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人と暮らすって難しい

2015/12/07
うちのダンナは時間が不規則な仕事をしています。
シフトで早番の時は朝5時台に家を出て、遅番では9時過ぎに家を出ます。
今日は早番かと思っていたら違っていたり、突発的に時間が変わったりもします。
帰り時間もまちまちで、通常は日付の変わるか変わらないかという頃に帰宅。
早い帰宅の時は夕方4時には家に居たりするので焦ります。

朝、お弁当を作るために(貧乏なので節約!)私もそれに合わせて起きていたのですが、もう面倒になり、最近は早朝覚醒もあってか毎日4時台には目が覚めるようになってしまいました。
そしてお弁当を作り(冷食だらけのおかずとおにぎり程度ですが)、ちいもものケージを掃除し、加えて家中を軽く掃除し、ひとりでシリアルの朝食をとって薬を飲みます。
そうすると物凄い眠気が襲ってくるのでベッドに倒れこんでしまいます。それが7時くらい。
ダンナが遅番の時は、私がそうして寝てる間に出勤していき、2時間ほどして目が覚めるとダンナはいない…と、そんな生活をしています。(あ。早番の時はちゃんと見送ります)

今日もダンナが出勤していった後、私はのそのそ起き出し、そして洗面所に行って唖然としました。

──どこをどうやったらこんなに汚せるんだ!!

洗面所はびちゃびちゃ。床まで濡れた状態で、鏡は水滴だらけ、飛んだ歯磨き粉の雫だらけ。
タオルは落ちかけ、髪の毛があちこちに…。ブラシも置きっぱなし。うがい薬もべとべと。
私はへたりこみそうになりました。
さっき綺麗に掃除したばっかりだったからです。
けれどもダンナのこんな仕業にはもう慣れているので、一瞬怯みはしたものの、再び掃除をして綺麗にします。いつでも綺麗になっていないと気が済まない完璧主義の私です。

結婚がどうこうという問題はこの際置いといて、私は人と寝食を共にするのに向いてない人間です。
一人暮らしが長いので、余計にそう思うのかもしれません。
自分のひとりの守りたいルールがあまりにもありすぎ、自分のペースで何事も進まないとひどくストレスを感じるのです。
誰でもそういうところがあるでしょうが、私の場合は異常なのです。
これが私がうつになった確たる理由のひとつでもあるのですが……。

誰かと住むと、その自分のルールやペースを妥協してあきらめ、相手に合わせなくてはいけない部分が少なからず出てきます。意固地になって自分のペースを死守する訳にもいかないので(本当はしたいけど)私も仕方なく相手に合わせたり、譲ったりして暮らしています。

自分ひとりで生活していれば、時間は全て自分ひとりのものです。
身の周りも自分の好きなものだけで埋められ、食事だって洗濯だって自分の都合で出来る訳です。
眠りたければ眠り、何もしたくなくPCの前に一日居たい日があれば居ればいい。
仕事で疲れて帰ってきたら、今日の夕食はお酒とつまみだけ(笑)…そんな生活も出来るのです。
部屋を汚さないように気をつけて暮らせるし、掃除がしたくなったらいつでも出来る。
何もかも自分のペースで暮らして行けます。
ところが同居人がいればそうはいきません。

ダンナはとにかく何もかも大雑把な人間で、脱いだら脱ぎっぱなし。タバコを吸えば後は灰だらけ。使ったら置きっぱなし、食べたら後は食べかすだらけ。
「汚れてたっていいじゃん」「そんなのどうでもいいじゃん」なタイプの人間なのです。
(余談ですが、けらえいこさんの漫画で、散らかるからクッキーはゴミ箱を抱えて食べるっていうのがあって、すご~く共感しました(笑))
テレビはやたらザッピングしながら観るし、やらなきゃいけないことは後回しでなかなかしない。ごろごろするのが大好き…などなど、私とは相容れない部分はまだまだあります。

新婚の頃、新居のカーテンを買って来たら幅が足りず、隙間が空いて外が丸見えになってしまったことがありました。返品しに行こうと言ったら、彼は面倒くさそうに「えー、これでいいじゃん。見えたっていいじゃん。」と言ったので、あの時は心底呆れました。
──私の中にそんな選択肢はなかった…!!

そんなダンナと暮らしているので、こっちはダンナの後からついて行き、片付けまくるような生活をずっとしていました(笑)
時には我慢できずに私のルールを押し付け、(ルールと言ったって、読み終わった本はいつまでも放置してあると邪魔なんで書棚にしまってくれとかその程度です)嫌がられて喧嘩になったりもしたのですが、今では何とかいろんなことを我慢できるようになりました。
あきらめた…と言った方が正しいのかもしれません。

私は「しなければならない」「こうであるべき」が多い融通の利かない人間。
ダンナは「しなければならない」「こうであるべき」がない、柔軟な(?)人間。
それがひとつ屋根の下に住むのですから、軋轢も生まれてきます。

私は「そこそこに」とか「ほどほどに」が本当に苦手な人間で、何事も徹底的にしないと気が済まない性格なので、家の中もあるべき位置にものが収まり、ゴミもなく、きちんとしていないと気になって仕方がありません。潔癖症とはまた違うのですが、これが私の「ルール」なのです。
けれども人と住むということは、その「ルール」が侵食され、私もまた相手の「ルール」を(ダンナにはそんなもん、あんのか?)侵食しているのです。
それが死ぬほど苦痛になるようであれば、誰かと住むのは難しいかもしれません。


……だけど今は、そんなこと言える立場ではありません。
こうしてブログを書いていられるのも、ダンナが一生懸命働いてくれてるからなんです……よね。
こうしてすぐ自虐的になる私。





自分のペースがいいんです

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22:16 日々あれこれ | コメント(2)

言葉は人を殺す

2015/12/05
──なんか物凄く物騒なタイトルになっちゃったのですが…お時間ありましたら、お付き合いくださいm(__)m


昔見た何かの番組で、今も忘れられないものがあります。
バラエティか何かの中のワンコーナーで、再現ドラマだったと思うのですが…(ちょっと記憶が曖昧です)
アルコール依存症で苦しんでいる男の人が、医者からもついにドクターストップをかけられるに至り、一念発起して仕事を辞めて通院しつつ、自宅で療養していました。
苦労の末にやっと回復に向かい、飲酒もしないで済むようにまでなり、ご家族も安堵していました。
そんなある日、自宅の近くを散歩していたら、ばったりと会った近所のおばさんに声をかけられたのです。

「あら。お散歩ですか?いいわねえ、昼間っから。」

このおばさんの言葉で、その人は激しく動揺してしまいます。
自宅に戻ってすぐ酒を飲み、それをきっかけにまた飲酒するようになってしまいました。
そしてついには大動脈破裂で亡くなってしまったのです。


これを見た時、私の中に少なからずとも衝撃がありました。
彼の直接の死因は、自暴自棄になって飲み続けた酒にあるけれども、それを導くことになったきっかけは、あのおばさんのたった一言なのです。
彼女は多分、それがきっかけとなって彼が亡くなったことなど全く知らないでしょう。
その後も嫌味っぽい言葉を周りに吐き散らかしながら安穏と暮らしているのかもしれません。
私はその時、今更ながら「人は言葉で人を殺すことが出来るんだ」と改めて思い知らされたのです。

私自身、うつになってからは他人の何気ない一言で深く傷つき落ち込んで、時には死を考えたこともありました。
通常の状態でいれば、何のことはない、軽く受け流せる一言に過ぎないのかもしれません。けれどもうつの場合は全ての感覚が鋭敏になっていて、心が揺らぐとすぐさまネガティブの闇に転落するようなところがあるので、油断は出来ないのです。


会社を辞めることになる直前、私はやっとの思いで出社していました。
「ここで頑張れば道は開ける」「今が苦しいだけだ。もうすぐ乗り越えられる」「辞める訳にはいかないんだから」と自分で自分を叱咤し、眠れない夜を過ごしたまま迎えた朝、ベッドから身体を引きはがすようにして、毎朝通勤電車に乗り込んでいました。
化粧もする気がなくなったのでマスクで誤魔化し、髪は無造作に束ねるのみ。お弁当なんかもちろん作ることもできず、昼は社食で定食の殆どを残し、夜は食べずに飲酒するという食生活。
けれども仕事は思うようにこなすことが出来ず、ますますミスが目立ち周りに迷惑をかけ、私は何のために毎日這うようにして出社してるんだろうと心のどこかで思い始めた頃でした。
上司の女性にこう言われたのです。

「──病んでるねえ」

苦笑混じりのその言葉は、私に衝撃をあたえるのに充分でした。

「あなたが調子悪いのはもう誰が見たってわかるからさあ~。もういいよ。」

──だから、もういいのよ、毎日毎日そうやって病人ですって顔、してなくても──
─無理に会社、来なくても──


続けられた彼女の言葉に、私はそうしたニュアンスを感じ取ってしまったのです。

気分屋で気の強いその上司の女性は、普段からこうした言動の多い人でした。
でも今までは受け流せていたはずです。
彼女は自分の気に入った部下は大事に守るけれど、そうでない部下には必要以上に激しく叱咤することが多いことで有名でした。それでみんな辞めてしまいます。
そうすると、次に新しいターゲットとなる部下が決まるのです。
(こんな、ドラマの中だけのような上司ってほんとに実在してるのです!)
どうやらその時のターゲットは私であったらしく、間の悪いことにミスも増えだしたので、私は何度も島中がシンとなるような調子で叱咤されました。あとで同僚に同情されたくらいです。(これを私たちは『公開処刑』と呼んでいた。(笑))

きっと、これみよがしにふらふらと幽霊のような顔をして毎朝出社し、隣でおどおどトロトロと仕事をしている私が彼女はウザくて仕方がなかったのかもしれません。

私は頭の中が真っ白になってしまい、同時に深い絶望感に包み込まれて帰宅しました。
彼女に言われた言葉を何度も脳が反芻します。

どうして元のように仕事がこなせないのだろう。
どうして要領が悪くなってしまったんだろう。
どうしてこんなことぐらいでへこんでしまうんだろう。
みんなきっと、ウザいと思ってるんだ。
駄目な私。弱い私。

泣きながらその夜私は、マンションのベランダから首を伸ばして下を覗き込んだりしていました。

──下には植え込みがあって、あれがクッションになってしまったら助かってしまうかもしれない。
──そもそも5階から飛び降りて、ちゃんと死ねるだろうか。

そんなことを考えては部屋に戻り、またすぐにベランダに出て下を覗き込んだりを繰り返したりしていたのです。
飲んでいたし、今思うとあの時が一番危なかった瞬間でした。


以前の私は、何の躊躇もなく思ったことをすぐ言葉に乗せてしまう人間でした。
それで壊れてしまった関係がいくつかあります。

例えば職場で皆が仕事上のことで迷惑している人がいて、その人のいないところで皆で顔を突き合わせひそひそ言っているのに、決して本人には指摘しない…そういうのが嫌いな人間でした。
なので、そういう場合、私はよく本人に指摘したりしていました。
そんな私に皆は「言いにくいことを言ってくれてありがとう」「悪者にさせちゃってごめんね」などと言うのです。
皆は、誰かがそうしてくれるのを待っていたようなところがありました。
「そうか、私は悪者なのか」と少し嫌な気持ちになったと同時に、「言いたいなら言えばいいのに」と内心憤慨していた私ですが、果たして言われた方はどうだったのだろうと今になっては思うのです。
あの時自分がどういった言葉でその人に指摘したのか、もう今は思い出せません。


うつになってからは、他人が悪気もなく無意識に放つ言葉がどんなに自分を落ち込みのどん底へと誘うのかを嫌と言うほど知りました。それが引き金になり、本当に命を絶ってしまった人もきっと少なくありません。
今でも、自分がストレスになって苦しんでいるくらいなら言うべきことは言った方がいい…という考えを崩せない私ですが、私が無造作に相手に放ってきた言葉の中には、相手を死ぬほど苦しめた一言があったのではないか…と今更ながらに思うようになりました。

言葉は、相手から暖かい気持ち、生きる原動力を受け取ることができるものです。
そしてきっと自分も相手に渡すことができるものだと思うのです。
けれどもその反面、相手を死に至らしめることさえも可能になるものなのだと、しみじみ思う今日この頃です。


──なんか暗くなってしまった。
落ち気味の時に、一番辛かったころを回顧するのって良くないですね……。





無言でただ生きるのにだけ一生懸命★

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22:23 うつになって感じたこと | コメント(2)

心がほんのりあったかくなる

2015/12/03
OSをアップデートしたんですが、ところどころ「うーん…」というところはあるものの、今のところ快適に動いています。
始めの頃は起動がとんでもなく遅くて、眠りそうになってしまいました。
なんとかあちこちカスタマイズし、少しましにはなったものの…。
それにしてもアップデートってどうしてあんなに時間がかかるんだろう。

ここのところ少し落ち気味の私ですが、気がつけばもう師走。1年は早いものです。
今年は去年に比べたら格段に病状は良くなっていると思うのですが、私の予定では、もうとっくに仕事を見つけて社会に復帰してるはずでした。
けれどもあくまで予定は未定。そううまくはことが運ばないものです。
未だにこうして時々来る波の間をぷかぷか浮いたり沈んだりを繰り返しています。

そんな私のところに、友人があったかいプレゼントを持ってきてくれました。

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こんなにたくさんの野菜~!!
これだけ並べて眺めると、野菜の生命力の美しささえ感じます。


友人は地方に住んでいて、たまに車で上京してくるのですが、そのたびに野菜をたくさん運んできてくれます。
一時ほどではないにしても、まだまだ野菜の値段が高騰してる中、有難くて涙が出ます。
うちは夫婦二人なので、もらったたっぷりの野菜を振り分け、いつも実家にも持っていきます。母も大喜びです。
特にキャベツのみずみずしさがたまりません。

私は料理は嫌いではないのですが、あまり得意だとは言えません。
働いていた頃は、帰宅してからも時間に追われる毎日で、おのずと献立も簡素なものになりがちでした。
帰宅するのは早くても夜7時は回ります。
その頃にはスーパーも特売品などはもちろん残っているはずもなく、売れ残りの「おつとめ品」を買いこんで帰宅します。
化粧も落とさず、着替えもせずにまっすぐキッチンへ向かい、まず食事の支度を始めます。
もうくたくたなので、当然揚げ物など手がかかるものは無理でした。
なので、たっぷり作れる煮込み料理などを作り置きしておいて、それに一品加える、というような簡単なものです。
その一品はコロッケだったり、唐揚げだったり。お惣菜を買ってくることがほとんどでした。
繁忙期で忙しく、帰宅が遅くなる時には、必殺「お弁当」攻撃になります。
ダンナも帰宅が遅いので、ただ食べて寝るだけで、何の不満も言いませんでした。(ほんとは感じてたかも)
私は子供がいないので、まだ手抜きは許されますが、働きながら子育てをしている人はそうもいかないだろうし、ほんとに頭が下がります。
私のように不器用な人間には、料理は生半可ではないエネルギーを必要とするものなのです。

そんな訳で、私は料理についてはほんとに手抜きをしていました。
結婚したばかりの頃は、それでも、帰宅してからハンバーグなんぞこねたりしていたのです(!)
直近まで勤めていた会社よりも通勤時間が長く、帰宅時間も遅くなっていたあの頃…。
自分ながら本当にエネルギーがあったんだなあと感心せざるを得ません。

うつになってからは、我が家の食生活はますますひどくなりました。
時間が有り余っているのだから、手の込んだ料理でも作れよと思うのですが、無理です。
「料理をする気が起きない」からです。

どうしても以前のようにキッチンに立って野菜や肉を切ったり、煮込んだり、炒めたり…。
そして盛り付けして、あいまに味噌汁も作り、お米も炊く。キッチンが散らかっていくのが嫌なので、料理をしながら汚れた皿や鍋を洗っていく…。おまけに完璧主義者なので、一通り終わった後は流しやガス台を磨いて…。
このプロセスが面倒で億劫でたまらなく、脳がうまく機能しないのか、前のように要領よくこなしていくことが出来なくなってしまいました。たまに調子が良くて気分が上向きの時は、カレーやビーフシチューなど、簡単なものを作ったりしますが、毎日はとても無理です。


けれども今日、並べた白菜や大根やキャベツを眺めていたら、落ち気味の気分がなんとなく少し上がってきました。
ふと、久々に思いました。

………料理、しようかな。


私の場合、がくんと落ちる時は外部からの些細な刺激がほとんどですが、上がる時のきっかけも外部からのほんの些細な刺激であることが多いみたいな気がします。
なんてことはない小さな刺激で、信じられないくらい簡単に浮上し始めたりするのです。

何を作ろうかなー。
久々に、自分の心がポジティブな方向に少し向いた気がしました。
友人は、野菜と一緒に、なにかあったかいものを運んできてくれたみたいです。



以前もらったキャベツで作ったポークビーンズ

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これも以前、シュウマイを入れて煮込みスープを作ってみた。キャベツがシャキシャキでおいしかったです。
やっぱり野菜が違うと料理が上手くなった気がします(笑)

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22:31 日々あれこれ | コメント(2)

人の不幸は蜜の味

2015/12/01
ここのところ調子がいいなと少し図に乗っていた私ですが、久々にずーんと落ちてます。
これを底まで沈ませる大きな波に育てないよう、何とか踏みとどまっている最中です。

昨日、頼まれごとがあったので電車で30分ほどの実家に帰りました。
私は実家に帰る時、長居をして通勤ラッシュにぶつからないようにいつも注意しています。
と言うのも実家が元の職場と沿線で同じ方向にあり、通勤ラッシュにぶつかると知った顔に会ってしまうとも限らないからです。
ただでさえ前々から、思わぬところで思わぬ人に偶然会う、という体験が多い私なので(なんなんでしょう、これ)気をつけています。あれこれ詮索されるのが嫌なので、あまり元の職場の人とは会いたくありません。
なので昨日も早めに実家を後にしました。

どうせなので途中の駅で買い物を済ませ、電車を待つ間駅のベンチに腰を下ろしました。
もう年末に近づいているというのに、あったかい日差しに包まれて駅のベンチはぽかぽかと心地よく、スマホでメールを読んだりしていたら、いきなり声をかけられたのです。
顔を上げると、元の職場のパートのおばさんが満面の笑みで見下ろしています。
「似てるな、似てるなって思ってたんだけど、やっぱりそうだ。元気にしてるのー?」
私は突然のことに混乱してしまい、時々そうなのですが、いきなり声を掛けられると上手く言葉が出てきません。たまに道を聞かれたりすると上手く言葉が出ずに苦労したこともたびたびあります。

壊れた脳がそれでも必死にぐるぐるとこの場を対処する道を探して足掻いているのが判りました。
──何故、平日のこの時間にこの人がここにいるのか。
そう思って気が付きました。この駅は彼女の自宅のある駅であり、彼女はパートなので週5日のフルタイム勤務ではないのです。
どうして向こうが気が付くより先に、私のほうが彼女に気が付かなかったのだろう。
そんな自分の運の悪さに辟易しました。

とりあえず何とか、私はお久しぶりですと頭を下げました。固い薄ら笑いを浮かべていたような気がします。
おばさんはそんな私に構うことなく、矢継ぎ早に質問を浴びせてくるのです。
満面の笑みのなかに、興味津々と言った顔が垣間見え、私は泣きそうになりました。
よりにもよって、あまり会いたくない人に会ってしまった訳です。

「人の不幸は蜜の味」──そんな言葉があります。
声を掛けてきたパートのおばさんは、悪い人ではないのですが少々そんなところがありました。
ずっと長く勤めているので大変な情報通でした。
私には顔もよく判らない社内の人の噂(あまり良くない類の)、誰と誰が喧嘩して片方が辞める、誰の家では子供が受験に失敗した…云々云々。たまに昼食の輪に入ってくると、そのような情報をいくつも披露してくれ、私達が驚き、眉を顰めたりするのを眺めて悦に入っているようなところがありました。

「今どうしてるの?元気そうだけど。」

決定的に嫌な質問がこれです。私はもう身構えていましたが、その質問はやはり私を一層動揺させました。
何とか、「通院しながら家で療養してる」と告げると、「やっぱり病気だったの?まだ悪いの?」と次の質問が飛んできます。私はもう、頭の中が混乱してしまい、途中からは自分が何と受け答えしているのかもわからなくなってしまいました。
それでも強張る笑みを浮かべて「皆さんにによろしく。」と、来た電車に乗り込みおばさんからやっと解放された時には、緊張で汗がびっしょり。額に髪の毛が張り付いていました。

家に帰ってから、物凄く落ち込みが襲ってきました。
彼女は明日、会社で私に会ったとかまたあちこちに話すんだろうな。
私がこうして足掻きながら不毛な毎日を送っている間も、彼女はきちんと働いてるんだ。
私はいつになったら回復するんだろう。
そもそもどうして自分を恥じなければいけないのか。
……などと、ネガティブな攻撃が次々に私を打ちのめしてきます。

もう会うこともない元職場の同僚たちに何を言われてもいいじゃないか。
毎日毎日少しずつ回復に向かってるんだから大丈夫だ。人は人、自分は自分だよ。
焦らなくてもいつか寛解できるよ。
恥じることはないんだよ。今は人生休憩中なんだよ。こういう時間も必要だよ。
一生懸命にポジティブな私が応戦するのですが、無残にも次々に打ち砕かれてしまいます。

調子がいい、というのは自分だけが思っていることで、実際は「回復してきた」のではなく「心をかき乱されるような出来事」がここのところ無く、平穏が続いていたからそう思っていただけではないのか。
──そんな考えがふと浮かびます。

うつの落ち込みの波は、大抵は外部からのほんの些細な刺激から始まります。
生きていれば、自分に心地のいいことばかりが起こる訳ではないし、気持ちのいい言葉だけを受け取れる訳ではありません。傷ついても落ち込んでも、それをうまく受け流してそれでも何とか前へ進めればいいのです。
けれどもうつになってしまうと、いちいちその傷つけられた言葉や状況を手に取ってまじまじと眺め、何度も反芻してしまうようなところがあり、そうするうちに深い水の底に沈み込んで浮上できなくなってしまうのです。

時折来る落ち込みの波と戦いながら、今は仕事もせず、一日のほとんどを家で平穏に過ごしていますが、これがもしも仕事を始めるなり何なり、自分を波立たせるようなことの頻繁に起きる環境に身を置くようになったら、そのときこそが回復したかどうか本当に判るときかもしれません。

今はこのちいさな波を一生懸命なだめてみることしか出来ない私です。





食事中のももをじっと見つめていたら、ふと顔をあげた

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22:15 うつになって感じたこと | コメント(0)
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