準備したつもりです。

今回の旅行で一番辛かったことは、予想していた通り、高速バスの出る「東京駅」までの道のりでした。
ラッシュ時間を外したつもりだったのですが、今はフレックスタイムなどもあるせいか、あまり効果はありませんでした。
恐ろしい人ごみに囲まれ、有り得ない人の列を目の前にして早くも怖気づいた私はダンナに思わず
「無理かも」…とか口走ってしまう始末です。
けれどもダンナがいるので、心強かったんだと思うのです。
ダンナは私の病気の良き理解者ではありませんが、少しでも自分の状態を知ってくれている人が同行するのはとても安心できました。ひとりでこの喧騒の中に身を置いていたら、間違いなくパニック発作が出ていたと思います。

東京駅で入り乱れて足早に歩く通勤途中の人々を目の当たりにして、私は確信しました。
「自分はもう、この中には入っていけない。無理だ。」
人酔い状態の中で、今更ながらにはっきりとそれを了解したのです。

今まで少し調子が上向きだった頃に就活をしていたのですが、近辺に良い求人が無く、電車で1時間くらいなら出ていけるかも…などと調子こいたことを思っていたことがあったのですが、到底無理です。
この思いは、この先もきっと変わることはないと思います。
毎日毎日、こうして人ごみに揉まれ揺られて電車に長時間乗り、そして仕事をする…ということがどんなに大変なことなのか、エネルギーを要することなのかを、私はいつのまにか忘れていました。
自分の今の状態はもう、若い頃の自分、元気だった頃の自分とは違うのです。
その事実を突きつけられた気がしました。
そしてまたそういう光景を目の当たりにして、自分の今の状況と比べてしまい例の焦燥感が起き上がってきます。
慌てて一旦思考停止をする私です。

──こんなんで大丈夫かな…私。

不安でますます脳がいっぱいいっぱいになって来ました。
けれどもパニック状態を起こすほんの手前の状態で、自分の作った「旅行の心得」を反芻して気を落ち着けます。


そんな不安と共にやっと高速バス乗り場に到着。
ここからが第二の難関です。
高速バスに二時間半ほど揺られ、千葉に向かうのですが、自分の周りにうるさい人達が乗ってきたらどうしようとそればっかり気にしていて、いっこうに旅行を楽しめません。
「まだだいぶ時間あるよ。お弁当どこで買う~?」などと呑気なことを言い放つダンナに適当に答えながら、正直そんなのどうでもいいよという心境でした。
バスの待合室で大騒ぎのおば様連中、けたたましく走り回る子供たちの集団なんかを目にすると、
「同じバスじゃありませんように」とひたすら祈る私です。(もちろんデパス服用済み。耳栓装着中)
そんな輩が傍に来ようものなら、二時間半などという長時間はもう私には拷問に近く、耐えられる自信がありません。
まさに「拘束」バスです。

けれどもそんな心配は無用で、並んで乗り込んだバスの中は年配の乗客が多く、静かなものでした。
私はさっさと窓際に陣取り、前後左右を見回しましたが、大丈夫(何が?)な感じです。
そうしてバスが発車すると何だかやっと安堵し、「旅行」するんだ…という、私にとっては少し懐かしい、ワクワクする様な気持ちがおずおずと頭をもたげてきました。

バスはアクアラインを走り、ダンナはすでに寝ています。
私はひとりで、キラキラと眩しく青い海面を眺め、ゆっくりと窓越しの日光で身体を暖めつつ、気持ちを少しずつ上げていきました。
車窓からは、禍々しい(と感じた)建造物の群れをどんどん後ろへ置き去りにして、徐々に自然へと景色が変わって行くのが見えます。そしてそれに呼応するみたいに、自分の気持ちがどんどん落ち着きを取り戻していくのを感じていました。

バスが進むにつれて、人も車も減ってきます。
あの地獄のような喧騒は、もはやどこにもありません。
南房総市に入り、ヤシの木々の合間に海が見える頃には、私はすっかり落ち着いていて、やっと「旅行を楽しめる」精神状態になっていたのでした。



館山駅。駅前の菜の花が綺麗だった。

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川とか、海とか。
とかく「水」のそばが好きです。

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着いてすぐにいちご狩りへ。
ホテルの人が地図を書いてくれて行ってみると、ぽつんとビニールハウスが。
いちごは甘くて美味しかったです。食べまくった私とダンナ。

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22:42 日々あれこれ | コメント(0)

絶対に壊れる仕事のしかた

2016/02/06
私は短大を卒業してから、正社員を数年間、その後に派遣社員、契約社員と色々なスタンスで仕事をして来ました。
どこに行ってもどんな仕事でも、仕事に対する姿勢はいつも同じです。
「ただ、がむしゃらに」仕事をするタイプでした。

ここでは、直近の10年間在籍していた会社と、その後うつになって僅か3年で辞めることになった会社でのことを主に書こうと思います。

両方の会社ともに、私は契約社員として仕事をしていました。
アウトソーシング事業といって、クライアントが自分の会社のうち、ひとつの部署をまるまる外部(私の在籍していた会社です)に委託し、クライアントの要望のもとにそこで私達外部の人間が仕事をするのです。
ですからその部署は、上司も周りの人間も全てクライアントの人間ではなく、外部の人間だということになります。
クライアント(上司達は『社員様』と呼んでいた)と話が出来るのは、私達の上司のみ。
私達はクライアントからあれこれと指示を受けた上司の下で、請け負った仕事を進めていました。
派遣と違うのは、周りで一緒に仕事をする人間が全て自分と同じ契約社員だということ。
その点はとても気楽ではありました。

私はいつも上司よりも早く、殆どフロアで一番に出社をしていました。(よくフロアの電気を点けていた)
「早いねー」と上司に茶化されると、「年寄りなんで早く目が覚めちゃって(笑)」とか切り返していましたが、自分より部下が早く出社するということを良く思っていない上司達もいたかもしれません。
早く出社する理由は二つありました。

ひとつめは、「通勤途中に誰にも会いたくないから」です。
通勤途中で知った顔に会うと、どうしても会社までの道のりを同行することになります。
気心の知れた人なら良いのですが、そこそこの距離の付き合いの人と出くわしてしまうと、弾まない会話に気を遣ってしまい、会社に着くまでに気疲れでへとへとになることもしばしばでした。
私はそう親しくもない相手と会話するのが昔から苦手で、そのくせ沈黙が続くのが怖く、自分からばんばん話題を振って、沈黙が続かないようにしてしまうところがありました。
この「気疲れ会話」が嫌で、それならば誰にも会わないで済む時間帯に出社しようと思ったのです。
それと、朝の女子トイレの混みようも苦手で苦手でたまりませんでした。
鏡の前を独占し、朝からハイテンションで声高に喋りまくっている人達の中に入っていくのは勇気さえ要ります。
人の居ない時間帯ならば、ゆっくり化粧直しもできるというもので一石二鳥でした。

人付き合いも良く、くだらないことを言っては皆をよく笑わせ、いつも集団の中に居る私が、実はこんなふうに思っていたことは、きっと誰も知らなかったと思います。
私はそう思われないように自分を繕い、じゅうぶんに気を遣っていたのですから。


もうひとつは当然のごとく「仕事に早く取り掛かりたいから」です。
私の居たところは大変多忙な部署であり、残業も当たり前のところでした。
少しでも早く始めて早く帰りたかったことと、仕事で良く判らない箇所、つまずいている箇所を就業時間の前に頭の中で整理し、スッキリと理解できた状態で毎日仕事を始めたかったというのがありました。
まさに、「予習、復習」です。
就業時間内に自分なりのマニュアルを(これも微に入り細に入り、細かいものを作り上げて同僚によくびっくりされていた)作りたくても、いざ始まってしまうと、疑問点を整理する時間もなくて、ストレスが溜まっていたのです。
そんな訳で、「だったら就業時間の前にやればいい」…という結論に達したのでした。(自分が勝手に早出をしているので気が引けてタイムカードは定時からにしていた小心者の私)

そんな私の仕事に対する姿勢を上から評価され、そのうちあちこち問題のあるチーム(すぐに人が辞めてしまうとか、処理件数が少ないとか、要するに上手く回ってないチーム)に回され、立て直しを頼まれるようになりました。
上司曰く、「あなたに越えられない試練はないから」なのだそうです。(……口八丁)
その時自分の取り掛かっている仕事が好きで離れたくないこともあったりして、自分ではいつも異動に積極的ではありませんでしたが、上司の上司まで出てきて説得されるに及び、最後は渋々承諾していました。

けれどもどこへ回されても、とにかく「がむしゃらに仕事をする」私なので、何とか切り抜けてやっていました。
よく言えば「重宝がられている」悪く言えば「良いように使われている」私だったのです。
頼まれると嫌と言えない私(気弱な訳では決してなく、自分のプライドがそうさせていたのだと思います)でしたが、上司に感謝されたり、同僚や後輩に頼られたりすると嬉しい気持ちがあったのは事実ではありました。

がむしゃらな私はとにかく、朝「今日はここまでやる」と決めたら、絶対に終わらせないと気が済みません。
ランチタイムもそこそこに職場に戻り、仕事の続きを始めたり、残業出来る日は積極的にしていました。
とにかく全てが「自分の決めたスケジュールに沿って完遂」しないと気が済まないのです。
そして帰宅後にはこれまた自分で決めた「家事の予定」がびっしりと詰まっている毎日でした。

自分に厳しい私ですが、他人にはそれを要求しないのも自分の中の規律でした。
同僚の中には楽な所にばかり手を付けて、誰もが嫌がる(私も嫌)仕事は上手く回避するような人がどこへ行ってもひとりはいます。繁忙期にライブに行くからと(周りに言ってしまうのもスゴイ)早退したり、訳の判らない理由で休んでばかりいたり…こういった無責任な人間も多々います。
その分、しわ寄せは私を含めた周りの人間に来る訳です。
頭の中はあまりの怒りで朦朧としているのですが、とにかくやらないことには終わりません。
そんな時、私は進んでその「みんなが嫌がる仕事」に手を付けていました。
決して「いいカッコ」をしてる訳ではなく、それも自分のためでした。
自分の中で「『どん底』を最初に知れば、後は楽になる」という絶対的な仕事の進め方があり、皆が嫌がるような複雑な案件、ユーザーがくせのあるところで誰もやりたがらない案件…等々を初めに率先してこなし、慣れてしまえば後が楽になると思っていたのです。
私は全て、そのやり方で仕事をして来ました。

ところが、こんな状態がそうそう続けられる訳もなく、自分で決めた「規律」に縛られて私は徐々に壊れ、思うように仕事がこなせなくなって来ていました。今思うとこのあたりが「おかしくなり始め」だったのだと思います。
そんなところへ、クライアントの都合でその部署はまるごと無くなることになり、私達はあっけなく全員首切りに遭いました。

次に勤めたところは、仕事の内容も複雑で融通の利かないユーザーとの電話のやり取りも多く、以前よりもさらに過酷な職場でした。今でこそ思いますが、よく3年も持ったと思うのです。
その頃はもう最初から自分は不調であったし、そんな状態の中でも「自分の規律」を無理に押し通して仕事を進め続けた結果、私はどんどん壊れて行きました。

あれほど無駄なく、手際よく自分の決めたスケジュールをこなして仕事をすることが出来ていた私なのに、それがどうしてもどうしても出来なくなりました。
自分のやりたいことに、「脳」がついて来ないのです。

人の言っていることが理解できない、ものが覚えられない、同じ凡ミスを何度もする、自分で作ったマニュアルのどこにそれが書いてあるかそれさえも探せない…しまいには萎縮してキーボードも思うように叩けない、電話に出られない(電話は最初苦手でしたが、これも「『どん底』を最初に知れば、後は楽になる」の精神で克服し、どちらかと言えば得意な方になりました)、…こんな有様になってしまったのです。

それでも私は自分がおかしいのだ、壊れているのだと決して認めることをせず、「仕事内容が難しいからだ」「こんなはずない。出来るはずなんだ」「もう少しすればすらすらと出来るようになるはずなんだ」とさらに自分で自分を追いつめ、深い谷底へと落ちて行ったのでした。

私の中にはいつも、「こうあるべき自分」「こうでなければいけない自分」というものが存在しており、それから外れることは、決してあってはならないことだったのです。
仕事も完璧に、家事も完璧に、人付き合いも完璧に……。
それを死守するために、私はいつも水でいっぱいいっぱいのコップを頭の中に抱え、調子が悪くなってからも規律を曲げることをせず、コップの中の水は表面張力でもっているようなものでした。
そしてある日、全てこぼれてしまったのです。
完全にキャパオーバーだったのだと思います。

今の私は、「こうあるべき自分」とはかけ離れた私でいます。
今となっては、あのがむしゃらに仕事をしていた自分が、別人のように感じられてなりません。

私の「こうあるべき自分」とは、一体何だったのか。
何のためにそんなことをしていたのか。
何に駆り立てられて、私は頑張っていたのか。

今となってはもう、思い出せないでいます。







のんびりだらりといきましょう……

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22:32 うつになって感じたこと | コメント(6)

「起きなさい、ウサギが死んだよ」

2016/02/03
自分の中のイメージなのですが。

頭の中には、ぐしゃぐしゃでもう自分でさえ解けないほどに複雑に絡み合った糸の束があって、その束からはあちこちから、ぴんぴんと糸の先端が飛び出しています。
そして何かの拍子にその糸の先端を引っ張ると、しまい込んで忘れていた古い記憶がずるずると引き出され、自分でもびっくりすることがあります。

人が死ぬか生きるかの瀬戸際の状態に直面した時に、今までの記憶が走馬灯のように頭の中を駆け巡るのは、「何とか今までの自分の経験からこの場を切り抜ける術はないか?」と、脳が必死にあちこちの記憶の引き出しを開け閉めしているからだそうです。

ただの肉の塊なのに、複雑怪奇な「脳」。
──私の場合、この「脳」が只今修理中なんで、こんな状態な訳なのですが…。

何故こんなことを急に思うのかと言うと、最近子供の頃の夢ばかり見るのです。
自分の記憶が漠然と始まった頃からのものですから、いつも夢の中では小学生か、それよりちょっと幼いくらいか。(不思議なもので、中学生や高校生の頃の夢はまるで見ません)
これでもかというくらいに続けて見ることもあるのです。
大抵は公園の遊具(あの丸い、ぐるぐるまわすやつ)で遊んでいて芸能人にたい焼きをもらうとか(笑)、幽霊(?)に追いかけられてみんなで逃げたり隠れたりするとか、他愛もないフィクションなのですが、ノンフィクションであることも多く、覚醒してから「ああ。そんなこともあったな…。」と気味悪くなるくらいにそれは鮮明に、深く沈んでいたはずの記憶をなぞっているのです。

一番気味が悪かったのは、幼稚園の時の夢でした。
幼稚園の時、確か(うろ覚えなんですが)、毎日のお昼はお弁当を持っていくか、幼稚園でパンを注文して食べるかのどちらかだったように記憶しています。
母がお弁当を作れない日にパンを注文する訳です。(さっき母に確認までした私)
そのパンもバリエーションが豊富な訳ではなく、クリームパンかチョコレートパンか…そんな感じで豪勢なものではありませんでした。
朝、親にパン券というものを持たされ、それを幼稚園に持って行くのです。

お昼になりそれを食べるのですが、そのパンの形状をきっちり夢の中で見ているのです。
先生に渡すパン券の小ささも、きちんと覚えているのです。
くるくると渦を巻いたチョココロネと、クリームパンはグローブのような形をしていました。
チョココロネは小さく、すぐ食べ終わってしまうのです。
目が覚めて、私は気味が悪くなりました。

何十年も前の、記憶力さえまだおぼつかない年齢の頃に経験したことなのに、パンの形状までしっかりと脳は記憶しているのです。
そして何より、「これは勝手に脳が作り上げたイメージではなく、事実そのものだ」と自分の中で確信があったことです。
確かに自分はああいうパン券をパンと交換して、子供の頃何度も食していたのです。
気味が悪いのは、どうして今頃こんな記憶を脳が引っ張り上げてきたのか…ということです。
何か深い意味でもあるのでしょうか。
ぼんやりと私はしばらくベッドの中で考え込んでしまいました。


子供の頃、ウサギを飼っていました。
白く、目の赤い小さな子ウサギで、飼って間もなく死んでしまったのですけれども。
そのウサギが死んだときの夢をついこの間、見ました。

どこからかもらってきたのか、それとも買ったのかはもう覚えていません。夢にも出てきませんでした。その記憶はきっと、脳の深い深いところに沈んでしまったのでしょう。
今思うと動物虐待に近いのですが、ウサギはきちんとした小屋も与えられず、アイロンの入っていた木箱に入れられて飼われていたと記憶しています。(ひどい)
その木箱はとても小さく、小さなウサギでも方向転換も出来ないくらいのものでした。

夢の中で、私は母に起こされたのです。

「起きなさい、ウサギが死んだよ。」

起き上がった私の目に映ったのは自分が眠っていた白いシーツと、父の背中と母の顔でした。(両親がどういう表情をしていたのか、よく思い出せません)
見ると、背中を向けた父の傍らの布団の上で、ウサギが硬直して横たわっています。
私はそこで目が覚めました。

今なら判りますがウサギは夜行性なのです。
夜も木箱に入れられていたのですが、遊んで欲しくて夜中に箱を抜け出し、寝ている父の布団に潜り込み、寝返りをうった父の下敷きになって死んでしまったのでした。

ウサギが死んでしまったこの記憶は、その後何十年も経って自分自身でウサギを飼い、そして今も二羽目のウサギを飼っている私の中では、割と浅い位置にある記憶だと思います。
けれども。母の、
「起きなさい、ウサギが死んだよ。」
と言う声で起こされたことは、夢で見るまで忘れていました。
母のその声は、イントネーションまで今でははっきりと思い出すことが出来ます。

その後、あのウサギをどうやって弔ってあげたのかとても気になっているのに、そこは夢では見ないのです。
もしかしたら、両親が私の知らないところで埋葬してあげていて、私の記憶には元から無いのかもしれません。


少し気になったので、「子供の頃の夢を見る」時の深層心理を調べてみました。
私は占いなどはあまり信じないのですが、夢診断は割と気にする方です。
自分の与り知らぬところで、脳に何が起こっているのかを知る手段のような気がするのです。

すると、「過去に未練がある」「過去にトラウマを抱えていて、解放されたいと思っている」「現実逃避」「偽りの自分を作ることに疲れ、純真だった子供の頃に戻りたいと思っている」「やり残したことがあり、気になって前に進めない」……などなど、思い当たるふしがあるようなことばかり出てきました(笑)
ウサギの夢は、実はももがここのところ様子が少しおかしかったので、(擬似妊娠でした。機会があったらこのことは後日書こうと思います)「ウサギ」というキーワードで脳が慌てて記憶の束から引っ張ってきたのかもしれません。

私の脳はもしかしたら、このいつまでも悶々として前に進めない現状をどうにか打開したく、今日もあちこちの記憶の引き出しを一生懸命開け閉めしているのかもしれません。
けれどもあんまり触って欲しくないところは、そのままカオス状態にしておいて欲しいなあ…なんて思う私なのです。





旅行中(一泊だけど)、ちいももの世話を頼む父のために、取説を作った。
億劫でずっと途中で放置してたが、やっと完成…。

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22:20 日々あれこれ | コメント(4)

「このままでは引きこもりに戻ってしまう!」…な日記

2016/02/02
1月31日(日) 晴れ 

この間の診療日でも、主治医に「悪化してるねえ~」と眉をひそめられてしまったのだが。
確かに本当に調子が悪い。
訳の判らない不安感と、無気力感、倦怠感に苦しめられている。

どうしよう。何もする気が起きない。
どうしよう。なんでこんなに無気力でだるいんだろう。
このままではまた「引きこもり生活」に戻ってしまう。

うつになったばかりの頃は、正真正銘の引きこもりだった。
何しろ、「外へ出ていく」ことが怖くて出来なくなってしまったのだ。
人が怖い、喧騒が怖い、あらゆる音が怖い、人にどう見られているか気になる心が怖い。
自室に閉じこもって薬の副作用と戦いながら、自分の先行きや色んなことを考えては泣いていた。
その頃よりは格段に回復しているとは思うのに、未だにこの酷い無気力状態…「だるだる病」が襲ってくる。

今週はダンナが土日ともに休みだが、珍しく「どこかへ出かけよう」と言ってこないのでホッとする。
昨日から私が自室に閉じこもって出て来ないので察してくれたんだろう。
ダンナはダンナで、私は私で、会話もなくただダラダラと時間を消費する。
ダラダラしていても、ダンナがいると食事の用意はしなくてはならない。
一人だったら面倒臭くて昼は何も食べない。

昼を回ってもダンナが起きてくる様子がないので、そろそろと自室から出てリビングに行ってみると、食べ散らかしたお菓子の残骸…。ダンナは隣の和室で爆睡。
……私は眩暈がした。
私が調子悪いのを薄々判っていて、昼になり空腹でも「お昼どうする?」とか決して声を掛けて来ない。
その辺にあるものを食べてまた寝る。
───これも気遣いか?

仕方なく私が、歩いて5分ほどのコンビニへ買い物に出かける。
嫌々ジャージの下だけジーンズに履き替え、ダウンを羽織る。ぐしゃぐしゃの長い髪はニット帽を深く被り、すっぴんはマスクで誤魔化した。
面倒臭いのでダンナにカップ麺のでかいやつとおにぎりふたつ、私に菓子パンを買ってとっとと戻る。
今の私にはこのコンビニまでがぎりぎり出かけられる距離である。

帰って来てそれらをキッチンに置いて再び自室にこもり、なんとなくムカムカする。
何で私が買って来なければいけないのか。
ダンナは行こうともしないので昨日も調子が悪いのに、私が渋々出かけて行った。
ダンナはそれが当たり前だと思っているのか、空腹になる時間になっても何もしない。
たまには彼が買いに行ってくれてもいいのではないか。

だけど、こんなこと考えてはいけないんだと自分を戒める。
ダンナは毎日一生懸命働いて、昨日今日と休養中なのである。
万年休養中で自堕落な生活を送っている私が、こういうことはやるべきなのだと言い聞かせた。
こういう時は全ての非が自分にあるように感じてしまう。
それはいけないと主治医にも言われたが、今の私には無理である。

コーヒーを飲もうとキッチンに行くと、在庫が切れかけている…これも買って来なければならない。
そう言えば、お茶ももう無い。牛乳も、ダンナの「飲むヨーグルト」も。
お風呂の洗剤も無いし、ももの牧草もそろそろネットで注文せねば。
なんで「もの」って無くなるときは一斉になくなるのだろう。
行き場もないイライラを何にぶつけていいのか判らない。

掃除もしたい、お風呂も洗ってない。旅行の準備もしなければならない、書類も書かなければならない。
けれども今の私には、それらをする気力がない。
旅行の準備もやりかけて面倒臭くなって止め、掃除も掃除機を組み立てている間にどうしようもない倦怠感に襲われてそのままだ。
妹からのLINEを返す気力もなく、既読スルー。



2月1日(月) くもり

どうも昼間寝ているせいか夜は目が覚めてしまう。
また嫌な夢を見て辟易する。
生活のサイクルからしてダメダメだ。

今日から2月なのに気付いて慌ててカレンダーをめくる。
1月は「行く」、2月は「逃げる」、3月は「去る」というが、本当に早い。
こんな調子ですぐに半年くらい経ってしまうのではないか?
…その時私はどうなっているんだろう…と怖くなったので、思考を一旦停止する。

今日こそは買い物に出かけなければと、昨夜から決心を固めて買うものをメモして壁に貼り、ベッドに入ったのに、今日になったらその決心は跡形もなく消えていた。
ダンナが早出だったので、暗いうちに送り出した後、薬を飲んだら猛烈な睡魔が襲い、負けて寝込む。
目覚めたら、外は私と同じようにどんよりと暗い空である。
タバコばかり喫い、ちいとももにちょっかいを出して軽く1時間を消費する。
出かけるならもう着替えなければ、人が多い時間帯になってしまう。
なのにだらだらと何もせず、またも時間の無駄遣い。

昔はあんなに時間に追われる生活で、ほんの僅かな時間の隙間さえ、何かできないかと常にきょろきょろと状況を窺い、ぎっちりと時間をタスクで埋めて過ごしていたのに。
貧乏性なのかなんなのか、とにかく時間を無駄にはしたくなく、何もしないでぼーっとしているなんて自分の中では有り得ないことだったのだ。

それがどうだ。今は時間を無駄に消費してばかりいる。
こうして何もせず、身体を休めることも必要だと主治医に言われたが、いったいそれはいつまで?
いつまでこの生活が続くのだろう。
それを思うと今度はネガティブの波に捕まるので、そこでまたもや一旦思考を停止する。

今日も外へ出ていく気力がないので、あきらめて自室にこもる。
そう言えばここのところ外へ出たのはコンビニだけ。
あんなに好きだったウォーキングも、今年に入ってから全くしていないことに気付いて愕然とする。
一時は就活をするまでに浮上したのに、一体どうしてこうなってしまったんだろう。
ハロワに行くのも、求人情報誌を見るのも今は億劫。
何よりこんな状態では、働ける自信などもうどこかに行ってしまって久しい。

せめて新聞だけでもポストから取ってこないとダンナに申し訳なく、ジャージのままエントランスに降りる。
掃除をしている管理人さんに会ってしまい、さわやかに挨拶された。
こんなに寒い日も、管理人さんは汗だくで床の掃除をしている。
管理人さんだけじゃない、世の中の人は皆、きちんと行くべき場所に行き、やるべきことをやって時間を消費しているのだ。
暗い気持ちになって部屋へ逃げ込む私。

子供のいない専業主婦だって世の中には沢山いる。
その是非を考えることもなく、それが「当たり前」の人もいるんだよ、と友人に以前慰められたのを思い出した。
けれども、私は専業主婦でさえない。
やるべきことを何にもしてないのだから。

フルタイムで働き、残業も多く、それでも家事に一切手を抜くことをせず、時間に追い立てられて毎日クタクタだった私。
今思うと、あんな生活を続けていたのは本当にこの自分なのかと疑いたくなってくる。


いつも通りにただ無音が怖いので点いているだけのテレビの音。
それをBGMにして、キーボードを叩きつけるようにしてこれを書いている。

今日は髪を洗わなければ…。
昨日どうしても気力がなく、断念してしまったので今日こそは、とそれだけは固く誓う。





いつも見に行くと寄ってきて顔を覗き込んでくれるちい。
…癒される。

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17:30 日記 | コメント(2)
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