人生で最大の失敗
2016/01/14
さしてファンでもないのに、SMAPの解散がどうしてこんなにショックなのか判りません。
うーん。もろにSMAP世代だからかなあ。
大ファンって訳ではありませんが、あの5人が好きでした(もう過去形…)
「スマスマ」なんて、仕事してた頃は、帰宅して家事も終わり、ようやく座って夜ごはんが食べられる…という時間帯に(遅!)やっているので、よく観ながら食べてました。
遅かれ早かれ何時かはこういう日が来たのでしょうが、うーん。解散しないで欲しいなあ、まだ……。
…などとテレビの前に座りこみ、情報番組を観ながらダラダラしている私の胸元にはちいがいます。
「ちぃ?ちぃ?」などと甘えて見上げてくる仕草や、何を言ってるか判らない(ちい語)を発しながら、構って貰おうと首を振り振り必死な姿を眺めていると、もう可愛くてたまりません。
じわ~っと温かい「愛情」が湧いてきます。
ちいは、疲れてグダグダになった私の苦い脳みそに、甘いガムシロップを注いでくれるかのような存在です。
ももも可愛くて仕方がないのですが、やはりうつになって一番酷かった頃に、私をネガティブ思考の底からぐいーっと、小さな身体で引き上げてくれたちいの存在は、私にとって特別なものなのです。
しかし。まずい…と実は思っています。
ちいに多分に依存しちゃってる部分があるなあ……と。
これではちいがもし目の前からいなくなった時、どうなるか自信がありません。
現在は普通の状態ではないので(いつまで続くかも判らないし)、ペットロスを乗り越えるのは困難であろうと覚悟しています。
そう言えば、私は「依存傾向がある」と心療内科でも以前言われていたのですが、全くその通り。
何にでもすぐ、依存してしまうところがあります。
「人間」には依存しないのに(それどころか適度に距離を置いている)「もの」にはすぐに依存してしまうのです。
アルコールやタバコがその最たるもので、特にタバコは仕事を辞めて束縛される時間がなくなったせいなのか、うつで不安定だからなのか、以前より俄然、本数が増えました。
欲求の何もかもが脳から去って行ったあの発病当初の頃にさえ、「喫いたい」という欲求のみは消えないでいたのです。それどころか、増していたかもしれない……。
私の今の人生で、一番の失敗は「タバコに手を出したこと」です。
どうしてこんなものに手を出しちゃったんだろう、全く…。
初めて喫いだした頃は、もう20才くらいだったと記憶していますが、定かではありません。
今でこそ、その人口は減っていますが、あの頃はとにかく周りは男女ともに喫煙者だらけでした。
昔は「タバコの害」なんて声高に訴える人々も少なく、それこそ「受動喫煙」なんて言葉も、割合近年から謳われるようになったのでは…と記憶しています。
昔はどこでも喫煙できたのです。新幹線の中でも、飛行機の中でも。
あの狭いカラオケボックスの中も煙でもうもうとしていました。
皆、平然としていましたが、吸わない人は実はどんなにか辛かっただろうと思います。
仕事が終わって毎晩のように飲み歩いていた私は、皆と一緒にアルコールをしこたま摂取し、タバコを口にし、頭がぼんやりと理性を失って(こわ~)柔らかく解けてくるあの雰囲気が好きでした。
飲酒しながらのタバコはまた、格段に美味しいのです。
なので自分の中で、アルコールとタバコはワンセットでした。
家で飲酒する時にも、タバコはかかせないものでした。(うちはダンナも喫うので、以前のアパートの壁紙は真っ黄色でした…。
あの頃は本当に「美味しい」と思ってタバコを喫うことが多かった気がします。
ところがいつしかそれは私の場合、「精神安定剤」「抗不安薬」のような役割を果たすようになって来ました。
今までもそういうことはありましたが、食後や、ひと仕事終えた後の充実感で「喫いたい。美味しい」と思って喫うよりも、「苛々する」「不安だから」「落ち着きたいから」という気持ちでタバコに手を伸ばすことが多くなりました。
こうなると「タバコを楽しむ」というより、「タバコに縛られている」と言った方がいいのかもしれません。
アルコールにも依存気味だった私が、心療内科の先生のひとことですぱっと止められたのに、タバコはどうしてもどうしても止められないのです。(先生も、ストレスが逆に溜まる原因になるからなのか、タバコに関しては『控えよ』程度にしか言いません。(笑))
タバコは時に良いコミュニケーションツールにもなって、会社の喫煙所などでは、上司やあまり話したことのない別の課の顔見知りの人々と話せるようになったり、いいこともありました。
けれども、やはり「デメリットの方が圧倒的に大きいよなあ」と年齢を重ねた今となっては思わざるを得ません。
身体にも悪いし(特に私は喘息持ち!)、肌などの老化も進みやすくなるし、新陳代謝が悪くなるし、歯のケアもまめにやらないと大変なことになるし、臭いもいつも身体にまとわりついてる気がするし…。
そして一番のデメリットが「お金がかかる」
そこで私の場合、せめて「喫えない場所」を作ると良いと聞いたので、
①会社では喫わない ②喫わない人の前では喫わない ③両親の前では喫わない
…の規律を守るようにしてみました。
これでもさほど苦痛に感じなかったので、止められるような気もするのですが、その分一人でいるとどうしても喫ってしまうのです。(喫いたくて喫うというよりも、もう習慣化してしまっているのでしょう)
外出すれば喫煙所を探してうろうろし、隅っこに区切られた狭い空間をやっと見つけ、せかせかと煙を吸い込む。
ランチに入っても最近はランチタイム全面禁煙の店が多いし、かと言って逆に分煙されてない喫煙可の店に行き、子供が傍にいる席に通されると気が引けるので席を変えてもらったりする始末…。
一時期、こうした「タバコ、タバコ…」といつもタバコの吸える所を探す「喫煙所ジプシー状態」が急にアホらしくなって、半年ほど禁煙したことがあります。
最初のうちは喫いたくて喫いたくて…というか、生活のペースの中に組み込まれてしまっているので(これ終わったら喫う、あれ終わったら喫う…みたいな)どうにも不自由を感じていましたが、そのうち飲み会で友人がタバコを喫っていても大丈夫になりました。あのまま止めておけばよかったのに、その後ある出来事があって耐えきれず、再び手を伸ばしてしまい、そして今に至ります。
もう今となってはきっぱり「禁煙」できそうもないのでほとんどあきらめモードですが、せめて「減煙」くらいはしたいなあ…と思っています。…さて、どうかなあ。
────もう、「生涯の友」になりそうな予感が…(笑)
時々、呆れたような目をするちい。
ちいのちっこい目はほんとに表情豊かだなあ。

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うーん。もろにSMAP世代だからかなあ。
大ファンって訳ではありませんが、あの5人が好きでした(もう過去形…)
「スマスマ」なんて、仕事してた頃は、帰宅して家事も終わり、ようやく座って夜ごはんが食べられる…という時間帯に(遅!)やっているので、よく観ながら食べてました。
遅かれ早かれ何時かはこういう日が来たのでしょうが、うーん。解散しないで欲しいなあ、まだ……。
…などとテレビの前に座りこみ、情報番組を観ながらダラダラしている私の胸元にはちいがいます。
「ちぃ?ちぃ?」などと甘えて見上げてくる仕草や、何を言ってるか判らない(ちい語)を発しながら、構って貰おうと首を振り振り必死な姿を眺めていると、もう可愛くてたまりません。
じわ~っと温かい「愛情」が湧いてきます。
ちいは、疲れてグダグダになった私の苦い脳みそに、甘いガムシロップを注いでくれるかのような存在です。
ももも可愛くて仕方がないのですが、やはりうつになって一番酷かった頃に、私をネガティブ思考の底からぐいーっと、小さな身体で引き上げてくれたちいの存在は、私にとって特別なものなのです。
しかし。まずい…と実は思っています。
ちいに多分に依存しちゃってる部分があるなあ……と。
これではちいがもし目の前からいなくなった時、どうなるか自信がありません。
現在は普通の状態ではないので(いつまで続くかも判らないし)、ペットロスを乗り越えるのは困難であろうと覚悟しています。
そう言えば、私は「依存傾向がある」と心療内科でも以前言われていたのですが、全くその通り。
何にでもすぐ、依存してしまうところがあります。
「人間」には依存しないのに(それどころか適度に距離を置いている)「もの」にはすぐに依存してしまうのです。
アルコールやタバコがその最たるもので、特にタバコは仕事を辞めて束縛される時間がなくなったせいなのか、うつで不安定だからなのか、以前より俄然、本数が増えました。
欲求の何もかもが脳から去って行ったあの発病当初の頃にさえ、「喫いたい」という欲求のみは消えないでいたのです。それどころか、増していたかもしれない……。
私の今の人生で、一番の失敗は「タバコに手を出したこと」です。
どうしてこんなものに手を出しちゃったんだろう、全く…。
初めて喫いだした頃は、もう20才くらいだったと記憶していますが、定かではありません。
今でこそ、その人口は減っていますが、あの頃はとにかく周りは男女ともに喫煙者だらけでした。
昔は「タバコの害」なんて声高に訴える人々も少なく、それこそ「受動喫煙」なんて言葉も、割合近年から謳われるようになったのでは…と記憶しています。
昔はどこでも喫煙できたのです。新幹線の中でも、飛行機の中でも。
あの狭いカラオケボックスの中も煙でもうもうとしていました。
皆、平然としていましたが、吸わない人は実はどんなにか辛かっただろうと思います。
仕事が終わって毎晩のように飲み歩いていた私は、皆と一緒にアルコールをしこたま摂取し、タバコを口にし、頭がぼんやりと理性を失って(こわ~)柔らかく解けてくるあの雰囲気が好きでした。
飲酒しながらのタバコはまた、格段に美味しいのです。
なので自分の中で、アルコールとタバコはワンセットでした。
家で飲酒する時にも、タバコはかかせないものでした。(うちはダンナも喫うので、以前のアパートの壁紙は真っ黄色でした…。
あの頃は本当に「美味しい」と思ってタバコを喫うことが多かった気がします。
ところがいつしかそれは私の場合、「精神安定剤」「抗不安薬」のような役割を果たすようになって来ました。
今までもそういうことはありましたが、食後や、ひと仕事終えた後の充実感で「喫いたい。美味しい」と思って喫うよりも、「苛々する」「不安だから」「落ち着きたいから」という気持ちでタバコに手を伸ばすことが多くなりました。
こうなると「タバコを楽しむ」というより、「タバコに縛られている」と言った方がいいのかもしれません。
アルコールにも依存気味だった私が、心療内科の先生のひとことですぱっと止められたのに、タバコはどうしてもどうしても止められないのです。(先生も、ストレスが逆に溜まる原因になるからなのか、タバコに関しては『控えよ』程度にしか言いません。(笑))
タバコは時に良いコミュニケーションツールにもなって、会社の喫煙所などでは、上司やあまり話したことのない別の課の顔見知りの人々と話せるようになったり、いいこともありました。
けれども、やはり「デメリットの方が圧倒的に大きいよなあ」と年齢を重ねた今となっては思わざるを得ません。
身体にも悪いし(特に私は喘息持ち!)、肌などの老化も進みやすくなるし、新陳代謝が悪くなるし、歯のケアもまめにやらないと大変なことになるし、臭いもいつも身体にまとわりついてる気がするし…。
そして一番のデメリットが「お金がかかる」
そこで私の場合、せめて「喫えない場所」を作ると良いと聞いたので、
①会社では喫わない ②喫わない人の前では喫わない ③両親の前では喫わない
…の規律を守るようにしてみました。
これでもさほど苦痛に感じなかったので、止められるような気もするのですが、その分一人でいるとどうしても喫ってしまうのです。(喫いたくて喫うというよりも、もう習慣化してしまっているのでしょう)
外出すれば喫煙所を探してうろうろし、隅っこに区切られた狭い空間をやっと見つけ、せかせかと煙を吸い込む。
ランチに入っても最近はランチタイム全面禁煙の店が多いし、かと言って逆に分煙されてない喫煙可の店に行き、子供が傍にいる席に通されると気が引けるので席を変えてもらったりする始末…。
一時期、こうした「タバコ、タバコ…」といつもタバコの吸える所を探す「喫煙所ジプシー状態」が急にアホらしくなって、半年ほど禁煙したことがあります。
最初のうちは喫いたくて喫いたくて…というか、生活のペースの中に組み込まれてしまっているので(これ終わったら喫う、あれ終わったら喫う…みたいな)どうにも不自由を感じていましたが、そのうち飲み会で友人がタバコを喫っていても大丈夫になりました。あのまま止めておけばよかったのに、その後ある出来事があって耐えきれず、再び手を伸ばしてしまい、そして今に至ります。
もう今となってはきっぱり「禁煙」できそうもないのでほとんどあきらめモードですが、せめて「減煙」くらいはしたいなあ…と思っています。…さて、どうかなあ。
────もう、「生涯の友」になりそうな予感が…(笑)
時々、呆れたような目をするちい。
ちいのちっこい目はほんとに表情豊かだなあ。

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