どうしよう、旅行だって!
2016/01/16
ダンナが帰るなり、荷物を放り出してキッチンのカレンダーに何か書き込んでいます。
何してるんだろう…と見に行くと、1月分をめくり上げ、2月の日にちに何やら書き込んでいました。
見ると2月の前半の土日は全部出勤で(!)、平日に2日続けて「休み」とあります。
どうやら代休の模様。(ほんとに取れるんだろうか。一抹の不安が…)
「ここさ」と、「休み」の文字を指でトントン…とやりながら、ダンナが笑顔で言いました。
「一泊で温泉にでも行こうよ。」
ダンナが盆と正月を除き、平日続けて休みを取れるなんてほんとに何ヶ月ぶりかなので、それにも驚いたのですが、何よりもダンナからそんなことを言われたのも初めてで、私は咄嗟のことに固まってしまいました。
やっと出た言葉は、「…安いとこ探して、ね。」
「調べといて~」とダンナは上機嫌でバスルームへと姿を消しました。
その後ろ姿を見送りながら、私は何とも言えず、複雑な心境に陥っていました。
旅行…。旅行だって。ダンナと。
──行けるかなあ、私。
──大丈夫かなあ、私。
以前の私なら、飛び上がって喜び、すぐにPCを立ち上げて色々宿を物色し始めたかもしれません。
けれども今の私はたった一泊の旅行でも、不安で身構えてしまうばかりです。
何より、宿を決めたり何だりの複雑な手続きがまず億劫。(私がやる…んだよね、きっと)
「決める」ということが今とても難しい私。判断力が欠如していて、つまらない事柄でもいちいち迷ってなかなか決められない始末なのです。
ダンナはダンナなりに、閉じこもり気味で口数の少ない私に気を遣ってくれたのかもしれません。
私は温泉が大好きですが、あまり彼は興味がないのです。
共稼ぎの生活だった頃は、毎月「旅行貯金」というものをきっちりとやっていて(細かい)、一年間頑張った自分たちへのご褒美として、毎年どこかしら国内に旅行をしていました。
私は国内旅行が好きで、死ぬまでに出来るだけ、日本の様々な地を踏みたいと思っていたのです。
四国はまだ未踏ですが、他は全部回りました。
最後に行ったのは伊勢神宮で、それを最後にうつになってからはダンナとはどこへも旅行していません。
伊勢神宮に行った頃は、今思うと私は徐々に壊れ始めていて、精神的にも不安定なところがありました。あの頃から脳内のセロトニンが減り始めていたのか、少しずつ心身に変調をきたしていたようです。
ちなみにこの時、列車のチケットから財布から何もかも入ったバッグを、スーツケースに気を取られてトイレに置き忘れ、ダンナに舌打ちされるという失態をやらかしています。(掃除のおばさんが拾っててくれたので無事でした)
最後まで休みがとれる、とれないで会社でゴタゴタしていたダンナには、旅行先でも会社から何度も仕事上の連絡がありました。(見ていてさすがに気の毒になりました)
最初からテンションの低かった彼を、それが一層不機嫌で無口にさせ、何を観てもリアクションに乏しく(まあ普段からそうなんですけれどね。(笑))、そんな彼に気を遣いすぎて次第に私まで不機嫌になっていたのを覚えています。
それでも鳥羽水族館に行ったらようやくダンナも機嫌を直し、ジュゴンを眺めてはしゃいだりしていました。(おそるべし動物たちの力!)
そんな訳で、私は旅行中すっかり疲れ切ってしまい、もうふたりで旅行するのは最後かもしれない…などと帰りの新幹線でぼんやり考えていたのです。
奇しくもそれはやがて現実となり、私は仕事を辞め、とても旅行できるような状態ではなくなってしまいましたが。
ダンナは前にも書いたように、わざとそうしているのかは不明ですが、私の病気には無関心です。
それでいて恐ろしくマイペースな人間なので、それに合わせて行動することが、今の自分にはかなりの苦痛であると言えます。
自分の調子がまたこれ以上悪くなるのではないか…と不安に思う私をよそに、ダンナは「ちいともも、どうしようか?」などとタオルで髪を拭き拭き上機嫌で訊ねてきます。
今の調子で旅行して、一番ネックだと思われるのはやはり私の場合、「周りの光景や音を全て掬い上げて取り込み、パニック状態になる」…この「精神オープン状態」(…と名付けた)でしょうか。
列車やバスの中では耳栓はもちろん必須ですが、これで目的地に着くまでにへとへとになってしまうのです。これでは旅を楽しむどころではありません。
観光地と人ごみは切っても切れないし。
乗り物に長時間乗って、近くに五月蠅い輩がいたらどうするの?耐えられるの?
温泉とか、ひとりで入れるの?不安にならないの?
宿でちゃんと眠れるの?
なんかまたやらかして、ダンナにイラッとされたら落ち込むんじゃないの?
どんどんどんどんネガティブな不安が頭をもたげて止まりません。
──そもそも耳栓をして旅行って……あまりに悲しすぎませんか?
けれども自分の中のポジティブなもう一人の私(居たんだ!(笑))が、必死に囁いてきます。
「行ってみようよ。環境が変わって良いことがあるかもしれないよ。」
「いつだってそうだったじゃない。いつも旅行をする時、会社を辞めるかどうかで悩んでたりして。
でも、旅行して色んなものを観て、聴いて、味わって、感じて。それでリフレッシュできて。
またこういう旅行がしたいと思って、その後また頑張れたじゃない。」
「行ってみようよ。大丈夫だよ。考えすぎないで行ってみようよ。」
「たまには思い切って喧騒の中に身を置いてごらん。」
「気分が変わることがあるかもしれないよ。」
うつ状態での旅行は、辛く重い時期(急性期)は却って負担になってしまうので良くないと聞きます。
そうでなければ適度なリフレッシュになって良いこともあるのですが、予定を詰め込みすぎて無理なスケジュールをこなしたり、刺激の多すぎる内容だと、それに脳がついて来れずにパニックを起こして、疲れて調子を崩してしまうこともあるそうです。
「自分が嫌だと思うことは無理にしないこと」
「『せっかく旅行に来てるんだから、何もかもポジティブに…!』…なんてのは無理なんだから、自分の心の動きに素直になり、自分を否定しないこと」
「疲れたと思ったら、休むこと」
「自分の心地よいと思う環境を作りだせるようなプランだと尚良い」
「同行者に疲れるまで気遣いをしないこと」
…こんな感じで臨むのがベストだということでしょうか。
自分に言い聞かせてみる私。(何度も言いますが、一泊旅行です…)
とにかく、まず主治医に一応相談してみようかな…。
あと、貯金とも……。
ちょっと乗り気になってきたかもしれません……。
ちょっとですけど。
…置いてきぼりっスか……((+_+))

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何してるんだろう…と見に行くと、1月分をめくり上げ、2月の日にちに何やら書き込んでいました。
見ると2月の前半の土日は全部出勤で(!)、平日に2日続けて「休み」とあります。
どうやら代休の模様。(ほんとに取れるんだろうか。一抹の不安が…)
「ここさ」と、「休み」の文字を指でトントン…とやりながら、ダンナが笑顔で言いました。
「一泊で温泉にでも行こうよ。」
ダンナが盆と正月を除き、平日続けて休みを取れるなんてほんとに何ヶ月ぶりかなので、それにも驚いたのですが、何よりもダンナからそんなことを言われたのも初めてで、私は咄嗟のことに固まってしまいました。
やっと出た言葉は、「…安いとこ探して、ね。」
「調べといて~」とダンナは上機嫌でバスルームへと姿を消しました。
その後ろ姿を見送りながら、私は何とも言えず、複雑な心境に陥っていました。
旅行…。旅行だって。ダンナと。
──行けるかなあ、私。
──大丈夫かなあ、私。
以前の私なら、飛び上がって喜び、すぐにPCを立ち上げて色々宿を物色し始めたかもしれません。
けれども今の私はたった一泊の旅行でも、不安で身構えてしまうばかりです。
何より、宿を決めたり何だりの複雑な手続きがまず億劫。(私がやる…んだよね、きっと)
「決める」ということが今とても難しい私。判断力が欠如していて、つまらない事柄でもいちいち迷ってなかなか決められない始末なのです。
ダンナはダンナなりに、閉じこもり気味で口数の少ない私に気を遣ってくれたのかもしれません。
私は温泉が大好きですが、あまり彼は興味がないのです。
共稼ぎの生活だった頃は、毎月「旅行貯金」というものをきっちりとやっていて(細かい)、一年間頑張った自分たちへのご褒美として、毎年どこかしら国内に旅行をしていました。
私は国内旅行が好きで、死ぬまでに出来るだけ、日本の様々な地を踏みたいと思っていたのです。
四国はまだ未踏ですが、他は全部回りました。
最後に行ったのは伊勢神宮で、それを最後にうつになってからはダンナとはどこへも旅行していません。
伊勢神宮に行った頃は、今思うと私は徐々に壊れ始めていて、精神的にも不安定なところがありました。あの頃から脳内のセロトニンが減り始めていたのか、少しずつ心身に変調をきたしていたようです。
ちなみにこの時、列車のチケットから財布から何もかも入ったバッグを、スーツケースに気を取られてトイレに置き忘れ、ダンナに舌打ちされるという失態をやらかしています。(掃除のおばさんが拾っててくれたので無事でした)
最後まで休みがとれる、とれないで会社でゴタゴタしていたダンナには、旅行先でも会社から何度も仕事上の連絡がありました。(見ていてさすがに気の毒になりました)
最初からテンションの低かった彼を、それが一層不機嫌で無口にさせ、何を観てもリアクションに乏しく(まあ普段からそうなんですけれどね。(笑))、そんな彼に気を遣いすぎて次第に私まで不機嫌になっていたのを覚えています。
それでも鳥羽水族館に行ったらようやくダンナも機嫌を直し、ジュゴンを眺めてはしゃいだりしていました。(おそるべし動物たちの力!)
そんな訳で、私は旅行中すっかり疲れ切ってしまい、もうふたりで旅行するのは最後かもしれない…などと帰りの新幹線でぼんやり考えていたのです。
奇しくもそれはやがて現実となり、私は仕事を辞め、とても旅行できるような状態ではなくなってしまいましたが。
ダンナは前にも書いたように、わざとそうしているのかは不明ですが、私の病気には無関心です。
それでいて恐ろしくマイペースな人間なので、それに合わせて行動することが、今の自分にはかなりの苦痛であると言えます。
自分の調子がまたこれ以上悪くなるのではないか…と不安に思う私をよそに、ダンナは「ちいともも、どうしようか?」などとタオルで髪を拭き拭き上機嫌で訊ねてきます。
今の調子で旅行して、一番ネックだと思われるのはやはり私の場合、「周りの光景や音を全て掬い上げて取り込み、パニック状態になる」…この「精神オープン状態」(…と名付けた)でしょうか。
列車やバスの中では耳栓はもちろん必須ですが、これで目的地に着くまでにへとへとになってしまうのです。これでは旅を楽しむどころではありません。
観光地と人ごみは切っても切れないし。
乗り物に長時間乗って、近くに五月蠅い輩がいたらどうするの?耐えられるの?
温泉とか、ひとりで入れるの?不安にならないの?
宿でちゃんと眠れるの?
なんかまたやらかして、ダンナにイラッとされたら落ち込むんじゃないの?
どんどんどんどんネガティブな不安が頭をもたげて止まりません。
──そもそも耳栓をして旅行って……あまりに悲しすぎませんか?
けれども自分の中のポジティブなもう一人の私(居たんだ!(笑))が、必死に囁いてきます。
「行ってみようよ。環境が変わって良いことがあるかもしれないよ。」
「いつだってそうだったじゃない。いつも旅行をする時、会社を辞めるかどうかで悩んでたりして。
でも、旅行して色んなものを観て、聴いて、味わって、感じて。それでリフレッシュできて。
またこういう旅行がしたいと思って、その後また頑張れたじゃない。」
「行ってみようよ。大丈夫だよ。考えすぎないで行ってみようよ。」
「たまには思い切って喧騒の中に身を置いてごらん。」
「気分が変わることがあるかもしれないよ。」
うつ状態での旅行は、辛く重い時期(急性期)は却って負担になってしまうので良くないと聞きます。
そうでなければ適度なリフレッシュになって良いこともあるのですが、予定を詰め込みすぎて無理なスケジュールをこなしたり、刺激の多すぎる内容だと、それに脳がついて来れずにパニックを起こして、疲れて調子を崩してしまうこともあるそうです。
「自分が嫌だと思うことは無理にしないこと」
「『せっかく旅行に来てるんだから、何もかもポジティブに…!』…なんてのは無理なんだから、自分の心の動きに素直になり、自分を否定しないこと」
「疲れたと思ったら、休むこと」
「自分の心地よいと思う環境を作りだせるようなプランだと尚良い」
「同行者に疲れるまで気遣いをしないこと」
…こんな感じで臨むのがベストだということでしょうか。
自分に言い聞かせてみる私。(何度も言いますが、一泊旅行です…)
とにかく、まず主治医に一応相談してみようかな…。
あと、貯金とも……。
ちょっと乗り気になってきたかもしれません……。
ちょっとですけど。
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