あの頃は夢中だった
たまには自分が元気だった頃の話を書こうと思います(笑)
先日、PCデスクの下にあるディスクボックスの整理をしていたら、沢山の何だかわからないCDが出てきたので見てみました。(私はこういうところは無精で、ラベルをきちんと貼ったりしない)
すると、大昔にやっていたホームページ(ブログじゃなくてホームページです!)の片鱗が出てきて物凄く懐かしくなり、膨大なその量を片っ端から見まくりました。
今はブログが主流ですが、大昔に私がホームページを立ち上げていた頃は、まだブログやFacebookなんて便利なものは一般的に浸透していなくて、殆どの人がレンタルサーバーを無料で借りて、「ホームページビルダー」のようなソフトで一からホームぺ―ジを作成してアップロードしていました。
あちこちのサイトから無料の素材を借りてきて(これが見ているだけでも楽しい)、入口から全て自分で好きなようにデザインするのです。大変でしたがとても面白く、私は凝りだすと止まらないので「HTMLタグ辞典」なるものを購入したり、元プログラマーの同僚に判らないところを教えてもらったりして、タグについて勉強したりもしていました。(今でも良く判らないままですが…)
サイトの模様替えなんかに取り掛かると、2時間、3時間はあっという間です。
一時は、休日などは一日中家事そっちのけで自室に籠って集中してしまい、ダンナが不機嫌になるという事態によく陥っていました。
ブログはテンプレートが用意されていて(ある程度はカスタマイズできますが)、便利で始めやすいのですが、ホームページは真っ白のスペースを借りるところから始まって、入口のページ、メニューのページ、それから諸々のコンテンツにリンクを貼って…等々、作るには本当に個人のセンスが物を言いました。
ウェブ上には色んな方々の様々な部屋(サイトをよく『部屋』と呼んでた)があり、中には物凄く凝った素敵な造りの部屋もあったりして、本当にサイト巡りするだけでも楽しいものでした。
やはり知識の豊富な方の部屋はシンプルで見やすく、見ていても「重い」と感じさせないところにまで気を配って作ってあり、私など足元にも及ばないセンスの良さでした。
私は昔から文章を書くのが好きでしたので、そこに日記や自作の小説、ドラマや映画の感想なんかも上げていて(当時、テレビドラマや映画をよく観てた)、まったりと運営していました。
ブログで言う、「コメント」のようなものは、やはり無料の掲示板を借りてそこにリンクを貼り、それが読者とのコミュニケーションの場になってました。
そこに、たまに小説の感想なんぞを頂くととても嬉しく、励みになったのを覚えています。
今思うと、メルアド(フリーメールですが)まで公開してたんだから恐ろしいなと思います。(自分の個人的なアドレスまで公開してる人も多々だった)
そう言えばよく、辛辣なメールやウィルス付きのメールなんぞも送られてきたりしていました。
やがてホームページを通して色んな知り合いが出来て、イベントやオフ会などにも出かけて行くようになりました。
お互いの部屋にリンクを貼り合う(相互リンクと言った)などして仲良くなり、憧れのイラストサイトさんなんかから自分の部屋にリンクを貼ってもらうと、もう天にも昇る気持ちでした(笑)
私の部屋はおもに文章部屋なので地味でしたが、有名なイラストサイトさんなんかは読者もとても多く、カウンターの総計が見たこともない数字になっていました。
カウンターと言えば、「キリバン」というのがあって、そのサイトの管理人さんが決めた数字やゾロ目を踏むと、自分のリクエスト通りにイラストを描いてもらえ、それをプレゼントして頂けるのです。
そうして頂いたイラストを自分の部屋に「○○様からの頂きもの」として飾ったりしていました。
……すいません。ちょっと熱くなってしまいました(笑)
こういう話に全く興味のない方、ごめんなさいね。
ところで、先出の元プログラマーの同僚ですが。
ある日、私がこうしてホームページに没頭し、楽しそうにやっているのを見て、「自分もやってみようかな」と言い出しました。
「ネット上で友達を作りたいんだよね。」
私はもちろん喜び勧め、彼女はやがて素晴らしい部屋を作り上げました。
元プログラマーなので、ホームページを作るなんてお手のものです。
シンプルで落ち着いた色調の、とても可愛らしい部屋だったと記憶しています。
「私は絵も文章も書けないから、無料素材の部屋にしたよ。」とのことで、すぐに相互リンクをして私も何度か彼女の素材を借りたりしていたのです。
ところが最初のうちはそれで良かったのですが、だんだんふたりの関係がおかしくなって来ました。
「ネット上で友達を作りたい」と彼女が常々言っていたので、私はイベントやオフ会に彼女を誘うようになりました。彼女も喜んでいつも参加し、しだいに私のネットで知り合った昔からの友人たちも彼女と面識を持つようになりました。
ところが彼女の態度は次第にエスカレートし、いつもその場で主導権を握ろうとするのです。
それどころか、私の友人の作品をしたり顔で陰でひどくこき下ろしていたり、私抜きで私の友人たちと飲み会を企画していたりと(友人たちは私抜きなのを知らなかった)、だいぶ嫌な思いをするようになりました。
私は、職場などの現実…「オフの世界」と、ネット上の「オンの世界」をきっちり分けて生活したい方で、それを実践していたのですが、彼女はそれが出来ません。
会社の飲み会でも、平気で皆の居る前で「オンの世界」のことを話題にし、私を引き込もうとします。
周りが引いていてもお構いなしでした。
私はこうした彼女との軋轢で、何もかもが次第に嫌になり、ホームページをたたむに至りました。
決定的なその原因は、以前から感じていた彼女の私への「対抗意識」にありました。
出社すると毎日(席も隣だった)、「昨日カウンターすごく回ってたね。」とか、「掲示板に書き込みがあったね。」とか…そういうことを気にしていて、逐一チェックして報告してくるのです。
特にカウンターの回りについては彼女は酷く気にしていました。
「私のところはきのう○人くらい来てたけど、あなたのところは○人くらい来てたでしょ。」
私のサイトに置いていたのはごく普通のカウンターで、その日の来訪者の人数が出るものではなかったので、数を見て計算までしてる!…と、私は戦慄を覚えました。
「やっぱり素材サイトってあまり人来ないのかなあ…。」とぼやくのです。
私はもう辟易し、彼女の部屋へのリンクも外し、やがて部屋をたたみました。
彼女はその後、会社を辞めて故郷に帰ってそれきりです。
今どうしているかも知りません。
とても頭の回転が速く頼りになり、私と話もよく合う、一緒に居て楽しい人でした。
それが、ホームページを通して「オンの世界」を共有した途端、関係は崩れてしまったのです。
それがなければ、今も仲良く関係は続いていたと思います。
私はそれから、ツイッターもブログも、職場の人間には決して明かさないことにしています。
こういうことは何だか、きっちりと境界線を引かねば、私の場合はやっていけない気がしたのです。
──まあ、そんなこともありましたが。
あの頃は楽しく、充実した日々ではありました。
あの情熱と言うか集中力は、今の私には片鱗もありません。
また同じように、何かに没頭し、余計なことなど何も考えずに夢中になれるものが見つかれば、調子も良くなるのでは、と思うのです。
主治医にもそう言われていますが、今の私にはそれを探す気力さえありません。
ああいう私は、私の中のいったいどこで眠っているのでしょうか。
あの頃の自分をただ懐かしく、羨ましく思うばかりです。
とかく狭いところに入りたがるもも。
うさぎのしっぽって細長いんだよなあ。
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最大の難関「美容院」
「自分だけじゃないんだなあ」とか「自分と似てるなあ」って方のブログの記事を見つけたりすると凄く安心して嬉しい気持ちになることがよくあります。
よくお伺いさせて頂いてる方のブログの更新がずっと止まっていたり、「しばらくお休みします」なんてことになってると、本気で心配になります。
「何かあったんじゃないか…」「体調が悪くなったんじゃないか…」とか。
こっちが勝手に親近感を持っていて、心配しているだけなんですけれども…。
(ところで。パッと見、ブログのタイトルから内容が判りづらいので、サブタイトルをつけてみました)
さて、今日は朝からとても不調でした。
早朝の3時、4時…と小刻みに目が覚め、その都度何か夢を見ていた気がするのですが思い出せません。
そのまままどろみ、身体がどうにも重くて起き上がれません。
うだうだしていると6時頃になり、ダンナが起きてくる気配がしたので慌てて起き出し、不格好なおにぎりを握りました。いつも通り、冷食だらけのおかずです。
ダンナを送り出してからちいももの世話を重い身体でこなし、薬を飲んでまたベッドに横になります。
そうすると今度は、深い眠りに落ちていくのです。
どうも最近、眠りのリズムが狂っているようで、夜の眠りが浅いくせに、この午前中の気怠いさなかの眠りはとても深い気がします。生活のリズムを正さねば…と主治医にも言われているので試みるのですが、どうも午前中は身体が言うことを聞かずに「睡眠」「休養」を渇望しています。
そして昼もとうに回った頃に、倦怠感、焦燥感、自己嫌悪に塗れて、ごそごそと活動を開始するのです。
今日は食事をするのも面倒で、その辺にあった菓子パンを頬張り昼食を済ませました。
ちいももの様子を窺い、自室に戻ってまたダラダラと何をするでもなく、時間を消費して一日が終わります。
書かなければいけない書類もあるのに遅々として進まず、洗濯もしなければならないのに溜まる一方です。
掃除もしたいのに億劫で出来ず、埃やちいももの羽や毛の飛び散らかったリビングを見つめて溜息をつく私。
おまけに夕方になると頭痛まで始まりました。
今日のこのいつもにもまして酷い不調の原因は判っています。
昨日、美容院に行ったからなのです。
前にも書いたと思うのですが、私は日常生活の中で「しなければならないこと」というものをすぐに作りたがる傾向にあり、何でもすぐに「義務化」して、自分で自分の首を締めて苦しむことがあります。
傍から見れば、「そんなこと、調子の良い時にぼちぼちやればいい」のでしょうが、私の場合一旦、「これはしなくてはいけないことだ」と決めてしまうと、それが遂げられるまで不安で仕方なく、焦燥感に苦しめられます。
「合間を見てぼちぼちやる」という行為がどうしても苦手なのです。
「やらなければいけない」と決めたことは早いうちにさっさと済まさねば…と落ち着きません。
「美容院に行く」ということも、ここのところ自分に課した「義務」でした。
去年、プリン状態が酷いので何とかカラーリングには行きましたが、ずっと鋏を入れずにほったらかしの私の髪は、背中の真ん中を超すまでになり、手入れもきちんとしていないため、まるで落武者のような状態です。(月代はありません(笑))
鏡を見るたび、洗髪するたびに「切らねば、切らねば」とここ数ヶ月の間、悶々としていました。
けれども健常者でも苦手な人がいるという、この「美容院に行く」という行為はうつ病患者にとって、殊更ハードルが高い行為なのです。
まず、予約の電話を入れ、出向き、受付で荷物を預け、シャンプー台で横になり、そして切ってもらって会計。
───この一連の行為を、動けず、逃げられない状態で会話と共にこなさなければならないのです。
苦痛で苦痛でたまりません。
いっそ自分で切ろうかとも思いましたが、結果が予想できるので止めておきました。
昨朝目覚めた時、少し調子が上がっている気がして朝のルーチンを難なくこなせ、眠気も起こりませんでした。
なので、「だるネガ状態」脱したか?…とばかりに焦ってずっとさぼっていた風呂の掃除をし、美容院の予約まで午後に入れてしまったのです。
けれども、昼を回った頃からどんどん億劫になり、行くのが嫌になってきてしまいました。
ですがもうこの機会を逃すとまたいつになるかも判りません。
意を決して耳栓をし、電車に乗って美容院へと向かったのです。
私の行っている美容院は、もう20代の頃からお世話になっている同じ歳の美容師さん(店長)がいて、私は彼が独立して今の店を立ち上げたのに一緒にくっついて行ったのです。
ですからもう、付き合いは20年以上に及ぶ訳で、私の髪のことは私よりも彼は熟知していると思います。
私が希望を細かく言わずともよく理解してくれ、いつも満足がいくように仕上げてくれるので感謝しています。
この美容師さんには自分が「うつ病」であることを話してあるので、気を遣ってくれているのか以前よりもあまり話しかけないでいてくれるのですが、それでもやはり苦痛で仕方がありません。
切ってもらっている間、雑誌に無言で没頭し、美容師さんはおろか、鏡に映った自分の顔とも目が合わせられない私です。
「できたよー」という美容師さんの声にやっと顔を上げ、鏡の中の自分をチラ見して、会計を済ませて逃げるように帰途につきました。
そんな訳で髪は「脱・落武者」でスッキリしましたが、心身共にぐったりとしてしまい、帰宅するなり一眠りしてしまったのです。
昨日、あんな調子でいい気になって無理をしたために、今日はその反動でこんななんだなあ…とぼんやりベッドの中で思うのでした。…なんでいつもこうなんだろう。
少し調子が良く身体が動く日があると、焦って予定をあれこれ詰め込みひたすらこなし、翌日その反動で動けなくなるということの繰り返しばかりです。
全くいつになったらこの「調子のいい状態」がデフォルトになるのでしょうか。
ちっとも先が見えません……。
布団に包まってグダグダといつまでも考える私。
──そういえばお布団もずっと干してないなあ…。こんなにいいお天気なのに……。
美容院ですすめてもらったQUEEN'S BATHROOMというところのシャンプー。
宣伝してるわけじゃないんだけど、私には結構良い。
だけど普通のシャンプーよりは高価なので、貧乏人にはこれが最後の一本…(泣)

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病院選びってホントに難しい
ここのところダウン気味で「何かをする」のが全て億劫な私は、キャンセルしたいくらいでした。
けれども今日は、障害年金申請のための診断書を聞き取りながら書いて貰う日なので、行かない訳にはいきません。
例によって、渋々と支度を始めました。
初診の頃から今までを遡って色々と尋ねられ、確認するようにして主治医がカリカリとペンを走らせて行きます。
このような「詳細な診断書」というものをきちんと書いて貰うのが初めてな私は(自立支援の時は書いておいてくれたのを受け取った)、緊張で動悸が始まってしまいました。
こうして確認作業をして行くと、自分の調子がこの2年近くの間に激しくアップダウンしているのが判りました。
それでも初診の頃のあの地獄のような日々に比べたら、ほんの少しずつですが、良い方へ向かっているのが見て取れます。
寛解はいつになるのかまだ見えませんが…。
それにしても丁寧にひとつひとつ確認しながらきちんと書いて下さる主治医の姿勢にとても感激しました。
物凄く時間がかかってしまい、次の患者さんを思って、私のほうがハラハラしてしまう程でした。
通院を始めてもう1年半以上になり、主治医との信頼関係もそこそこに築いている訳ですが、私にとって話しやすく、やりやすい先生です。
こちらの話も途中で遮らずに根気良く聞いてくれ、つまらない私の愚痴にも色々と一緒になって解決の糸口をを模索してくれ、血液検査、心理テストなど、「数値や結果が目に見える診察」も定期的にきちんとやって貰えるので助かっています。
初めて門を叩いた心療内科が自分に合うところだった訳で、いつも得てして運のない私ですが、これだけは「当たり」だったな…と胸を撫で下ろしています。
こうしたことは、主治医として「当たり前」なのかもしれません。
けれども、世の中には色々な医師がいます。
別に「救命病棟24時」などのドラマに出てくるような医師を求めているわけではありません。
医師だって人間なのだし、患者の方のモラルも問われる部分もあるのかもしれませんし、時には仕方ないと思う部分もありますが、「治療」とは患者と主治医の信頼関係があってこそ、成り立つものだと思っている私は、こうした「当たり前」のことをきちんとやってくれる医師に出会うと、無駄に感動してしまうのです。
ところで私は病院に行くのが大嫌いです。(好きって人はあまりいないでしょうが…)
なのに、病院には人と比べて良く行く方だと思っています。
神経質な私は、身体の不調があると酷く気に病む方で、自分であれこれ考え悩んで心配になり、「早く答えが欲しい」とばかりにすぐ病院へ足を運んでしまうのです。
つまりそれだけ、無神経な医師に当たったことも多いと言う訳で、(もちろん、親身になって下さる医師にもお会いできましたが)今まで出会った『ちょっと困っちゃったなあ…』的な先生を思い出してみました(笑)
■とにかく個人医院をバカにする婦人科の先生
若い頃に通っていた大学病院の婦人科。
以前に通っていた病院を訊かれたので答えると、「なにそれ、どこ?知らない」(憮然)
「家の近くの個人病院なんですけど、ずっと通っていて…」
「ああ。(鼻で笑う)町医者ね。」
……耳を疑った私。
その後も、「これだから町医者は…」とかうるさかった。
■とにかく怖い婦人科の先生
健康診断で子宮筋腫の見つかった私が通っていた婦人科の先生。
職場の近くで、先輩も通っていたので行ってみたが、とにかく怖い。
わりと若い女医さんだったが、こちらが何か質問すると、「はー…」って感じで小馬鹿にしたように説明を始める。
とにかく少しでもこちらが先生にとっておかしなこと(素人なんだから、そんなのわかるか!)を言うと、「だ・か・ら!それは○○○なんです!よーく考えてねッ!」とまで言われる始末…(泣)
いつ行っても機嫌が悪く、内診も乱暴ですごーく痛い!
同僚の子が「会社の近くでどこか婦人科知ってる?」と言うので「知ってるけど。先生怖いよ?」と一応念を押したがそれでもいいと言うので紹介したら、病院で泣いたそうだ。(ごめんねYちゃん……)
経験上思うことは、婦人科は男の先生の方が優しいことが多い。(あくまで私の見解)
ちなみにここ、口コミひどいです。(行く前に確認すればよかった。詰めの甘い私)
その後別の病院に変え、今は筋腫は小康状態。
■とにかく人の話を聞かない脳神経内科の先生
原因不明の手のしびれに数ヶ月悩まされていた私は、心療内科の主治医にも促されて脳神経内科を受診。
ネットで家の近くを探して行ったのだが、そこそこの混みよう。
診察室に入るなり、初診問診表を見て「あなたタバコ喫うでしょ?タバコだよ、タバコ。原因はタバコ!」とまくしたて、こっちの話を一向に聞いてくれない。
やっと聞き始めたと思ったら、「いつからっ!?」「それでっ!?」…と、問いの最後に必ず「っ!?」がつく威圧的な訊ね方。すっかり私は萎縮してしまった。
念の為、脳と首のMRIを撮ったのだが、その結果を聞きに再度診察室へ入ると、笑い混じりに
「別に異常はなかったけどねー。あなた、脳が奇形だねー。」
…と言われ、愕然とする。
ぺらぺら~っと簡単な説明を受けたが、簡単すぎて良く判らないので後でネットで調べたところ、
「透明中隔のう胞」といって、人より脳の中の部屋が一つ多いらしく、三つあるらしい(通常は二つ)
特に日常生活では注意することもないが、「頭を強く打った時は気をつけてね」とか笑い混じりで言われる。
どうして注意しなくてはいけないのかも説明なし。予想外のことを言われてこっちは呆然としてるのに…。
そして最後まで「タバコ、タバコ」と連呼。(後で気付いたが、ここは禁煙外来も標榜していた)
しびれはそのうち何事もなかったように消えたので、もう二度と行かなかった。
(あまりのことに心療内科の主治医に愚痴った)
■とにかく気持ち悪い整骨院の先生
働いていた頃、これまた原因不明の腰から太ももにかけての痛みに悩まされていた私は、家の近くに新しく出来た整骨院に通ってみることにした。
開院したばかりで、若い夫婦ふたりの小さな整骨院だった。
問診をし、カーテンで仕切られたスペースでマッサージや電気をかけたりするのだが、しばらく毎日通って下さいと言われる。マッサージをしながらすごく良く喋る男の先生なので、内心閉口していた。
今思うと、開院したばかりだったから仕方ないのかもしれないが、いつも患者さんがいなかった。
ある日いつものようにマッサージを受けていたのだが、その日はいつもにもまして痛みが酷く、マッサージがきつかった。(普通気持ちが良くなるのでは…と思うが)なので私は無意識に、「…いたっ」とか「…あっつつ」とか呻き声を上げていたのだと思う。すると先生がニヤニヤしながら手を止めて言ったのだ。
「変な声、ださないでよぉ~(ニヤニヤ)」
カーテンで仕切られた狭いスペースの中が、一転して妙な雰囲気になったのは言うまでもない。
この一件を思い出すと、今でも鳥肌が立つ。
会社で同僚に話すと一斉に「キモー!」「やだあ。それセクハラなんじゃないの?」などと気味悪がられた。
「神経痛みたいな痛みなら、マッサージとかはかえって良くないんじゃないの?」という同僚の助言もあり、ぱったりと行くのを止めた。
数年後、そこは廃院していた。
もっともっと書ききれないくらいあるのですが、キリがないので止めておきます。
ちなみに、件の内科はもう殿堂入りです(笑)
近所に同じ薬を扱っているアレルギー科を見つけたので、そこに通うことに決めました。
威圧的で話をよく聞いてくれない、よく説明をしてくれない…という医師は私は苦手で、最初から信頼できません。
ただでさえ、不安な気持ちを抱えて頼って来ている患者を、なおのこと不安に、そして萎縮させてどうするんだと思います。
けれども医師との相性もあるのかもしれません。
私には合わない医師でも、他の人にとっては「凄く良い先生」なのかもしれないのです。
そんな訳で、病院選びって難しいなあとつくづく思います。
さて、主治医から頂いた診断書を見返していたのですが、ただひとつ、困ったことがあるのです。
主治医、すごーく悪筆なんです…。〈先生ゴメンナサイ)
ところどころいくら頑張っても読めないよ…。
──大丈夫かなあ、これ(笑)
──今日もソファーは穴だらけに…。

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ついにダウン…ちいももに癒される
ここのところ無理して動きすぎたせいなのか、色々考えすぎたせいなのか…。
調子がどん底だったところに昨夜、上階からの物音がドカドカと物凄く、気が狂いそうになりました。
聴覚過敏の私にとって、一番苦手なのがこの音で、耳栓も振動は防げないのです。
その途端もう動悸が始まってしまい、激しい不安感に襲われて、デパスを飲んでみましたが治まりません。
耳栓の上からヘッドフォンをして、居心地の悪い体勢でベッドに入りましたが、とうとう明け方まで浅い眠りの繰り返しでした。
──そして、今朝。
どうしてもどうしてもベッドから起き上がれないのです。
ダンナは今日休みなので、お弁当を作る必要はなかったのが幸いでしたが、ちいももの掃除がある…。
お腹を空かせてふたりとも待ってるのが判っているのに、なかなか起き上がれませんでした。
やっとのことで、ちいもものケージ掃除を済ませると、ダンナが起きてきて「今日、どこ行く?」とか言うので、(ダンナは休みに一緒にどこかに行くことが私を喜ばせると思ってるふしがある。有難いけど時々しんどい…)
「調子が悪いからとってもダメ。出かけられないよ」と言うと、彼は少しがっかりしたようでした。
それでも本屋に行って来ると言うので買い物を頼み、薬を飲んでとうとう一日、寝たり起きたりしていました。
眠っては嫌な夢で起き、また眠る…の繰り返しで何も出来ませんでした。
うつの発病当初は、毎日のようにこうしたベッドの中での生活を余儀なくされていましたが、こんなに調子が悪いのは久々です。自分でもびっくりしてしまいした。
ここのところ色々なことがあり、疲れていたのでしょうか。キャパオーバーをひしひしと感じる始末です。
家事を放棄してたっぷりと(うとうとですが)睡眠をとったせいか、夕方頃から体調は浮上してきました。
精神的にはまだ落ち気味です。
それでも夕食の後、ちいももと遊んでいたら、少しずつですが気持ちが上がってくるのが判りました。
うちでは、毎晩7時頃に夕食で、そのあとは9時ごろまで「ちいももタイム」です。
まずちいを遊ばせてから、次にももの番。
一緒に遊ばせるのは目が行き届かなくて怖いので、別々に遊ばせています。
私の胸元や、膝でくつろぐちい。
たまに食べてるおせんべいやポテチを横取りする。


次はももの番。
しっかりとガードされたコンセント周り(笑)

まず一目散にトイレに行くもも。

最近のもものマイブームが、これ。
カーペットほりほりガジガジ。家具はいくら傷つけてもいいから、柱とかは勘弁…(-_-;)


疲れるといきなりゴロンと横になる。

そんなももの様子をじっと寂しそうに見つめるケージに戻されたちい。

この「ちいももタイム」はふたりよりもむしろ私に必要な時間なのかもしれません。
生きることのみに一生懸命なふたりを眺めていると、心の中のもやもやしたものが、その時だけ影を潜める気がするのです。
ふたりとも目を離すととんでもないことばかりするので、遊ばせている間はスマホを見たり、テレビに夢中になったりはあまりできません。
でもそれが却って無心になって、心に良いのかもしれないなと思う今日この頃です。
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テキパキ働く人を見て落ち込む
主治医に旅行用に頓服のデパスを出してもらうことにし、旅行の行先もやっと決まりました。
…というか、ダンナに決めてもらいました。
私の脳は、パンフレットやネットで観光地、宿などのあらゆる情報を入れ込みすぎて、そのうちどの情報を選択して良いのか判らなくなってパニックに陥り、ついにはシャットダウンしたので、「自分では決められないのでダンナに決めてもらう」という答えを選択することになりました。
いつも物事を決める時そうなのですが、私は事前に情報を取り込みすぎるのです。
「やるからには徹底的に、落ち度の無いようにせねば!!」
…という、度を超えた完璧主義、用心深さゆえの行動です。
そして取り込んだ情報を吟味しつくし、あれこれ考えているうちに混乱して、脳が飽和状態になって機能しなくなり、ちっとも前に進めない…という状態によく陥ります。
何をするにも「石橋を叩いて渡る」体勢を取る私は、石橋を叩いて叩いて叩き壊して渡れなくするようなところがあるのです。
これは日常でのもっとシンプルな選択の場面…例えば病院で次の予約の日にちを決めるとか、友人と会う日取りを決めるとか(いっそ指定してもらうと有難い)、果ては一枚のカットソーを買うのに何色にしたらいいのか、いつまで経っても決められないというところにまで及びます。
赤がいいのか、黒がいいのか…「この赤はあんまりいい色じゃないかな?…でもいつも着ないような色もたまには…、でも黒の方が無難かな。何にでも合わせられるし…だけど黒ばっかり持ってるし。…たまには青もいいかな。でも青だと…。いやいや……」…こんな調子で店で、いつまでもいつまでも服を手にとっては離し、また手に取り…の繰り返しで、とうとう決められずに買わずに帰るということが多々あります。
誰にでもそういうことが多かれ少なかれあると思いますが、私の場合この「迷い癖」がどんどん酷くなり、仕事にも支障が出るようになってしまいました。
次の対応を迷ってしまって、即座にぱっと決められないのです。これで随分ミスを重ねました。
以前はここまで酷くなかったのですが…。
「判断力の低下」というのがうつの症状のひとつであるのを知ったのは、自分がうつ病と診断されてうつ病のことを色々調べ始めてからでした。
…ちょっと話が横道にそれてしまいましたが、そういう訳で旅行の行先はダンナに決めてもらうことにしました。
ちなみにダンナの条件は…「場所はどこでもいい。宿とか景色とかどうでもいい。温泉もどうでもいい。ただ食事が『バイキング』であること(食べ物の好き嫌いが多い人です)」
私の条件は…「海が見えるところ。温泉があるところ。露天風呂があると尚良し。遠くまでの移動はキツイのでなるべく移動時間の少ない近場で」(ほんとはもっとあったのですが、苦労して取捨選択しました)
…この条件でどんどん絞って行き、最後はダンナが決めました。
やっと安堵した私ですが、そもそもこんなに「旅行する」ことが負担になっている状態で大丈夫なのでしょうか…。
ふと不安になりました。
ちいもものことは、うちの両親にマンションに泊まりに来てもらうということで解決しました。
動物好きな父は、ちいももと遊べるのを少し楽しみにしているようです。
──さて。予約に行かなきゃ(気が重)
今日、用事があったので渋々と出かけるついでに、思い切って旅行代理店に申し込みに行きました。
急に旅行することにしたので、もうあまり日にちがないのです。
デパスを飲んで来ましたが、店に入るなり割と混んでいたので、ここでもうすでに緊張状態の私です。
「そこの番号札を取ってお待ちください。」と言われたのにぼーっとしてしまい、「…あの、そこの赤いボタンを押して…」とまで、噛み含めるように説明されてしまう始末。
かーっと顔が熱くなったまま、ソファに腰かけ順番を待ちました。
担当してくれたお姉さんは笑顔の可愛い20代後半くらいの方でした。
私がパンフレットを見せてつっかえつっかえ話すことに、即座にてきぱきと対応し、笑顔で頷き、見ていて気持ちが良くなるスマートな仕事ぶりです。
問合せのため、受話器を肩と顎で固定し、その間も指はリズミカルにキーボードの上を滑り…そんな彼女の様子を見ているうちに、何だか物凄く自分が落ち込んで来たのが判りました。
…自分も以前はああして仕事をしていたのに。(てきぱきかどうかは別として)
…自分も以前は「あっち側」にいたのに。
この気持ちはハロワや市役所に行ったりして、てきぱきと応対してくれる人を見ると、時々心の中にふつふつと湧き上がってくる羨望と絶望です。
今はどう足掻いても昔のようには仕事の出来ない自分。
たかがこうした手続きさえもおどおどしてしまってなかなかうまく出来ない自分。
そんな自分に焦りを感じ、気分が急激に降下してくるのです。
…自分はもうこの先ずっとこのままなのだろうか。
…自分はもう「あっち側」には戻れないのだろうか。
そうするとネガティブ思考は待ってましたとばかりに私を取り込み、深い海の底へ引き摺り下ろそうとするので、慌てて思考を停止しました。
最近編み出した、「ネガティブ思考に捕まりそうになった時の対処法」です。
以前、ドラマ「半沢直樹」で、統合失調症を患った主人公の同僚が、大きなストレスを受けた時に、目に入る全ての数字を覚えて現実逃避していましたが(観てない方すみません)、あんな感じで思考をそこで一旦停止することにしています。
そして私の場合は「目に入るものを脳の中で文章に変換する」ことで、自分のネガティブに進みそうな思考の方向をそらしてみることにしています。
「あそこの湯めぐりツアーも安い。」「団体旅行の幹事さんは大変だろうな。」「随分まだこの後待ってる人がいるけど、色んな人がいるからこういう仕事も大変だろうな。」…のような感じで、頭の中で文章を作ります。
これがわりと功を奏し、今のところこれ以上沈み込まずに今の状態を保っているようです。
「──あとお部屋がひとつだそうですが、どうされますか?」
不意にお姉さんに話しかけられ、現実に戻りました。
シーズンでもなく、有名な観光地でもなく、人気のホテルでもないのに、びっくりです。
その場で予約してもらい、前金を払って店を出ました。
しっかり「喫煙可」の部屋がとれるかどうかを確認してもらうのは忘れない私です。
ちなみに予約したのはホテルと高速バスがセットになった格安ツアーです。
(観光バスの事故が続いているので、ちと不安ですが)
バスには東京駅から2時間半ほど乗ることになるのですが、これが私にとって第一の関門です。
いや、それよりも前に、東京駅まで長時間電車に乗ることっていうのがあった…。
ラッシュ時間は外したので大丈夫だとは思いますが。
──さて、どうなるか…。
私の食べてたポテチを横取りするちい。
あんまり食べちゃダメだよ…。

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だるネガとの闘いの記
夜中何度か中途覚醒。
ぼんやりと何故か、公開処刑みたいだったSMAPの謝罪会見のことを考えた。
その後、早朝4時半頃また目が覚めた。嫌な夢を見た。
(以下、ちょっとグロめかもです。ご注意を)
黒い小さな蜘蛛が糸を引いて、たくさん纏わりついて身体から離れない。
虫が大嫌いな私は半狂乱で剥がそうとするが、なかなか剥がれない。糸が絡む。
そのうち、左の腕を大きなコバルトブルーの(綺麗な色だった)蜘蛛に噛まれる…というか貼りつかれる。
足を掴んで剥がそうとするがこれも剥がれず、ぶちっと蜘蛛の体を引きちぎるようにして剥がす。
見ると一緒に腕の皮膚が剥がれて大けがをしていた。大きなカサブタになっていた。
何故か、そのカサブタをも剥がす私……。
…なんだろう、嫌な夢見ちゃったなあ。
気持ちが悪いのでそのままベッドの中でごそごそする。
最近、テレビとかで蜘蛛なんて見てないし、何か暗示くさい…。
思わず自分の左腕を確かめた。
朝起きた瞬間から、今日も「だるだる病」が自分を覆っているのに気付く。
あーあ。今日もきっとしんどいなあ。
この頃、朝にダンナのお弁当を作るのが本当にしんどくてたまらない。
それどころか、ちいもものケージの掃除もしんどくてしんどくてたまらない。(ごめんよ、ちいもも)
一日で一番しんどいのが入浴だ。
目は覚めているものの、なかなか起き出せずにだらだらしていたが、しなければ仕方がない。
思い切って勢いをつけて起きる。まだ外は真っ暗である。
無理をしてはいけないと言うが、こんな状態でも無理をしなくちゃいけないこともある。
休み休み、何とか全部終わらせた。
明日もこんな調子なのかと思うと、今から気が重くなる。
「だるだる病」はネガティブ思考と肩を組んでやって来る。(だるネガ状態)
どっちがどっちを連れてくるのか判らないが、とにかくペアで私を攻撃して来るのだ。
何もやる気が起きないことに加え、全てのことが脳の中でネガティブな方向に変換される。
これらに捕まると本当に厄介だ。
そんな日に、歯医者の予約が入っていたのを思い出した。
出かける気にならず、キャンセルしようかと思ったが、今日は最後のクリーニングでこれで治療が終わる。
今日限りの我慢だと、仕方なく行くことにする。
出かけるとなったら、前から気になっていた自立支援医療受給者証の更新に市役所まで出かけようと思い立つ。
外出する用事はどうしても一度で済ませたいと思ってしまうのだ。
行かなきゃと思っているのに、どうしても外出するのが億劫で、だらだらしていて遅刻しそうになった。
慌てて出たので、コンタクトを入れてくるのを忘れてしまった。
……見えない。
歯医者でクリーニング(結構痛い)が無事終わり、最後のチェックをしていた先生が、ふと呟いた。
「…うーん。あれ?」
『これで終わりです。また何かありましたら来て下さいね(ニコッ)』…という言葉を当然のように待ってた私は、即座に嫌な予感がした。
「うーん、右上の一番奥なんですけれどもね、ちょっと詰めたところの隙間から虫歯になってるみたいなんですよー。
…ここ、痛くない?」
「全然痛くないです。」(きっぱり)
「中で虫歯が広がってるかもしれないからね。早めに治療の予約して下さいねー。」
──今日で終わりじゃないのかよ!!(心の中で号泣)
…これがよく聞く「歯医者なかなか終わらない地獄」なんだなあと、がっくりと肩を落とす私。
これで終わりだと期待していた分、落ち込みが激しい。何だかひどく疲れてしまう。
一瞬、もう更新に行くのは止めて帰宅しようかと思ったが、今日行かなければまた悶々とする日々が続くばかりだ。
意を決して市役所に向かった。
コンタクトをしてくるのを忘れたので、何も見えない。どこに行くのかももう忘れてしまった。
一応デパスは飲んできたけれど、市役所の喧騒に早くも緊張し始めている。
総合案内の人に訊き、やっと窓口に辿り着けた時には汗でびっしょりになっていた。
係の人に言われたとおりに書類を記入するのだが(じっと見られていると手が震えて恥ずかしかった)、たかが数字等を書き写すだけなのに上手くさらさらと出来ない。何度も何度も数字を見返してしまう。自分の住所も一瞬間違えそうになる始末。だいぶ緊張してるようだ。
…悪化してるな、とふと思う。
保険証のコピーとマイナンバーの通知書を見せて、手続きは終わった。
背中に何かひどく重いものが乗っているような、この気持ちの沈みようは何なんだろう。
帰りの電車の中でぐったりと疲れてしまった。
家に帰ると、「電気ご使用量のお知らせ」が来ていて、あまりの金額の高さにその場にへたり込みそうになった。なるべく電気を(とりわけ暖房を)点けないようにしてるのに、なんなんだこの金額は!
「──冬だもの。こればかりは仕方ないよ。必要な出費だよ。」
ポジティブな私が小声で囁くが、それはすぐにネガティブ思考の攻撃によって跡形もなく掻き消された。
「…ダメだ。ダメだよ。やっぱりやっていけないよ。早く働かなきゃ。私が仕事してないからだよ!」
「だいたい、昼間家に居るから、電気代も水道代もかかるんだよ。働かなきゃダメだよ。」
「旅行なんかしてる場合じゃないよ。」
───少し寝よう……。
こういう時はあまり色々考えない方がいい。(学んだ)
ちなみに気になったので、朝の気持ち悪い夢を調べてみた。
●蜘蛛が大量発生する夢…ストレス増大。蜘蛛は特に人間関係の意味を含む。
●蜘蛛に襲われる夢…大きな蜘蛛や多数の蜘蛛に襲われる夢なら不安が大きいことの暗示。心身の疲労がひどく、ストレスの元となる場所や人を避け、休息が必要。
●蜘蛛に噛まれる夢…パートナーや職場の同僚の裏切りを受ける前兆を示す凶夢。コミュニケーションを密にし、家族関係や人間関係の改善要。また事故や病気にも注意。
あのコバルトブル-の綺麗な蜘蛛が凄く気になった。
●明るく美しい青…仲間に助けられ、安らぎと発展が得られる暗示。(でもそれをちぎっちゃったよ、私)
…それでトータル的にはどうなの?…という感じで良く判らない。
あんまりいい夢じゃなさそうだ。
一応、備忘録のつもりで書き残しておこう。
サークルKサンクスのこれに最近はまってる。
小さくて食べやすいし、美味しい。オススメです。(甘いもんばっか)

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だるいし、転ぶし、決められないし。
「首都圏でも大雪に注意」なんて昨日のうちからテレビで何度もやっていましたが、どうも東京の人間は、(私だけですかね)「んなこと言っても大したことないだろう」という気楽さがどこかにあり、半信半疑だったのですが、予報通りに外は眩しいばかりの白一色でした。
ダウンの上にリュックを背負い、その上から合羽の上下、手袋、イヤーマフ、帽子と完全防備でダンナが自転車で(!)出勤していくのを見送り、申し訳ない気持ちになる私…。
いつも使っている私鉄などの交通機関が大混乱の様子をテレビで観つつ、さらに何故か申し訳ない気持ちになる私。
通勤していた頃のことを思い出します。
以前の職場は駅から徒歩20分弱あったので、駅からはバスだったのですが、雪が降るとこのバスが遅れ、それですごーく混むのです。駅から数メートルもの行列ができ、やっと来たバスにも満員で乗れなかったり…。
そんなことをしんみりと思い出していたら、何もやる気がなくなってしまいました。
最近、私の中で「だるだる病」が我が物顔で振る舞っていて、家事もろくに出来ません。
内科の一件がまだ尾を引いているのか、ふとしたことで落ち込みます。
こういう時は無理してはいけないと言われているのですが、家事や色々なやらなければいけないことは山積みになっています。それを思うと落ち着かなくなり、意味もなく部屋中をうろつきまわる私です。
そんな中、トイレに入って重大なことに気が付きました。
──そうだった!トイレットペーパーが切れてたんだ!(笑)
在庫は今付け替えたあと一巻き。何故ここまで放置していたかと言うと、外出するのが億劫だったからです。
昨日、近くのスーパーに渋々行った時に買ってくれば良かったのに!まんまと忘れてしまったのです。
そしてそれを買い忘れてしまったことさえ、忘れていました。
明日行けばいいや、と思ってふと。
──明日って、今日よりも道が凍ってんじゃないの?…ということに気がつきました。
…そう。私は雪道を歩くのが思い切り下手くそなのです。
今までに何度、ごろんと無様に雪道に転がったか数え切れません。
ちゃんと防滑の靴を履いてるのに、です。
世の中には親切な人が多く、すぐに周りの人が助け起こしてくれました。
身体のバランスが悪いのか、運動神経が悪いのか…。インナーマッスルなんて言葉は私には無縁です。
なんせ昔、雪国育ちの友達の実家に遊びに行った時、雪道を派手に転がる私を見た友人に、
「あんた才能ないわー」(才能って何?)…と言われたくらいなのです。
「…やっぱりダメだ、今日のうちに行かないと…」
ひとりごちてやっとこさ立ち上がってぐずぐずと支度を始めました。
雪は雨に変わり、それが積もった雪をべちゃべちゃに溶かし始めていて、私は恐る恐る長靴の足を踏み出してマンションの外に出ました。
今この足元でぴちゃぴちゃと音を立てて溶けていく雪が、明日の朝には恐るべき凶器に変わるのです。
一歩一歩、踏みしめるように足を交互にゆっくり出して進んでいきます。
凹凸に注意しながら、滑らなそうなところを探します。スロープは要注意です。
マンションの前で管理人さんが雪かきをしていたので、お礼を言って通りすぎました。
やっとのことで店に辿り着き、買い物を済ませて帰途につきます。
トイレットペーパーと、ティッシュ(5箱組のやつ)も切れていたので買うという暴挙に出ました。
思えばこれがいけなかったのだと思います。
両手は傘とかさばる荷物で塞がり、ますますもしもの時のバランスがとれなくなりました。
それでも何とかマンションが見えてきたので、安堵した瞬間に、スロープで後ろにズルッと行きました(笑)
「ギャー」
咄嗟に両足に力を入れて、立て直そうとしたのが裏目に出て、傘と荷物を高く掲げ、M字開脚の出来損ないのような体勢になり、ひどく無様に私は転がりました。
管理人さんが慌てて走ってくるのが見え、顔がかーっと火照り、急いでお尻を持ち上げようとジタバタ足掻く私(笑)。
「あぶないあぶない。気をつけて」
助け起こしてくれる(重くてすみません)管理人さんに満足にお礼も言えず、びしょ濡れのトイレットペーパーとティッシュを引っ掴んで逃げるようにマンションのエレベーターに乗り込みました。
幸いどこもケガはしませんでしたが、妙な体勢をとったために身体のあちこちが痛みます。
後で腹筋痛くなりそう…。
もうほんとに情けなくて落ち込みました。
ちなみに、北国の方からの転ばない歩き方アドバイスを以下に…。
踏み固められたところではなく、少しでも雪が積もっている部分を歩く
靴の裏全体を路面につけて歩く
小さな歩幅でそろそろ歩く
地面に垂直に踏み出し、体の重心をやや前に
足腰をピンと張らずに、膝をわずかに曲げて腰を落とす
両手を使えるようにしておく
…だそうです。
気を取り直して旅行のことを決めようと、旅行代理店からもらって来たパンフレットの山を漁り始めました。

ネットで宿も交通手段も予約するのも良いのですが、そうすると何故か良い部屋に当たったことがないので、こうして代理店を通してパック旅行を探す方が好きなのです。(色んな特典もあるし)
これも「やらなければいけないこと」のひとつなのですが、いかんせん「だるだる病」に支配されているため、こちらもなかなか手をつけられません。
だいたい、
「予算」…なるべく安く、「行きたい場所」…どこでもいい。どこに行きたいとか特にナシ。
──この大雑把な条件の中でどこかピックアップしなければいけないので、もうそれだけで苦痛です。
パンフレットを読みまくるだけで時間が過ぎ、一日が終わると言う有様…。
普通ならワクワクしながらやる作業じゃないですかね、これ。
…なんか今日は疲れちゃったなあ……。転んだし…。
運動不足なんじゃないの?(ぷいっ)

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どうしよう、旅行だって!
何してるんだろう…と見に行くと、1月分をめくり上げ、2月の日にちに何やら書き込んでいました。
見ると2月の前半の土日は全部出勤で(!)、平日に2日続けて「休み」とあります。
どうやら代休の模様。(ほんとに取れるんだろうか。一抹の不安が…)
「ここさ」と、「休み」の文字を指でトントン…とやりながら、ダンナが笑顔で言いました。
「一泊で温泉にでも行こうよ。」
ダンナが盆と正月を除き、平日続けて休みを取れるなんてほんとに何ヶ月ぶりかなので、それにも驚いたのですが、何よりもダンナからそんなことを言われたのも初めてで、私は咄嗟のことに固まってしまいました。
やっと出た言葉は、「…安いとこ探して、ね。」
「調べといて~」とダンナは上機嫌でバスルームへと姿を消しました。
その後ろ姿を見送りながら、私は何とも言えず、複雑な心境に陥っていました。
旅行…。旅行だって。ダンナと。
──行けるかなあ、私。
──大丈夫かなあ、私。
以前の私なら、飛び上がって喜び、すぐにPCを立ち上げて色々宿を物色し始めたかもしれません。
けれども今の私はたった一泊の旅行でも、不安で身構えてしまうばかりです。
何より、宿を決めたり何だりの複雑な手続きがまず億劫。(私がやる…んだよね、きっと)
「決める」ということが今とても難しい私。判断力が欠如していて、つまらない事柄でもいちいち迷ってなかなか決められない始末なのです。
ダンナはダンナなりに、閉じこもり気味で口数の少ない私に気を遣ってくれたのかもしれません。
私は温泉が大好きですが、あまり彼は興味がないのです。
共稼ぎの生活だった頃は、毎月「旅行貯金」というものをきっちりとやっていて(細かい)、一年間頑張った自分たちへのご褒美として、毎年どこかしら国内に旅行をしていました。
私は国内旅行が好きで、死ぬまでに出来るだけ、日本の様々な地を踏みたいと思っていたのです。
四国はまだ未踏ですが、他は全部回りました。
最後に行ったのは伊勢神宮で、それを最後にうつになってからはダンナとはどこへも旅行していません。
伊勢神宮に行った頃は、今思うと私は徐々に壊れ始めていて、精神的にも不安定なところがありました。あの頃から脳内のセロトニンが減り始めていたのか、少しずつ心身に変調をきたしていたようです。
ちなみにこの時、列車のチケットから財布から何もかも入ったバッグを、スーツケースに気を取られてトイレに置き忘れ、ダンナに舌打ちされるという失態をやらかしています。(掃除のおばさんが拾っててくれたので無事でした)
最後まで休みがとれる、とれないで会社でゴタゴタしていたダンナには、旅行先でも会社から何度も仕事上の連絡がありました。(見ていてさすがに気の毒になりました)
最初からテンションの低かった彼を、それが一層不機嫌で無口にさせ、何を観てもリアクションに乏しく(まあ普段からそうなんですけれどね。(笑))、そんな彼に気を遣いすぎて次第に私まで不機嫌になっていたのを覚えています。
それでも鳥羽水族館に行ったらようやくダンナも機嫌を直し、ジュゴンを眺めてはしゃいだりしていました。(おそるべし動物たちの力!)
そんな訳で、私は旅行中すっかり疲れ切ってしまい、もうふたりで旅行するのは最後かもしれない…などと帰りの新幹線でぼんやり考えていたのです。
奇しくもそれはやがて現実となり、私は仕事を辞め、とても旅行できるような状態ではなくなってしまいましたが。
ダンナは前にも書いたように、わざとそうしているのかは不明ですが、私の病気には無関心です。
それでいて恐ろしくマイペースな人間なので、それに合わせて行動することが、今の自分にはかなりの苦痛であると言えます。
自分の調子がまたこれ以上悪くなるのではないか…と不安に思う私をよそに、ダンナは「ちいともも、どうしようか?」などとタオルで髪を拭き拭き上機嫌で訊ねてきます。
今の調子で旅行して、一番ネックだと思われるのはやはり私の場合、「周りの光景や音を全て掬い上げて取り込み、パニック状態になる」…この「精神オープン状態」(…と名付けた)でしょうか。
列車やバスの中では耳栓はもちろん必須ですが、これで目的地に着くまでにへとへとになってしまうのです。これでは旅を楽しむどころではありません。
観光地と人ごみは切っても切れないし。
乗り物に長時間乗って、近くに五月蠅い輩がいたらどうするの?耐えられるの?
温泉とか、ひとりで入れるの?不安にならないの?
宿でちゃんと眠れるの?
なんかまたやらかして、ダンナにイラッとされたら落ち込むんじゃないの?
どんどんどんどんネガティブな不安が頭をもたげて止まりません。
──そもそも耳栓をして旅行って……あまりに悲しすぎませんか?
けれども自分の中のポジティブなもう一人の私(居たんだ!(笑))が、必死に囁いてきます。
「行ってみようよ。環境が変わって良いことがあるかもしれないよ。」
「いつだってそうだったじゃない。いつも旅行をする時、会社を辞めるかどうかで悩んでたりして。
でも、旅行して色んなものを観て、聴いて、味わって、感じて。それでリフレッシュできて。
またこういう旅行がしたいと思って、その後また頑張れたじゃない。」
「行ってみようよ。大丈夫だよ。考えすぎないで行ってみようよ。」
「たまには思い切って喧騒の中に身を置いてごらん。」
「気分が変わることがあるかもしれないよ。」
うつ状態での旅行は、辛く重い時期(急性期)は却って負担になってしまうので良くないと聞きます。
そうでなければ適度なリフレッシュになって良いこともあるのですが、予定を詰め込みすぎて無理なスケジュールをこなしたり、刺激の多すぎる内容だと、それに脳がついて来れずにパニックを起こして、疲れて調子を崩してしまうこともあるそうです。
「自分が嫌だと思うことは無理にしないこと」
「『せっかく旅行に来てるんだから、何もかもポジティブに…!』…なんてのは無理なんだから、自分の心の動きに素直になり、自分を否定しないこと」
「疲れたと思ったら、休むこと」
「自分の心地よいと思う環境を作りだせるようなプランだと尚良い」
「同行者に疲れるまで気遣いをしないこと」
…こんな感じで臨むのがベストだということでしょうか。
自分に言い聞かせてみる私。(何度も言いますが、一泊旅行です…)
とにかく、まず主治医に一応相談してみようかな…。
あと、貯金とも……。
ちょっと乗り気になってきたかもしれません……。
ちょっとですけど。
…置いてきぼりっスか……((+_+))

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人生で最大の失敗
うーん。もろにSMAP世代だからかなあ。
大ファンって訳ではありませんが、あの5人が好きでした(もう過去形…)
「スマスマ」なんて、仕事してた頃は、帰宅して家事も終わり、ようやく座って夜ごはんが食べられる…という時間帯に(遅!)やっているので、よく観ながら食べてました。
遅かれ早かれ何時かはこういう日が来たのでしょうが、うーん。解散しないで欲しいなあ、まだ……。
…などとテレビの前に座りこみ、情報番組を観ながらダラダラしている私の胸元にはちいがいます。
「ちぃ?ちぃ?」などと甘えて見上げてくる仕草や、何を言ってるか判らない(ちい語)を発しながら、構って貰おうと首を振り振り必死な姿を眺めていると、もう可愛くてたまりません。
じわ~っと温かい「愛情」が湧いてきます。
ちいは、疲れてグダグダになった私の苦い脳みそに、甘いガムシロップを注いでくれるかのような存在です。
ももも可愛くて仕方がないのですが、やはりうつになって一番酷かった頃に、私をネガティブ思考の底からぐいーっと、小さな身体で引き上げてくれたちいの存在は、私にとって特別なものなのです。
しかし。まずい…と実は思っています。
ちいに多分に依存しちゃってる部分があるなあ……と。
これではちいがもし目の前からいなくなった時、どうなるか自信がありません。
現在は普通の状態ではないので(いつまで続くかも判らないし)、ペットロスを乗り越えるのは困難であろうと覚悟しています。
そう言えば、私は「依存傾向がある」と心療内科でも以前言われていたのですが、全くその通り。
何にでもすぐ、依存してしまうところがあります。
「人間」には依存しないのに(それどころか適度に距離を置いている)「もの」にはすぐに依存してしまうのです。
アルコールやタバコがその最たるもので、特にタバコは仕事を辞めて束縛される時間がなくなったせいなのか、うつで不安定だからなのか、以前より俄然、本数が増えました。
欲求の何もかもが脳から去って行ったあの発病当初の頃にさえ、「喫いたい」という欲求のみは消えないでいたのです。それどころか、増していたかもしれない……。
私の今の人生で、一番の失敗は「タバコに手を出したこと」です。
どうしてこんなものに手を出しちゃったんだろう、全く…。
初めて喫いだした頃は、もう20才くらいだったと記憶していますが、定かではありません。
今でこそ、その人口は減っていますが、あの頃はとにかく周りは男女ともに喫煙者だらけでした。
昔は「タバコの害」なんて声高に訴える人々も少なく、それこそ「受動喫煙」なんて言葉も、割合近年から謳われるようになったのでは…と記憶しています。
昔はどこでも喫煙できたのです。新幹線の中でも、飛行機の中でも。
あの狭いカラオケボックスの中も煙でもうもうとしていました。
皆、平然としていましたが、吸わない人は実はどんなにか辛かっただろうと思います。
仕事が終わって毎晩のように飲み歩いていた私は、皆と一緒にアルコールをしこたま摂取し、タバコを口にし、頭がぼんやりと理性を失って(こわ~)柔らかく解けてくるあの雰囲気が好きでした。
飲酒しながらのタバコはまた、格段に美味しいのです。
なので自分の中で、アルコールとタバコはワンセットでした。
家で飲酒する時にも、タバコはかかせないものでした。(うちはダンナも喫うので、以前のアパートの壁紙は真っ黄色でした…。
あの頃は本当に「美味しい」と思ってタバコを喫うことが多かった気がします。
ところがいつしかそれは私の場合、「精神安定剤」「抗不安薬」のような役割を果たすようになって来ました。
今までもそういうことはありましたが、食後や、ひと仕事終えた後の充実感で「喫いたい。美味しい」と思って喫うよりも、「苛々する」「不安だから」「落ち着きたいから」という気持ちでタバコに手を伸ばすことが多くなりました。
こうなると「タバコを楽しむ」というより、「タバコに縛られている」と言った方がいいのかもしれません。
アルコールにも依存気味だった私が、心療内科の先生のひとことですぱっと止められたのに、タバコはどうしてもどうしても止められないのです。(先生も、ストレスが逆に溜まる原因になるからなのか、タバコに関しては『控えよ』程度にしか言いません。(笑))
タバコは時に良いコミュニケーションツールにもなって、会社の喫煙所などでは、上司やあまり話したことのない別の課の顔見知りの人々と話せるようになったり、いいこともありました。
けれども、やはり「デメリットの方が圧倒的に大きいよなあ」と年齢を重ねた今となっては思わざるを得ません。
身体にも悪いし(特に私は喘息持ち!)、肌などの老化も進みやすくなるし、新陳代謝が悪くなるし、歯のケアもまめにやらないと大変なことになるし、臭いもいつも身体にまとわりついてる気がするし…。
そして一番のデメリットが「お金がかかる」
そこで私の場合、せめて「喫えない場所」を作ると良いと聞いたので、
①会社では喫わない ②喫わない人の前では喫わない ③両親の前では喫わない
…の規律を守るようにしてみました。
これでもさほど苦痛に感じなかったので、止められるような気もするのですが、その分一人でいるとどうしても喫ってしまうのです。(喫いたくて喫うというよりも、もう習慣化してしまっているのでしょう)
外出すれば喫煙所を探してうろうろし、隅っこに区切られた狭い空間をやっと見つけ、せかせかと煙を吸い込む。
ランチに入っても最近はランチタイム全面禁煙の店が多いし、かと言って逆に分煙されてない喫煙可の店に行き、子供が傍にいる席に通されると気が引けるので席を変えてもらったりする始末…。
一時期、こうした「タバコ、タバコ…」といつもタバコの吸える所を探す「喫煙所ジプシー状態」が急にアホらしくなって、半年ほど禁煙したことがあります。
最初のうちは喫いたくて喫いたくて…というか、生活のペースの中に組み込まれてしまっているので(これ終わったら喫う、あれ終わったら喫う…みたいな)どうにも不自由を感じていましたが、そのうち飲み会で友人がタバコを喫っていても大丈夫になりました。あのまま止めておけばよかったのに、その後ある出来事があって耐えきれず、再び手を伸ばしてしまい、そして今に至ります。
もう今となってはきっぱり「禁煙」できそうもないのでほとんどあきらめモードですが、せめて「減煙」くらいはしたいなあ…と思っています。…さて、どうかなあ。
────もう、「生涯の友」になりそうな予感が…(笑)
時々、呆れたような目をするちい。
ちいのちっこい目はほんとに表情豊かだなあ。

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無心になれればいいんだけどなあ・・・
起きていたんだけど、カーテンを開けなかったので気づきませんでした。
ここのところ暖かかったし、寒い日も夕方まで暖房をつけないのですが(貧乏人)、
今朝はちいもぷうっと羽毛を膨らませているし、ももも寒そうな顔をしているので、暖房を入れました。

やっぱりあったかいなあ…。
さて、今日は心療内科の日です。
私は昨日から緊張してバクバクと動悸がし、デパスを何錠も飲んでしまっていました。(ODしてしまった)
診察がてら障害年金の診断書などをお願いに行くのですが、先の内科のことがあるので憂鬱でなりません。
あれから調子が急激に悪くなってしまい、ついには「だるだる病」が姿を現して、何をするにも億劫で仕方がなく、家事もろくに出来ずにあれこれと考えては落ち込み、どうやらネガティブな海の最下層に沈んでしまった様なのです。
ほんの近所にあるコンビニへ買い物に行くのも、お風呂に入るのも、何もかもやる気が起きず、面倒臭くて溜まらず、ここのところベッドに横になってばかりいました。
テレビは点いているけれど観る気もせず、活字を目にする気にもならず、耳栓をしてただただ眠ってばかりいたのです。
な訳で、今日はどうにか自分を奮い立たせ、一時間かけて支度をしてドアを出ました。
今日は先日の「バウムテスト」の結果が出ているのです。
結果は…
* 内向的な気質。現在非常に不安定な状態。
* 自分の本当の気持ちを家族にも、親しい友達などにも言えず、自分の中で処理しようとしてストレスが生じやすい傾向にある。
* 外部の刺激(音や、光景などのことだと思う)に固執してしまう傾向がある。全てのものを自分の中に捉えこみ、固執して目が離せなくなる。無視が出来ない。
* ひとつのことが気にかかると、他の全てを遮断してそれ以外目に入らないようになる傾向にある。
* 被害妄想あり。
……覚えてる限りで、上記のようなことを言われた気がします。(緊張していてそれどころじゃなかった)
あんな子供の落書きのような絵から、これだけのことが曝け出されるのかと感心してしまいました。
見事に気味の悪いほどに言い当てられています。
「少しずつ、心の持ち方を変えていく努力をしていきましょう。ゆっくりね。」との先生のお言葉。
「ここ一週間はどうですか?」
「どん底で。急に調子が悪くなってしまって…」
「何かありました?」
そこで私は恐る恐る障害年金の書類を取り出し、内科での一件を汗びっしょりになりながら話しました。
指も声も震えてしまって、筋道立ててきちんと話せたかどうかもう覚えてはいません。ただ事の顛末を伝えるのに必死でした。話している最中にまた思い出して涙ぐんでしまう始末…。
先生が同情してくれたのが嬉しかったです。
「…うーん。ひどいなぁ。それ、どこの病院?…いるんだよねー。変な先生。」
「ずっと通っていたところなので、ショックで…。」
「それはちょっとひどいと思うよ。喧嘩したくない気も判るけど、遠くまで行ってそんな嫌な思いすることないでしょ。紹介状書いてもらって病院変わった方がいいよ。電話でお願いしておいて、窓口で渡してもらえば先生には会わないで済むし。そうしたほうがいいよ。」
憤然としながら、それでもその内科の先生の気持ちも判らないではないけどね、と先生は言います。
「うつ病だと思って睡眠薬とか自分は処方してる訳じゃないから。それが初診だと言われても納得できないんだと思うよ。」
とりあえず、診断書は聞き取りながら書かなければならないところもあるので、時間がかかるとのこと。
今回は預かってもらい、次回に聞き取りながら完成させ、頂けることになりました。
初診証明書については、書いてもらえるかどうかは微妙ですが…。
先生は、「正直に年金事務所に愚痴って年金事務所から内科に言ってもらったら?」と言うのですが、そんなことできるのかどうか判りません。
けれども内科の病院を変えることは既に自分でも決めていました。
もう正直、あの内科とは関わり合いになりたくありません。紹介状も書いてもらう気力もありません。
幸い近所に、以前健康診断でお世話になった感じの良い先生の居る内科があり、アレルギー科も標榜しているので、そこで聞いてみようと思っていました。
調子が悪いので増薬になるのでは…とびくびくしていたのですが、いつも通りの薬の量でした。
「今の落ち込みはその一件の所為で、一過性のものだからね。忘れなさい。」
先生の言葉に安堵して、診察室を後にしました。
支払いの際、受付の人が親切に「自立支援ですが、三ヶ月前から更新手続きできるので、もうできますよ。早めに行った方が良いですよ。」と声をかけてくれ、私は診察が終わってほっとしたせいか、この親切に涙が滲んでしまいました。
少し落ち着いたので、帰りに書店に寄ってみる気になれました。
最近、「大人のぬりえ」に興味があるのです。
「趣味でもなんでも、無心になれるものがあるといいんだけどなあ…。」
と、以前先生に言われていたのですが、確かに私もそれを感じていました。
ウォーキングでも掃除でも、何も考えず、ただ歩くだけ、綺麗にするだけ…そのことだけを考えて何かをすると、無心になれて精神的にも落ち着くのが判ります。その時だけ、ネガティブループが遠のく気がするのです。
かと言って、無趣味な私。何か夢中に無心になれるものはないかとあれこれ探していて、ネットでたまたま「大人のぬりえ」を目にしたのです。
フランス発祥の「大人のぬりえ」(コロリアージュ)は、無心で色を塗ることで現実から逃避でき、ストレス発散になると言われていて、フランスではアートセラピーとして保証されているそうです。
「色を塗る」という行為は人に心地よさを与えるとして知られ、病気や障害、うつ病などの治療として非常に有効なことが証明されているらしく、書いたり描いたりが割と好きな私は、少し気になっていました。
書店にはコーナーも出来ていて、色々な本がありました。
植物や動物、幾何学模様など、見ているだけで久々に楽しい気持ちになれました。
ピンからキリまで色々なものがありましたが、欲しいと思ったものは結構なお値段 ((+_+)) なので今日はあきらめました。ぬりえの画像は、ネットからダウンロードもできるので、探してみようかな。
色鉛筆を引き摺りだして、調子の良い時にでも始めてみようかなあと思っています。
それにしても、心療内科の先生に想いを吐露できたおかげで幾分気持ちが楽になりました。
これで「だるだる病」も抜けてくれるといいのですが……。
障害年金の手続きはこれからどうなるか判りませんが、もともとあきらめているので、あまり気にしないことにしよう…。
「大人のぬりえ」よりも、こっちを先に作った方がいいかな。
封も開けてない、羊毛フェルトのキット(汗)

ちなみに、これが先日のくまの「見本」です。
あまりの出来上がりの違いにどうぞ笑ってくださいませ……。

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