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ちいとももとわたし

2015/10/08
ちいが家に来てもう1年経ちました。
前にもブログに書きましたが、心療内科の先生に「飼ったことのある動物ならいいんじゃない?」と言われてお迎えしたのですが、私はちいが家に来てから、ぐーんと回復したように感じます。
諸説あるようですが、アニマルセラピーの観点から言うと、動物と触れ合うことで、
 
副交感神経が活発になり、精神状態が安定する
ドーパミンの分泌量が増えて「楽しい」と感じられるようになる

等々の効果があるようです。
うつ病は脳内の伝達物質のセロトニンや、ドーパミンが不足して起きる病気なので、私はちいにだいぶドーパミンを出してもらった気がします。
それまで家に一日中籠っていて、テレビも読書も何もする気が起きず、ただただネガティブな思考に囚われて時間を過ごしていました。
その頃はダンナも仕事が忙しく、朝早くから深夜までいない生活だったので、一日中、ひとり。
誰とも口を利かない日なんてザラにありました。
ちいが来てから、ちいに話しかけたり、ちいが言葉を話せるようになってからは、会話になってない会話(笑)をしてみたり、生活の中にも自分の脳内でも、ちいが占める部分がだんだん大きくなってきました。
そうすると、ネガティブ思考に陥る時間がおのずと少なくなってきます。
アニマルセラピーはあまり重度のうつ病だと、世話ができなかったりなどの支障があるために向かないようで、ペットを飼うことに難色を示す心療内科の先生も少なくないようですが、私には効果があったように思います。

そして今度はうさぎのももをお迎えしました。
実を言うと最初の頃は慣れないももを前に、どうしても前に飼っていた子とあれこれ比べてしまい、自分でも訳のわからない葛藤が私の中にありました。名前を呼び間違えてしまったり…。
人懐こいももは、今では甘えて人の傍を離れません。ダンナには抱っこまでさせるようになりましたが、最初のうちは、ももには何だか本当に悪いことをしました。

動物は、そうでないようなふり(?)をして、人の気持ちを敏感に感じ取ります。
話してる言葉は判らなくても、それに含まれる微妙なニュアンスを察知できる気がするのです。
だから、ちいやももの前では決して彼らの存在を否定するような言葉は口にしないようにしています。
いつも人のエゴに振り回されるのは彼ら飼われた動物たちです。
せめて自分のところに来た子には、嫌な思いをさせないで過ごさせてあげれば…と思うのですが…。

朝、起きて部屋の電気を点けると、ちいの大声で呼ぶ声、空腹のもものケージに体当たりする音に包まれて一日が始まるようになりました。
以前の私はすっきりと覚醒が来なくて午前中ぼんやりしていましたが、今ではダンナのお弁当を作り(これは以前から半ば意地になって続けている。自分の唯一の仕事のようで…)、ちいのケージを掃除し、もものケージを掃除し、ダンナを送り出してから部屋の掃除をして朝食…というとても規則正しい生活になりました。
アレルギーは今のところ薬で抑えていますが、もちろん覚悟の上ですが、もっと酷くなるかもしれません。
けれども、彼らのおかげで今は就活がなかなかうまくいかなくても、時々落ち込みの谷に滑り込みそうになっても、引っ張り上げてもらっています。デパスも頓服で飲む機会が少なくなりつつあります。
彼らはうつの方の特効薬には間違いなくなってくれている気がするのです。

けれども大事なひとつのことを覚悟していなければなりません。
それは「彼らはいつかは死んで目の前からいなくなる」ということ。

つい最近、妹が(妹も軽度のうつ病を抱えています)インコと、長年可愛がっていた愛犬を続けて亡くし、うつが悪化しそうで危ない時期がありました。
妹は仕事に集中することでうまく乗り越えられたようですが、確かにペットの死でうつの状態がまた悪くなってしまうケースもあるそうです。
私もその時、上手く乗り越えられるかは今のところ判りません。
またペットロスになってしまうかもしれません。
けれども、その事実をいつも頭の片隅に静かに置いておくようにして、今は彼らにできるだけの愛情を注ぎたいと思っている毎日です。


もうすっかり秋の空…。
夕方ベランダに出てオールフリーを飲みながら、ぼんやり空を眺めるのが日課です。

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22:42 日々あれこれ
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