ダンナは知らんぷりをする
2015/11/29
先日帰宅したら、マイナンバー通知カードの不在票がポストにありました。
やっと来たか…という感じ。それなら天気もいいしウォーキングしながら郵便局に受け取りに行くかと思っていたら、ダンナからLINEが来て「仕事が早く終わったのでこれから帰る」とのこと。
それならば一緒に街まで出ていって昼ごはんでも食べようかということで、気乗りしないままダンナの帰宅を待ちました。
ふたりなら私は電車で行くつもりだったのですが、帰宅したダンナは「あったかいからチャリで行こう」と言うので、もう私は心底行く気が失せてしまいました。
その日は土曜日。街は人で溢れかえっています。
土日の外出は私は最小限に留めているのですが、ダンナが休みだと出かけようというのでいつも気乗りがしません。電車も嫌ですが、自転車だともっと憂鬱になります。
私はうつになってから、自転車に乗るのが億劫になってしまいました。
以前はダンナは愛車のマウンテンバイク、私は愛車のクロスバイク(両方とも本格的なものではなく、やっす~いやつです)で連なってよく遠くまで走りに行ったものでした。往復で60キロくらい走ったこともあります。
風を切って川沿いのサイクリングコースを走るのは本当にいい気分で、週末になると今週はどこそこまで行ってみようと計画を立てて出かけ、お昼は川辺で透明な水の流れや対岸の景色を眺めながら、おにぎりを頬張ったり…。
本当に自転車に乗って出かけるのが好きだったのです。
けれども今では、荷物の多い時、近くのスーパーに行くために仕方なくちょこっと乗るだけで、私の愛車は駐輪場で埃まみれになっている状態でした。
他のうつの人は、車の運転や自転車に乗るのって大丈夫なんでしょうか?
私は駄目で、前方から子供が自転車で並走してきたり、おじいさんがふらふらと歩く横をすり抜けたりするのが本当に嫌になってしまい、嫌になるどころか怖くなってしまってさえいます。
何故こうなってしまったのか自分でも判らないのですが、前にも書きましたが、多分周りに無駄なアンテナを張り巡らせているために集中力が削がれ、「自転車に乗る」という行為が純粋に楽しめなくなっているのだと思います。
ダンナはもう行く気満々なので私は仕方なくデパスを念のために飲みました。
道々苦痛でたまらなく、人で溢れかえっている店で食事をするのも辛かったです。
ダンナは私の病気に対して無関心です。
無関心というよりも、彼は「私が病気である」ことを見て見ないふりをしています。
彼にとって「うつ病」というものは理解しがたいもので、彼の中には存在すらしていないのかもしれません。
私がおかしくなって、会社を辞めることにした時、ダンナにそう告げました。
私達は普段からお互いの会社の話はあまりしなかったので、この時初めて自分の会社での状態、辞めることになった経緯などを話しました。
そして「ごめんね。」と謝りました。
この頃の私は自分を責め、謝ってばかりで、「自分がこんなに弱くてごめんね、情けなくてごめんね…」そんな意味合いで言ったつもりでした。ところがダンナは怒って怒鳴りだしたのです。
「しつこいんだよ。『会社辞めるよ』『はいそうですか』でいいじゃない。しつこいんだよ!」
今思うと彼もこの頃仕事が忙しく、出社は早朝、帰宅は午前様の毎日で疲れていたのだと思います。
自分のことで精一杯だったのかもしれません。
私は突然のことに固まり、自分の部屋に引き籠って泣き出してしまいました。
この時のやり取りは、今でも心の中に深く残っています。
それから心療内科に通い始め、うつ病と診断された訳ですが、その事実も一応ダンナには告げました。
誰かに聞いて欲しかったのです。
ところが全く無関心で、「ふーん」といったリアクション。
私は理解して欲しくて、病院でもらってきた「うつ病とは」のような小冊子をわざわざ見えるところに置いておいたりしたのですが、彼が読んだ形跡がいつまでたってもないので捨てました。
「私はダンナのお荷物なんだ」「ダンナはこんな私はウザいんだ」
そう思ってしまい、彼と話すことはおろか、顔を見ることも出来なくなってしまいました。
朝、暗いうちに起きて何とか彼のお弁当を作り、部屋に籠って薬を飲んで眠り、彼の出かけた後に起き出す。
夜は食事の用意だけして、帰ってくる前に部屋に籠って眠ってしまう…そんな生活をしていました。
そのうちだんだん私が回復してきて、会話はできるようになりましたが、彼は相変わらずでした。
以前、食事の時に何となく「だいぶ良くなったよ。最初の頃は泣いてばかりいたんだよ。」と告げると、彼はただ笑うだけだったので、何だか失望したのを覚えています。
ハロワに行き始めたと告げた時も、「今度は近くのところにしたら」とだけ言われました。
それからは、病気の治療のこと、今現在の状態…などなどについて、一切私は彼に話すのを止めました。
話しても彼には意味のない、興味のないことだと思ったからです。
彼は私を気遣うようなことも言わないし、しません。全く普通に接してきます。
なので私も調子の悪いときもそれを出せずに、努力して全く普通に接するようにしています。
「休日は外に出たくないの。人が多いと苦しいんだよ」
「上階からの音が気になって耳栓して暮らしてるんだよ」(だから時々、会話が聞こえないんだよ)
「仕事を探してるけど、なかなか決まらないの。自分の中でまだ色々勇気が出ないのかもしれない」
こういった本当は色々話したいことも、一切彼には言えないでいます。
無口で不器用な彼は彼なりに、遠巻きにして放置することで、私を気遣っているのかもしれません。
自分に都合の良い見方をすれば、わざと距離を置いてくれているのかもしれません。
けれども私には、それが「面倒くさいことに関わり合いになりたくない」と思っているように見えて仕方がないのです。
決して、気遣って欲しい、一緒に頑張ろうと言って欲しい…などと甘えたことを言っている訳でありません。
ただ、「わたしが病気である」ことは、何もないことにせず、受け止めて欲しかったのです。
それだけなんですが…。
──でも、最近ふと思うことがあります。
……もしも逆の立場だったら、私は彼にどう接しているんだろうなあ。
ももと同じくらい低い目線で部屋を見てみたり。

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やっと来たか…という感じ。それなら天気もいいしウォーキングしながら郵便局に受け取りに行くかと思っていたら、ダンナからLINEが来て「仕事が早く終わったのでこれから帰る」とのこと。
それならば一緒に街まで出ていって昼ごはんでも食べようかということで、気乗りしないままダンナの帰宅を待ちました。
ふたりなら私は電車で行くつもりだったのですが、帰宅したダンナは「あったかいからチャリで行こう」と言うので、もう私は心底行く気が失せてしまいました。
その日は土曜日。街は人で溢れかえっています。
土日の外出は私は最小限に留めているのですが、ダンナが休みだと出かけようというのでいつも気乗りがしません。電車も嫌ですが、自転車だともっと憂鬱になります。
私はうつになってから、自転車に乗るのが億劫になってしまいました。
以前はダンナは愛車のマウンテンバイク、私は愛車のクロスバイク(両方とも本格的なものではなく、やっす~いやつです)で連なってよく遠くまで走りに行ったものでした。往復で60キロくらい走ったこともあります。
風を切って川沿いのサイクリングコースを走るのは本当にいい気分で、週末になると今週はどこそこまで行ってみようと計画を立てて出かけ、お昼は川辺で透明な水の流れや対岸の景色を眺めながら、おにぎりを頬張ったり…。
本当に自転車に乗って出かけるのが好きだったのです。
けれども今では、荷物の多い時、近くのスーパーに行くために仕方なくちょこっと乗るだけで、私の愛車は駐輪場で埃まみれになっている状態でした。
他のうつの人は、車の運転や自転車に乗るのって大丈夫なんでしょうか?
私は駄目で、前方から子供が自転車で並走してきたり、おじいさんがふらふらと歩く横をすり抜けたりするのが本当に嫌になってしまい、嫌になるどころか怖くなってしまってさえいます。
何故こうなってしまったのか自分でも判らないのですが、前にも書きましたが、多分周りに無駄なアンテナを張り巡らせているために集中力が削がれ、「自転車に乗る」という行為が純粋に楽しめなくなっているのだと思います。
ダンナはもう行く気満々なので私は仕方なくデパスを念のために飲みました。
道々苦痛でたまらなく、人で溢れかえっている店で食事をするのも辛かったです。
ダンナは私の病気に対して無関心です。
無関心というよりも、彼は「私が病気である」ことを見て見ないふりをしています。
彼にとって「うつ病」というものは理解しがたいもので、彼の中には存在すらしていないのかもしれません。
私がおかしくなって、会社を辞めることにした時、ダンナにそう告げました。
私達は普段からお互いの会社の話はあまりしなかったので、この時初めて自分の会社での状態、辞めることになった経緯などを話しました。
そして「ごめんね。」と謝りました。
この頃の私は自分を責め、謝ってばかりで、「自分がこんなに弱くてごめんね、情けなくてごめんね…」そんな意味合いで言ったつもりでした。ところがダンナは怒って怒鳴りだしたのです。
「しつこいんだよ。『会社辞めるよ』『はいそうですか』でいいじゃない。しつこいんだよ!」
今思うと彼もこの頃仕事が忙しく、出社は早朝、帰宅は午前様の毎日で疲れていたのだと思います。
自分のことで精一杯だったのかもしれません。
私は突然のことに固まり、自分の部屋に引き籠って泣き出してしまいました。
この時のやり取りは、今でも心の中に深く残っています。
それから心療内科に通い始め、うつ病と診断された訳ですが、その事実も一応ダンナには告げました。
誰かに聞いて欲しかったのです。
ところが全く無関心で、「ふーん」といったリアクション。
私は理解して欲しくて、病院でもらってきた「うつ病とは」のような小冊子をわざわざ見えるところに置いておいたりしたのですが、彼が読んだ形跡がいつまでたってもないので捨てました。
「私はダンナのお荷物なんだ」「ダンナはこんな私はウザいんだ」
そう思ってしまい、彼と話すことはおろか、顔を見ることも出来なくなってしまいました。
朝、暗いうちに起きて何とか彼のお弁当を作り、部屋に籠って薬を飲んで眠り、彼の出かけた後に起き出す。
夜は食事の用意だけして、帰ってくる前に部屋に籠って眠ってしまう…そんな生活をしていました。
そのうちだんだん私が回復してきて、会話はできるようになりましたが、彼は相変わらずでした。
以前、食事の時に何となく「だいぶ良くなったよ。最初の頃は泣いてばかりいたんだよ。」と告げると、彼はただ笑うだけだったので、何だか失望したのを覚えています。
ハロワに行き始めたと告げた時も、「今度は近くのところにしたら」とだけ言われました。
それからは、病気の治療のこと、今現在の状態…などなどについて、一切私は彼に話すのを止めました。
話しても彼には意味のない、興味のないことだと思ったからです。
彼は私を気遣うようなことも言わないし、しません。全く普通に接してきます。
なので私も調子の悪いときもそれを出せずに、努力して全く普通に接するようにしています。
「休日は外に出たくないの。人が多いと苦しいんだよ」
「上階からの音が気になって耳栓して暮らしてるんだよ」(だから時々、会話が聞こえないんだよ)
「仕事を探してるけど、なかなか決まらないの。自分の中でまだ色々勇気が出ないのかもしれない」
こういった本当は色々話したいことも、一切彼には言えないでいます。
無口で不器用な彼は彼なりに、遠巻きにして放置することで、私を気遣っているのかもしれません。
自分に都合の良い見方をすれば、わざと距離を置いてくれているのかもしれません。
けれども私には、それが「面倒くさいことに関わり合いになりたくない」と思っているように見えて仕方がないのです。
決して、気遣って欲しい、一緒に頑張ろうと言って欲しい…などと甘えたことを言っている訳でありません。
ただ、「わたしが病気である」ことは、何もないことにせず、受け止めて欲しかったのです。
それだけなんですが…。
──でも、最近ふと思うことがあります。
……もしも逆の立場だったら、私は彼にどう接しているんだろうなあ。
ももと同じくらい低い目線で部屋を見てみたり。

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ゆっくり温泉に浸かりたい
2015/11/27
ここ数日で急速に冷え込んできましたー。
今年は暖冬だそうですが、それでも冬は冬。寒いのです。
今日は前々から母が「温泉に行きたい」と言っているので、私も最近調子がいいし、一緒に行くことにしました。
「温泉」といっても、実家の近くのスーパー銭湯です(笑)
私は温泉…湯に浸かるのが大好きで、夏でも湯に浸かります。
「セレブの豪邸紹介!」…みたいな番組があると食い入るように見てしまう。
……ああ、自分の家にも露天風呂が欲しい…などと分不相応な夢をみたりしています。
将来もっと年を取ったら、一緒に日本中の温泉巡りをしようと今から友人と約束してます。
楽しみだー(^^♪
温泉旅行はやはり女同士で行きたいものです。夫婦でいっても別々になってしまうので、あのゆったりとした時間を共有できません(かと言って混浴や家族風呂はごめんですが)
旅行を計画する時も、宿は風呂で決めるくらいです。絶景や食事よりも、まず風呂です。
食後に一回、夜中に一回、朝誰も来ていないような時間に(でも結構人はいる)一回、最低三回は湯に浸かります。朝日を浴びての露天風呂は最高に気持ちが良いんですよね。
観光客で賑わっているような有名な温泉よりも、あまり人の来ないような鄙びた温泉が好きです。
ただ、うつになってしばらくはスーパー銭湯にも温泉旅行にもとても行くのは無理でした。
電車やバス、飛行機など、まず移動手段が利用できません。
とにかく人の沢山いるところが駄目なので、特に子供がギャアギャア奇声を上げて走り回ったりしていたり、声高に喋りまくるおばさん連中が陣取っていたりすると、もうそればかり気になってしまって湯を楽しむどころでは無くなってしまいます。
全神経がそちらへ向かってしまって、何もかも上の空になってしまい、会話もろくにできなくなります。
誰かと一緒にいれば、まだそんな自分にセーブをかけるように努力して何とか大丈夫なのですが、一人の時はそれらの雑音や光景から耳を(目を)反らすことが出来ないので最悪です。
これは温泉に限ったことではなく、調子の悪いときは周りの雑音や光景が上手くシャットアウト出来ずに苦しく、我慢していると最後には動悸や耳鳴りがしてきます。
自分が常にオープンになっているというか、きっと無駄に周囲にアンテナを張り巡らしていて、疲れてしまうような状態なのでしょう。
母も私の病気のことは判っているので、どこかへ一緒に出掛ける時は必ず人の少ない午前中にしてくれます。今日も早めに実家を出て、お昼過ぎには帰ってこられるようにしました。
幸い、平日の早い時間だったので人も少なく、走り回る子供もいなかったのでほっとしました。
思いっきりマッサージチェアに陣取り、何回も湯に浸かり、母と取り留めもない色んな話をし、すっきりして帰宅しました。
うつに「温泉療法」というのがあるのを初めて知りました。
うつに効能があると謳っている温泉が全国にいくつかあるみたいです。
刺激の少ない単純泉、またはアルカリ性単純泉が特に効果があるそうです。
もちろん温泉に浸かるとすぐにうつが治ると言う訳ではなく、メンタルケアの一環として、リラックスしてセロトニンを増やすのに効果があるようです。
ただ、外出するのにも億劫な時期に無理に出かけていっても逆効果になるようなので、調子が少し上向いて来たら、気分転換に出かけてみるのも良いかもしれません。
あー。書いてたら温泉にまた浸かりたくなってきました。
どれだけ温泉好きなんだろう、私…。
しばらくはうちのちっちゃいお風呂で我慢しときます。
調子が悪くなると風呂に入るのも面倒で面倒でたまらなくなるので、調子のいい時くらいはゆっくりと湯に浸かりたいと思っています。
最近あまりおもちゃで遊ばないちい。
おもちゃを近づけてみても…遠巻きに眺めるのみ。

↓
でもやっぱちょっと気になる(笑)

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今年は暖冬だそうですが、それでも冬は冬。寒いのです。
今日は前々から母が「温泉に行きたい」と言っているので、私も最近調子がいいし、一緒に行くことにしました。
「温泉」といっても、実家の近くのスーパー銭湯です(笑)
私は温泉…湯に浸かるのが大好きで、夏でも湯に浸かります。
「セレブの豪邸紹介!」…みたいな番組があると食い入るように見てしまう。
……ああ、自分の家にも露天風呂が欲しい…などと分不相応な夢をみたりしています。
将来もっと年を取ったら、一緒に日本中の温泉巡りをしようと今から友人と約束してます。
楽しみだー(^^♪
温泉旅行はやはり女同士で行きたいものです。夫婦でいっても別々になってしまうので、あのゆったりとした時間を共有できません(かと言って混浴や家族風呂はごめんですが)
旅行を計画する時も、宿は風呂で決めるくらいです。絶景や食事よりも、まず風呂です。
食後に一回、夜中に一回、朝誰も来ていないような時間に(でも結構人はいる)一回、最低三回は湯に浸かります。朝日を浴びての露天風呂は最高に気持ちが良いんですよね。
観光客で賑わっているような有名な温泉よりも、あまり人の来ないような鄙びた温泉が好きです。
ただ、うつになってしばらくはスーパー銭湯にも温泉旅行にもとても行くのは無理でした。
電車やバス、飛行機など、まず移動手段が利用できません。
とにかく人の沢山いるところが駄目なので、特に子供がギャアギャア奇声を上げて走り回ったりしていたり、声高に喋りまくるおばさん連中が陣取っていたりすると、もうそればかり気になってしまって湯を楽しむどころでは無くなってしまいます。
全神経がそちらへ向かってしまって、何もかも上の空になってしまい、会話もろくにできなくなります。
誰かと一緒にいれば、まだそんな自分にセーブをかけるように努力して何とか大丈夫なのですが、一人の時はそれらの雑音や光景から耳を(目を)反らすことが出来ないので最悪です。
これは温泉に限ったことではなく、調子の悪いときは周りの雑音や光景が上手くシャットアウト出来ずに苦しく、我慢していると最後には動悸や耳鳴りがしてきます。
自分が常にオープンになっているというか、きっと無駄に周囲にアンテナを張り巡らしていて、疲れてしまうような状態なのでしょう。
母も私の病気のことは判っているので、どこかへ一緒に出掛ける時は必ず人の少ない午前中にしてくれます。今日も早めに実家を出て、お昼過ぎには帰ってこられるようにしました。
幸い、平日の早い時間だったので人も少なく、走り回る子供もいなかったのでほっとしました。
思いっきりマッサージチェアに陣取り、何回も湯に浸かり、母と取り留めもない色んな話をし、すっきりして帰宅しました。
うつに「温泉療法」というのがあるのを初めて知りました。
うつに効能があると謳っている温泉が全国にいくつかあるみたいです。
刺激の少ない単純泉、またはアルカリ性単純泉が特に効果があるそうです。
もちろん温泉に浸かるとすぐにうつが治ると言う訳ではなく、メンタルケアの一環として、リラックスしてセロトニンを増やすのに効果があるようです。
ただ、外出するのにも億劫な時期に無理に出かけていっても逆効果になるようなので、調子が少し上向いて来たら、気分転換に出かけてみるのも良いかもしれません。
あー。書いてたら温泉にまた浸かりたくなってきました。
どれだけ温泉好きなんだろう、私…。
しばらくはうちのちっちゃいお風呂で我慢しときます。
調子が悪くなると風呂に入るのも面倒で面倒でたまらなくなるので、調子のいい時くらいはゆっくりと湯に浸かりたいと思っています。
最近あまりおもちゃで遊ばないちい。
おもちゃを近づけてみても…遠巻きに眺めるのみ。

↓
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「もうダメだ」は逃げじゃない
2015/11/25
昔、知り合いがうつ病になったことがありました。
私はそんなに深い付き合いをしていた訳ではない人だったので詳細は判りませんが、心療内科に通っているということでした。その人と親しくしていた別の友人は、どう接していいか困っていると言っていました。
「とにかくさー『がんばれ』は禁句なんだよね。」と、彼女はそればっかり言っていたように思います。
うつになった彼女は、明るく人当たりのいい優しい人で、とてもそんな風には見えなかったのでびっくりしたのを覚えています。
うつ病の人というと、暗く無表情で、うつむき加減にぼそぼそと喋り、人と目を合わせない…そんなイメージが当時の私の中にありました。なので彼女は「そんな風」には見えなかったのです。
けれども今では判ります。
彼女に何があったかは判りませんが、みんなの知らないところできっと随分苦しんでいたのでしょう。
それをおくびにも出さず、いつも明るく笑っていた優しい彼女は、ギリギリの精神状態で私たち外部と接触していたのかもしれません。
きっと同じような人がたくさんいると思います。
ギシギシと軋む心を押し隠して、薬を飲み飲み、オーバーワーク気味に仕事や家事をこなしてぐったりと疲れてしまう。
上手くいかないのは自分のせいだと責め、夜は眠れないままにまた朝が来る…そんな風に毎日毎日過ごしている人が、私の身の回りにもいたかもしれません。今もいるかもしれません。
会社を辞めてから、私の後に退職した元職場の同僚からメールが来ました。
彼女も実は心療内科に通っていたとあって、何とも言えない気持ちになりました。
凄く真面目で誰にでも優しく気配りをし、そして仕事の出来る人だったのです。
私たちはお互いの不調を押し隠して、毎日顔を合わせていたのでした。
私も彼女も、「頑張りすぎていた」のでしょう。
私が今通っている心療内科はネットで見つけました。
薬を山のように出すわけでもなく、カウンセリングを兼ねているような診察で、定期的に血液検査や心理検査もしてくれるので、助かっています。
別に口コミを調べたりはしませんでしたが、とにかく家からあまり近くもなく遠くもないところ。
何故あまり近くないところがいいかというと、万が一知り合いに会ったら嫌だったからです。
私は当時の壊れた頭でさえ、世間体を気にしていました。
「心療内科」に通ってるなんて言ったら周りになんて言われるだろう…と気にしていたのです。
「心療内科」がどういうところか判らず、そもそも自分の今の状態は「心療内科」に行けばいいのかどうなのかも判らない状態で、とにかくその時の自分を誰かに診てもらいたい、この酷い状況を分析して私に説明して欲しい…という気持ちでいっぱいでした。
病院は商業施設の中のワンフロアに入っていて、恐る恐るドアを開けると清潔で明るいところでした。
受付の人も看護婦さんも優しく穏やかな人ばかりで、先生は50代くらいの男の先生です。
堰を切ったように泣きながら喋りまくる私の話をふんふんと相槌を打ちながら、ずっと聞いていました。
そこで私は初めて、他人に向かって自分の気持ちを吐露したのです。
あれからもう、1年半になるんだなあ…としみじみ思います。
うつ病は「○○の数値が上がっているからうつ病です」のような、明確な判断材料がない病気です。
だから周りから理解を得るのはとても難しいと思います。
毎日毎日が辛くても、「気のせいだ」「みんなそうなんだから」「私がメンタル面で弱いだけなんだ」と、頑張り続けていると、いつか自分ではどうにも出来ないところまで運ばれてしまいます。
人と自分は違うのです。
人が大丈夫でも、自分には耐え難いことがあるのです。
それは決して自分が弱いから、劣っているからではないのです。
ひとりひとり抱えているコップの大きさも強度もまちまちで、入る水の量も人それぞれ違うのです。
いつまでも頑張り続けていると、許容量を超えて水は溢れてしまいます。
「もうダメだ」と最終的に判断を下すのは自分で、それは決して逃げるのでも、弱いからなのでもありません。
うつもひとつの病気なのです。
自分自身、調子の良い時にこういう風に考えられるようになるまでには、私は随分かかりました。
(波が来るとまだダメだけど…)
どんな時も見捨てずにいつも言葉を掛け続けてくれた友人、見守ってくれた家族、そして心療内科に通ってきちんと治療していること、全てのおかげだと思っています。
私はあの時、頑張るのをやめて(というか、やめざるを得なかった)「もうダメだ」と自分にジャッジを下したことが、今では本当に良かったと思っています。
「自分はおかしいのだから、病院に行こう」と決心したことが、今の状態に繋がっているのです。
もしもあのまま職場に留まって、「まだやれる。頑張れる」「ちょっと今おかしいだけなんだ」「上手く出来ないのは私が勉強不足だからだ」「やれるはずなんだ」…と踏ん張り続けていたら、最悪の事態を招いていたかもしれません。
心療内科でまた新しい検査をやることになりました。
沢山の質問に答えていくものは(名前忘れた)以前何度かやったんですが、今度は「SCT」というもの。

中身はこんな。

途中で終わってる文(刺激文というらしい)の続きを書いて、完成させます。
なるべく長く書いてねと言われたんだけど…60問もあるよー!!ひー!!( ;∀;)
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私はそんなに深い付き合いをしていた訳ではない人だったので詳細は判りませんが、心療内科に通っているということでした。その人と親しくしていた別の友人は、どう接していいか困っていると言っていました。
「とにかくさー『がんばれ』は禁句なんだよね。」と、彼女はそればっかり言っていたように思います。
うつになった彼女は、明るく人当たりのいい優しい人で、とてもそんな風には見えなかったのでびっくりしたのを覚えています。
うつ病の人というと、暗く無表情で、うつむき加減にぼそぼそと喋り、人と目を合わせない…そんなイメージが当時の私の中にありました。なので彼女は「そんな風」には見えなかったのです。
けれども今では判ります。
彼女に何があったかは判りませんが、みんなの知らないところできっと随分苦しんでいたのでしょう。
それをおくびにも出さず、いつも明るく笑っていた優しい彼女は、ギリギリの精神状態で私たち外部と接触していたのかもしれません。
きっと同じような人がたくさんいると思います。
ギシギシと軋む心を押し隠して、薬を飲み飲み、オーバーワーク気味に仕事や家事をこなしてぐったりと疲れてしまう。
上手くいかないのは自分のせいだと責め、夜は眠れないままにまた朝が来る…そんな風に毎日毎日過ごしている人が、私の身の回りにもいたかもしれません。今もいるかもしれません。
会社を辞めてから、私の後に退職した元職場の同僚からメールが来ました。
彼女も実は心療内科に通っていたとあって、何とも言えない気持ちになりました。
凄く真面目で誰にでも優しく気配りをし、そして仕事の出来る人だったのです。
私たちはお互いの不調を押し隠して、毎日顔を合わせていたのでした。
私も彼女も、「頑張りすぎていた」のでしょう。
私が今通っている心療内科はネットで見つけました。
薬を山のように出すわけでもなく、カウンセリングを兼ねているような診察で、定期的に血液検査や心理検査もしてくれるので、助かっています。
別に口コミを調べたりはしませんでしたが、とにかく家からあまり近くもなく遠くもないところ。
何故あまり近くないところがいいかというと、万が一知り合いに会ったら嫌だったからです。
私は当時の壊れた頭でさえ、世間体を気にしていました。
「心療内科」に通ってるなんて言ったら周りになんて言われるだろう…と気にしていたのです。
「心療内科」がどういうところか判らず、そもそも自分の今の状態は「心療内科」に行けばいいのかどうなのかも判らない状態で、とにかくその時の自分を誰かに診てもらいたい、この酷い状況を分析して私に説明して欲しい…という気持ちでいっぱいでした。
病院は商業施設の中のワンフロアに入っていて、恐る恐るドアを開けると清潔で明るいところでした。
受付の人も看護婦さんも優しく穏やかな人ばかりで、先生は50代くらいの男の先生です。
堰を切ったように泣きながら喋りまくる私の話をふんふんと相槌を打ちながら、ずっと聞いていました。
そこで私は初めて、他人に向かって自分の気持ちを吐露したのです。
あれからもう、1年半になるんだなあ…としみじみ思います。
うつ病は「○○の数値が上がっているからうつ病です」のような、明確な判断材料がない病気です。
だから周りから理解を得るのはとても難しいと思います。
毎日毎日が辛くても、「気のせいだ」「みんなそうなんだから」「私がメンタル面で弱いだけなんだ」と、頑張り続けていると、いつか自分ではどうにも出来ないところまで運ばれてしまいます。
人と自分は違うのです。
人が大丈夫でも、自分には耐え難いことがあるのです。
それは決して自分が弱いから、劣っているからではないのです。
ひとりひとり抱えているコップの大きさも強度もまちまちで、入る水の量も人それぞれ違うのです。
いつまでも頑張り続けていると、許容量を超えて水は溢れてしまいます。
「もうダメだ」と最終的に判断を下すのは自分で、それは決して逃げるのでも、弱いからなのでもありません。
うつもひとつの病気なのです。
自分自身、調子の良い時にこういう風に考えられるようになるまでには、私は随分かかりました。
(波が来るとまだダメだけど…)
どんな時も見捨てずにいつも言葉を掛け続けてくれた友人、見守ってくれた家族、そして心療内科に通ってきちんと治療していること、全てのおかげだと思っています。
私はあの時、頑張るのをやめて(というか、やめざるを得なかった)「もうダメだ」と自分にジャッジを下したことが、今では本当に良かったと思っています。
「自分はおかしいのだから、病院に行こう」と決心したことが、今の状態に繋がっているのです。
もしもあのまま職場に留まって、「まだやれる。頑張れる」「ちょっと今おかしいだけなんだ」「上手く出来ないのは私が勉強不足だからだ」「やれるはずなんだ」…と踏ん張り続けていたら、最悪の事態を招いていたかもしれません。
心療内科でまた新しい検査をやることになりました。
沢山の質問に答えていくものは(名前忘れた)以前何度かやったんですが、今度は「SCT」というもの。

中身はこんな。

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なるべく長く書いてねと言われたんだけど…60問もあるよー!!ひー!!( ;∀;)
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歩いていこう どこまでも♪
2015/11/23
今日は朝起きてから何となく調子が良く、絶好のウォーキング日和だったので歩くことにしました。
私にとって「絶好のウォーキング日和」とは、曇っていて風が少し冷たく、まさしく今日のような天気です。
晴れの日は晴れの日で、暖かな日差しを浴びているとモヤモヤとした気分が洗われるようでいいのですが、それよりも時折薄日が差すくらいの天気が私は好きで、歩きやすい気がするのです。
コースはその日の気分によって決めるのですが、だいたい買い物がてらにいくので、三駅分歩いて少し遠くの街に行くとか、近くの大きな橋を渡って隣の市を散策してみる、とかそんな程度です。
もちろんビシッと「ウォーキングしてます」って恰好ではなく、暑くなるのでちょっと薄めの普段着にリュックを背負って帽子を被って出かけます。
ただ、どのコースも共通しているのは「人通りが多くないこと」
そして歩く時間は「なるべく人の少ない午前中。子供や学生がうろうろしてない時間」です。
これを守らないと却ってストレスになるので…。
夏はさすがに暑いので、人通りのあまりない川沿いを夕方、歩いてみたりしています。
通勤していた時も、職場が最寄りの駅から徒歩20分という場所にあったので、行き帰りと歩いていました。
バスもあったのですが、当然バスの中は見知った顔ばかりになるので、挨拶なども面倒でバスは利用しませんでした。
うつになってからもしばらくの間は歩いていたのですが、道々色々なことを考えては動悸がし、その気分を抱えたままで会社が近づいてくるのが本当に嫌で、仕方なく朝はうつむいて耳を塞ぐ気持ちでバスに乗っていたのを思い出します。
多分これがトラウマのようになってしまっていて、今でもバスには滅多に乗れません。
ウォーキングは趣味で、うつになるずいぶん前から日課にしています。
一日何歩とか何時間とか特に目標は設定せず、ただあちこちの街並みや景色を眺めながら歩きます。
身体の調子が悪いときは無理せず、途中でコースを切り上げたり、近くの駅から電車に乗ったり。
まあ、ゆるゆるウォーキングな訳ですが(笑)
それでも随分と気分転換にはなるものです。
心療内科に通院し始めた頃も、家にばかり籠って泣いていてはいけないと思い「歩かなければと思って少しでも外に出ようと努力しています。」と先生に言ったところ、「無理にそういうことをしてはいけない。外に出たくないなら出なくていい。」と、少し強い口調で諭されたのでびっくりしました。
日課にしていると私の悪い癖で、「今日も歩かなければいけない」と「趣味」が「義務」のようになってしまっていて、調子が悪くても歩かなければと焦ってしまうのです。
今では本当にたまにですが、「今日は歩きたくないのでやめよう」と思う日を作ることがやっと出来るようになりました。
どん底の波が来ている時に無理をするのは逆効果になって駄目ですが、調子の良い時の適度な有酸素運動はうつ病にも良いそうです。セロトニンも増えるらしい…。
うっすらと汗をかきながら、冷たい風に吹かれて一歩一歩踏みしめるように歩いていきます。
「だいぶ葉が落ちたなあ。でもなんであの木だけまだすごい紅葉きれいなんだろ。」
「この市のマンホールのデザイン、凝ってて可愛いなあ。盗まれないかなあ。」
「綺麗な家だなあ。すごいちゃんと花壇とかも手入れしてるよ。」
「あれはなんて鳥なんだろう?」
歩きながら色んなものを眺めてとりとめもないことを考え、前へ前へただ進む。
そうしているとほんの少しだけ、家で悶々としていた気持ちが上へ向くような気がするのです。
今日は橋を渡って隣の市の大きいスーパーまで行きました。
買い物時間も入れて、往復約1時間半。7キロ少し。

調子が良かったのでちょっと歩きすぎたかな。
2、30分程度を毎日、がいいそうです。
最近、もものケージが狭いんじゃないかと思い始めた。

ネットで見ると皆さん、ゆったりしたケージにトンネルとか棚とか小屋とか、すごい豪勢にレイアウトしてあげてるんだなあ。
前の子はももより大きかったので、ひと回り大きいケージに途中買い換えたんだけど。
もも、大きいケージがいい?

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私にとって「絶好のウォーキング日和」とは、曇っていて風が少し冷たく、まさしく今日のような天気です。
晴れの日は晴れの日で、暖かな日差しを浴びているとモヤモヤとした気分が洗われるようでいいのですが、それよりも時折薄日が差すくらいの天気が私は好きで、歩きやすい気がするのです。
コースはその日の気分によって決めるのですが、だいたい買い物がてらにいくので、三駅分歩いて少し遠くの街に行くとか、近くの大きな橋を渡って隣の市を散策してみる、とかそんな程度です。
もちろんビシッと「ウォーキングしてます」って恰好ではなく、暑くなるのでちょっと薄めの普段着にリュックを背負って帽子を被って出かけます。
ただ、どのコースも共通しているのは「人通りが多くないこと」
そして歩く時間は「なるべく人の少ない午前中。子供や学生がうろうろしてない時間」です。
これを守らないと却ってストレスになるので…。
夏はさすがに暑いので、人通りのあまりない川沿いを夕方、歩いてみたりしています。
通勤していた時も、職場が最寄りの駅から徒歩20分という場所にあったので、行き帰りと歩いていました。
バスもあったのですが、当然バスの中は見知った顔ばかりになるので、挨拶なども面倒でバスは利用しませんでした。
うつになってからもしばらくの間は歩いていたのですが、道々色々なことを考えては動悸がし、その気分を抱えたままで会社が近づいてくるのが本当に嫌で、仕方なく朝はうつむいて耳を塞ぐ気持ちでバスに乗っていたのを思い出します。
多分これがトラウマのようになってしまっていて、今でもバスには滅多に乗れません。
ウォーキングは趣味で、うつになるずいぶん前から日課にしています。
一日何歩とか何時間とか特に目標は設定せず、ただあちこちの街並みや景色を眺めながら歩きます。
身体の調子が悪いときは無理せず、途中でコースを切り上げたり、近くの駅から電車に乗ったり。
まあ、ゆるゆるウォーキングな訳ですが(笑)
それでも随分と気分転換にはなるものです。
心療内科に通院し始めた頃も、家にばかり籠って泣いていてはいけないと思い「歩かなければと思って少しでも外に出ようと努力しています。」と先生に言ったところ、「無理にそういうことをしてはいけない。外に出たくないなら出なくていい。」と、少し強い口調で諭されたのでびっくりしました。
日課にしていると私の悪い癖で、「今日も歩かなければいけない」と「趣味」が「義務」のようになってしまっていて、調子が悪くても歩かなければと焦ってしまうのです。
今では本当にたまにですが、「今日は歩きたくないのでやめよう」と思う日を作ることがやっと出来るようになりました。
どん底の波が来ている時に無理をするのは逆効果になって駄目ですが、調子の良い時の適度な有酸素運動はうつ病にも良いそうです。セロトニンも増えるらしい…。
うっすらと汗をかきながら、冷たい風に吹かれて一歩一歩踏みしめるように歩いていきます。
「だいぶ葉が落ちたなあ。でもなんであの木だけまだすごい紅葉きれいなんだろ。」
「この市のマンホールのデザイン、凝ってて可愛いなあ。盗まれないかなあ。」
「綺麗な家だなあ。すごいちゃんと花壇とかも手入れしてるよ。」
「あれはなんて鳥なんだろう?」
歩きながら色んなものを眺めてとりとめもないことを考え、前へ前へただ進む。
そうしているとほんの少しだけ、家で悶々としていた気持ちが上へ向くような気がするのです。
今日は橋を渡って隣の市の大きいスーパーまで行きました。
買い物時間も入れて、往復約1時間半。7キロ少し。

調子が良かったのでちょっと歩きすぎたかな。
2、30分程度を毎日、がいいそうです。
最近、もものケージが狭いんじゃないかと思い始めた。

ネットで見ると皆さん、ゆったりしたケージにトンネルとか棚とか小屋とか、すごい豪勢にレイアウトしてあげてるんだなあ。
前の子はももより大きかったので、ひと回り大きいケージに途中買い換えたんだけど。
もも、大きいケージがいい?

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「うつ」って遺伝する?
2015/11/21
最近、ちいといる時が一番心が癒されます。
ももは反抗期真っ盛りなので、外で遊ばせても目を離すことができません。
ちょっと油断するとソファーに大穴を開けてたり、思いっきり靴下の上から噛みついたりするので、ダンナと一緒にずーっと彼女の行動を追い続けて、癒されるどころではありません。ふたりしてへとへとです(笑)
ちいは換羽期も無事終わり、頭のつんつんした筆毛がなくなってつるつるすべすべの綺麗な姿になりました。
そのせいで本人もすっきりしたのか、やたらと甘えてくるので可愛いです(^◇^)
換羽期中のちい。頭が筆毛でつんつん → 今はすべすべです。スッキリ!
(なんか表情も暗い…)
ちいはこちらの気分の落ち込み具合をなんとなく察知するようで、いつもはおもちゃで一心不乱に遊んでいるのに、私が落ち込みの酷い時はまるで様子を窺うみたいに傍からずっと離れません。
ちょっかいは出してこないのですが「ちょい?ちょい?」と小さく鳴き、ただ肩や腕にずーっと乗っていて、羽繕いなんかしたりしてるのです。黙って私を観察してるみたいな感じ…全く愛い奴です。
セキセイインコは人間の二歳児~三歳児くらいの知能はあるそうですが…。
そんなでちいと遊んでやっていると、妹からLINEが来ました。
「調子が悪くなった」とのこと。
妹もうつ病を抱えています。
学生の頃は拒食症→過食症と摂食障害に悩まされ、結婚してからうつ病になりました。
妹の場合は中度のうつで、社会不安障害。私よりもずっと早く発症していました。
心療内科に通い始めただの、薬を飲まないでいたらめまいがするだの、そういう話をよく以前聞いていて、心配しながらも、まさかやがて自分も同じうつ病と診断されることになるとはその頃は思ってもみませんでした。
なので、自分がうつになってからは妹の言葉が一番しっくりと心に入ってきます。
姉妹で同じ状況なので、感じることや不安に思うことが似通っています。
同じうつ病同士、一番理解でき、具体的なことを相談し合える相手です。
妹は子供が二人いて、長男は今年高校受験なので色々大変そうです。
子供の面倒を見つつ、朝早くからパートでがっつり働いていて、ほんとに頭が下がる思いです。
(妹の頑張ってる様子を見ていると、こっちは罪悪感、劣等感から落ち込みに移行することがあります)
今現在はだいぶ回復していて、頑張って社会に復帰し、人の中に入って仕事をこなせるようになっていました。
けれども仕事に追われ、家事に追われているうちに自分のことがおろそかになっていたらしく、最近は通院も勝手にやめてしまっていたようです。
それがここのところ、不安感や落ち込み、めまいが酷く、以前のように夜も満足に眠れない…また悪くなったかもしれないから、今日久しぶりに病院に行って薬をもらってきた、と長文で綴ってありました。
妹も私と同じで、頑張りすぎる完璧主義者なところがあるので、様々なことに手を抜くことが相変わらず出来ないでいるのでしょう。
『薬はちゃんと飲まないとダメだよ。あと、時々ゆっくりしてね。頑張りすぎると自分に来ちゃうよ。私みたいになっちゃうよ』 と返信すると、『わかってるんだけどねー』 と短い返事。
うーん。多分それでもこのまま頑張っちゃうんだろうなあ…と思います。
考えてみると、うちは母はあまり細かいことを気にしない楽天主義者。
父は神経質で細かいところがあります。
ひとつのことをいつまでもいつまでも悩み、何事に対しても悲観的で度胸がなく、物事がなかなか決められない…私はそんな父が歯痒くて仕方がなく、たまに父に似ていると言われると本気で落ち込んだりしたこともありました。
高齢になってからは時々酷く落ち込む時があるようで、今は就寝時に睡眠薬を服用しています。
父の実弟である叔父もそう言えば、デパスのお世話になっています。
なんでこんなに身の周りに似たような人間が多いんだろう?
……うつは遺伝するんだろうか?
気になって少し調べてみました。
うつ病の発症には置かれている環境や状況など様々な要因がありますが。
やはり、ひとつに遺伝的要因も関与しているようです。
ただ「うつ病の遺伝子」というものはないので、例えば親の「生真面目で完璧主義者・ストレスをためやすい・執着気質・人に頼まれると嫌とは言えない…」等々のうつになりやすい性格や気質などを受け継いで生まれてきたために、親と同じようにうつを発症しやすい傾向にあるということのようで、「がんになりやすい家系」「高血圧になりやすい家系」などがあるのと同じようなものみたいです。
けれども肉親がそうだからと言って、全ての人が発症するわけではありません。
そこはやはり個人個人の問題で、色んな要素が組み合わさって初めてうつになってしまうのです。
あくまで要因のひとつに過ぎません。
……だそうです。
…何となく、そうだろうなとは思っていたけれど。
うーん。だけどあんまりそういうところは似たくなかったかも…(笑)
ももは反抗期真っ盛りなので、外で遊ばせても目を離すことができません。
ちょっと油断するとソファーに大穴を開けてたり、思いっきり靴下の上から噛みついたりするので、ダンナと一緒にずーっと彼女の行動を追い続けて、癒されるどころではありません。ふたりしてへとへとです(笑)
ちいは換羽期も無事終わり、頭のつんつんした筆毛がなくなってつるつるすべすべの綺麗な姿になりました。
そのせいで本人もすっきりしたのか、やたらと甘えてくるので可愛いです(^◇^)
換羽期中のちい。頭が筆毛でつんつん → 今はすべすべです。スッキリ!
(なんか表情も暗い…)


ちいはこちらの気分の落ち込み具合をなんとなく察知するようで、いつもはおもちゃで一心不乱に遊んでいるのに、私が落ち込みの酷い時はまるで様子を窺うみたいに傍からずっと離れません。
ちょっかいは出してこないのですが「ちょい?ちょい?」と小さく鳴き、ただ肩や腕にずーっと乗っていて、羽繕いなんかしたりしてるのです。黙って私を観察してるみたいな感じ…全く愛い奴です。
セキセイインコは人間の二歳児~三歳児くらいの知能はあるそうですが…。
そんなでちいと遊んでやっていると、妹からLINEが来ました。
「調子が悪くなった」とのこと。
妹もうつ病を抱えています。
学生の頃は拒食症→過食症と摂食障害に悩まされ、結婚してからうつ病になりました。
妹の場合は中度のうつで、社会不安障害。私よりもずっと早く発症していました。
心療内科に通い始めただの、薬を飲まないでいたらめまいがするだの、そういう話をよく以前聞いていて、心配しながらも、まさかやがて自分も同じうつ病と診断されることになるとはその頃は思ってもみませんでした。
なので、自分がうつになってからは妹の言葉が一番しっくりと心に入ってきます。
姉妹で同じ状況なので、感じることや不安に思うことが似通っています。
同じうつ病同士、一番理解でき、具体的なことを相談し合える相手です。
妹は子供が二人いて、長男は今年高校受験なので色々大変そうです。
子供の面倒を見つつ、朝早くからパートでがっつり働いていて、ほんとに頭が下がる思いです。
(妹の頑張ってる様子を見ていると、こっちは罪悪感、劣等感から落ち込みに移行することがあります)
今現在はだいぶ回復していて、頑張って社会に復帰し、人の中に入って仕事をこなせるようになっていました。
けれども仕事に追われ、家事に追われているうちに自分のことがおろそかになっていたらしく、最近は通院も勝手にやめてしまっていたようです。
それがここのところ、不安感や落ち込み、めまいが酷く、以前のように夜も満足に眠れない…また悪くなったかもしれないから、今日久しぶりに病院に行って薬をもらってきた、と長文で綴ってありました。
妹も私と同じで、頑張りすぎる完璧主義者なところがあるので、様々なことに手を抜くことが相変わらず出来ないでいるのでしょう。
『薬はちゃんと飲まないとダメだよ。あと、時々ゆっくりしてね。頑張りすぎると自分に来ちゃうよ。私みたいになっちゃうよ』 と返信すると、『わかってるんだけどねー』 と短い返事。
うーん。多分それでもこのまま頑張っちゃうんだろうなあ…と思います。
考えてみると、うちは母はあまり細かいことを気にしない楽天主義者。
父は神経質で細かいところがあります。
ひとつのことをいつまでもいつまでも悩み、何事に対しても悲観的で度胸がなく、物事がなかなか決められない…私はそんな父が歯痒くて仕方がなく、たまに父に似ていると言われると本気で落ち込んだりしたこともありました。
高齢になってからは時々酷く落ち込む時があるようで、今は就寝時に睡眠薬を服用しています。
父の実弟である叔父もそう言えば、デパスのお世話になっています。
なんでこんなに身の周りに似たような人間が多いんだろう?
……うつは遺伝するんだろうか?
気になって少し調べてみました。
うつ病の発症には置かれている環境や状況など様々な要因がありますが。
やはり、ひとつに遺伝的要因も関与しているようです。
ただ「うつ病の遺伝子」というものはないので、例えば親の「生真面目で完璧主義者・ストレスをためやすい・執着気質・人に頼まれると嫌とは言えない…」等々のうつになりやすい性格や気質などを受け継いで生まれてきたために、親と同じようにうつを発症しやすい傾向にあるということのようで、「がんになりやすい家系」「高血圧になりやすい家系」などがあるのと同じようなものみたいです。
けれども肉親がそうだからと言って、全ての人が発症するわけではありません。
そこはやはり個人個人の問題で、色んな要素が組み合わさって初めてうつになってしまうのです。
あくまで要因のひとつに過ぎません。
……だそうです。
…何となく、そうだろうなとは思っていたけれど。
うーん。だけどあんまりそういうところは似たくなかったかも…(笑)
後ろ向きな自分が邪魔をする
2015/11/19
ここ数日「プチだる状態」が出ていて、家事も外出も億劫です。
それほど酷くはないのですが、腰を上げるまでに時間がかかって仕方ありません。
やらなきゃいけない、行かなきゃいけない(これがいけないんだと思うんだけど)のは判っているし、やらないと今度は後でモヤモヤした気分に包まれるので嫌になります。
そもそも何もしないでぼーっとしていることが苦手で、心療内科の先生にもそうしろと言われたんですが、それがなかなか難しいのです。自分にどんどん無理を課してこういう状態になった訳で、ぼーっとが普段からできる性分だったらうつにはなっていない訳です。
いけないと判っていても、なかなかこの悪い癖は抜けてくれないみたいです。
今日はハロワの日でした。(自分で勝手に決めている)
就活を恐る恐る始めてもうそろそろ半年になりますが、まだまだ仕事は決まりそうにありません。
自分が上がり調子でいる時を狙って、面接を受けたり応募の電話をしたりしているので、なかなか思うようにいきません。
最後に受けたところがとんでもない不誠実なところだったので落ち込み、それ以来なんとなく就活から遠ざかっていました。けれども現実は厳しく、早く仕事を見つけなければ経済的にも苦しい日々が続きます。
ハロワに行くのも久しぶりでした。
求人検索は家でも出来るのですが、条件に合うところがあったらその場で紹介状を出して貰いたいのと、気分的に自分を高揚させるためにあえて足を運んでいます。
幸い家から徒歩圏内なので(片道45分ですが!)今日もウォーキングを兼ねて出かけました。
今日は割合混んでいて、相談待ちの人が結構いました。
赤ちゃんを抱えて検索している人、大声で相談員の人と喋ってるおじいさん、検索機の前に印刷した何枚もの求人情報を並べて見比べている女の人、検索せずにスマホを弄ってる若い男の子…などなどを眺めながら指定された検索機の前に座ります。
このハロワの、何とも言えない独特な空気の中に踏み込むと、何だかはっと我に返る気がするのです。
一日中ほとんど誰とも話さず、家に籠っていると自分が何をしているのか、何がしたいのか時折判らなくなる時があります。それが焦燥感を呼んできて、やがて落ち込みに変わります。
ハロワに来ると「自分は仕事を探してるんだ」と再確認するような気分になります。
そして同時に「自分と同じようにこんなに仕事を探してる人がいる。あんなに高齢の人も、あんな小さな子供を抱えた人も…」と、自分を奮い立たせることが出来ます。
せっかくまた社会に出ていこうと思えるようになったのだから、少しずつでもいい、自分に合いそうなところを探していこう…。
けれども、検索を重ねるうちに、だんだん微妙な気分になってきました。
不安で弱気な自分が前面に出てきてしまいました。
「『Excel・Word必須』……どのくらいのレベルなんだろう。私ブランクあるし、使い物になるのかなあ…。」
「『電話応対が主な仕事です』……上手く相手の言うことを理解して記憶できるかな。前の時みたいに真っ白病(頭の中が突然真っ白になって何も出来なくなってしまうのです)にならないかなあ…。」
「『年齢不問』っていったって、採用1人じゃまた断られるに決まってるよなあ…。」
どんどんどんどん気持ちが後ろ向きになってしまい、検索機の前でいつしかフリーズしてしまったのです。
最近、どうしてもこの後ろ向きでやる気のない、弱気な自分が前面に出しゃばってきて困っています。
求人誌を見ていても、条件はいいのにどうしても仕事の内容に自信が持てない、通うのに長く通勤電車に乗る自信がない、『20代~30代が活躍している明るい職場です!』というキャッチコピーには「…ってことはそれ以上の年齢はちょっと…ってことだよね」と思ってしまい尻込みしたり…。(事実そうだと思いますが。笑)
弱気な自分が眉をひそめて私にばんばん問いかけてきます。
『採用されるかなとか、応募してみようかなとか言う前に、あなた本当に働けるの?
もう大丈夫なの?前みたいにならないの?
人とちゃんと接することができるの?話せるの?
通勤電車に乗れるの?
あなた使い物になるの?ブランクあるし、もう前みたいに記憶が飛んだり覚えられなかったりとかしないの?
大丈夫なの?働けるの?
「真っ白病」は再発しないの?キーボードちゃんと打てるの?』
……。
私はトボトボとハロワを後にしました。
だるだるを押してハロワに来たのは良くなかったようです。
出口のところで生命保険の女の人の勧誘に捕まってしまい、いつもだったら早々に断るのですが、「この人もちゃんと仕事してる。頑張ってるんだなあ…」などと後ろめたい気持ちになってしまって、ちょっと話を聞いてから「ごめんなさい」と断りました。
歩道はもうだいぶ落ち葉で埋め尽くされていますが、街路樹がまだ鮮やかで綺麗です。
こんな美しい季節に、なんで私は悶々と真っ暗な気持ちを抱えて歩かなければならないのでしょうか。
いつか今日のことを懐かしく思い出すこともあるのでしょうか。
就活まだまだ長引きそうです…(*_*)
クッションにはさまってぬくぬくのもも。
なんか他の動物みたいだ(笑)

それほど酷くはないのですが、腰を上げるまでに時間がかかって仕方ありません。
やらなきゃいけない、行かなきゃいけない(これがいけないんだと思うんだけど)のは判っているし、やらないと今度は後でモヤモヤした気分に包まれるので嫌になります。
そもそも何もしないでぼーっとしていることが苦手で、心療内科の先生にもそうしろと言われたんですが、それがなかなか難しいのです。自分にどんどん無理を課してこういう状態になった訳で、ぼーっとが普段からできる性分だったらうつにはなっていない訳です。
いけないと判っていても、なかなかこの悪い癖は抜けてくれないみたいです。
今日はハロワの日でした。(自分で勝手に決めている)
就活を恐る恐る始めてもうそろそろ半年になりますが、まだまだ仕事は決まりそうにありません。
自分が上がり調子でいる時を狙って、面接を受けたり応募の電話をしたりしているので、なかなか思うようにいきません。
最後に受けたところがとんでもない不誠実なところだったので落ち込み、それ以来なんとなく就活から遠ざかっていました。けれども現実は厳しく、早く仕事を見つけなければ経済的にも苦しい日々が続きます。
ハロワに行くのも久しぶりでした。
求人検索は家でも出来るのですが、条件に合うところがあったらその場で紹介状を出して貰いたいのと、気分的に自分を高揚させるためにあえて足を運んでいます。
幸い家から徒歩圏内なので(片道45分ですが!)今日もウォーキングを兼ねて出かけました。
今日は割合混んでいて、相談待ちの人が結構いました。
赤ちゃんを抱えて検索している人、大声で相談員の人と喋ってるおじいさん、検索機の前に印刷した何枚もの求人情報を並べて見比べている女の人、検索せずにスマホを弄ってる若い男の子…などなどを眺めながら指定された検索機の前に座ります。
このハロワの、何とも言えない独特な空気の中に踏み込むと、何だかはっと我に返る気がするのです。
一日中ほとんど誰とも話さず、家に籠っていると自分が何をしているのか、何がしたいのか時折判らなくなる時があります。それが焦燥感を呼んできて、やがて落ち込みに変わります。
ハロワに来ると「自分は仕事を探してるんだ」と再確認するような気分になります。
そして同時に「自分と同じようにこんなに仕事を探してる人がいる。あんなに高齢の人も、あんな小さな子供を抱えた人も…」と、自分を奮い立たせることが出来ます。
せっかくまた社会に出ていこうと思えるようになったのだから、少しずつでもいい、自分に合いそうなところを探していこう…。
けれども、検索を重ねるうちに、だんだん微妙な気分になってきました。
不安で弱気な自分が前面に出てきてしまいました。
「『Excel・Word必須』……どのくらいのレベルなんだろう。私ブランクあるし、使い物になるのかなあ…。」
「『電話応対が主な仕事です』……上手く相手の言うことを理解して記憶できるかな。前の時みたいに真っ白病(頭の中が突然真っ白になって何も出来なくなってしまうのです)にならないかなあ…。」
「『年齢不問』っていったって、採用1人じゃまた断られるに決まってるよなあ…。」
どんどんどんどん気持ちが後ろ向きになってしまい、検索機の前でいつしかフリーズしてしまったのです。
最近、どうしてもこの後ろ向きでやる気のない、弱気な自分が前面に出しゃばってきて困っています。
求人誌を見ていても、条件はいいのにどうしても仕事の内容に自信が持てない、通うのに長く通勤電車に乗る自信がない、『20代~30代が活躍している明るい職場です!』というキャッチコピーには「…ってことはそれ以上の年齢はちょっと…ってことだよね」と思ってしまい尻込みしたり…。(事実そうだと思いますが。笑)
弱気な自分が眉をひそめて私にばんばん問いかけてきます。
『採用されるかなとか、応募してみようかなとか言う前に、あなた本当に働けるの?
もう大丈夫なの?前みたいにならないの?
人とちゃんと接することができるの?話せるの?
通勤電車に乗れるの?
あなた使い物になるの?ブランクあるし、もう前みたいに記憶が飛んだり覚えられなかったりとかしないの?
大丈夫なの?働けるの?
「真っ白病」は再発しないの?キーボードちゃんと打てるの?』
……。
私はトボトボとハロワを後にしました。
だるだるを押してハロワに来たのは良くなかったようです。
出口のところで生命保険の女の人の勧誘に捕まってしまい、いつもだったら早々に断るのですが、「この人もちゃんと仕事してる。頑張ってるんだなあ…」などと後ろめたい気持ちになってしまって、ちょっと話を聞いてから「ごめんなさい」と断りました。
歩道はもうだいぶ落ち葉で埋め尽くされていますが、街路樹がまだ鮮やかで綺麗です。
こんな美しい季節に、なんで私は悶々と真っ暗な気持ちを抱えて歩かなければならないのでしょうか。
いつか今日のことを懐かしく思い出すこともあるのでしょうか。
就活まだまだ長引きそうです…(*_*)
クッションにはさまってぬくぬくのもも。
なんか他の動物みたいだ(笑)

アルコールやめました
2015/11/17
妹が仕事ぶりをかわれて、日雇いからパートに昇格したらしく休みなしで頑張って働いてる。
子供もいて大変なのにえらいなあ。
それに比べて私は毎日だらだら。
昨日から少し下降気味……。薬飲んでも落ち着かない。
1年前のTwitterに綴ったこの焦燥感は今も続いています。
以前に比べて回復したので、その分焦燥感が増したかも。
うつと称してだらけてるんじゃないか、とか…。
結婚してからもずっとフルタイムで働き続けていたので(途中、何度か失業期間はありましたが)今のこの状態が不安で仕方がないのです。もちろん経済的な面での不安が一番なのですが、自分が仕事をしていないことに1年前も今も罪悪感みたいなものが拭えません。
お昼頃にコンビニの袋を下げ、談笑しながらビルに戻っていく女の人達の群れ、道端で立ち止まってスマホで取引先相手か誰かと話し込んでいるスーツ姿のサラリーマン、買い物をしていてもレジで手際よく応対している店員さんなんかを毎日眺めては、激しい自己嫌悪に陥るのです。
自分は毎日、何をやってるんだろう。
社会から隔離されたみたい。
ずっとこのままで、もうあの中には戻れないのだろうか。
短大を卒業して社会に出て以来、もう数十年も働き続けてきたのだから、一生のうちにこういう時間があってもいいんだ…、今は病気を治すことが大切なんだ…等と懸命に自分を宥めるのですが、この焦燥感はいつも自分の中から消えることはありません。
以前はこんなふうに心が波だった時、いつもお酒を飲んでいたなあ、と思い出します。
私はお酒が好きで、かなり強い方だったと思います。
まだまだ若い頃は、飲めば飲むほど酔わずに却って意識が冴え冴えしてくるようなところがありました。
まさに、「底なし」でした。
毎日のように友人や会社の同僚と飲みに行き、飲み会のない日は家で晩酌。
休肝日ってなにそれ?…という具合でした。
いいことがあって嬉しければ飲み、嫌なことがあって落ち込めば飲む。
(おかげで当然のことのようにγ-GTPの値は毎回、かなりの基準値以上でした。汗)
私はもう一生、お酒は止められないな、最後は肝臓悪くしちゃいそうだな…なんて漠然と思っていました。
初めて心療内科を受診した日、初対面の先生を前にして私は大泣きしました。
何をどうその時話したかもうよくは覚えていないのですが、「死にたい」「消えたい」と泣きながら繰り返す私に、先生が柔らかく「これだけは約束して。絶対に死んでは駄目。周りが悲しむよ。」と言ってくれたのは覚えています。
その時にこれからお付き合いの始まる抗うつ剤、抗不安薬の説明を聞いたのですが、まず最初に言われたことは、「お酒飲むなら飲まないで。お酒止められないなら薬は飲めないよ。」でした。
抗うつ剤などに限らず、たいていの薬はそうだと思いますが、飲酒しながらの服用は効き目が弱くなったり、また逆に効果が過剰になったりのリスクがあります。
それまで私は他の病気で、例えば抗生物質を貰った時も服用しながらお酒を飲んでいました。
友人が風邪薬を飲んでお酒を飲んでしまい、おかしくなって救急車で運ばれた話を聞いた時も、私は飲酒を止めないでいたのです。私は大丈夫と、全くなんの根拠もない自信がありました。
脳内のセロトニンがしらないうちにぐーんと少なくなっていておかしくなり始めた頃は、飲みたいから飲むと言うよりも、現実逃避でお酒を飲んでいた気がします。
不安を誤魔化し、夜眠れるようにするために飲んでいたようなもので(それでも眠れなかった)まさにアルコール依存だったのかもしれません。
飲酒が絶望感や不安感など心理的苦痛を増強してしまうそうで、うつにはアルコールはあまり良くないそうです。
うつ病になる人で、アルコール依存の人というのは結構いるようで、私の場合はこれも要因のひとつだったのかもしれないな…と今では思います。
毎回の会社の健康診断で「肝機能障害」と言われ続け、それでも毎日の飲酒を止めなかった私が、この先生の「お酒は駄目だよ」のひとことで、その日からすっぱり飲酒を止めました。
薬でもなんでも、あの日々地獄のような状態から抜け出したいことで頭がいっぱいだったのです。
後は、その頃ダンナが仕事でほとんど家にいなく、私ひとりだったので、もしひとりの時何かあったら怖い…という気持ちからでした。今思うと矛盾してるのですが、「死にたい」のに、「もしもひとりの時におかしくなったら…」「周りに迷惑をかけたら悪い」と、そんな状態でさえ冷静に心配までしていたのでした。
こうしてアルコール浸りの生活から抜け出して、もう1年半になります。
どうしても飲まなければいけない事情があるときは、服用の時間をずらせばいいそうなのですが、「どうしても飲まなければいけない事情」なんか、今の私の生活にはある訳ないです。
私はきっぱりとアルコールを断つことに決めました。(もともと一直線に生真面目な私です。笑)
この1年半の間、一滴もアルコールは摂取していません。
友人たちとたまに飲みに行っても、自分は全く飲みません。
以前は絶対無理だと思っていたのですが、全く平気になりました。
自分でもびっくりしています。
やがてγ-GTPの値がおもいっきり基準値内に!見たの初めてです(笑)
樹木希林さんが以前、「他人と比較しない。世間と比較しないこと。比較すると挫折しちゃうからね。」と言ってたのを聞いて、目からウロコでした。
わたしはわたしで行けばいい。判ってるんだけどな……。

子供もいて大変なのにえらいなあ。
それに比べて私は毎日だらだら。
昨日から少し下降気味……。薬飲んでも落ち着かない。
1年前のTwitterに綴ったこの焦燥感は今も続いています。
以前に比べて回復したので、その分焦燥感が増したかも。
うつと称してだらけてるんじゃないか、とか…。
結婚してからもずっとフルタイムで働き続けていたので(途中、何度か失業期間はありましたが)今のこの状態が不安で仕方がないのです。もちろん経済的な面での不安が一番なのですが、自分が仕事をしていないことに1年前も今も罪悪感みたいなものが拭えません。
お昼頃にコンビニの袋を下げ、談笑しながらビルに戻っていく女の人達の群れ、道端で立ち止まってスマホで取引先相手か誰かと話し込んでいるスーツ姿のサラリーマン、買い物をしていてもレジで手際よく応対している店員さんなんかを毎日眺めては、激しい自己嫌悪に陥るのです。
自分は毎日、何をやってるんだろう。
社会から隔離されたみたい。
ずっとこのままで、もうあの中には戻れないのだろうか。
短大を卒業して社会に出て以来、もう数十年も働き続けてきたのだから、一生のうちにこういう時間があってもいいんだ…、今は病気を治すことが大切なんだ…等と懸命に自分を宥めるのですが、この焦燥感はいつも自分の中から消えることはありません。
以前はこんなふうに心が波だった時、いつもお酒を飲んでいたなあ、と思い出します。
私はお酒が好きで、かなり強い方だったと思います。
まだまだ若い頃は、飲めば飲むほど酔わずに却って意識が冴え冴えしてくるようなところがありました。
まさに、「底なし」でした。
毎日のように友人や会社の同僚と飲みに行き、飲み会のない日は家で晩酌。
休肝日ってなにそれ?…という具合でした。
いいことがあって嬉しければ飲み、嫌なことがあって落ち込めば飲む。
(おかげで当然のことのようにγ-GTPの値は毎回、かなりの基準値以上でした。汗)
私はもう一生、お酒は止められないな、最後は肝臓悪くしちゃいそうだな…なんて漠然と思っていました。
初めて心療内科を受診した日、初対面の先生を前にして私は大泣きしました。
何をどうその時話したかもうよくは覚えていないのですが、「死にたい」「消えたい」と泣きながら繰り返す私に、先生が柔らかく「これだけは約束して。絶対に死んでは駄目。周りが悲しむよ。」と言ってくれたのは覚えています。
その時にこれからお付き合いの始まる抗うつ剤、抗不安薬の説明を聞いたのですが、まず最初に言われたことは、「お酒飲むなら飲まないで。お酒止められないなら薬は飲めないよ。」でした。
抗うつ剤などに限らず、たいていの薬はそうだと思いますが、飲酒しながらの服用は効き目が弱くなったり、また逆に効果が過剰になったりのリスクがあります。
それまで私は他の病気で、例えば抗生物質を貰った時も服用しながらお酒を飲んでいました。
友人が風邪薬を飲んでお酒を飲んでしまい、おかしくなって救急車で運ばれた話を聞いた時も、私は飲酒を止めないでいたのです。私は大丈夫と、全くなんの根拠もない自信がありました。
脳内のセロトニンがしらないうちにぐーんと少なくなっていておかしくなり始めた頃は、飲みたいから飲むと言うよりも、現実逃避でお酒を飲んでいた気がします。
不安を誤魔化し、夜眠れるようにするために飲んでいたようなもので(それでも眠れなかった)まさにアルコール依存だったのかもしれません。
飲酒が絶望感や不安感など心理的苦痛を増強してしまうそうで、うつにはアルコールはあまり良くないそうです。
うつ病になる人で、アルコール依存の人というのは結構いるようで、私の場合はこれも要因のひとつだったのかもしれないな…と今では思います。
毎回の会社の健康診断で「肝機能障害」と言われ続け、それでも毎日の飲酒を止めなかった私が、この先生の「お酒は駄目だよ」のひとことで、その日からすっぱり飲酒を止めました。
薬でもなんでも、あの日々地獄のような状態から抜け出したいことで頭がいっぱいだったのです。
後は、その頃ダンナが仕事でほとんど家にいなく、私ひとりだったので、もしひとりの時何かあったら怖い…という気持ちからでした。今思うと矛盾してるのですが、「死にたい」のに、「もしもひとりの時におかしくなったら…」「周りに迷惑をかけたら悪い」と、そんな状態でさえ冷静に心配までしていたのでした。
こうしてアルコール浸りの生活から抜け出して、もう1年半になります。
どうしても飲まなければいけない事情があるときは、服用の時間をずらせばいいそうなのですが、「どうしても飲まなければいけない事情」なんか、今の私の生活にはある訳ないです。
私はきっぱりとアルコールを断つことに決めました。(もともと一直線に生真面目な私です。笑)
この1年半の間、一滴もアルコールは摂取していません。
友人たちとたまに飲みに行っても、自分は全く飲みません。
以前は絶対無理だと思っていたのですが、全く平気になりました。
自分でもびっくりしています。
やがてγ-GTPの値がおもいっきり基準値内に!見たの初めてです(笑)
樹木希林さんが以前、「他人と比較しない。世間と比較しないこと。比較すると挫折しちゃうからね。」と言ってたのを聞いて、目からウロコでした。
わたしはわたしで行けばいい。判ってるんだけどな……。

ももとの闘い…「まあ、いいか」
2015/11/15
ここのところ、ずっともやもやした不安感が消えずにすっきりしないでいたのですが。
それを払拭するような悩み事が発生しました(いいのか悪いのか…)
ももが思春期(反抗期)に突入したようなのです。発情が始まったと言った方がいいのかもしれません。
うさぎにも思春期(反抗期)はあり、以前居た子は男の子だったのですが、男の子特有のスプレー(おしっこをまき散らしてマーキングする)も滅多にせず、手のかからないおとなしい子でした。
なので去勢もしないで8年生きたのですが、ももは女の子です。実家で飼っていた犬を子宮がんで亡くしていることもあって、特にうさぎの女の子は年を取ると子宮系の病気も多いし、いずれはももにも避妊手術を…と考えていますが、男の子と違って女の子の場合は開腹手術になるので未だ迷っています。
うさぎの女の子は初めてなので色々面食らっています。(そう言えば心療内科の先生に『初めて飼う動物は色々心配事が増えるから、うつには却って良くない』…みたいなことを言われた気がするんだけど…これも『初めて』に入るのかなあ)
元々ももは、なかなか売れずにショップに長い期間居た子なので、店員さんにもべったり懐き、人間大好きな人懐こい子です。ケージから出ると喜んで走り回り、私やダンナの傍にべったりくっついて、おとなしくなでて貰うのをおねだりしたり、私の手のひらをなめたりしていました。
その様子を眺めながら、私は不安でたまらない時や、落ち込んでしまってどうにも上がれない時に癒して貰ったりしていたのです。
──ところが!
ある日突然、急にももの気性が荒くなりました。
始まりは”トイレの破壊”でした。
何か物凄い音がしてるなあ…と思い、PCを離れて見に行くと。
ケージの中のトイレが滅茶苦茶になっていました。
上に乗っている、ももの足場でもある蓋の部分をぐいぐいと持ち上げてどかし、その下にいっぱいつまった自分のうんちや、おしっこで膨らんだ木の砂をケージ中にばらまいて必死にほりほり掘っています。
掃除機をかけたばかりの(泣)リビングも、ももに飛ばされた砂だらけ。ケージの中もすごいことになっていました。
…私はその場にへたりこみそうになりました。
ちゃんとトイレの蓋閉めてなかったのかな…と気を取り直し、嫌がるももを押しのけつつケージの中を片付けて、トイレには新しい砂を補充してその場を離れました。
……これが数回、続いたでしょうか。
おまけに空っぽになったトイレの中でおしっこするので、ケージの中はますます凄いことに!
ケージから出して遊ばせれば、今までは興味津々であちこち探索したりしていたのですが、もう一目散にリビングのソファに飛び乗ってほりほり始めます。制しようとすると噛まれます。痛い!
リビングに設置してある外のトイレでまず、うんちやおしっこをちゃんとしてから遊び始めていたんですが、もうそれもしなくなりました。
ひたすら、ほりほり、ガジガジ…。
ソファがボロボロになる日も近いと思われます。
動物を飼っている以上、こうしたことは覚悟しています。
彼らも私たち人間と同じで、こちらが思うようには動いてくれません。発情するのも自然の摂理です。
けれどもその時は自分の調子が悪いのもあって、ももを思いっきり「ばかっ!」と怒鳴りつけてしまいました。
「ああそう!もうじゃあやればいいじゃない、やれば!!好きにすればいいよ!!!
ばか!!」(笑)
怒鳴り散らしてふと気付いたのですが、「何かに対して感情を爆発させて怒る」のは、本当に久しぶりです。
うつになる前は、(もうその頃すでになっていたのかもしれないけれど)激しい落ち込みとともに、いつも何かに対する怒りの感情で頭の中がいっぱいでした。
思うようにならない、怒っても仕方のない些細なことにいつもいつも翻弄されて、めまいがする程のイライラ、怒りの感情に支配されていたのです。
時には相手に激しい言葉をぶつけたりもしていました。(思えば一番の被害者はダンナでした…)
薬のせいもあるのでしょうが、治療を始めてから「激しい怒り」の感情が自分の中にあまり湧かなくなっているように思います。いい意味で言えば「丸くなった」とでも言えるのでしょうか。
就活や、その他日々の生活の中で「イラッ」とする事柄があっても、しばらくするとその怒りが「まあ、いいか」に変わるようになりました。
この「まあ、いいか」という自分の中で折り合いをつける感情が、以前はどうしても出てこなかったのです。
そのために怒りは日々自分の中に蓄積され、ついに爆発していたように思います。
うつだと診断されて治療を始めてからもうすぐ1年半。
自分では気づかないところで、少しずつ少しずつ、変わっていっているのかもしれません。
…とは言え、ももとの戦いはまだまだ続きそうです。
考えた末にトイレの蓋を強力クリップで止める攻撃に出てみた。
今のところ、効いてるけど…どうかな。

ちゃんといい子におしっこする時もあったんですけどねー((+_+))

それを払拭するような悩み事が発生しました(いいのか悪いのか…)
ももが思春期(反抗期)に突入したようなのです。発情が始まったと言った方がいいのかもしれません。
うさぎにも思春期(反抗期)はあり、以前居た子は男の子だったのですが、男の子特有のスプレー(おしっこをまき散らしてマーキングする)も滅多にせず、手のかからないおとなしい子でした。
なので去勢もしないで8年生きたのですが、ももは女の子です。実家で飼っていた犬を子宮がんで亡くしていることもあって、特にうさぎの女の子は年を取ると子宮系の病気も多いし、いずれはももにも避妊手術を…と考えていますが、男の子と違って女の子の場合は開腹手術になるので未だ迷っています。
うさぎの女の子は初めてなので色々面食らっています。(そう言えば心療内科の先生に『初めて飼う動物は色々心配事が増えるから、うつには却って良くない』…みたいなことを言われた気がするんだけど…これも『初めて』に入るのかなあ)
元々ももは、なかなか売れずにショップに長い期間居た子なので、店員さんにもべったり懐き、人間大好きな人懐こい子です。ケージから出ると喜んで走り回り、私やダンナの傍にべったりくっついて、おとなしくなでて貰うのをおねだりしたり、私の手のひらをなめたりしていました。
その様子を眺めながら、私は不安でたまらない時や、落ち込んでしまってどうにも上がれない時に癒して貰ったりしていたのです。
──ところが!
ある日突然、急にももの気性が荒くなりました。
始まりは”トイレの破壊”でした。
何か物凄い音がしてるなあ…と思い、PCを離れて見に行くと。
ケージの中のトイレが滅茶苦茶になっていました。
上に乗っている、ももの足場でもある蓋の部分をぐいぐいと持ち上げてどかし、その下にいっぱいつまった自分のうんちや、おしっこで膨らんだ木の砂をケージ中にばらまいて必死にほりほり掘っています。
掃除機をかけたばかりの(泣)リビングも、ももに飛ばされた砂だらけ。ケージの中もすごいことになっていました。
…私はその場にへたりこみそうになりました。
ちゃんとトイレの蓋閉めてなかったのかな…と気を取り直し、嫌がるももを押しのけつつケージの中を片付けて、トイレには新しい砂を補充してその場を離れました。
……これが数回、続いたでしょうか。
おまけに空っぽになったトイレの中でおしっこするので、ケージの中はますます凄いことに!
ケージから出して遊ばせれば、今までは興味津々であちこち探索したりしていたのですが、もう一目散にリビングのソファに飛び乗ってほりほり始めます。制しようとすると噛まれます。痛い!
リビングに設置してある外のトイレでまず、うんちやおしっこをちゃんとしてから遊び始めていたんですが、もうそれもしなくなりました。
ひたすら、ほりほり、ガジガジ…。
ソファがボロボロになる日も近いと思われます。
動物を飼っている以上、こうしたことは覚悟しています。
彼らも私たち人間と同じで、こちらが思うようには動いてくれません。発情するのも自然の摂理です。
けれどもその時は自分の調子が悪いのもあって、ももを思いっきり「ばかっ!」と怒鳴りつけてしまいました。
「ああそう!もうじゃあやればいいじゃない、やれば!!好きにすればいいよ!!!
ばか!!」(笑)
怒鳴り散らしてふと気付いたのですが、「何かに対して感情を爆発させて怒る」のは、本当に久しぶりです。
うつになる前は、(もうその頃すでになっていたのかもしれないけれど)激しい落ち込みとともに、いつも何かに対する怒りの感情で頭の中がいっぱいでした。
思うようにならない、怒っても仕方のない些細なことにいつもいつも翻弄されて、めまいがする程のイライラ、怒りの感情に支配されていたのです。
時には相手に激しい言葉をぶつけたりもしていました。(思えば一番の被害者はダンナでした…)
薬のせいもあるのでしょうが、治療を始めてから「激しい怒り」の感情が自分の中にあまり湧かなくなっているように思います。いい意味で言えば「丸くなった」とでも言えるのでしょうか。
就活や、その他日々の生活の中で「イラッ」とする事柄があっても、しばらくするとその怒りが「まあ、いいか」に変わるようになりました。
この「まあ、いいか」という自分の中で折り合いをつける感情が、以前はどうしても出てこなかったのです。
そのために怒りは日々自分の中に蓄積され、ついに爆発していたように思います。
うつだと診断されて治療を始めてからもうすぐ1年半。
自分では気づかないところで、少しずつ少しずつ、変わっていっているのかもしれません。
…とは言え、ももとの戦いはまだまだ続きそうです。
考えた末にトイレの蓋を強力クリップで止める攻撃に出てみた。
今のところ、効いてるけど…どうかな。

ちゃんといい子におしっこする時もあったんですけどねー((+_+))

「大丈夫」という言葉
2015/11/11
はじめに、ご挨拶を。
初めまして。みちると申します。
このブログは、うつになってからの自分の心理状態を記録しておくためだけに始めました。
なので、今まではプライベートモードにして、ほんの限られた友人にだけ公開をしていました。
上がったり下がったり浮き沈みが激しい内容で、たまにインコの”ちい”や、うさぎの”もも”のことも書いていきます。
更新もまめではないと思いますが、どうぞよろしくお願い致しますm(__)m
今日は2週間ぶりに心療内科の日でした。
けれども、朝から調子が良くありません。
朝起きた時から得体の知れない不安感が体中を覆っていて、どうも気分がすっきりしないのです。
上手く言えないのですが、これがこういうふうに不安だ、という明確なものはないのです。
ものに集中することが出来ず、ただ意味もなく落ち着かなく部屋中をうろうろと歩いてみたり。
そんな訳で、外出するのも億劫でしたが仕方がないので思い切ってドアを出ました。
平日なのでそう混んでいる訳でもない街の中をようやっと歩いている感じです。
その間も胸の奥のざわざわとした不安感が消えません。
心療内科に行くついでに、寒くなってきたのでもものヒーターをペットショップで見て、それからニトリで暖かい毛布でも見て…等々と立てていた予定を全部キャンセルして、薬局でもらった薬の束を手にするとまっすぐに帰途につきました。
これからの自分のこと、生活のこと、就活のこと…等々不安要素は沢山あります。
それらが全て攪拌されて、元の形が判らないひとつの厚い雲のようになって私を覆っているみたいな…。
そんなとても不快な感覚です。
近々、友人と会う約束があるのですが、この調子では土日に街に出るのは苦しいかもしれません。
けれども滅多なことでは約束を反故に出来ない自分です。それまでに浮上してくれるといいのですが。
調子が悪くても、以前ほどではないので、ネガティブな自分を閉じ込めて人と会うことはできるようになりました。(本当に気のおけない友人たちとに限りますが)
うつが酷くてどん底にいた頃は、メールやLINEにさえ返答できなかったのです。
調子の悪いときに「大丈夫?」と訊かれるのが本当に苦痛でした。
「大丈夫?」と訊かれると「大丈夫」と答える以外、できないからです。
自分が大丈夫かそうでないかなんて、自分でも判らなくなっているのです。
焦り、不安、絶望感、虚無感…そういったものでぐちゃぐちゃになっている自分の脳の中を整理して、その時の心境を言葉に変換して伝える…なんてことは到底無理です。
これをそのままぶちまけたら、ぶちまけられた相手はどう思うのか、却って心配させるのではないか…ひかれてしまうのではないか…そうまで思ってしまい、いつも返答に詰まります。
相手は心配して訊いてくれているのですから、申し訳ない気持ちでいっぱいになるのですが、そう訊かれるのが嫌で、友人たちと疎遠になっていた頃もありました。
うつのことを打ち明けた友人たちの中には、心配して時々色々訊いてきてくれる人たちもいます。
けれどもそれに詳細に答えることは到底無理で、話せるようになったら話すから、今はごめんね、放置しておいて…という気持ちになってしまうのです。
けれどもこれは、自分がうつ病になったから判ったことで、自分がもしうつになっていなくて、周りにうつになった友人がいたら、私はどうしただろう…そんなふうに考えるようになりました。
相手の状況を理解して、接してあげることが果たして自分に出来るだろうか。
無神経な言葉を投げかけたりしないか。適度に距離を保って長期間見守ってあげられるか。
…この「うつ病」という状態がどんなものか知らなければ、難しいかもしれないなあ。
うつになってから、今までは考えなかったようなことも、色々気にするようになりました。
うつにならなければ知らなかったこともたくさんあります。
ひょっとしたら今のこの状態は私には必要な時間なのかもしれない…最近なんとなく、そう思います。

お出かけのためにリード着用訓練中のもも。
キャリーバックの中に飛び出し防止のためにリードを止めるところがあるのです。
ほんとはこんなの着せたくないんだけど、ももはやんちゃすぎて危険なんで…。
ごめんよ、もも。
初めまして。みちると申します。
このブログは、うつになってからの自分の心理状態を記録しておくためだけに始めました。
なので、今まではプライベートモードにして、ほんの限られた友人にだけ公開をしていました。
上がったり下がったり浮き沈みが激しい内容で、たまにインコの”ちい”や、うさぎの”もも”のことも書いていきます。
更新もまめではないと思いますが、どうぞよろしくお願い致しますm(__)m
今日は2週間ぶりに心療内科の日でした。
けれども、朝から調子が良くありません。
朝起きた時から得体の知れない不安感が体中を覆っていて、どうも気分がすっきりしないのです。
上手く言えないのですが、これがこういうふうに不安だ、という明確なものはないのです。
ものに集中することが出来ず、ただ意味もなく落ち着かなく部屋中をうろうろと歩いてみたり。
そんな訳で、外出するのも億劫でしたが仕方がないので思い切ってドアを出ました。
平日なのでそう混んでいる訳でもない街の中をようやっと歩いている感じです。
その間も胸の奥のざわざわとした不安感が消えません。
心療内科に行くついでに、寒くなってきたのでもものヒーターをペットショップで見て、それからニトリで暖かい毛布でも見て…等々と立てていた予定を全部キャンセルして、薬局でもらった薬の束を手にするとまっすぐに帰途につきました。
これからの自分のこと、生活のこと、就活のこと…等々不安要素は沢山あります。
それらが全て攪拌されて、元の形が判らないひとつの厚い雲のようになって私を覆っているみたいな…。
そんなとても不快な感覚です。
近々、友人と会う約束があるのですが、この調子では土日に街に出るのは苦しいかもしれません。
けれども滅多なことでは約束を反故に出来ない自分です。それまでに浮上してくれるといいのですが。
調子が悪くても、以前ほどではないので、ネガティブな自分を閉じ込めて人と会うことはできるようになりました。(本当に気のおけない友人たちとに限りますが)
うつが酷くてどん底にいた頃は、メールやLINEにさえ返答できなかったのです。
調子の悪いときに「大丈夫?」と訊かれるのが本当に苦痛でした。
「大丈夫?」と訊かれると「大丈夫」と答える以外、できないからです。
自分が大丈夫かそうでないかなんて、自分でも判らなくなっているのです。
焦り、不安、絶望感、虚無感…そういったものでぐちゃぐちゃになっている自分の脳の中を整理して、その時の心境を言葉に変換して伝える…なんてことは到底無理です。
これをそのままぶちまけたら、ぶちまけられた相手はどう思うのか、却って心配させるのではないか…ひかれてしまうのではないか…そうまで思ってしまい、いつも返答に詰まります。
相手は心配して訊いてくれているのですから、申し訳ない気持ちでいっぱいになるのですが、そう訊かれるのが嫌で、友人たちと疎遠になっていた頃もありました。
うつのことを打ち明けた友人たちの中には、心配して時々色々訊いてきてくれる人たちもいます。
けれどもそれに詳細に答えることは到底無理で、話せるようになったら話すから、今はごめんね、放置しておいて…という気持ちになってしまうのです。
けれどもこれは、自分がうつ病になったから判ったことで、自分がもしうつになっていなくて、周りにうつになった友人がいたら、私はどうしただろう…そんなふうに考えるようになりました。
相手の状況を理解して、接してあげることが果たして自分に出来るだろうか。
無神経な言葉を投げかけたりしないか。適度に距離を保って長期間見守ってあげられるか。
…この「うつ病」という状態がどんなものか知らなければ、難しいかもしれないなあ。
うつになってから、今までは考えなかったようなことも、色々気にするようになりました。
うつにならなければ知らなかったこともたくさんあります。
ひょっとしたら今のこの状態は私には必要な時間なのかもしれない…最近なんとなく、そう思います。

お出かけのためにリード着用訓練中のもも。
キャリーバックの中に飛び出し防止のためにリードを止めるところがあるのです。
ほんとはこんなの着せたくないんだけど、ももはやんちゃすぎて危険なんで…。
ごめんよ、もも。
負のループ
2015/11/06
ここのところ、調子がいい日と悪い日が交互に短いスパンでやってくるので疲れています。
気候のせいもあるのでしょうか。
先日のひどい「だるだる病」状態が去ってからはずっと上がり調子でいたのですが、やっぱりそううまくはいきません。以前に比べたら格段に良くはなっているのですが、小さな落ち込みの波がまだやってきます。
調子のいい日は朝起きた時から身体がスムーズに動き、次々にいろんなことをこなすことが出来るのですが、調子の悪い日は身体が言うことをききません。色んなことを考えては落ち込み、何も手につかなくなってしまいます。様々なことが不意に不安になるのです。
就活もここのところ考えるところがあって、いまひとつ集中できません。
最後に応募したところがこれまた酷いところで、9月末にハロワを通して応募したのですが、面接の日取りを連絡すると言ったきり、なしのつぶて。
こちらから窓口になっている本社に問い合わせると、すぐ支店へ連絡するとのことで待っていたのですが、それでも連絡がありません。このままでは仕方がないのでハロワに相談すると、その場で担当の人が確認の電話をしてくれたのですが、やっと先方から連絡が来たのはそれからまた数日後。運悪く私がその日は夜(かかってきたのが7時近くです)外出していて帰りが遅かったので、留守電に「また連絡します」と入っていました。携帯電話からのようでした。
それがもう半月ほど前で、今に至ります。ハロワで調べたら、もう募集も締め切られていました。
名前と年齢を最初にハロワから先方に伝えるので、その時点でもう私は対象外だったのかもしれません。
本社の人が言うには、「月末月初は大変忙しいので、時間が取れないのかもしれません」とのこと。
全く…募集しておいて連絡一本もする余裕もないのなら、募集するなと言いたいです。
年齢で対象外なら、そう言ってくれれば(はっきりとは言えないでしょうが)それでいいのです。
何だかハロワから紹介状までもらっておきながらこの結末。…すっきりしません。
そんなこんなでここのところ、就活にも身が入らない毎日です。
仕事をしていないことに酷く罪悪感を感じ、この先どうなるんだろう、自分に出来る仕事はあるのか、自分はもう働けないのか…に始まる様々な負のループにはまって動けなくなっています。
漠然とした不安感で何にも集中できず、じっとしていられなくなります。
調子の悪い日は、聴覚過敏も酷くなります。
こういう時はなるべく外出したくないのですが、例によって「歩かなければいけない」(毎日のウォーキングさえ、もうルールに組み込まれています。こういうのがいけないんだと自分でも判ってるのですが…)ので、買い物がてら外出するのですが、さすがに耳栓をして出ていくのは危ないので裸耳(らみみ。耳栓してない状態をこう呼んでいます。笑)で行きます。
人の大きな喋り声、車のクラクション、子供の叫び声…様々な音が洪水のように襲ってきて、イライラくらくらしてきますが、前ほど動悸はしなくなりました。
ただただ無心で歩きます。
そして家に帰ると真っ先に耳栓をします。
それでいて観ていないふたつのテレビは音を大きめに、そして換気扇はつけっぱなしという状態です。
いくら耳栓をしていても、例えば外で業者が荷物を降ろすのに荷台を開ける、ガッシャンという音、階上からのガタン、という音等々は聞こえてしまうので、そのたびにびくびくしています。
音の何がそんなに怖いのか、自分でもはっきり判らないのです。
あまりに酷く不安になるときはデパスの力を借りてしまいます。
こんな風に一日中神経が尖っているので、へとへとになってしまう訳です。
こんな状態が一生続くのでしょうか。最近不安でたまりません。
朝にケージの掃除をしていると、嬉しくてでんぐり返ししたり、私の膝の上で熱心に羽繕いをしているちい。
遊んでほしくてケージの中でたっちしていたり、私にぴったりくっついて座り込むもも。
この子たちはただ、「生きること」に一生懸命なんだなあ…。
彼らをぼんやり眺めながら、そんなことを思う今日この頃です。
私の使っているモルデックス社の耳栓“スパークプラグ“
カーレースにも使用されている耳栓だそうで、色々試した結果これに落ち着きました。
ネットでまとめ買いしています。
ぼそぼそ喋るダンナの声がたまに聞き取れない(笑)

気候のせいもあるのでしょうか。
先日のひどい「だるだる病」状態が去ってからはずっと上がり調子でいたのですが、やっぱりそううまくはいきません。以前に比べたら格段に良くはなっているのですが、小さな落ち込みの波がまだやってきます。
調子のいい日は朝起きた時から身体がスムーズに動き、次々にいろんなことをこなすことが出来るのですが、調子の悪い日は身体が言うことをききません。色んなことを考えては落ち込み、何も手につかなくなってしまいます。様々なことが不意に不安になるのです。
就活もここのところ考えるところがあって、いまひとつ集中できません。
最後に応募したところがこれまた酷いところで、9月末にハロワを通して応募したのですが、面接の日取りを連絡すると言ったきり、なしのつぶて。
こちらから窓口になっている本社に問い合わせると、すぐ支店へ連絡するとのことで待っていたのですが、それでも連絡がありません。このままでは仕方がないのでハロワに相談すると、その場で担当の人が確認の電話をしてくれたのですが、やっと先方から連絡が来たのはそれからまた数日後。運悪く私がその日は夜(かかってきたのが7時近くです)外出していて帰りが遅かったので、留守電に「また連絡します」と入っていました。携帯電話からのようでした。
それがもう半月ほど前で、今に至ります。ハロワで調べたら、もう募集も締め切られていました。
名前と年齢を最初にハロワから先方に伝えるので、その時点でもう私は対象外だったのかもしれません。
本社の人が言うには、「月末月初は大変忙しいので、時間が取れないのかもしれません」とのこと。
全く…募集しておいて連絡一本もする余裕もないのなら、募集するなと言いたいです。
年齢で対象外なら、そう言ってくれれば(はっきりとは言えないでしょうが)それでいいのです。
何だかハロワから紹介状までもらっておきながらこの結末。…すっきりしません。
そんなこんなでここのところ、就活にも身が入らない毎日です。
仕事をしていないことに酷く罪悪感を感じ、この先どうなるんだろう、自分に出来る仕事はあるのか、自分はもう働けないのか…に始まる様々な負のループにはまって動けなくなっています。
漠然とした不安感で何にも集中できず、じっとしていられなくなります。
調子の悪い日は、聴覚過敏も酷くなります。
こういう時はなるべく外出したくないのですが、例によって「歩かなければいけない」(毎日のウォーキングさえ、もうルールに組み込まれています。こういうのがいけないんだと自分でも判ってるのですが…)ので、買い物がてら外出するのですが、さすがに耳栓をして出ていくのは危ないので裸耳(らみみ。耳栓してない状態をこう呼んでいます。笑)で行きます。
人の大きな喋り声、車のクラクション、子供の叫び声…様々な音が洪水のように襲ってきて、イライラくらくらしてきますが、前ほど動悸はしなくなりました。
ただただ無心で歩きます。
そして家に帰ると真っ先に耳栓をします。
それでいて観ていないふたつのテレビは音を大きめに、そして換気扇はつけっぱなしという状態です。
いくら耳栓をしていても、例えば外で業者が荷物を降ろすのに荷台を開ける、ガッシャンという音、階上からのガタン、という音等々は聞こえてしまうので、そのたびにびくびくしています。
音の何がそんなに怖いのか、自分でもはっきり判らないのです。
あまりに酷く不安になるときはデパスの力を借りてしまいます。
こんな風に一日中神経が尖っているので、へとへとになってしまう訳です。
こんな状態が一生続くのでしょうか。最近不安でたまりません。
朝にケージの掃除をしていると、嬉しくてでんぐり返ししたり、私の膝の上で熱心に羽繕いをしているちい。
遊んでほしくてケージの中でたっちしていたり、私にぴったりくっついて座り込むもも。
この子たちはただ、「生きること」に一生懸命なんだなあ…。
彼らをぼんやり眺めながら、そんなことを思う今日この頃です。
私の使っているモルデックス社の耳栓“スパークプラグ“
カーレースにも使用されている耳栓だそうで、色々試した結果これに落ち着きました。
ネットでまとめ買いしています。
ぼそぼそ喋るダンナの声がたまに聞き取れない(笑)

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