どん底日記2 (その2)
2016/01/09
引き続きネガティブな内容ですので、ご了承下さい。
(しかもダラダラと長い)
1/6(水) 晴れ
今日は内科に行かなければならない。喘息の薬がもうないのだ。
高価だけれど、レルベアという吸入薬はとてもよく効き、一切喘息の発作が出なくなった。
これがなければウサギアレルギーなのでかなり辛いと思う。
午後は混むので、出来るだけ午前中に行きたいと思っていたが、朝の分のデパスやその他の薬を飲んだら眠気に勝てず、1時間ほど眠る。起きたらダンナはもう出かけていていなかった。
見送りできなくて申し訳なく思う。
時間がどんどん迫ってくるのに、億劫でなかなか支度にとりかかれず、結局ドアを出るまでに1時間近くかかってしまった。ここのところますます外出が億劫になっている。
今日も耳栓と、狭い個人病院なので予防のためにマスクをして出かけた。
びくびくと心臓が波打っている。息苦しい。
マスクのせいで息苦しいのか、電車に乗るのが辛くて息苦しいのか判らない。
内科は現在のマンションに引っ越す前に住んでいた街にあり、電車で30分ほどかかる。
二ヶ月に一回の通院だが、うつになってからは結構しんどい。(金銭的にも)
今日は診察の他に、昨日年金事務所でもらってきた「受診状況等証明書」という、初診日を証明する書類を書いてもらえるかどうか訊かなければならない。心療内科で大丈夫だと思うと年金事務所では言われたが、こちらの方が睡眠薬を処方してもらったりしているので厳密に言えば「初診」になるらしい。
上手く説明できるかどうか、電車の中で持って来た用紙を何度も眺め、既に動悸が始まっている。
混んでなければいいな…と願いながらかつて住んでいた街を歩いた。
感慨も何もない。ただ喧騒が煩わしいだけだ。
ところが、病院の自動ドアが開いた途端、絶望した。
三和土は靴だらけで凄く混んでいた。どうやら健康診断の季節らしい。
つくづく運がないなあと落ち込む。
もう20年以上、喘息で通っている病院だが、いつもは空いている。
たまに今日のように混むと、先生の機嫌が悪くなるのだ。
忙しいことでせかせかしてしまい、「ひとりパニック」に陥る先生で、空いている時は穏やかな語り口調なのだが、混むと人が変わったように診察もおざなりになるので嫌なのだ。
こういう人ってどの会社にもひとりは居た。
以前喘息が酷かった頃、仕事が終わった後に診察してもらったことがある。
発作が酷いので点滴をすることになったのだが、私はその日最後の患者で、点滴をしているうちに診療終了時間が迫ってきていた。
すると先生が入ってきて、恐ろしいことを言ったのだ。
「時間がちょっと無いんで、点滴の速度速めていい?」
昔、知り合いがそれで具合が悪くなったことを即座に思い出して、私は愕然としたが、頷くしかない。
「気持ち悪くなったら言って下さいね」
先生はそういうとせかせかと出ていった。あのあと用事でも有ったのかもしれない。
私は急に速く滴り落ちるようになった点滴の雫をただ見つめているしかなかった。
──そんなことをぼんやり思い出していたら、名前を呼ばれたので診察室に入った。
案の定、せかせかとした診察が進み、いつもの薬を一通り処方し、
「──じゃ、そんな感じで。」
と先生はカルテを早くも受付に回そうとしているので、慌てて障害年金のことを切り出した。
途端に先生は不機嫌になり、「このくそ忙しいのに」といった表情である。
私はもう萎縮してしまい、頭が真っ白になってしまった。
それでも懸命に年金事務所で言われたことを思い出してつっかえつっかえ説明をした。
…ところが、いきなり苛々とした先生の声で遮られた。
「──なんで僕がそんなの書かなきゃならないの?」
…え?
そして先生は苛々とカルテを繰り、
「ああ、この日ね。この日付が必要だったらメモでもしてって下さい。」
…と投げ捨てるように言う。
もう一度、一生懸命説明したが、またも遮られた。
「だから。なんで僕がそんなの書かなきゃならないんですか?僕が『うつ病』だって診断した訳でもないのに。」
「病名は違っていても、不眠とか、診断して頂いた時のものでいいと年金事務所の…」
「とにかくそれは僕の書く書類じゃありません。心療内科に書いてもらえばいいんじゃないの?」
「でも、…」
「とにかく僕は書きません。じゃ、そういうことで。」
「……はい。」
──もう何も言えなかった。
あの先生のにべもない態度では何を言ってもダメだと思った。
この病院には、父も通ってきていて、家族ぐるみでもう20年以上もお世話になっている。
なのに、こんなに冷たく拒否されるとは思わなかったので、正直自分が甘かったんだと項垂れた。
混んでいた所為もあるのだろうけれど、例え空いていたとしてもあの先生は断固として書いてくれないだろう。
その後、受付で清算をし、駅までどう歩いたか覚えていない。
診察室での遣り取りばかり、何度も思い出しては動悸がした。
ショックで気力がいっぺんに無くなるのを感じる。
住宅街で立ち止まって、ぽろぽろと私は泣きだしてしまった。
慌ててマスクを引き上げて誤魔化した。
こんなことで情けない…と思うが、鼻の奥がツンと痛み、涙が零れて止まらない。
この街には戸籍があるので、せっかくここまで来たのだから今日取りに行かなくては…と、頭の隅の麻痺していない部分がぼんやりと思いだした。
とぼとぼと区役所へ向かい、放心状態のまま、戸籍謄本発行の手続きをした。
小さい子供が泣き喚いていて、叫び出しそうになるのを必死で堪えた。
帰宅した途端だるくなってしまい、昼食も取る気がしなくてデパスを飲んで夕方まで眠った。
起きたら、部屋はもう暗くなっていて、不意にとても心細くなった。
昼間の遣り取りを思い出してまた泣いた。
もう、障害年金の手続きは私には無理だ。
これから心療内科の先生にまた説明をして、お願いをして、そして自分の過去と向き合って…。
こんな調子では、やり遂げられる自信が無くなってしまった。
1/7(木) 晴れ
何度も夜中に目を覚ましてしまい、嫌な夢を観た気がするが思い出せない。
5時頃にやっとベッドから抜け出し、ダンナのおにぎりを握り、ウィンナーを茹でた。あとは冷食ばかりのお弁当で、ダンナも嫌気がさしているだろう。
一日中家にいるのだから、お弁当くらい凝ったものを作ればいいのに手抜きばかりしている。本当に自分が朝から情けなくなった。
ちいのケージを掃除した。ちいは朝は酷く機嫌が悪い。
思い切り手を噛まれたが、手の痛みなんかどうでもいい感じだ。
ももは朝はとてもお腹を空かせているので、掃除をしている私の手にしつこく絡みついて離れない。
そのモフモフのお腹や手の甲にかかるあたたかな鼻息を感じて、心底可愛いと思う。
動物はそこに居てくれるだけで、いつでもあったかいものを惜しげもなくくれる。
ダンナが出勤した後、またベッドに横になる。昨日の内科の一件をまた思い出して涙が出た。
以前の私だったら、悲しみよりも怒りの方が先に立ち、怒りが収まらないまま悶々としている筈だ。
あの場で内科の先生と遣り合ったかもしれない。
けれども今の私は、先生の冷たい拒絶の言葉を何度も思い出しては改めて傷つき、泣いてばかりいる。
不安が収まりそうもないのでデパスを追加してスマホのアラームをセットし、少し眠った。
12時から歯医者の予約が入っていたので渋々と起き出す。
歩いて15分くらいのところだが、どうしても出かける支度が出来ない。
換気扇を回し、数本タバコを吸ってから歯を磨いて、やっと着替えた。
昨日の一件から、外出するのが「億劫だ」という気持ちから何だか「恐怖」に変化しているのに気付いた。
歩道を歩いていても、向こうから人が歩いてきたり、自転車で後ろから追い抜かれたりすると、ドキドキしてしまって動悸が止まらない。
歯医者に着いても受付の人や、先生と一切目を合わすことが出来ず、何か訊かれても上手く返すことが出来ない。
治療が終って帰る時、受付の人に次の予約を取ってもらうのだが、どうしても日が決められない。
相手が出してくる候補の日から選べばいいのだが、どの日も何か用事があった気がして思い出せず、結局随分先の日になってしまった。
帰宅して、何もやる気がせず、昼の分のデパスを飲んでまた少し眠る。
随分、急降下してしまったようで、焦る。
眠ってばかりいると、起きた時の罪悪感がたまらない。
少し浮上しようと思い、正月の間に録りためていたバラエティを観る。
けれども全く笑えず、集中して見られないので途中で止めた。
今日はダンナの帰宅が遅い。
こんな不安定な状態で、一人でいる時間が長いと思うと不安と憂鬱で一杯になった。
日記はこれで終わりです。
自分の気持ちを整理するための吐き出し日記なので、こんなに暗い内容になってしまい……。
最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。
この後、友人からもらったメールのお陰で少しずつ上がり始めています。
年金手帳を探していたら、戸棚の奥の方から出てきた。
昔、キットを買って作った羊毛フェルトのぬいぐるみ。
見本と全く違ってしまったので捨てるに捨てられず、押し込んであった。
顔が……(笑)

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1/6(水) 晴れ
今日は内科に行かなければならない。喘息の薬がもうないのだ。
高価だけれど、レルベアという吸入薬はとてもよく効き、一切喘息の発作が出なくなった。
これがなければウサギアレルギーなのでかなり辛いと思う。
午後は混むので、出来るだけ午前中に行きたいと思っていたが、朝の分のデパスやその他の薬を飲んだら眠気に勝てず、1時間ほど眠る。起きたらダンナはもう出かけていていなかった。
見送りできなくて申し訳なく思う。
時間がどんどん迫ってくるのに、億劫でなかなか支度にとりかかれず、結局ドアを出るまでに1時間近くかかってしまった。ここのところますます外出が億劫になっている。
今日も耳栓と、狭い個人病院なので予防のためにマスクをして出かけた。
びくびくと心臓が波打っている。息苦しい。
マスクのせいで息苦しいのか、電車に乗るのが辛くて息苦しいのか判らない。
内科は現在のマンションに引っ越す前に住んでいた街にあり、電車で30分ほどかかる。
二ヶ月に一回の通院だが、うつになってからは結構しんどい。(金銭的にも)
今日は診察の他に、昨日年金事務所でもらってきた「受診状況等証明書」という、初診日を証明する書類を書いてもらえるかどうか訊かなければならない。心療内科で大丈夫だと思うと年金事務所では言われたが、こちらの方が睡眠薬を処方してもらったりしているので厳密に言えば「初診」になるらしい。
上手く説明できるかどうか、電車の中で持って来た用紙を何度も眺め、既に動悸が始まっている。
混んでなければいいな…と願いながらかつて住んでいた街を歩いた。
感慨も何もない。ただ喧騒が煩わしいだけだ。
ところが、病院の自動ドアが開いた途端、絶望した。
三和土は靴だらけで凄く混んでいた。どうやら健康診断の季節らしい。
つくづく運がないなあと落ち込む。
もう20年以上、喘息で通っている病院だが、いつもは空いている。
たまに今日のように混むと、先生の機嫌が悪くなるのだ。
忙しいことでせかせかしてしまい、「ひとりパニック」に陥る先生で、空いている時は穏やかな語り口調なのだが、混むと人が変わったように診察もおざなりになるので嫌なのだ。
こういう人ってどの会社にもひとりは居た。
以前喘息が酷かった頃、仕事が終わった後に診察してもらったことがある。
発作が酷いので点滴をすることになったのだが、私はその日最後の患者で、点滴をしているうちに診療終了時間が迫ってきていた。
すると先生が入ってきて、恐ろしいことを言ったのだ。
「時間がちょっと無いんで、点滴の速度速めていい?」
昔、知り合いがそれで具合が悪くなったことを即座に思い出して、私は愕然としたが、頷くしかない。
「気持ち悪くなったら言って下さいね」
先生はそういうとせかせかと出ていった。あのあと用事でも有ったのかもしれない。
私は急に速く滴り落ちるようになった点滴の雫をただ見つめているしかなかった。
──そんなことをぼんやり思い出していたら、名前を呼ばれたので診察室に入った。
案の定、せかせかとした診察が進み、いつもの薬を一通り処方し、
「──じゃ、そんな感じで。」
と先生はカルテを早くも受付に回そうとしているので、慌てて障害年金のことを切り出した。
途端に先生は不機嫌になり、「このくそ忙しいのに」といった表情である。
私はもう萎縮してしまい、頭が真っ白になってしまった。
それでも懸命に年金事務所で言われたことを思い出してつっかえつっかえ説明をした。
…ところが、いきなり苛々とした先生の声で遮られた。
「──なんで僕がそんなの書かなきゃならないの?」
…え?
そして先生は苛々とカルテを繰り、
「ああ、この日ね。この日付が必要だったらメモでもしてって下さい。」
…と投げ捨てるように言う。
もう一度、一生懸命説明したが、またも遮られた。
「だから。なんで僕がそんなの書かなきゃならないんですか?僕が『うつ病』だって診断した訳でもないのに。」
「病名は違っていても、不眠とか、診断して頂いた時のものでいいと年金事務所の…」
「とにかくそれは僕の書く書類じゃありません。心療内科に書いてもらえばいいんじゃないの?」
「でも、…」
「とにかく僕は書きません。じゃ、そういうことで。」
「……はい。」
──もう何も言えなかった。
あの先生のにべもない態度では何を言ってもダメだと思った。
この病院には、父も通ってきていて、家族ぐるみでもう20年以上もお世話になっている。
なのに、こんなに冷たく拒否されるとは思わなかったので、正直自分が甘かったんだと項垂れた。
混んでいた所為もあるのだろうけれど、例え空いていたとしてもあの先生は断固として書いてくれないだろう。
その後、受付で清算をし、駅までどう歩いたか覚えていない。
診察室での遣り取りばかり、何度も思い出しては動悸がした。
ショックで気力がいっぺんに無くなるのを感じる。
住宅街で立ち止まって、ぽろぽろと私は泣きだしてしまった。
慌ててマスクを引き上げて誤魔化した。
こんなことで情けない…と思うが、鼻の奥がツンと痛み、涙が零れて止まらない。
この街には戸籍があるので、せっかくここまで来たのだから今日取りに行かなくては…と、頭の隅の麻痺していない部分がぼんやりと思いだした。
とぼとぼと区役所へ向かい、放心状態のまま、戸籍謄本発行の手続きをした。
小さい子供が泣き喚いていて、叫び出しそうになるのを必死で堪えた。
帰宅した途端だるくなってしまい、昼食も取る気がしなくてデパスを飲んで夕方まで眠った。
起きたら、部屋はもう暗くなっていて、不意にとても心細くなった。
昼間の遣り取りを思い出してまた泣いた。
もう、障害年金の手続きは私には無理だ。
これから心療内科の先生にまた説明をして、お願いをして、そして自分の過去と向き合って…。
こんな調子では、やり遂げられる自信が無くなってしまった。
1/7(木) 晴れ
何度も夜中に目を覚ましてしまい、嫌な夢を観た気がするが思い出せない。
5時頃にやっとベッドから抜け出し、ダンナのおにぎりを握り、ウィンナーを茹でた。あとは冷食ばかりのお弁当で、ダンナも嫌気がさしているだろう。
一日中家にいるのだから、お弁当くらい凝ったものを作ればいいのに手抜きばかりしている。本当に自分が朝から情けなくなった。
ちいのケージを掃除した。ちいは朝は酷く機嫌が悪い。
思い切り手を噛まれたが、手の痛みなんかどうでもいい感じだ。
ももは朝はとてもお腹を空かせているので、掃除をしている私の手にしつこく絡みついて離れない。
そのモフモフのお腹や手の甲にかかるあたたかな鼻息を感じて、心底可愛いと思う。
動物はそこに居てくれるだけで、いつでもあったかいものを惜しげもなくくれる。
ダンナが出勤した後、またベッドに横になる。昨日の内科の一件をまた思い出して涙が出た。
以前の私だったら、悲しみよりも怒りの方が先に立ち、怒りが収まらないまま悶々としている筈だ。
あの場で内科の先生と遣り合ったかもしれない。
けれども今の私は、先生の冷たい拒絶の言葉を何度も思い出しては改めて傷つき、泣いてばかりいる。
不安が収まりそうもないのでデパスを追加してスマホのアラームをセットし、少し眠った。
12時から歯医者の予約が入っていたので渋々と起き出す。
歩いて15分くらいのところだが、どうしても出かける支度が出来ない。
換気扇を回し、数本タバコを吸ってから歯を磨いて、やっと着替えた。
昨日の一件から、外出するのが「億劫だ」という気持ちから何だか「恐怖」に変化しているのに気付いた。
歩道を歩いていても、向こうから人が歩いてきたり、自転車で後ろから追い抜かれたりすると、ドキドキしてしまって動悸が止まらない。
歯医者に着いても受付の人や、先生と一切目を合わすことが出来ず、何か訊かれても上手く返すことが出来ない。
治療が終って帰る時、受付の人に次の予約を取ってもらうのだが、どうしても日が決められない。
相手が出してくる候補の日から選べばいいのだが、どの日も何か用事があった気がして思い出せず、結局随分先の日になってしまった。
帰宅して、何もやる気がせず、昼の分のデパスを飲んでまた少し眠る。
随分、急降下してしまったようで、焦る。
眠ってばかりいると、起きた時の罪悪感がたまらない。
少し浮上しようと思い、正月の間に録りためていたバラエティを観る。
けれども全く笑えず、集中して見られないので途中で止めた。
今日はダンナの帰宅が遅い。
こんな不安定な状態で、一人でいる時間が長いと思うと不安と憂鬱で一杯になった。
日記はこれで終わりです。
自分の気持ちを整理するための吐き出し日記なので、こんなに暗い内容になってしまい……。
最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。
この後、友人からもらったメールのお陰で少しずつ上がり始めています。
年金手帳を探していたら、戸棚の奥の方から出てきた。
昔、キットを買って作った羊毛フェルトのぬいぐるみ。
見本と全く違ってしまったので捨てるに捨てられず、押し込んであった。
顔が……(笑)

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どん底日記2 (その1)
2016/01/07
ここのところ状態が酷いので、備忘録のつもりでまたまた「どん底日記」をつけていました。
ネガティブな内容ですので、ご了承下さい。
1/4(月) 晴れ
最近、ダンナが早番なのか遅番なのか判らない。年始でシフトも不規則なのだろう。
朝はどうせ早朝覚醒で4時には目が覚めてしまうので、お弁当作りとちいももの掃除のために起き出すからいいのだが、夜の帰宅時間も不規則で掴めないのが辛い。朝が早くても夜中の帰宅だったりする。
食事の支度があるので、今日は何時に帰るのかとかこっちから毎日LINEするのもうざいだろうし。
けれども最近はダンナの方からLINEをくれるようになった。
調子が悪く早く寝たい日も、帰りを待っていなければ申し訳ない気がして起きている。
ダンナにパラサイトしてる感がどうしてもどうしても抜けないのだ。
午前中、何もやる気がなく薬を飲んで深く眠る。
不安で落ち着かなくデパス飲んで眠ってばかり。ODするのも時間の問題だ。
昼を回って起き出すと、ふと少し動ける気がしたので、慌てて家の掃除を始める。
ずっとできなかったので動ける時にやらないといつまでたっても埃の山。
いまひとつやる気がないので、耳栓の上からヘッドフォンをしてiPodで音楽を聴きながら始めた。
気がついたらもう夕方だった。
どうも自分は落ち込むと、無心で念入りに掃除をする傾向にあるなと思う。
……良いのか悪いのか。
きっと何か家事を徹底的にやって自分の存在意義を確かめたくなるのかもしれない。
希死念慮が纏わりついてここのところ離れない。こいつは本当に厄介だと思う。
ちいの顔を見に行くと、ちいは必ずケージの上の方に上ってきて私の顔を覗き込んでくれる。
こんなに小さい目なのに、ちいの目はほんとに表情がある。
ももは相変わらずマイペースだが、ぴんと立ったももの両耳の間を指で撫でていると心が和む。
こうして文章にしていくと、客観的になれて、少し落ち着く気がして良い。
1/5(火) 晴れ
今日は年が明けて初めての心療内科。
耳栓をして電車に乗り、憂鬱な気持ちで街へ出る。
まだ学校は始まってないのかな?…子供がいないのでそんなことも判らない。
家族連れも多く、わーんとした喧騒、子供の嬌声が耳栓を通過して鼓膜を攻撃して来る。
おどおどと人ごみに混じって病院に向かった。
調子が悪いことを告げ、ここ数日に起きたこと、思ったことなどを訊かれる。
聴覚過敏が酷く、あらゆる音が今の私にとっては凶器になっている。
また以前のように、すれ違う人や、隣り合った人を異常に意識してしまう。
「電車で向かい側に座った人が自分のことを何か言っているように感じる?」と訊かれたので、たまに感じる、と答える。
「それは『…な気がする』のレベルじゃなくて、確信?」「確信です。」
そうしたら、「また別に心理テストやってもらいたいんだけど、今日時間ある?」と訊かれたので頷いた。
別室で看護婦さんに紙と鉛筆、消しゴムを渡されて、「この紙に木を描いて下さい。できるだけ細かく描くと、それだけ詳細に診断できますからね。」と言われて面食らった。
────木?何の木?
紙は横でも縦でもいいし、好きなように思い浮かんだままの木を何でも描いて下さい、という。
絵を描くのは嫌いではないので、何とか描き始めたが、緊張してしまって線がミミズのように波打ってしまった。
あまり細かく葉や幹を描くことが出来なかったが、何とか完成させて受付に提出した。
母の知り合いが同じようにうつで障害年金を貰っているらしく、電話で「あんたも申請だけしてみれば」と言うので、今まで考えたこともなかったが(というか、よく知らなかった)色々昨夜ネットで調べてみた。
けれども集中力が続かず、複雑な文章が頭に全然入ってこないのには閉口した。
今は昔に比べてとても審査が厳しくなっているようで、精神障害で障害年金を申請しても通るのは難しいらしい。
自分の程度では通らないだろうと思うが、当分この調子では就活も出来ないだろうし生活も困窮しているので、申請だけでもしてみようという気になった。
心療内科の先生に相談してみると、「診断書書くよ」と言ってくれたので、帰りに市役所に寄って色々聞いてみることにした。
一旦外出したら、色々な用事をいっぺんに済まさないと、いつまた動けなくなるか判らない。
途中の電車の中で、さっきの心理テストをスマホで調べてみた。
「バウムテスト」というのをやらされたらしく、深層心理や上手く表現できない内面を絵に例えて具体化する、「描画法」の心理テストの一種らしい。
自分の描いた絵(もう忘れかけてる)を思い浮かべて、解釈してみようと思ったが良く判らないので止めた。
いつもは2週間に一度の診療だが、結果が今週末には出るので来週また行くことになっている。
最初は市役所に行けばいいのかと思って一応電話して聞いてみたら、初診時に国民年金だったかと訊かれたので、厚生年金だと答えると、「それでは年金事務所に行ってください」と言われた。
……こんなことも知らない私。
年金事務所の場所は知っていたので、初めて訪れた。もう緊張で手が震えている。
薄暗い陰気な雰囲気の事務所を何故か想像していたので、入りやすく明るい内部に面食らう。
件の年金問題のことがあるので、改革の後、イメージアップに躍起になっているのだろうか。
すぐに入口にいた受付の人に要件を訊かれ、あとはてきぱきと用紙を渡され、年金番号を訊かれ、あららと言う間に「お客様相談室」とやらに通されて担当の人がやって来た。
発病までの経緯を色々訊かれた。
私の場合、「おかしいな?」と思い始めてから放置期間が長いので(更年期障害だろうと思っていて、かといって婦人科に行くこともせず放置していた)色々と訊かれて、何故か尋問されているような気分になり、息苦しくなってきた。
担当の人はソフトな話し方の優し気な男の人なのに申し訳ない…。
ちなみにフルタイムで働いていたので、きちんと年金は収めており、申請資格はあるようだ。
年金申請の手続きには「初診日」が重要になるようで、それは初診時に国民年金に加入していたか、会社の厚生年金に加入していたかで貰える年金の種類が違うのだそうだ。
心療内科の初診日が「初診日」なのかと思っていたら、「うつによるものと思われる症状が出て初めて病院(心療内科とは限らない)にかかった日」が「初診日」になるそうで、「初診日」を証明する書類を病院で書いてもらわないと始まらない。
私の場合心療内科に行く前に、喘息で通っている内科で睡眠薬を貰ったりしているので、厳密にはそっちが「初診日」になるらしい。内科に行ったのは確か心療内科に行く一週間ほど前だったので、どちらも厚生年金の期間ではあるが…。
喘息の治療のついでに睡眠薬を貰っていたくらいでは心療内科の方で問題ないと思うが…と言われたが、一応内科に書いてくれるか聞いてみることにした。喘息の薬も切れているので、明日ちょうど行こうと思っていたのだ。
それにしても、山のような書類を渡され、動悸がしてきた。
これらの書類に加えて、「戸籍謄本」「住民票」、加えてダンナの「所得証明書」「課税証明書」まで出さなければならないと知り、早くも及び腰になる。
市役所にも結局行かなければならないし、戸籍が今住んでいるところに無いので、そっちにも行かねばならない。
通常なら何てことのない手続きだが、今の状態ではしんどい。
自分で「病歴・就労状況申立書」という、状況説明書みたいなものを書かなくてはならず、辛かった頃のことを思い出して書き綴らなければならないので、考えただけで落ち込む。
この作業が果たして今の自分に集中して出来るかどうか不安で何も手につかなくなってきた。
あとは診断書にかかっているが、あの先生、すごく簡潔にさら~っと書いちゃうんだよなあ(自立支援申請の時書いてもらったのを見て驚いた)……不安材料が山積みだ。
みんな、精神状態や体調が悪いだろうに、この手続きをやっているんだなあ。
もっと重篤な人にはかなりの試練なのではないだろうか。申請が通るかも判らないのに…。
勿論、私は社労士さんに頼むお金なんかありはしない…。
帰ってきたらぐったりと疲れてしまい、少し眠った。
不安でまたデパスを飲む。
今日はODギリギリの量だ。
追記:このあと私は内科で泣き、いっそうネガティブの海に沈む羽目になるのでした……。
続きはまた……。
最近、脳が甘いものばかり要求する。
個人的には、虎屋のよりも好きかも……。

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1/4(月) 晴れ
最近、ダンナが早番なのか遅番なのか判らない。年始でシフトも不規則なのだろう。
朝はどうせ早朝覚醒で4時には目が覚めてしまうので、お弁当作りとちいももの掃除のために起き出すからいいのだが、夜の帰宅時間も不規則で掴めないのが辛い。朝が早くても夜中の帰宅だったりする。
食事の支度があるので、今日は何時に帰るのかとかこっちから毎日LINEするのもうざいだろうし。
けれども最近はダンナの方からLINEをくれるようになった。
調子が悪く早く寝たい日も、帰りを待っていなければ申し訳ない気がして起きている。
ダンナにパラサイトしてる感がどうしてもどうしても抜けないのだ。
午前中、何もやる気がなく薬を飲んで深く眠る。
不安で落ち着かなくデパス飲んで眠ってばかり。ODするのも時間の問題だ。
昼を回って起き出すと、ふと少し動ける気がしたので、慌てて家の掃除を始める。
ずっとできなかったので動ける時にやらないといつまでたっても埃の山。
いまひとつやる気がないので、耳栓の上からヘッドフォンをしてiPodで音楽を聴きながら始めた。
気がついたらもう夕方だった。
どうも自分は落ち込むと、無心で念入りに掃除をする傾向にあるなと思う。
……良いのか悪いのか。
きっと何か家事を徹底的にやって自分の存在意義を確かめたくなるのかもしれない。
希死念慮が纏わりついてここのところ離れない。こいつは本当に厄介だと思う。
ちいの顔を見に行くと、ちいは必ずケージの上の方に上ってきて私の顔を覗き込んでくれる。
こんなに小さい目なのに、ちいの目はほんとに表情がある。
ももは相変わらずマイペースだが、ぴんと立ったももの両耳の間を指で撫でていると心が和む。
こうして文章にしていくと、客観的になれて、少し落ち着く気がして良い。
1/5(火) 晴れ
今日は年が明けて初めての心療内科。
耳栓をして電車に乗り、憂鬱な気持ちで街へ出る。
まだ学校は始まってないのかな?…子供がいないのでそんなことも判らない。
家族連れも多く、わーんとした喧騒、子供の嬌声が耳栓を通過して鼓膜を攻撃して来る。
おどおどと人ごみに混じって病院に向かった。
調子が悪いことを告げ、ここ数日に起きたこと、思ったことなどを訊かれる。
聴覚過敏が酷く、あらゆる音が今の私にとっては凶器になっている。
また以前のように、すれ違う人や、隣り合った人を異常に意識してしまう。
「電車で向かい側に座った人が自分のことを何か言っているように感じる?」と訊かれたので、たまに感じる、と答える。
「それは『…な気がする』のレベルじゃなくて、確信?」「確信です。」
そうしたら、「また別に心理テストやってもらいたいんだけど、今日時間ある?」と訊かれたので頷いた。
別室で看護婦さんに紙と鉛筆、消しゴムを渡されて、「この紙に木を描いて下さい。できるだけ細かく描くと、それだけ詳細に診断できますからね。」と言われて面食らった。
────木?何の木?
紙は横でも縦でもいいし、好きなように思い浮かんだままの木を何でも描いて下さい、という。
絵を描くのは嫌いではないので、何とか描き始めたが、緊張してしまって線がミミズのように波打ってしまった。
あまり細かく葉や幹を描くことが出来なかったが、何とか完成させて受付に提出した。
母の知り合いが同じようにうつで障害年金を貰っているらしく、電話で「あんたも申請だけしてみれば」と言うので、今まで考えたこともなかったが(というか、よく知らなかった)色々昨夜ネットで調べてみた。
けれども集中力が続かず、複雑な文章が頭に全然入ってこないのには閉口した。
今は昔に比べてとても審査が厳しくなっているようで、精神障害で障害年金を申請しても通るのは難しいらしい。
自分の程度では通らないだろうと思うが、当分この調子では就活も出来ないだろうし生活も困窮しているので、申請だけでもしてみようという気になった。
心療内科の先生に相談してみると、「診断書書くよ」と言ってくれたので、帰りに市役所に寄って色々聞いてみることにした。
一旦外出したら、色々な用事をいっぺんに済まさないと、いつまた動けなくなるか判らない。
途中の電車の中で、さっきの心理テストをスマホで調べてみた。
「バウムテスト」というのをやらされたらしく、深層心理や上手く表現できない内面を絵に例えて具体化する、「描画法」の心理テストの一種らしい。
自分の描いた絵(もう忘れかけてる)を思い浮かべて、解釈してみようと思ったが良く判らないので止めた。
いつもは2週間に一度の診療だが、結果が今週末には出るので来週また行くことになっている。
最初は市役所に行けばいいのかと思って一応電話して聞いてみたら、初診時に国民年金だったかと訊かれたので、厚生年金だと答えると、「それでは年金事務所に行ってください」と言われた。
……こんなことも知らない私。
年金事務所の場所は知っていたので、初めて訪れた。もう緊張で手が震えている。
薄暗い陰気な雰囲気の事務所を何故か想像していたので、入りやすく明るい内部に面食らう。
件の年金問題のことがあるので、改革の後、イメージアップに躍起になっているのだろうか。
すぐに入口にいた受付の人に要件を訊かれ、あとはてきぱきと用紙を渡され、年金番号を訊かれ、あららと言う間に「お客様相談室」とやらに通されて担当の人がやって来た。
発病までの経緯を色々訊かれた。
私の場合、「おかしいな?」と思い始めてから放置期間が長いので(更年期障害だろうと思っていて、かといって婦人科に行くこともせず放置していた)色々と訊かれて、何故か尋問されているような気分になり、息苦しくなってきた。
担当の人はソフトな話し方の優し気な男の人なのに申し訳ない…。
ちなみにフルタイムで働いていたので、きちんと年金は収めており、申請資格はあるようだ。
年金申請の手続きには「初診日」が重要になるようで、それは初診時に国民年金に加入していたか、会社の厚生年金に加入していたかで貰える年金の種類が違うのだそうだ。
心療内科の初診日が「初診日」なのかと思っていたら、「うつによるものと思われる症状が出て初めて病院(心療内科とは限らない)にかかった日」が「初診日」になるそうで、「初診日」を証明する書類を病院で書いてもらわないと始まらない。
私の場合心療内科に行く前に、喘息で通っている内科で睡眠薬を貰ったりしているので、厳密にはそっちが「初診日」になるらしい。内科に行ったのは確か心療内科に行く一週間ほど前だったので、どちらも厚生年金の期間ではあるが…。
喘息の治療のついでに睡眠薬を貰っていたくらいでは心療内科の方で問題ないと思うが…と言われたが、一応内科に書いてくれるか聞いてみることにした。喘息の薬も切れているので、明日ちょうど行こうと思っていたのだ。
それにしても、山のような書類を渡され、動悸がしてきた。
これらの書類に加えて、「戸籍謄本」「住民票」、加えてダンナの「所得証明書」「課税証明書」まで出さなければならないと知り、早くも及び腰になる。
市役所にも結局行かなければならないし、戸籍が今住んでいるところに無いので、そっちにも行かねばならない。
通常なら何てことのない手続きだが、今の状態ではしんどい。
自分で「病歴・就労状況申立書」という、状況説明書みたいなものを書かなくてはならず、辛かった頃のことを思い出して書き綴らなければならないので、考えただけで落ち込む。
この作業が果たして今の自分に集中して出来るかどうか不安で何も手につかなくなってきた。
あとは診断書にかかっているが、あの先生、すごく簡潔にさら~っと書いちゃうんだよなあ(自立支援申請の時書いてもらったのを見て驚いた)……不安材料が山積みだ。
みんな、精神状態や体調が悪いだろうに、この手続きをやっているんだなあ。
もっと重篤な人にはかなりの試練なのではないだろうか。申請が通るかも判らないのに…。
勿論、私は社労士さんに頼むお金なんかありはしない…。
帰ってきたらぐったりと疲れてしまい、少し眠った。
不安でまたデパスを飲む。
今日はODギリギリの量だ。
追記:このあと私は内科で泣き、いっそうネガティブの海に沈む羽目になるのでした……。
続きはまた……。
最近、脳が甘いものばかり要求する。
個人的には、虎屋のよりも好きかも……。

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新年早々、不協和音に泣く
2016/01/04
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
さて、私はと言えば、依然「低空飛行中」です。
年末から引き摺っていた落ち気味の精神状態のまま、こなさなければならないタスクの多いお正月という時期に突入したために、状態が悪化しました。
今年早々、泣きが入りました。
元旦は、毎年恒例の厄除け祈祷にダンナとふたりでいつもの神社へ出かけました。
厄除け祈祷は大変混むので、前夜にダンナと早めに出ようと話し、「8時に」ということになったのですが、ここからもうふたりのすれ違いが始まっていて、私は「8時に神社に着けるように」という意味で言ったのですが、ダンナは「8時に出る」だと思っていたようです(これひとつとっても意思の疎通が全く取れていないことがモロ判りですね。会話の少ない夫婦です。)
翌朝、時間になってもダンナがなかなか起きてこないので、その時点で初めてそれに気付きました。
まあいいや、とダンナが起き出してくるのを待ち、支度をして神社へ。
私はデパスを飲み、去年と同じように耳栓をしたままという重装備です。
街はまだ早い時間だと言うのに物凄い人出で、神社のある駅に降り立った途端、早くも眩暈がしてきました。
神社に着いて鳥居をくぐると、耳栓をしていてもむせ返るほどの人いきれに倒れそうになりました。
何だか昨年よりも身体が辛いな…とふと思いました。
……おかしいな、あの頃よりも人ごみにもいくらか慣れたはずなのに…。
そんなことをぼんやり思い、少し放心していたのかもしれません。
──と、気が付くとダンナがいないのです。
さっきまで前を歩いていたのに、姿が見えません。
私は行きかう人の大迷惑になりながら、立ち止まってきょろきょろとあたりを見回しました。
……どこにも姿がありません。
次第に不安で胸がバクバクしてきたところに、ダンナからTELが。
「──どこにいんの?」
「あ、今門のところにいるの。」
「えー?俺もう、中入ってるよ。」
私は慌てて門をくぐり、境内へと向かいました。
ダンナの声が微かにイラっとしてるなあ…と思ったらもう駄目でした。
実際は、ダンナはそんなつもりはなかったのかもしれません。
けれども私は瞬時にそう感じてしまったのです。
どんどんどんどん気分が憂鬱になってくる自分がいました。
祈祷の受付所まで何とか辿り着き、列に並んで受付を済ませてからお参りに向かいます。
再び戻る頃には、もう待合所は一杯で入れない状態でした。
それでもダンナはお構いなしに靴を脱いでさっさと入って行ってしまうので、慌てて後を追いました。
必死にブーツを脱いでいると(脱ぐの判ってるのに、忘れて毎年ブーツを履いてくるというバカ)ダンナが遥か向こうで空席を見つけて手招きしています。
待合所に入るなり、待つのに飽きた子供のぐずり声、大声で会話する人達などなどの喧騒が一気に襲ってきました。
耳栓をしていても、それは容赦なく私を打ちのめし、一生懸命「関係ない、関係ない」「気にしない、気にしない」と呪文を唱えて自分を宥めながら、祈祷まで1時間近くこの待合所で待機していました。
今思うと、この時すでに限界だったのだと思います。
溢れるような人ごみの中で、私は自分の状態を立て直そうと必死だったのです。
それは「おかしくなってダンナに迷惑をかけたくない」という一心からでありました。
しばらくしてやっと番号が呼ばれ、私たちはぞろぞろとお堂の中に入りました。
うちはダンナの名前で「家内安全」の厄除けのお札をもらっているので、ダンナが代表してお祓いを受けます。
受付でもらった首からかけるタスキみたいなものをダンナがして(神前に進む際の礼装の代わりだそうです)、玉串もダンナが捧げます。
お堂の中には家族も入れるので、大変な人数になります。
ぞろぞろと人に紛れてお堂の中に押し込まれ、私の方がダンナより先に入りこむような形になってしまいました。
ふと見ると、ダンナがいません(またかよ!)
探すと、少し後ろの方に居たので手招きすると、ダンナが今度はあからさまに不機嫌な顔になりました。
祝詞はちゃんと聞きたいので耳栓を外していたので聞こえたのですが、
「──あんたが先に入ってどうすんの。」…のようなことを言われました。
その途端、私は打ちのめされてしまいました。
ダンナは渋々私の隣に来て座りましたが、私の心臓はバクバクしたままです。
同時に自分の心が、しぼんでいくのを感じました。
ダンナは何の気なしに今の言葉を冗談めいて言ったのかもしれません。
けれどもその何気ない言葉は私を打ちのめすのに充分でした。
ダンナとの不協和音を感じ、私はどーんと階段を一気に転げ落ちてしまいました。
お堂の中は、人でいっぱい。
ぎゅうぎゅうと間を詰めて座ります。
やがて祝詞が始まり、私たちは一斉に頭を垂れましたが、それでなくても私は落ち込みで頭を垂れたい気分でした。
ぐずる子供が近くにいたのも相乗効果となって、お堂に入る前にデパスを頓服しなかったのを酷く後悔しました。
背中は冷や汗でべっとり。胸の中にはずっしりした重しを抱えて私は祈祷を受けたのでした。
祈祷が終わって新しいお守りと破魔矢を買います。
その頃にはダンナはもう何事もなかったように屋台を覗き込んであれが食べたい、これがおいしそうだなどときょろきょろしていましたが、その隣で、私は心底疲労を抱えていました。
毎年来ているのに、こんなにキツかった厄除け祈祷は初めてです。
やはり、調子が良くないのでしょう。
夜、私の部屋で、ちいと遊んでいました。
ちいが私の胸元のパーカーのひもをひっぱって遊んでいるのを見ているうちに、何だか涙が出てきてしまいました。
昼間のダンナの言葉とか、態度とかを思い出して泣けてきてしまったのです。
些細なことなのに、小さな棘が心の中にしっかりと刺さり、それがチクチクと痛みます。
ダンナの言葉も態度も、通常の状態なら何ら気にすることなく受け流せたものだと思うのです。
本人にも全く悪気はないと思うのです。
それなのに、どうしてこんなに落ち込むのでしょう。
ちいが動きを止めて、「どうしたの?」というふうに私を見上げていました。
「自分がトロトロしてるから、ダンナは気に障るんだ。」
…すぐそう思ってしまうのです。
このネガティブループの思考が始まると、終わりがありません。
最後は「彼は私の存在自体が邪魔なんだ」「私は厄介者なんだ」というところまで行きついてしまって危険です。
判っているのに考えるのを止められないのです。
「ダンナに迷惑をかけたくない」という感情の裏には、迷惑をかけることによって不機嫌になったダンナを見て自分が傷つくことが怖い…という畏怖があります。
以前、機嫌の悪かったダンナに怒鳴られたことがどうしてもトラウマになっていて、これも私がなかなか浮上できない要因のひとつなのかもしれません。
──正月早々、こんな訳でどん底にいる私です。
年明け一回目の更新がこんなネガティブな内容でホントすみません……。
浮上するまで、しばしお待ちを……。
──ちいは敏感だなあ。

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さて、私はと言えば、依然「低空飛行中」です。
年末から引き摺っていた落ち気味の精神状態のまま、こなさなければならないタスクの多いお正月という時期に突入したために、状態が悪化しました。
今年早々、泣きが入りました。
元旦は、毎年恒例の厄除け祈祷にダンナとふたりでいつもの神社へ出かけました。
厄除け祈祷は大変混むので、前夜にダンナと早めに出ようと話し、「8時に」ということになったのですが、ここからもうふたりのすれ違いが始まっていて、私は「8時に神社に着けるように」という意味で言ったのですが、ダンナは「8時に出る」だと思っていたようです(これひとつとっても意思の疎通が全く取れていないことがモロ判りですね。会話の少ない夫婦です。)
翌朝、時間になってもダンナがなかなか起きてこないので、その時点で初めてそれに気付きました。
まあいいや、とダンナが起き出してくるのを待ち、支度をして神社へ。
私はデパスを飲み、去年と同じように耳栓をしたままという重装備です。
街はまだ早い時間だと言うのに物凄い人出で、神社のある駅に降り立った途端、早くも眩暈がしてきました。
神社に着いて鳥居をくぐると、耳栓をしていてもむせ返るほどの人いきれに倒れそうになりました。
何だか昨年よりも身体が辛いな…とふと思いました。
……おかしいな、あの頃よりも人ごみにもいくらか慣れたはずなのに…。
そんなことをぼんやり思い、少し放心していたのかもしれません。
──と、気が付くとダンナがいないのです。
さっきまで前を歩いていたのに、姿が見えません。
私は行きかう人の大迷惑になりながら、立ち止まってきょろきょろとあたりを見回しました。
……どこにも姿がありません。
次第に不安で胸がバクバクしてきたところに、ダンナからTELが。
「──どこにいんの?」
「あ、今門のところにいるの。」
「えー?俺もう、中入ってるよ。」
私は慌てて門をくぐり、境内へと向かいました。
ダンナの声が微かにイラっとしてるなあ…と思ったらもう駄目でした。
実際は、ダンナはそんなつもりはなかったのかもしれません。
けれども私は瞬時にそう感じてしまったのです。
どんどんどんどん気分が憂鬱になってくる自分がいました。
祈祷の受付所まで何とか辿り着き、列に並んで受付を済ませてからお参りに向かいます。
再び戻る頃には、もう待合所は一杯で入れない状態でした。
それでもダンナはお構いなしに靴を脱いでさっさと入って行ってしまうので、慌てて後を追いました。
必死にブーツを脱いでいると(脱ぐの判ってるのに、忘れて毎年ブーツを履いてくるというバカ)ダンナが遥か向こうで空席を見つけて手招きしています。
待合所に入るなり、待つのに飽きた子供のぐずり声、大声で会話する人達などなどの喧騒が一気に襲ってきました。
耳栓をしていても、それは容赦なく私を打ちのめし、一生懸命「関係ない、関係ない」「気にしない、気にしない」と呪文を唱えて自分を宥めながら、祈祷まで1時間近くこの待合所で待機していました。
今思うと、この時すでに限界だったのだと思います。
溢れるような人ごみの中で、私は自分の状態を立て直そうと必死だったのです。
それは「おかしくなってダンナに迷惑をかけたくない」という一心からでありました。
しばらくしてやっと番号が呼ばれ、私たちはぞろぞろとお堂の中に入りました。
うちはダンナの名前で「家内安全」の厄除けのお札をもらっているので、ダンナが代表してお祓いを受けます。
受付でもらった首からかけるタスキみたいなものをダンナがして(神前に進む際の礼装の代わりだそうです)、玉串もダンナが捧げます。
お堂の中には家族も入れるので、大変な人数になります。
ぞろぞろと人に紛れてお堂の中に押し込まれ、私の方がダンナより先に入りこむような形になってしまいました。
ふと見ると、ダンナがいません(またかよ!)
探すと、少し後ろの方に居たので手招きすると、ダンナが今度はあからさまに不機嫌な顔になりました。
祝詞はちゃんと聞きたいので耳栓を外していたので聞こえたのですが、
「──あんたが先に入ってどうすんの。」…のようなことを言われました。
その途端、私は打ちのめされてしまいました。
ダンナは渋々私の隣に来て座りましたが、私の心臓はバクバクしたままです。
同時に自分の心が、しぼんでいくのを感じました。
ダンナは何の気なしに今の言葉を冗談めいて言ったのかもしれません。
けれどもその何気ない言葉は私を打ちのめすのに充分でした。
ダンナとの不協和音を感じ、私はどーんと階段を一気に転げ落ちてしまいました。
お堂の中は、人でいっぱい。
ぎゅうぎゅうと間を詰めて座ります。
やがて祝詞が始まり、私たちは一斉に頭を垂れましたが、それでなくても私は落ち込みで頭を垂れたい気分でした。
ぐずる子供が近くにいたのも相乗効果となって、お堂に入る前にデパスを頓服しなかったのを酷く後悔しました。
背中は冷や汗でべっとり。胸の中にはずっしりした重しを抱えて私は祈祷を受けたのでした。
祈祷が終わって新しいお守りと破魔矢を買います。
その頃にはダンナはもう何事もなかったように屋台を覗き込んであれが食べたい、これがおいしそうだなどときょろきょろしていましたが、その隣で、私は心底疲労を抱えていました。
毎年来ているのに、こんなにキツかった厄除け祈祷は初めてです。
やはり、調子が良くないのでしょう。
夜、私の部屋で、ちいと遊んでいました。
ちいが私の胸元のパーカーのひもをひっぱって遊んでいるのを見ているうちに、何だか涙が出てきてしまいました。
昼間のダンナの言葉とか、態度とかを思い出して泣けてきてしまったのです。
些細なことなのに、小さな棘が心の中にしっかりと刺さり、それがチクチクと痛みます。
ダンナの言葉も態度も、通常の状態なら何ら気にすることなく受け流せたものだと思うのです。
本人にも全く悪気はないと思うのです。
それなのに、どうしてこんなに落ち込むのでしょう。
ちいが動きを止めて、「どうしたの?」というふうに私を見上げていました。
「自分がトロトロしてるから、ダンナは気に障るんだ。」
…すぐそう思ってしまうのです。
このネガティブループの思考が始まると、終わりがありません。
最後は「彼は私の存在自体が邪魔なんだ」「私は厄介者なんだ」というところまで行きついてしまって危険です。
判っているのに考えるのを止められないのです。
「ダンナに迷惑をかけたくない」という感情の裏には、迷惑をかけることによって不機嫌になったダンナを見て自分が傷つくことが怖い…という畏怖があります。
以前、機嫌の悪かったダンナに怒鳴られたことがどうしてもトラウマになっていて、これも私がなかなか浮上できない要因のひとつなのかもしれません。
──正月早々、こんな訳でどん底にいる私です。
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