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「来年こそは」はもうやめた

2015/12/30
年末に来て、テンション下がり気味なのはなんでなんだろう。
階段の踊り場でうろうろしているような状態で、何だか気分が上がってきません。

聴覚過敏も酷く、上階の「コトッ」という微かな音にさえビクつく今日この頃を送っています。(もちろん耳栓は装着…でも聴こえる。思うに、耳栓をしていることで聴覚が逆に過敏に…。耳が頑張っちゃってるんじゃないだろうか)
外出しても、まだまだオープン状態。全ての周りの音、光景などの情報を拾いまくり、例の呪文もなかなか効果を発揮しません。
こんなんでお正月のタスクをこなせるんだろうかと本当に不安になってきました。

先日、ダンナが言ったことを瞬時に理解できず、ポカーンとしてしまい、ダンナをイラッとさせたことが最初のきっかけだったような気もします。
どうも脳がまだまだフル稼働には程遠い状態のため、瞬時に相手の言ったことを理解できなかったりして人との会話がうまく続かないことがあります。
瞬間イラっとしかけたけど、すぐに柔らかい物言いに直してくれるダンナ(!)
珍しいのでちょっとびっくりしました。
思えばこんなダラダラ状態の私とひとつ屋根の下で、判りやすく気遣ってくれる訳でもないけれど、こっちを責めたりしないでいてくれるのですから、有難いことです。
すまぬ、ダンナ……。


新しい年がもうすぐやってきます。
一年って早いなあ…と、あちこちに既に飾られた門松やしめ飾りを眺めながら何だか不思議な気持ちになっています。
今年は私、「来年は○○したい」「来年こそは○○できるようになりたい…」 などなどと思うのをやめにしました。
昨年末は、「来年は何とか回復して仕事を決めて社会に復帰しよう」「薬も飲まないで過ごせるようになろう」などとシャカリキになっていましたが、事態は目立って進展もせず、時々顔を出す「過剰なやる気」が空回りした一年でした。

私は予定や目標を掲げると、すぐにそれに過剰に縛られて自分が辛い思いをするのです。(少しは自分自身のことを学習した)だから、今年の年末は何も考えず、自分に何も課さずに、時間の流れにただ乗って新年を迎えることにしました。これは私にしては珍しくネガティブじゃなくてむしろポジティブな考え方で、自分でも少し驚いています。
どんなに先のことをあれこれ考えても、うつの状態如何ではどうなるか判らないし、過剰な期待を抱いて自分に無駄なプレッシャーを与えることのないようにしようと思います。

来年は来年で。
いいことも悪いこともなるようにしかならない。
いいことがあったら、ラッキーだし、悪いことがあったら落ち込むだけです(笑)
焦らず、ゆっくりゆっくり階段を昇ったり下りたりしてみようと思います。


…………………………☆…………………………☆…………………………☆…………………………☆


ところでこのブログも、公開してからは間もないのですが、書き始めてからは半年近くになります。
うつになった自分の心理状態を文章にしておこうと思って始めたのですが、読み返してみると最初の頃は本当にどん底状態だったようで、あまりのネガティブさにクラクラします(笑)

自分の内面にふつふつと湧き上がる色んな感情が怖くて、周りに相談できる人もなく吐き出す場がなかったので、文章にすることで客観的になれるかもと思って始めたのです。
最初は自分の信頼のおける友人にだけ、こっそり読んでもらっていました。
とにかく誰かに聴いてもらいたかったのです。

公開してからは、自分も他の方々のブログにあちこちお伺いさせて頂くようになりました。
自分と同じように苦しんでいる方々がたくさんいるんだなあ…と少し安心もしたり、共感したり……心強い気持ちを頂けたのは言うまでもありません。
そしてこんなブログに訪れて頂き、拙い文章を読んで下さっている方々、あたたかなコメントを残して下さる方々にも、とても感謝しております。

どうもありがとうございます。


ぺあ




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17:01 日々あれこれ | コメント(4)

疲れると甘いものが欲しくなる

2015/12/27
私はエレベーターが苦手です。

満員電車に乗れないのと同じ理由で、狭い空間に他人と間近な距離で閉じ込められるのがどうもダメなのです。
うつになってからはそれが一層酷くなり、どん底の時はエレベーターに乗ることが困難でした。
調子が悪いと不安発作が起きてしまい、途中の階で慌てて降りたりしていました。

だいぶ回復した今でも、駅や街はもちろん、どんなに荷物が多くても、疲れていても、階段かエスカレーターをなるべく使います。高齢の父母と行動を共にすると、あれば必ずエレベーターに真っ直ぐ向かうので、その時は仕方なく一緒に乗っています。エスカレーターも人との距離が割と狭められるので苦手ですが、階段はまだ自分のペースで昇降できるので幾分気が楽です。

うちのマンションでも、なるべく階段を使っています。(運動、運動!…と自分に言い聞かせる)
幸い私の部屋はそんなに高層階でもないので、上がるのにはエレベーターを使っても、降りるのには殆ど使いません。
なるべく乗りたくないのです。

うつが酷い時は、とにかく人に会うのが辛く、怖くて仕方がありませんでした。
マンションのエレベーターに乗ることも本当に苦痛でした。
ロビーで住人に出くわすのも嫌だし、お喋り好きな管理人さんに話しかけられるのも億劫でした。(管理人さん、ほんとにいい人なのですが…ごめんなさい)
私は急に話しかけられるのが苦手で、咄嗟に言葉が出てこないのです。話を振られても、顔が強張ってしまい、上手く受け答えが出来ません。なので、ロビーを通る時は軽く管理人さんに会釈だけして(思い切り笑顔で)、出来るだけ早くエレベーターに向かっていました。
ロビーのポストで郵便物を手繰り寄せていて人の気配がすると、「あ、お先にどうぞ。」という感じに先方へ声をかけて、エレベーターに同乗するのを避けていました。
中には親切な方がいて、ロビーに人がいると一機しかないエレベーターに乗って待っていてくれたりするのです。

今まで住んでいたアパートは小さなところで、エレベーターはもちろん、ロビーなんかない造りでした。
この中規模のマンションに引っ越してきて最初にびっくりしたことは、住人の方達の中に、全く挨拶を返してくれない人が割といることです。
「こんにちは」「おはようございます」と、出くわしたら互いに挨拶をするのはもう普通のことだと思っていたのですが(そんな熱くマナー論を説いてる訳ではありませんが)、中には挨拶をしても、聞こえていないのか無言で横を通り過ぎる人、会話に夢中になっていて、目が合っても無視する人も少なくありません。
私の「こんにちは」だけが宙に浮いてしまいます。
──声が小さかったかな…?と思ったりするのですが、正直あまりいい気持ちではありません。
そんな小さなことでプチ落ち込み状態になることさえあります。(他愛ないことで落ち込むうつ…)

ところが先日、びっくりするような子供に遭遇しました。
マンションに帰りつき、郵便物を取ってエレベーターに向かうと、ランドセルを背負った小学3,4年生くらいの女の子がもう先に待っていました。

…内心、あー…と億劫になりました。

申し訳ないのですが私は子供が苦手で、子供が登下校する時間帯は、出くわすのが億劫で殊更に外出を避けているくらいなのです。
ところが、そんなひとり悶々としている私の気配を感じたのか、彼女がいきなり振り返って、こぼれるような笑顔で
「こんにちは。」──と言ったのです。

私はほんとにびっくりしました。
(──別に驚くほどのことでもないですが…。こんなに愛想よく子供が挨拶してくれたのはここに来て初めてでした。子供も挨拶してくれない子が多いね、とダンナと話していたのです)

それだけでなく彼女は、エレベーターが来ると乗り込み、自分の階数のボタンを押して、私に笑顔で尋ねてきました。

「何階ですか?」
「…あ、5階お願いします。すみません。」
私はすっかり感動してしまって(些細なことですが)、ついつい彼女に話しかけてしまいました。
「えらいね。いつもこうしてるの?」
「はい。」
彼女ははにかんだ様子で、それでもきっぱりと答えます。
「お母さんにそうしなさいって言われてるの?」(すっかり物好きなおばさんの私)
「はい、そうです。」
「えらいねー。お母さんも立派な人なんだねー。」
すると彼女が嬉しそうにまた笑顔を向けてきました。

さよならーと言って先に降りていく彼女を見送って、私はすっかり感心してしまいました。
きっと、あの子のお母さんはとてもきちんとした方なのでしょう。

私は自分があのくらいの年齢の時、ああいうふうにしっかりしてたとは到底思えません。
すっかりいい気分になって、嫌いなはずのエレベーターの中で、ひとりにこにこしてしまいました。
大嫌いな暗くて狭い箱の中で、苦手な子供が至近距離にいても、全く不快でないどころかとても穏やかな気分になれたのです。
たったあれだけのことなのに、何だか不思議な気持ちです。

……なんか最近、ほんわか話ばかりになってる気が……

最近、こういう心の動きが多いなあ…。
うつで不安定なせいで、感情や感覚がの全てが、過敏になっているのかもしれません。
疲れると甘いものが欲しくなりますが、それとなんか似ています。
ほんわかとあたたかいものが最近妙に恋しい、私なのでした。




ももが来てから、ちいがヒナの時の鳴き方をよくするようになってしまった。
「赤ちゃん返り」?ってインコにもあるのかな。

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17:31 日々あれこれ | コメント(4)

階段の途中で…

2015/12/24
今日は歯医者の日でした。
先週型を取ったので、新しい詰め物がカチッとはまり、やれやれと思っていたら、
「反対側の同じ歯、小さいから気付かなかったかもしれないけど詰め物とれてるよ。ここも型取ってやり直しましょう。」と言われ、椅子に深く深く沈み込む私…。
歯医者通いは来年も継続しそうです。
どのくらい続くんだろう……(泣)


そして先日は心療内科の今年最後の通院日でした。
心理テストの結果が出ていたのですが、先生に開口一番、
「まだまだ不安定だねえ…。」と言われて思わず頷いてしまいました。
解答用紙にあんなにネガティブなことばかり羅列していたので、案の定なことを色々言われました。

「自分を全く認めてない」
「他人からどう思われているか、それが色んな判断の基準になっている」
「常に他人と自分を比べて、自分を否定するネガティブな感情にすぐに囚われる」
「色々なことを『義務化』する傾向にあり、それが自分を苦しめている」
「物事にすぐに白黒をつけたがる傾向にある」
「不満、不安を内に蓄積しやすい」

…などなどで、私全く良くなってないじゃん!と立ち上がりたくなるくらいの結果でした。
「まあ最初の頃に比べれば症状も落ち着いてるし、表情も明るくなって話し方もはっきりしてきてるからね。必ず良くなるから。焦らずに行きましょう。」
先生の笑顔に少し救われた感じです。
テストの結果如何では薬を変えてみるかもしれないと言われていましたが、とりあえずこのまま行きましょうとのことで胸を撫で下ろしました。薬を変えたり、量を増やされたりすると途端に体調が狂うので、年末年始に向けてそれは何としても避けたかったのです。

「色々価値観とか、自分の気持ちの持って行き方を変えられるといいんだけどね。」
先生は簡単に言いますが、自分の持っている価値観を変えることほど難しいことはありません。
よっぽどのことがないと無理だと思う……。

耳栓については一日中殆ど装着している状態で、先生はそれがとても気になっているらしい…。
以前、「一日に30分とか外して試してみて。無理しないでいいから。」と言われていたのです。
「どうです?試してみましたか?」との先生の問いに、私は即答。
「無理です。外した途端にドキドキしてきて我慢できなくてデパス飲んじゃいます。」
先生はそうかあ…と天井を仰ぎ見、苦笑。
「まあ無理しないでいいから、少しずつ試してみて。」とのことでした。

その後、混みまくった薬局で30分以上待たされ、苛々しながらクリスマスで湧いてる街中を避けて真っ直ぐ帰途につきました。
電車はほどほどの混みようで、私は先生に言われたことをあれこれ反芻しながら落ち込み気味で座っていました。
すると、途中の駅から乗ってきた大学生くらいの男の子が、耳障りな音をさせながら近づいてきました。
瞬間、「うわ。近くに来るなよ~」と祈ったのですが、空いてた真横にどっかりと座られてしまい、私は彼のヘッドホンから漏れるシャカシャカ音にたちまち包まれてしまいました。(電車なんかで、傍に来て欲しくない人ほど傍に来る…そんな経験が多い私です)
最近ヘッドホンの性能も上がってきているのか、あまりシャカシャカいわせてる人って見かけなかったんですが…。

すぐに耳栓を(遠くまでの外出時は危ないので外して携帯しています)…と思ったのですが、シャカシャカ君の隣で、これ見よがしに耳栓を取り出して装着をする…という行為が人目が気になってどうしてもどうしても出来ないのです。
私の場合、どうしても我慢が出来ずに動悸がしてくるので、降りるふりをして車両を変えました。

自分の駅に着いたので降りると、なんとシャカシャカ君が前方を歩いてるではありませんか。
──なんだ、同じ駅かあ…。
私は少し離れて人の列の後ろに加わり、階段を登り始めました。
すると、ふいに前がつかえたので「?」と思い前方を見上げると、あの彼が階段の途中で立ち止まり、なにやらごそごそやっているのです。

私の苛々はたちまちMAXに達しました(笑)
きっと立ち止まってスマホでもいじってるに違いありません。
他の人達は皆、立ち止まっている彼を避けるようにして階段を昇っています。
全くどこまで迷惑な人なんだ~!私はムカムカしながら彼の横を通り過ぎつつ、ふと見遣ると…。

彼の足元、階段の途中でスズメが死んでいたのです。

この駅は吹き抜け構造になっていて、よく迷い込んできた鳩やスズメが構内をバタバタしているのですが、うろうろしているうちにガラスにでもぶつかってしまったのか、彼の足元には固く縮んだスズメの骸がありました。

次の瞬間、私は思わず立ち止まってしまいました。(私も迷惑)
彼が相変わらずシャカシャカ言わせながら、自分のポケットからハンカチ(?)を出して、スズメの骸を優しく包み取ったのです。
どうするんだろう…と何となく彼の後についてエスカレーターを降りていくと、彼は駅の近くにある竹藪へと歩いて行きました。
そこで彼を目で追うのを止めてしまったので、後はどうしたのか判りません。
竹藪へスズメを埋めてやりに行ったのか、置きにいったのか……。
とにかくあのスズメの骸が、他人に跨れたり避けられたりしながら階段に放置されたままになっているのを、彼は救い上げたのでした。

自分だったらどうしただろう…と私は後になって考えてしまいました。
階段を昇って行く他の人達と同じように、慌てて避けて昇って行ったかもしれない。
びっくりして眉を顰めて。……それだけかもしれない。
あのシャカシャカ君みたいなことは到底できなかったと思います。

私は電車の中で彼に遭遇した途端に「五月蠅い、迷惑な人」とすぐに認識して過剰に意識し、嫌悪したけれど、そういう人にもあんな面があるんだなあ。
自分の単純さに嫌気が差しますが、これだけのことで彼に対する印象がころっと変わってしまったのです。

──シャカシャカ君、いいとこあるじゃん…。
何だか心が温かくなった光景でした。

先生の「色々価値観とか、自分の気持ちの持って行き方を変えられるといいんだけどね。」という言葉を後で思い出しました。
価値観を変えるのはなかなか難しいけれど、気持ちの持って行き方は、案外単純なことで変えられるきっかけがあるのかもしれません。
あくまでも私の場合ですけれど…。

──だけど、シャカシャカはやっぱり迷惑だなあ…。



うちにいる観葉植物たち。
まめに日に当ててるけど、最近あまり元気がないのもいる。

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22:30 日々あれこれ | コメント(2)

病院貧乏でもう泣きたい

2015/12/22
先日サラダを食べていたら、違和感が。
何かが口の中で転がる気がしたので見てみると、歯の詰め物が取れていました。
数年おきに何回も何回もとれる箇所で、またか…ともううんざりしました。
頭に来たのでギュウウウウッと押し付けたらカチッとはまって取れないので、それで数日間ごまかしていました。
だってもう、医療費(私の)で、我が家の家計は思い切り逼迫してるのです。
これ以上、歯医者なんか通えるか!って感じです。

数日間それでごまかしていたのですが(ごまかしてどうなるというんだろう)、先日うっかりグミを食べてしまい(バカです)当然のことながらまた取れました。
私はもう、泣きたくなりました。

──行くよ、歯医者。行けばいいんだろう、行けば!

…何に怒りの矛先が向かっているのか全く判りませんが、渋々歯医者へ予約のTELを入れる私。
前回取れたのがもう5年も前なので、保険証も変わっています。
「その詰め物は外してティッシュにでも包んでおいて下さいね。飲み込んでしまうと大変なので。」
そう言われ、素直にその通りにします。
前回はお正月に、ダンナの実家でお餅と共に飲み込んでしまったのでした。

私は今、心療内科の他に呼吸器内科に通っています。
心療内科はもちろんうつの治療なのですが、呼吸器内科はもう20年以上も通っていて、私は喘息持ちなのです。
大人になってから発症しました。

これらの医療費でもういっぱいいっぱいだというのに、この上歯医者にも通うことになってしまいました。
5年ぶりともなれば、他の歯も無傷でいる訳がありません。
私はだんだん落ち込んできました。
何が落ち込むと言って、経済的な事柄が一番ダメージを食らいます。

昨年心療内科に通い始めた時、その頃は一週間に一回の予約ペースだったのですが、あまりに治療費がかかるので先行き不安になって落ち込みました。
うつはいつ治るか全く判らず、治療が数年に及ぶかもしれないのです。
いつになったら私は働けるようになるのか、全くその時は見通しが立たなかったし、落ち込みに拍車がかかりました。

半年ほど通った頃、ネットで「自立支援医療制度」というのを知りました。
うつ病など、心身の障害を除去・軽減するための医療について、医療費の自己負担額を軽減する公費負担医療制度で、診察代とうつ病にかかる薬代が一割負担で済むのです。
病院に相談してみると詳しく説明してくれたので、迷わず診断書を書いてもらい、必要な書類を揃えて市役所へ申請にすっ飛んで行きました。。
この頃のツイッターでの呟きを読むと、ちょうど落ち込みが酷い頃で外出が困難な時期だったようで、冷や汗びっしょりになりながら市役所に出向き、しどろもどろになりながら窓口を探して、それでも何とか申請して来たようです(笑)
そういう制度があるなら、先生も早く教えてくれればいいのに…と思ったのですが、病院側からはあまり言わないことが多いのでしょうか。

心療内科の方はそれで負担が軽減できたので良かったのですが、問題は呼吸器内科の方です。
こちらは二ヶ月に一回のペースで通っているのですが、喘息の薬は酷く高価で、三割負担でも一回に7,000円くらいはすっ飛びます。
私の場合はそれほど重度の喘息ではないので、普段は何もせず、たまに季節の変わり目に吸入器でやり過ごす程度で済んでいたのですが、ウサギアレルギーのくせにももを飼いだしてしまったため、再び継続的な治療が必要になりました。
薬がないと、ゼイゼイ始まってしまい、鼻水はダラダラ状態です。
これは薬に頼るしかありません。

ところで、喘息の方にも東京都の助成制度が実はあったのですが、平成27年4月1日以降、18歳以上の新規申請はできなくなったそうです。
まあ、あったところで私はタバコを吸うので該当しませんが。喫煙者は申請できないのです。(そもそも、喘息のくせにタバコを吸っているというのがどうかと思いますが…。呼吸器内科の方は自業自得の部分が多いです…深く反省)

けれども、同じく友人でタバコを吸う子がいるのですが、その子はちゃっかり申請していて、恩恵に与かっています。
世の中、要領の良い者勝ちなんだなあ…とつくづく思います。



今、一日に飲んでる薬(自分用の備忘録です)

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うつ病関連:レクサプロ10mg/エビリファイ内用液1%1ml/デパス2mg(一日4回分+不安時には別に頓服)
その他:クレストール5mg(コレステロールを下げる薬)/モサプリドクエン酸塩錠15mg(吐き気を抑える胃薬)/ツムラ防風通聖散 3包(抗うつ剤の副作用によって太るのを防ぐ)
喘息(アレルギー)関連:クラリチン10mg/レルベア(吸入薬)/リノコート(点鼻薬)/プレドニン10mg(発作が酷い時に頓服)

……いくらなんでも肝臓が心配になってくるのでウコンでも飲もうかなあ…と思ったり。




★追記:歯医者に行ったら、取れたところが少し虫歯だとのことで削られ(泣)、型を取り直しました。
何だかこれから他の歯も診てくれるそうで…ロックオンされた感じ…(号泣)





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21:54 日々あれこれ | コメント(4)

人はなぜ「自分は大雑把」をアピールするのか

2015/12/20
以前、会社のランチで、何かの話題から転じて「どういうふうに家の掃除をしているか」という話になったことがありました。
ひとりの子が、「キッチンはいつも綺麗にしておかないと気が済まない。だから手のかかる料理をした後は片付けに時間がかかる」(私みたいだ)…のようなことを言ったのですが、それに対して誰かが、
「えー?私、キッチンなんかいつも適当に掃除してるよ。だってすぐ汚れるじゃん。」
……と何故か得意気(?)に言ったのです。
それをきっかけに、「自分の部屋なんかもう何週間も掃除機かけてない。」だの、「お風呂の掃除は気が向いたときだけやってる。」だの、「だって汚いからって死ぬ訳じゃないじゃん。」「あんまりそういう細かいとこ気にしない。」「私もそのへんテキトー。」などなど、まるで「大雑把」自慢大会のようになってしまったことがあります。(これは大雑把というよりも無精なのか?)
最初に「きちんとしてる」と言った友人は困ったような笑みを浮かべていたのを覚えています。

私はその時とても、「掃除は曜日ごとに場所を決めて徹底的にやってる!」などと口にできませんでした。
もし口にしたら、「こまかー!!」……とか大合唱されそうな雰囲気だったからです。

これは掃除の話題に限ったことではなく、仕事上など別の場面でも、「ごめんね、大雑把な人間で。」とか「私、そのへんあんまりこだわらない人だからさー。」などとすぐ口にする人がいます。
そういう人をどうこう言う訳ではないのですが、何故人は、「自分が何ごとにおいても大雑把である」ということを口にする時、あんなにドヤ顔なのでしょう。
反面、「几帳面、神経質、真面目」と言われることをあまり好まないのでしょうか。(私だけかな)
それが不思議で仕方ありませんでした。


大雑把:①細部にまで注意が届かず、雑であるさま。
      ②細部にわたらず、全体を大きくとらえるさま。おおまか。(コトバンクより)



「大雑把」はよく言えば合理的、ということなのでしょうが、何故か「大雑把」はポジティブ、プラスのイメージがあり、「几帳面」「神経質」「真面目」はネガティブ、マイナスなイメージが定着してしまっている気がしてならないのです。
小さなことにこだわらない大雑把な人は付き合いやすく、几帳面で真面目な人間は融通が利かずに扱いづらい…そんな風潮がある気がします。

これに世間一般に浸透している血液型別の特性が加わるとなお一層厄介で、もううんざりします。
以前、一緒に組んで仕事をしていた同僚が、何かにつけ「自分はO型だから大雑把」「A型は細かい」という持論を振りかざすので辟易していたことがありました。(彼女はO型、私はA型です)
仕事のやり方ひとつとっても、「そんな面倒なやり方してんの?私なんか~だよ。」「さすが、A型!」とことあるごとに言うので、「何故私はこんなに否定されるのだろう」「何故彼女は、やたらに自分が大雑把であることを誇示するのだろう。」といつも不思議に思っていました。

「私は大雑把な人間なの」をやたらに口にする人は、その言葉の向こうに「私は小さいことは気にしない、おおらかな人間なのよ~」という自己アピールが見え隠れしている気がしてならないのです。
(逆に、あまりそういうことを口にしない人の方が本当におおらかで度量が大きかったりする)

私はうつになるくらいなので、大雑把な方ではありません。
全てにおいて、と言う訳ではありませんが、几帳面で神経質なところがあります。
(というよりも、「自分で決めたルール」に対しては几帳面・神経質になるというだけなのですが)
やるべきことは徹底的にきちんとしなければ気が済まないし、また、些細なことが気になって思い悩んでしまうような小心者です。
けれども、周囲にそういう印象を持たれるのが嫌で、わざと細かいことは気にしない、大雑把な自分を演じてしまうことが多々ありました。
そういうレッテルを貼られてしまうと、何かと生きにくい世の中な気がしていたからです。
おおらかで、細かいことなど気にしない楽観主義でいられれば、こんな病気にならなかったのかもしれません。

ある時、営業マンに電話で「みちるさんは真面目だからなあ~」と言われて何故か落ち込んだことがありました。
何故、私は落ち込むのだろうとその時ふと不思議に思いました。
けれども今思うと、自分でもそんな自分が嫌でたまらなかったのかもしれません。
大雑把でいられる人間を羨み、几帳面で神経質で真面目な自分を疎んじていたのは何より自分自身だったのです。


けれども「几帳面で神経質で真面目であること」それがそんなにいけないことでしょうか。
これが「自分」なのです。
病気が回復しても、持って生まれた性格はそうそう変えられるものではありません。
これからも付き合っていく他ないのです。

几帳面だっていいじゃないか。
神経質だっていいじゃないか。
だってこれが「私」なんだから。
──最近、そう思うようになりました。

大雑把で楽観主義な人、神経質で几帳面な人、双方それぞれにお互いにはない良いところがあると思うのです。(大雑把だと宣言している人でも、神経質な部分はあるでしょうし、几帳面な人にも、ずぼらな部分はあるでしょうし…実際そんなにはっきりと区別できるものでもないと思うのですが)
双方どうしても相容れない部分もあるでしょうが、そこは相手に強要しない、相手を否定しないことが大切だなあとしみじみ感じる今日この頃なのです。



最初コンビニで見かけた時は、「うげえ?!」と思ったけど、わりと美味しい。
──だけど、食べるのはちょこっとでいいかな……

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22:49 うつになって感じたこと | コメント(6)

お正月が憂鬱でたまらない

2015/12/17
今日は午前中の人のまだ少ない時間に街へ出かけました。
年賀はがきと、お年玉用のポチ袋を買うためです。

年賀はがきはイラストが印刷されてお年玉付きの3、4枚でパックになったやつです。
虚礼廃止主義と言う訳でもないのですが、私は年賀状は殆ど出しません。
ごく親しい友人に数枚出し、あとは来た人に返す(何様なんだ私)という形で、自分から出すのは本当に限られた人にのみです。
年賀状も一種の近況報告なので、今の私には辛いものがあるのです。
自分で毎年PCで作るなんてことはとても出来ず、友人たちの凝った年賀状に毎年感嘆してしまいます。
私など、印刷されたイラストの隅に二言三言書くだけなのに集中力が続かず、自分にとってはこれだけでも大仕事なのです。

年末、除夜の鐘が鳴るあたりまではそうでもないのですが、年が明けるといきなり憂鬱な気分になります。
これはうつになって初めての年明けだった今年の始めもそうでした。
年始は、うつの身には色々と憂鬱なイベントが多いからだと思います。

うちでは毎年、夫婦揃って初詣の際に厄除けのお祓いをしてもらっています。
電車で15分くらいのところにあるその神社は、近辺では厄除けで有名な所で、調べたらたまたま私と相性が良い神社だそうなので(私もこの神社が好きなので嬉しかった。神社と自分の相性ってあるらしいですよ!ちなみにダンナは伊勢神宮です)毎年お祓いをして「家内安全」のお札とお守りをもらって来ています。
──しかしこれが、待ち時間が長く、すごーく混むのです。

年明け早々、混雑の中に長時間身を置くのが嫌なので、毎年出来るだけ早朝に行っているのですが、着いた頃にはそれでももう長蛇の列でうんざりします。
そう広くない待合所で、子供のぐずり声や赤ちゃんの泣き声、人の大きい話し声の猛攻撃を受けながら、じっと座っているのはもはや拷問です。
動悸がしてくるので、私は途中ダンナを残して何度も外へ出たりしています。
今年は耳栓をして行ったので来年もそうするつもりですが、新年早々、どうして耳栓をして鳥居をくぐらねばならないのか…。情けなくて涙が出ます。

特別な信仰心がある訳でもないのにどうして毎年律儀にお祓いをしてもらっているかと言うと、数年前にダンナが厄年で、その時私も一緒にお祓いしてもらったのが始まりなのです。
前厄、本厄、後厄と3年間やりました。
ところがダンナの厄が明けても、一度行き始めてしまうと「今年はやーめた」がなかなか出来ず、ずるずるとその後も毎年通っている訳ですが…うーん。
……こんな心構えで果たしてご利益があるんでしょうか。

初詣の喧騒の凄さは私にとっては殺人的で、毎年帰宅すると倒れこんでしまいます。
それでも何故か行かなきゃならないと思ってしまう、初詣なのです。

次に憂鬱なのが、ダンナの実家と自分の実家に行くことです。
皆そうでしょうが、自分の実家はまだしも、ダンナの実家へ行くのが苦痛でなりません。
義父はもう他界していて、義母は義姉の家に同居しています。
だから実家と言っても義姉の家に行く訳なのですが、今年の始めは前日から憂鬱のあまり具合が悪くなったほどです。
うつの状態が今よりももっと酷かった私は、今年はパスさせて欲しかったのですが、ダンナはいつも通り「我関せず」な人なので、「行ける?大丈夫?」などという気遣いの言葉などあるはずもありませんでした。
そんな訳でさっさと日取りを決められ、私は薬を多めに飲み、なんとか気力を振り絞って行ったのです。

義母も義兄も義姉も気の置けない良い人で、何も憂鬱になる要素はないのですが、とにかく人に会うのが億劫で仕方がありません。彼らにはうつで会社を辞めたことを話していないので(これからも話す気はありません)、いつもと変わらない「元気な自分」を演じなければいけない訳です。
精一杯明るく振る舞い、「営業用」の自分を揺さぶり起こし、気を遣って話題をふり、甥っ子や姪っ子になけなしのお年玉(ダンナ側、私側で合計4人の甥っ子、姪っ子がいるので、毎年痛い出費です…泣)をあげ、一緒にテレビを観ながら食事をし………ああもう今考えただけで憂鬱になってきました。

考えるに、年始は喧騒の中に身を投じる機会がどうしても増え、そして自分の精神状態に関係なく平静を装って色々な人達と会わなければならず、非日常の中で自分の普段の生活ペースも乱されることになるため、心身共に酷く疲弊してしまうのだと思います。
不安定さもイライラもMAXに達しているのに、それを表に出せない数日間……。



ところで、先日ある方のブログを拝見していたら、「アンガーマネジメント」という言葉がありました。
「何ぞや?」と思い調べてみたら、「アンガーマネジメント」とは、怒りの感情を管理して、上手く付き合い、怒りのエネルギーをポジティブに使おうというプログラムなんですね。
こんなものがあるのを知らなかったので、色々調べてみました。

「怒り」の感情というのは生死に直結する感情で、動物が自分の身の危険を感じた時に生じるらしく、この「身の危険」というのは、身体的なこと、有形な事柄に限らず、自尊心や名誉などの無形の事柄まで含まれるらしい…。

うーん。それじゃ始終イライラしているって言うのは、始終「身の危険」を感じてるってことになる訳ですよね。
恐らく私の場合は、喧騒によって「平穏でいられる自分」を乱されるので、「身の危険」を感じているのかもしれない…と言ったところでしょうか。

怒りを管理するための心得、というのを読んでいたら、「イライラを書き出す」「イライラを点数化する」「呼吸を大きくゆっくりにする」…等の中に、「『大丈夫』などの呪文を用意する」って言うのがあって、びっくりしました。

──私、もうやってるじゃん(笑) ←過去記事に飛びます

私の場合は、喧騒の中で周りの雑音に脳の中が掻き乱され、不安定になるのを防ぐためのものですが、不安定になるというのはイライラした感情も含まれている訳ですし…。

来年の始めは「必要ない必要ない」「気にしない気にしない」「大丈夫大丈夫」と、三つ唱えることにします。

──ますます怪しい人のようだ、私……(笑)







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23:37 うつになって感じたこと | コメント(8)

カラダは悲鳴をあげていた

2015/12/15
私は眠りが浅い方です。
毎日早朝覚醒してしまい、目が覚めるのはまだ外が真っ暗な4時頃。
そのまま眠れなくなってしまうので、仕方なく起き出してしまいます。
ところが、朝のひと仕事を終えた後に薬を飲むと、急激に眠気に襲われて小一時間くらい眠ってしまいます。
この眠気はとても激しく、気をつけていないとコーヒーカップを持ったまま気絶するように倒れこんだりするので、自分の部屋のラグはもう、コーヒーだのお茶だののシミだらけ状態で、汚いったらありゃしません。
完璧主義の割にはこういうところはずぼらな私です。
心療内科の先生からは、「なるべく生活ペースを元に戻して行って下さい。」とのお達しがあり、自分でも働くようになったら辛いのでなるべく気をつけてはいるのですが、この朝の眠気だけにはどうしても勝てないでいます。
今のところ、朝のこの眠りが一番深いような気がしています。


けれども、心療内科に通い始めたどん底の頃に比べれば、体調はだいぶ良くなりました。
早朝覚醒、たまに中途覚醒はまだありますが、他の症状はほとんど現れなくなっています。
今思うと、あんなに色々苦しめられた症状は、自律神経が乱れて引き起こしていた身体からの危険信号だったのだと思います。
それに気付かず、うつ病にまで移行してしまったという訳です。

様々な原因不明の症状が身体に出始めたのは、今から5、6年前だったと思います。
その頃は同僚に、「毎日どこかが痛いって言ってるよ」(私は病院で病気自慢してるおばあさんか!)などとよく言われていました。けれども全くその通りで、次から次へと原因不明の不調が身体を襲うのです。

①腰から左足にかけた酷い痛み
座り仕事だったので、腰痛になったのかな?と思いマッサージに通ったりしていたのですが、一向に良くなりません。腰だけなら婦人科系も疑うのですが、どちらかというと坐骨神経痛のような痛みで、そのうち椅子に座っての仕事が出来なくなり、立ってPC入力したりしていました(笑)
「神経痛ならマッサージって良くないんじゃない?」と友人に言われ、病院を変えようと思っていた矢先に、いつのまにか痛みは消えてしまいました。

②酷い頭痛…というか顔面痛、歯痛
朝起きた時から頭の芯や顔面(頬骨の辺り)が鈍く痛み、鎮痛薬もよく効かず、数日間続きます。
また、歯痛も伴っていたので虫歯でもあるのかと歯医者に行ってみたのですが、全く異常なし。
まさに原因不明の歯痛でした。
後で知ったのですが、ストレスからくる非定型歯痛(特発性歯痛)というものがあるそうで、これには治療として有効なのが三環系抗うつ薬(ドスレピン、アミトリプチリンなど)の投与だそうです。
もしかしてそれだったのかな…などと少し疑っている私。
そしてその痛みもいつの間にか消えていました。

③胃痛と腹部の膨満感
一番苦しめられたのがこれでした。
私はもともと胃腸は丈夫で、、一人暮らしでどんなに不摂生な食生活をしていても、暴飲暴食をしていても、胃に来ることは滅多にありませんでした。
それなのに仕事中にいきなりキリで刺されたように胃がずきずきと痛むようになりました。
空腹時、満腹時関係なく、いきなり胃が痛みだすのです。これは胃腸薬でなんとか凌いでいましたが、腹部膨満感の方はいかんせんどうにもしがたい悩みでした。
お腹が空気で一杯になってしまうのです。
特に昼食後の午後が一番酷く、次第に空気でお腹が膨らんで、仕事を終え帰宅する頃には風船のようにお腹が膨らんでしまい、苦しくてパンツのボタンを外したりしていました。
あまり酷いと吐き気も起き、これが嫌で昼食をいつも軽めにしたりしていたのです。
病院へ行くと、「過敏性腸症候群」でしょうとのこと。ガスモチンという薬を処方されましたが、全く効き目がありませんでした。
不思議なことに、帰宅したり、休日の日には症状が出ないのです。
この頃になるとさすがの私もこれはストレスでは…と疑い始めました。

④喉に何かつかえてる感じがする。ものが飲み込みにくい
いつも喉の奥に何か挟まっているような不快感が抜けません。その頃CMで「逆流性食道炎」というのをアトムがやたらやっていて、自分もこれかもしれないと思い、消化器内科を受診。胃カメラまで飲みましたが、全く異常なし。逆に「綺麗な胃だねえ」とか褒められる始末…。
これも異常がないと判った途端に症状が消えてしまいました。

⑤耳が聴こえなくなる
朝起きると同時に、両耳が何かで塞がれているような(まさに耳栓してるような…この頃はまだしてません)感覚で、音が聴こえづらいのです。これは仕事にも支障をきたすのでとても厄介でした。
その頃会社の同僚がやはり同じ症状があり、「突発性難聴」と診断されて緊急入院したので、私も慌てて耳鼻科を受診してみました。すると、全く聞こえてない訳ではなく、おそらく「耳管狭窄症」でしょうとの診断でした。
しばらく通院しましたがなかなか改善せず、慣れてしまった頃にこれも症状が消えていきました。

⑥手の酷い痺れ、感覚がなくなる
一日中手の指が痺れ、一時は感覚さえ無くなってしまいました。
これは、もう心療内科に通院していた頃だったので、薬の副作用かもしれませんが、先生に言わせると、薬を服用し始めて結構経つのでそれはないとのお答え。
念の為、脳神経内科で脳と首のCTを撮りましたがこれも異常なし。
この症状もそのうち消えていきました。


備忘録のつもりで書き出してみたのですが、こうして改めて振り返ると、かなり不調だったんだなあ…としみじみ思います。⑥以外は全て、仕事をしていた時のものなので、これに加えて落ち込み、イライラが酷く、最悪のコンディションで毎日働いていた訳です。

全てが全て、自律神経の不調から来たものではないかもしれません。
いくつもの病院を受診しましたが、「自律神経の不調から来るものでは?」と指摘してくれた病院はなく、原因が判らないと「何かストレスありませんか?」と最後に訊かれます。
「そう言えば仕事が忙しいです。」と答えると、先生はしてやったりといった表情で「ストレスを取り除けば良くなると思いますよ。」と返してきます。(原因が判らなければ、全てストレスと言われるような気が…)
仕事を辞めるわけにもいかないので、「ストレスかあ。まあ疲れてるんだな」…と自己完結してしまってここまでこじらせてしまった訳です。

ストレスというものは本当に厄介で、自分もそうですが、周りも何故か軽んじる風潮がある気がしてなりません。
ストレスは何かしら皆が感じているものだし、それを不調の理由にすると「メンタル面で弱い奴」とレッテルを貼られてしまう気がするのです。なので自分でも、ストレスならば大したことないんだなあ、気の持ちようなんだなあ…と勝手に解釈してしまう傾向にあります。
けれどもストレスほど恐ろしいものはないのです。

原因の判らない身体の不調は、何らかのサインなんだなあと改めて思います。
そのサインをしっかり受け止めて、自分の置かれた状況、そして精神状態にも冷静に目を向けてみることをしないと、やがて大変なことになってしまうんだと今なら実感できるのです。

私の場合、もっと早く心療内科を受診していたら、最終的にはやっぱり仕事を辞めたとしても、もう少し違った辞め方が出来たかもしれません。
身体は散々、悲鳴を上げて知らせてくれていたのに、自分がそれをちゃんと受け止めることが出来なかった訳です。

これらの症状は、治療のせいなのか、ストレスの元が無くなったからなのかは判りませんが、今では殆ど現れていません。たまに頭痛がするくらいです。

うつになってみて、本当に色々考えさせられることばかりです。
でも、これも私には必要な経験のひとつなのかもしれません。




今これにはまってる……。美味い。

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22:29 うつになって感じたこと | コメント(4)

この感情の名前を「嫉妬」という

2015/12/13
昨日はダンナが遅番。しかもお弁当を作らなくてもいいので、朝起きてもものケージを大掃除しました。
それから川を越えて隣の市まで買い物に出かけ(10000歩弱)、なんか人が多いなとぼんやり思い、そう言えば土曜日なんだと気がつく私(遅)…。

日にちも曜日もない生活をしていると、今日が何曜日か咄嗟に判らなくなる時があります。(平日は特に)
何となく平日に比べて土日は憂鬱な気分になります。
土日の嬉しさ、気楽さは働いているからこそのものであって、テレビ番組も街中の様子も普段とは違う雰囲気になる週末が私はあまり好きではありません。

何だか気が重くなり帰宅。それでも気を取り直して掃除と、PCのメールの整理まで出来ました。
波が去ったかな?と思うくらい今日は身体が動きます。
ついでに年賀状も書いちゃうか?……とか調子づいていたら、LINEが。
見ると、だいぶご無沙汰な昔の職場(直近のではない)の同僚でした。

「病気で仕事を辞めた」と年賀状で簡単に知らせただけだったので、彼女は詳細や私の今の状態を知りません。あまりあちこちに、ことの詳細を話す気にはなれなかったのです。

「元気にしてる?」という送られたその言葉に、思わず既読スルーしそうになりましたが(酷)、そうもいかないのでこちらも当たり障りなく返信。「元気だよ。」

もうこの時から、なんとなく身構えている私がいます。
──今私って、元気なんだろうか?


彼女は出産で私よりも早く当時の会社を辞め、子育てに没頭するためにずっと専業主婦をしていました。
私よりも年下で、なのに芯の強い、自分のしたいこと、やるべきことをいつもしっかり持っているような人です。
そのうちその職場を私も辞め、一度彼女の出産後にお祝いを持って数人で訪問し、それからは彼女とは年賀状のやり取りのみになっています。毎年律儀に送られてくる彼女の息子の写真のそれは、新年早々、時の流れの早さを私に感じさせるものになっていました。
彼女のあんなに小さかった息子がそうして幼稚園に行き、小学校に上がる中で、私はと言えば相変わらずな日々を送っています。そして今は休業状態です。

聞けば、子供も手がかからなくなったので、また仕事をしようと彼女も就活をしているとのことでした。
それで、同じく無職であるだろう私に近況を訊いてきたんだな、と何となく思う私。

「なかなかないんだよねー。出来ればフルタイムで近いところがいいんだけど。」
「できれば前みたいなOA事務がいいんだけど、入力とか。」
「みちるは仕事探してるの?いいとこありそう?」

矢継ぎ早に飛んでくる彼女の言葉に、私はだんだん嫌な気持ちが湧きあがってくるのを感じました。
「仕事は探してるけど、身体がまだ本調子じゃないからパートとかで探してるよ。でもなかなか前みたいな事務の仕事とかはないよ、この年齢じゃね~。」
言葉では軽く返したものの、もう心の中は酷い動揺で一杯です。
そして次の彼女の言葉は、私を一層落ち込ませるのに充分でした。

「早く見つけたいんだけどねー。ブランク長くなっちゃうと良くないって言うから。」


「また遊びに来てね」と無邪気に言う彼女に、当たり障りなく返信し(具体的に日取りとか言われなくて良かった。言われたら何と断っていいのか咄嗟に出なかったと思う)、会話が終わった後、私はスマホを放り出してベッドに寝転んでしまいました。先程までの上がり気味だった調子もすっかりなりを潜めてしまい、もう何もする気が起きません。


何も知らない彼女に全く悪気はなく、ただ近況報告をし合っただけなのに、こんなに落ち込むのは何故なんだろう。
彼女には悪いけど、やっぱり既読スルーすればよかった。
なんで彼女と話しちゃったんだろう。


ネガティブな感情の波が次から次へと押し寄せ、もうどうすることも出来ません。
次第にじっとしていられなくなり、部屋の中をうろうろと歩き回ったり、ひっきりなしにタバコを吸ったり、ちいとももの様子を意味もなく何度も見に行ったり、冷静になろうと私の脳は必死です。
彼女にも彼女の事情があり、彼女に罪のないことは判っているのに、真っ黒な感情が止められません。


──あんなに立派な家に住んで、ダンナさんの稼ぎで充分子供がいてもやってけるのに、やっぱり社会に出ていたいからって。ブランクが長くならないうちに働きたいって…私だって同じだよ、そんなの。

でもあなたはいいじゃない。健常者なんだもの。立派に子育てだってしてるじゃない。
私と違って、ちゃんとした生活してるじゃない。
これ以上、何を望むの。

私なんか子供もいないのに仕事もしないで毎日毎日ダラダラ自堕落な生活してるよ。
生活苦しいのに、仕事頑張らなきゃいけない時に、うつになんかなっちゃって、辞めちゃって。
通勤電車に長く乗れないから近くがいいとか、自分が元のように働けるのか、またおかしくなるんじゃないかとか考えたら不安で不安で、そんな自分が情けなくて仕方がないんだよ。
それでも何とか仕事を探そうと躍起になってるのに、なかなか決まらず時間だけが過ぎていくんだよ。
ブランクが良くないなんて。そんなの私だって判ってるよ。
あなたはいいじゃない。私よりも若いし、きっとすぐにちゃんと働ける。仕事だってすぐに見つかるよ。



どろどろしたものにまみれて、どんどん焦燥感や絶望感が溢れてきます。
そして私は思いました。
この感情は「嫉妬」だ。
いけないと、意味がないと判っているのに、また人と自分を比べてる。
自分のなかなか前へ進めないどうにもならない状況と比べて、私は彼女に嫉妬しているのです。

醜いなあ…と泣きたくなりました。
どんどん自分の中で、自信やせっかく顔を出し始めていた前向きな感情が水の底へと沈んでいくのが判ります。
──いけないな、これではまた「波」が来てしまう。

「人は人、自分は自分」
「焦らなくてもいい。少しずつ良くなってきてるんだから、ゆっくりとでいい。」

頭ではわかっているのですが、一度黒い感情の波が起きてしまうと宥めるのは困難です。
久しぶりに足元が揺らぐくらい動揺してしまいました。

上がりかけたかな…と思うとまた突き落とされて暗い海に沈む。
そしてまたゆっくりと浮かんでくる…。
最近特に、こんなことの繰り返しです。


……何だか疲れちゃったなあ。



読んでくださってる方々、今日はネガティブですみません。


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23:13 日々あれこれ | コメント(7)

つぶやきながらイルミネーションの中を行く

2015/12/11
気がつけばもう師走も半ば。季節は容赦なく巡ります。
毎日毎日まるで時間が止まったような、世間から取り残されているような隠遁生活を送っている私にも、きちんと年末はやってくるんですよね~!(当たり前)

以前はクリスマスや忘年会、年越しと様々なイベントの多い、空気の冷たいこの季節が私は大好きでした。
一年で一番好きな季節だったかもしれません。
クリスマスが終わると殺人的な年末スケジュールで仕事に追われ、慌ただしくそれをこなして仕事納め。
これまた慌ただしく年末の挨拶があちこちで飛び交い、忘年会に突入。
そして休みに入ってやっとしたくてたまらなかった大掃除に手を付けて、間に合わずに年越し…と、あのせわしない空気が好きだったのかもしれません。
年末であろうとなかろうと、変化のない生活を送っている今の私には、まるで無関係な空気です。

うつになってから二度目の年末ですが、昨年どうしていたかな、とツイログを見てみると…。

新しい年になるけど、単にいつもと同じように今日から明日になるだけ。
それに区切りがある時が来ただけ。これからもずっとそれの繰り返し。
歳を重ねていくうちに、そんなふうに思うようになったのって何故なんだろ。
若い頃は、年が変わると何もかもリセットされるような気がしてわくわくした。


───とか、呟いてました。
どうやらどん底の真っ只中だったようです…。
けれども一年経つというのに、あまり進歩の無い精神状態でいる私。
寛解への道のりは長いです。


いつも心療内科は午前中の人の少ない時間に予約を入れているのですが、先日は用事があり、仕方なく午後のわりと遅い時間に予約をずらしてもらっていました。
前回の心理テストを提出し、(読み返してみるとあまりのネガティブさに吐き気がした。結果が恐ろしい…)いつもの通り別段変わったこともなく診察を済ませて外へ。

暗くなり始めた街はクリスマス一色で、鮮やかな色彩で溢れ返っています。
あちこちにツリーだの、リースだの、サンタだの、トナカイだの。
花屋にはポインセチアだの、シクラメンだの…。
目を閉じようにも雑踏で閉じられず、瞼の裏にまで焼き付きそうなその溢れる色彩にだんだん私は頭が痛くなってきました。
怒涛のように人ごみのざわめきが頭の中へ乱入してきます。
これだから人の多い時間は駄目なのです。
目に映る、耳に入る全ての情報を頭の中に取り込もうとしてしまい、パニックに陥るのです。
(幽霊が見える人で、制御できない人ってこんな感じなんだろか)

──前から、声の大きい女の子の集団が道に広がって歩いてくる。うるさい。
──子供が目の前を競うようにして走って行って危ない。親は?親はずっと後ろでおしゃべり。
──横断歩道を渡るとき、前から自転車が来るのが怖い。右折してくる車が怖い。
──男の子の集団がずっとイルミネーションの前で写真撮ってて、邪魔。
──なんであんなところに自転車止めてるんだろう、迷惑。

そういったすべての情報を私の脳は拾い、取り込み、対処しようと働くのでへとへとになってしまうのです。
以前よりましになったものの、まだまだ人ごみを歩くのは苦手です。
最近、私はこういう時に自分を落ち着かせる呪文を見つけたので、口にするようにしています。

「必要ない、必要ない」

……某生命保険会社のブラックスワンのようになってますが……(笑)

この情報は私には関係ないよ、だから取り込む必要がないんだよ、という意味です。

喧騒の中で自分が不安定になって危なそうな時に、この呪文を呟きます。
傍から見れば、かなり危ない人です、私。

子供が騒いでいようが、おばさんたちが輪になって道を塞いでいようが、通り過ぎれば済む話。
いちいち気に留めて疲れなくてもいいんだよ、と自分に言い聞かせているのです。
バカみたいですが、何となくこれが効果があり、脳がはっと気がついて広く周りにアンテナを張るのを少しは止めてくれるような気がするのです。
まあ、気休めといったらそれまでですが。
あまりひどいとこの呪文も効果がなく、耳栓とデパスのお世話になってしまいます。

……だけど、これからの季節、呟く機会が増えそうだなあ…この呪文。
そんなことを考えて少し憂鬱になってしまいました。

今日もひたすらぶつぶつ呟きながら、眩しいイルミネーションが溢れ返る街の中を行く私です。




12月だけクリスマス仕様になるぬいぐるみ

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22:42 うつになって感じたこと | コメント(4)

ペットロスが始まりだったかも…

2015/12/09
ここ2、3日プチだる状態から抜け出せないでいたのですが、今日は朝から何となく動ける感じなので、チャンスとばかりに窓ふきをしました。(動ける時にやらないと、いつになるかわからない)
さらに、もものストレス解消の牧草のおもちゃを買いがてら、ウォーキングしに行きました。
さぼりがちだったラジオ体操もできました。
たまに今日のように急に少し浮上する時があるのです。このまま上がる時もあります。
上がってくれるといいのですが…。


こんなん買ってきました~。
今は色々便利なウサギグッズがあって、見ていても楽しい。

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前にも書きましたが、ももの前に私はウサギを飼っていました。
名前をミュウといいます。
垂れ耳ロップイヤーの男の子で、8年生き、7年前に病気で亡くなりました。
当時私はウサギを飼うのは初めてだったので、色々と勉強不足で、それがもとで死なせてしまったようなものでした。
今でも彼のことを思い出すと、身を切られるような自責の念に駆られます。

ウサギの歯は、一生伸び続けます。ウサギの場合、外ばかりでなく埋まっている歯の根元も伸び続けるのです。それを固い牧草などを何度も咀嚼し、すり潰すことによって伸びすぎを防いでいます。
ミュウは牧草を食べない子で、何度トライしてみてもダメでした。
なので私はあきらめ、ペレットだけで育てていたのですが、これがいけませんでした。
柔らかいペレットだけでは歯の伸びすぎを防ぐことはできません。
飼い始めてから4年くらいして、ウサギの大敵「不正咬合」になってしまったのです。

一度スイッチが入ってしまうと、歯はどんどん伸び出し、止めることは難しくなります。
よって、歯の根元は無理ですが外側に伸びた分だけでも定期的に病院で切らなければならなくなりました。
前歯ならまだしも、ミュウの場合奥歯だったので、そのたびに麻酔をかけることになります。
これはウサギにとって非常にリスクがあることなので、私は麻酔をかけずに歯切りができる先生のいる病院を探して、遠方だったのですが毎月連れていきました。
うちは車を持っていないので、電車にバス、さらにバス停からかなり歩くという遠さだったのですが、ミュウにもかなりのストレスだったと思います。

晩年は、ご飯も食べられなくなり、下痢が続く毎日でした。顔は伸びた歯の根元が鼻涙管を刺激して涙や鼻水だらけ。顎の下はよだれでべとべとで、毛が抜けてしまうという酷い状態でした。
ペレットをお湯でふやかして口に入れてやり、だけど大好きなおやつだけは自分で食べたりと、彼も頑張っていたのですがとうとうあまり動けなくなってしまいました。

その頃、私とダンナは仕事が忙しく、特にダンナは土日もない状態でした。
私はもう、その頃になると覚悟をしていたような気がします。
急いで会社から帰宅して、ミュウがまだ動いているのを確認して安堵するという毎日でした。

ある朝、いつものように「いってきます」と声かけをすると、ミュウが珍しく立ち上がって鼻を摺り寄せてきました。
「ミュウちゃん、今日は元気だねー。」
そんな声をかけて、おやつをあげると、もぐもぐ元気に食べてくれたので安心しました。
「…じゃあね、行ってくるね。」

リビングのドアを閉めようとしたら、ドアが閉まるまで、ミュウがじーっと私を見つめています。
いつもは朝はぐったりと寝ていて、声をかけても反応しないのに、珍しいなと思って私は会社に行きました。


──それが最期でした。
帰宅すると、ミュウは冷たくなっていたのです。

仕事をしていると、最期を見送ってあげられない可能性の方が大きいとは覚悟していたのですが、あれは彼の最期のお別れだったのだと思うと、どうしてあの時もっと構ってやれなかったのだろうと悔やまれてなりませんでした。
おまけに、彼が亡くなったのは金曜日で、翌日の土曜日はダンナがその頃唯一休める日だったのです。
彼がまるで、私たちの話を聞いていて日を選んで逝ったような気が今でもしてなりません。
翌日火葬場で、私は彼に申し訳なくて泣けて泣けてたまりませんでした。


──ミュウ、ごめん。
ひとりぼっちで逝かせてごめん。


それから私は自分を責め続け、会社でも何処でもふいに涙が出るのが止められず、そんな調子で一年くらい、喪失感、虚脱感が抜けないままでした。
ミュウではなくて私が死ねば良かったのにとさえ思いました。
多分、ペットロスに陥っていたのだと思います。

思えばその頃から、坂道を転がるようにどんどん調子が悪くなって行った気がします。
それまでは気にならなかったあらゆる音が耳障りになり、イライラが酷くなり、人の嫌な部分ばかりが目につく。些細なことで酷く落ち込む…。ダンナとも喧嘩が絶えませんでした。
その後色んなことが重なったこともあり、どんどん精神的に不安定になって行きました。
そして数年後の去年、その積み重ねで、とうとう折れてしまったのです。

このブログに前にも書いたのですが。
動物と暮らすということは、あたたかいものをたくさんもらえるけれども、それがいつか目の前から無くなるのだ、ということを覚悟しなければなりません。
彼らはいつか、死ぬのです。多分自分よりもずっと早く、必ずその時はやってきます。

今はちいやももに癒されて、ずいぶん助けられている私ですが、彼らもいつかいなくなるのです。
悲観している訳ではありませんが、これは変えることの出来ない事実です。

私はその時、また壊れないでいられるかどうか、今はまだ自信がありません。
その時もし寛解していたとしても、ペットロスが引き金になってまた再発するかもしれません。
けれどもミュウの時のように、もう後悔だけはしたくないのです。
今は精一杯、自分の出来る限りの愛情を、彼らに注いであげたいと思っている私なのです。



──ミュウ、そっちはどうだい?

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22:28 うつになって感じたこと | コメント(2)
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