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人の不幸は蜜の味

2015/12/01
ここのところ調子がいいなと少し図に乗っていた私ですが、久々にずーんと落ちてます。
これを底まで沈ませる大きな波に育てないよう、何とか踏みとどまっている最中です。

昨日、頼まれごとがあったので電車で30分ほどの実家に帰りました。
私は実家に帰る時、長居をして通勤ラッシュにぶつからないようにいつも注意しています。
と言うのも実家が元の職場と沿線で同じ方向にあり、通勤ラッシュにぶつかると知った顔に会ってしまうとも限らないからです。
ただでさえ前々から、思わぬところで思わぬ人に偶然会う、という体験が多い私なので(なんなんでしょう、これ)気をつけています。あれこれ詮索されるのが嫌なので、あまり元の職場の人とは会いたくありません。
なので昨日も早めに実家を後にしました。

どうせなので途中の駅で買い物を済ませ、電車を待つ間駅のベンチに腰を下ろしました。
もう年末に近づいているというのに、あったかい日差しに包まれて駅のベンチはぽかぽかと心地よく、スマホでメールを読んだりしていたら、いきなり声をかけられたのです。
顔を上げると、元の職場のパートのおばさんが満面の笑みで見下ろしています。
「似てるな、似てるなって思ってたんだけど、やっぱりそうだ。元気にしてるのー?」
私は突然のことに混乱してしまい、時々そうなのですが、いきなり声を掛けられると上手く言葉が出てきません。たまに道を聞かれたりすると上手く言葉が出ずに苦労したこともたびたびあります。

壊れた脳がそれでも必死にぐるぐるとこの場を対処する道を探して足掻いているのが判りました。
──何故、平日のこの時間にこの人がここにいるのか。
そう思って気が付きました。この駅は彼女の自宅のある駅であり、彼女はパートなので週5日のフルタイム勤務ではないのです。
どうして向こうが気が付くより先に、私のほうが彼女に気が付かなかったのだろう。
そんな自分の運の悪さに辟易しました。

とりあえず何とか、私はお久しぶりですと頭を下げました。固い薄ら笑いを浮かべていたような気がします。
おばさんはそんな私に構うことなく、矢継ぎ早に質問を浴びせてくるのです。
満面の笑みのなかに、興味津々と言った顔が垣間見え、私は泣きそうになりました。
よりにもよって、あまり会いたくない人に会ってしまった訳です。

「人の不幸は蜜の味」──そんな言葉があります。
声を掛けてきたパートのおばさんは、悪い人ではないのですが少々そんなところがありました。
ずっと長く勤めているので大変な情報通でした。
私には顔もよく判らない社内の人の噂(あまり良くない類の)、誰と誰が喧嘩して片方が辞める、誰の家では子供が受験に失敗した…云々云々。たまに昼食の輪に入ってくると、そのような情報をいくつも披露してくれ、私達が驚き、眉を顰めたりするのを眺めて悦に入っているようなところがありました。

「今どうしてるの?元気そうだけど。」

決定的に嫌な質問がこれです。私はもう身構えていましたが、その質問はやはり私を一層動揺させました。
何とか、「通院しながら家で療養してる」と告げると、「やっぱり病気だったの?まだ悪いの?」と次の質問が飛んできます。私はもう、頭の中が混乱してしまい、途中からは自分が何と受け答えしているのかもわからなくなってしまいました。
それでも強張る笑みを浮かべて「皆さんにによろしく。」と、来た電車に乗り込みおばさんからやっと解放された時には、緊張で汗がびっしょり。額に髪の毛が張り付いていました。

家に帰ってから、物凄く落ち込みが襲ってきました。
彼女は明日、会社で私に会ったとかまたあちこちに話すんだろうな。
私がこうして足掻きながら不毛な毎日を送っている間も、彼女はきちんと働いてるんだ。
私はいつになったら回復するんだろう。
そもそもどうして自分を恥じなければいけないのか。
……などと、ネガティブな攻撃が次々に私を打ちのめしてきます。

もう会うこともない元職場の同僚たちに何を言われてもいいじゃないか。
毎日毎日少しずつ回復に向かってるんだから大丈夫だ。人は人、自分は自分だよ。
焦らなくてもいつか寛解できるよ。
恥じることはないんだよ。今は人生休憩中なんだよ。こういう時間も必要だよ。
一生懸命にポジティブな私が応戦するのですが、無残にも次々に打ち砕かれてしまいます。

調子がいい、というのは自分だけが思っていることで、実際は「回復してきた」のではなく「心をかき乱されるような出来事」がここのところ無く、平穏が続いていたからそう思っていただけではないのか。
──そんな考えがふと浮かびます。

うつの落ち込みの波は、大抵は外部からのほんの些細な刺激から始まります。
生きていれば、自分に心地のいいことばかりが起こる訳ではないし、気持ちのいい言葉だけを受け取れる訳ではありません。傷ついても落ち込んでも、それをうまく受け流してそれでも何とか前へ進めればいいのです。
けれどもうつになってしまうと、いちいちその傷つけられた言葉や状況を手に取ってまじまじと眺め、何度も反芻してしまうようなところがあり、そうするうちに深い水の底に沈み込んで浮上できなくなってしまうのです。

時折来る落ち込みの波と戦いながら、今は仕事もせず、一日のほとんどを家で平穏に過ごしていますが、これがもしも仕事を始めるなり何なり、自分を波立たせるようなことの頻繁に起きる環境に身を置くようになったら、そのときこそが回復したかどうか本当に判るときかもしれません。

今はこのちいさな波を一生懸命なだめてみることしか出来ない私です。





食事中のももをじっと見つめていたら、ふと顔をあげた

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22:15 うつになって感じたこと | コメント(0)
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