ペットロスが始まりだったかも…
2015/12/09
ここ2、3日プチだる状態から抜け出せないでいたのですが、今日は朝から何となく動ける感じなので、チャンスとばかりに窓ふきをしました。(動ける時にやらないと、いつになるかわからない)
さらに、もものストレス解消の牧草のおもちゃを買いがてら、ウォーキングしに行きました。
さぼりがちだったラジオ体操もできました。
たまに今日のように急に少し浮上する時があるのです。このまま上がる時もあります。
上がってくれるといいのですが…。
こんなん買ってきました~。
今は色々便利なウサギグッズがあって、見ていても楽しい。

前にも書きましたが、ももの前に私はウサギを飼っていました。
名前をミュウといいます。
垂れ耳ロップイヤーの男の子で、8年生き、7年前に病気で亡くなりました。
当時私はウサギを飼うのは初めてだったので、色々と勉強不足で、それがもとで死なせてしまったようなものでした。
今でも彼のことを思い出すと、身を切られるような自責の念に駆られます。
ウサギの歯は、一生伸び続けます。ウサギの場合、外ばかりでなく埋まっている歯の根元も伸び続けるのです。それを固い牧草などを何度も咀嚼し、すり潰すことによって伸びすぎを防いでいます。
ミュウは牧草を食べない子で、何度トライしてみてもダメでした。
なので私はあきらめ、ペレットだけで育てていたのですが、これがいけませんでした。
柔らかいペレットだけでは歯の伸びすぎを防ぐことはできません。
飼い始めてから4年くらいして、ウサギの大敵「不正咬合」になってしまったのです。
一度スイッチが入ってしまうと、歯はどんどん伸び出し、止めることは難しくなります。
よって、歯の根元は無理ですが外側に伸びた分だけでも定期的に病院で切らなければならなくなりました。
前歯ならまだしも、ミュウの場合奥歯だったので、そのたびに麻酔をかけることになります。
これはウサギにとって非常にリスクがあることなので、私は麻酔をかけずに歯切りができる先生のいる病院を探して、遠方だったのですが毎月連れていきました。
うちは車を持っていないので、電車にバス、さらにバス停からかなり歩くという遠さだったのですが、ミュウにもかなりのストレスだったと思います。
晩年は、ご飯も食べられなくなり、下痢が続く毎日でした。顔は伸びた歯の根元が鼻涙管を刺激して涙や鼻水だらけ。顎の下はよだれでべとべとで、毛が抜けてしまうという酷い状態でした。
ペレットをお湯でふやかして口に入れてやり、だけど大好きなおやつだけは自分で食べたりと、彼も頑張っていたのですがとうとうあまり動けなくなってしまいました。
その頃、私とダンナは仕事が忙しく、特にダンナは土日もない状態でした。
私はもう、その頃になると覚悟をしていたような気がします。
急いで会社から帰宅して、ミュウがまだ動いているのを確認して安堵するという毎日でした。
ある朝、いつものように「いってきます」と声かけをすると、ミュウが珍しく立ち上がって鼻を摺り寄せてきました。
「ミュウちゃん、今日は元気だねー。」
そんな声をかけて、おやつをあげると、もぐもぐ元気に食べてくれたので安心しました。
「…じゃあね、行ってくるね。」
リビングのドアを閉めようとしたら、ドアが閉まるまで、ミュウがじーっと私を見つめています。
いつもは朝はぐったりと寝ていて、声をかけても反応しないのに、珍しいなと思って私は会社に行きました。
──それが最期でした。
帰宅すると、ミュウは冷たくなっていたのです。
仕事をしていると、最期を見送ってあげられない可能性の方が大きいとは覚悟していたのですが、あれは彼の最期のお別れだったのだと思うと、どうしてあの時もっと構ってやれなかったのだろうと悔やまれてなりませんでした。
おまけに、彼が亡くなったのは金曜日で、翌日の土曜日はダンナがその頃唯一休める日だったのです。
彼がまるで、私たちの話を聞いていて日を選んで逝ったような気が今でもしてなりません。
翌日火葬場で、私は彼に申し訳なくて泣けて泣けてたまりませんでした。
──ミュウ、ごめん。
ひとりぼっちで逝かせてごめん。
それから私は自分を責め続け、会社でも何処でもふいに涙が出るのが止められず、そんな調子で一年くらい、喪失感、虚脱感が抜けないままでした。
ミュウではなくて私が死ねば良かったのにとさえ思いました。
多分、ペットロスに陥っていたのだと思います。
思えばその頃から、坂道を転がるようにどんどん調子が悪くなって行った気がします。
それまでは気にならなかったあらゆる音が耳障りになり、イライラが酷くなり、人の嫌な部分ばかりが目につく。些細なことで酷く落ち込む…。ダンナとも喧嘩が絶えませんでした。
その後色んなことが重なったこともあり、どんどん精神的に不安定になって行きました。
そして数年後の去年、その積み重ねで、とうとう折れてしまったのです。
このブログに前にも書いたのですが。
動物と暮らすということは、あたたかいものをたくさんもらえるけれども、それがいつか目の前から無くなるのだ、ということを覚悟しなければなりません。
彼らはいつか、死ぬのです。多分自分よりもずっと早く、必ずその時はやってきます。
今はちいやももに癒されて、ずいぶん助けられている私ですが、彼らもいつかいなくなるのです。
悲観している訳ではありませんが、これは変えることの出来ない事実です。
私はその時、また壊れないでいられるかどうか、今はまだ自信がありません。
その時もし寛解していたとしても、ペットロスが引き金になってまた再発するかもしれません。
けれどもミュウの時のように、もう後悔だけはしたくないのです。
今は精一杯、自分の出来る限りの愛情を、彼らに注いであげたいと思っている私なのです。
──ミュウ、そっちはどうだい?

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さらに、もものストレス解消の牧草のおもちゃを買いがてら、ウォーキングしに行きました。
さぼりがちだったラジオ体操もできました。
たまに今日のように急に少し浮上する時があるのです。このまま上がる時もあります。
上がってくれるといいのですが…。
こんなん買ってきました~。
今は色々便利なウサギグッズがあって、見ていても楽しい。

前にも書きましたが、ももの前に私はウサギを飼っていました。
名前をミュウといいます。
垂れ耳ロップイヤーの男の子で、8年生き、7年前に病気で亡くなりました。
当時私はウサギを飼うのは初めてだったので、色々と勉強不足で、それがもとで死なせてしまったようなものでした。
今でも彼のことを思い出すと、身を切られるような自責の念に駆られます。
ウサギの歯は、一生伸び続けます。ウサギの場合、外ばかりでなく埋まっている歯の根元も伸び続けるのです。それを固い牧草などを何度も咀嚼し、すり潰すことによって伸びすぎを防いでいます。
ミュウは牧草を食べない子で、何度トライしてみてもダメでした。
なので私はあきらめ、ペレットだけで育てていたのですが、これがいけませんでした。
柔らかいペレットだけでは歯の伸びすぎを防ぐことはできません。
飼い始めてから4年くらいして、ウサギの大敵「不正咬合」になってしまったのです。
一度スイッチが入ってしまうと、歯はどんどん伸び出し、止めることは難しくなります。
よって、歯の根元は無理ですが外側に伸びた分だけでも定期的に病院で切らなければならなくなりました。
前歯ならまだしも、ミュウの場合奥歯だったので、そのたびに麻酔をかけることになります。
これはウサギにとって非常にリスクがあることなので、私は麻酔をかけずに歯切りができる先生のいる病院を探して、遠方だったのですが毎月連れていきました。
うちは車を持っていないので、電車にバス、さらにバス停からかなり歩くという遠さだったのですが、ミュウにもかなりのストレスだったと思います。
晩年は、ご飯も食べられなくなり、下痢が続く毎日でした。顔は伸びた歯の根元が鼻涙管を刺激して涙や鼻水だらけ。顎の下はよだれでべとべとで、毛が抜けてしまうという酷い状態でした。
ペレットをお湯でふやかして口に入れてやり、だけど大好きなおやつだけは自分で食べたりと、彼も頑張っていたのですがとうとうあまり動けなくなってしまいました。
その頃、私とダンナは仕事が忙しく、特にダンナは土日もない状態でした。
私はもう、その頃になると覚悟をしていたような気がします。
急いで会社から帰宅して、ミュウがまだ動いているのを確認して安堵するという毎日でした。
ある朝、いつものように「いってきます」と声かけをすると、ミュウが珍しく立ち上がって鼻を摺り寄せてきました。
「ミュウちゃん、今日は元気だねー。」
そんな声をかけて、おやつをあげると、もぐもぐ元気に食べてくれたので安心しました。
「…じゃあね、行ってくるね。」
リビングのドアを閉めようとしたら、ドアが閉まるまで、ミュウがじーっと私を見つめています。
いつもは朝はぐったりと寝ていて、声をかけても反応しないのに、珍しいなと思って私は会社に行きました。
──それが最期でした。
帰宅すると、ミュウは冷たくなっていたのです。
仕事をしていると、最期を見送ってあげられない可能性の方が大きいとは覚悟していたのですが、あれは彼の最期のお別れだったのだと思うと、どうしてあの時もっと構ってやれなかったのだろうと悔やまれてなりませんでした。
おまけに、彼が亡くなったのは金曜日で、翌日の土曜日はダンナがその頃唯一休める日だったのです。
彼がまるで、私たちの話を聞いていて日を選んで逝ったような気が今でもしてなりません。
翌日火葬場で、私は彼に申し訳なくて泣けて泣けてたまりませんでした。
──ミュウ、ごめん。
ひとりぼっちで逝かせてごめん。
それから私は自分を責め続け、会社でも何処でもふいに涙が出るのが止められず、そんな調子で一年くらい、喪失感、虚脱感が抜けないままでした。
ミュウではなくて私が死ねば良かったのにとさえ思いました。
多分、ペットロスに陥っていたのだと思います。
思えばその頃から、坂道を転がるようにどんどん調子が悪くなって行った気がします。
それまでは気にならなかったあらゆる音が耳障りになり、イライラが酷くなり、人の嫌な部分ばかりが目につく。些細なことで酷く落ち込む…。ダンナとも喧嘩が絶えませんでした。
その後色んなことが重なったこともあり、どんどん精神的に不安定になって行きました。
そして数年後の去年、その積み重ねで、とうとう折れてしまったのです。
このブログに前にも書いたのですが。
動物と暮らすということは、あたたかいものをたくさんもらえるけれども、それがいつか目の前から無くなるのだ、ということを覚悟しなければなりません。
彼らはいつか、死ぬのです。多分自分よりもずっと早く、必ずその時はやってきます。
今はちいやももに癒されて、ずいぶん助けられている私ですが、彼らもいつかいなくなるのです。
悲観している訳ではありませんが、これは変えることの出来ない事実です。
私はその時、また壊れないでいられるかどうか、今はまだ自信がありません。
その時もし寛解していたとしても、ペットロスが引き金になってまた再発するかもしれません。
けれどもミュウの時のように、もう後悔だけはしたくないのです。
今は精一杯、自分の出来る限りの愛情を、彼らに注いであげたいと思っている私なのです。
──ミュウ、そっちはどうだい?

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