言葉の暴力
2016/04/25
4月25日(月) 晴れのちくもり
修理に出していたモバイルノートPCが、修理が終わって戻ってきたと連絡があった。
今度こそ正真正銘の「初期不良」で、代金がかからずに済んだので有難い。
消耗品のバッテリー部分だったのに幸運だ。
明日、迎えに行ってやらねば…。
今日はダンナの給料日なので銀行巡りをするために街へ出かけた。
最寄りの駅に着くと、運悪く電車が行ってしまったところ。だが駅前にバスが来ていたので、少し躊躇したのだが思い切って乗り込む。乗り込んだ途端に激しく後悔した。
…満員だ。
バスは電車と違って狭いので(特に巡回バスなので造りが小さい)他人との距離が近い。
そのことが私を酷いストレスに晒す。
大声で会社の不満を言い合っているママ二人組(幸運なことに子供は乗っていなかった)の会話が否応なしにキンキンと耳に飛び込み、耳栓をして来なかったのをこれまた激しく後悔する。
主治医に「外では危ないので出来るだけ耳栓は外して慣らすように」と言われているので、少しずつ実行してみているのだ。
息苦しくなって来たので、我慢できずに途中のバス停で降りてしまった。
街まではまだ大分あるが、運動だと思ってウォーキングすることにした。
携帯している水を入れたペットボトルでデパスを流し込んでから、歩き始めた。
大通りに沿った歩道を、ごく普通に歩いていた。
と、前方から自転車に乗った作業服のおじさんが向かってきた。
私とぶつかりそうになり、何なの、このおじさん…と避けたところ、すれ違いざまに罵声を浴びせかけられた。
「──どけってんだよ、バカ。」
一瞬、何を言われたのか判らず、きょとんとしてしまったが、次の瞬間どーんと落ち込んでしまった。
ちなみに、車道は左側にあり、私は歩道を建物側(歩道の右側)を歩いていたのだ。
おじさんも同じように向こうから建物側をふらふらと走ってきた。
…え?私が悪かったの?歩道は歩行者優先じゃないの?
酷く悲しくなってしまい、すぐに帰りたくなって用事を済ませてさっさと帰途に着いた。
帰宅してから悶々と考えたが、そもそも自転車は車道を走らなければならないし、歩道を走るなら、車道側(つまりはこの場合はおじさんにとって右側)を走らなければいけない筈だ。
私に非なんてないじゃないか、これぽっちも。
そう思うと怒りと共に泣きたくなってきた。
おじさんは何かでイライラしていたのかもしれない。
でもそれは私には無関係だし、まるで自分が正しいかのように暴言を吐いて去って行ったのだ。
私は街なかで、こういう他人の何気ない暴言に傷つけられることが多々ある。
皆、多かれ少なかれそういうことがあるだろうが、私はそれをスルー出来ない。
「何あれ。バカみたい」で済ませればいいのだが、それがどうしても出来ないのだ。
いつまでも、言葉で傷つけられた箇所をいじいじとほじくっては痛みを感じ続けてしまう。
世の中これだけ人間が溢れていれば、様々な「接触事故」を起こすことも少なくないだろうが、相手はいつも、不意に信じられない言葉の刃を向けてくる。
今までで一番忘れられないのが、とある駅で電車を降り、昇りエスカレーターに乗っていた時のことだ。
初めは気付かなかったのだが、何やら後ろからブツブツと声がする。
声の調子から、若い男の人のようだった。
誰かと話している様でもなく、気持ち悪いなあと思った瞬間、彼の次の言葉に固まった。
「頭の後ろが薄くなってんだ。だっせぇー。女のくせに。」
そう聞き取れた瞬間、私は身体が硬直してしまった。
背中に一斉にべっとりと冷たい汗が噴き出すのを感じた。
私は髪の毛のつむじが後頭部の目立つところにあり、ぐるぐると渦を巻いている。
それがとても目立つので、子供の頃から自分でも気にしていたのである。
──後ろの男の人は、私に言ってるんだ!
そう気づいた途端、ショックで身体が震えだし、涙が出そうになるのを必死に堪えた。
どうしてこんなことを言われなくてはならないのだろう。
咄嗟に考えたのは「私が何か気に障るようなことを彼にしたのか?」ということだ。
けれども、心当たりがまるで無い。
なんとなく覚えているのは、自分と同じドアから降りて、すぐ傍にあったエスカレーターに乗って来た人ではないような気がするということだ。
私は降車側とは反対側のドアのところに立っていて、慌てて向きを変えて降りたので、多分降りたのも最後。乗っていたのもたったの二駅だ。
エスカレーターで順番を割り込んだ覚えもない。
振り向く勇気がとてもないまま、呆然とエスカレーターを降り、私はその場に崩れ折れそうになった。
なんで見ず知らずの人に、そんなことを言われなければならないのだろう。
理不尽さに涙が出た。
私に何か、人をイライラさせる要素でもあるのだろうかと、それから一時は酷く落ち込み、外出する時はいつもイヤホンで音楽を聴いていた。
他人の言葉で傷つけられないためだ。
現在の「聴覚過敏」の芽が、この頃からもう既にある。
イヤホンが耳栓に変わっただけ。
私は「音」と同時に、何時ぶつけられるかも知れぬこうした「他人の暴言」をも恐れている。
以前に私は、「言葉は人を殺す」という記事を書いたが、本当に「言葉」ほど証拠が残らず、完全犯罪で相手を殺せる凶器は無い。
心無い言葉を、ただ自分の自己満足のために、或いは気まぐれに他人にぶつけた人間は、その相手がどれほど傷つくか想像してみたことがあるだろうか。
どれほど心の中で血を流すか、大きなカサブタを作るか、考えてみたことがあるだろうか。
何だかこういうことがあると、本当に落ち込む。
世の中の人みんな、自分も含めて「セトモノ」ばかりのような気がしてしまう今日この頃だ。
甘いものでも食べて、元気を出そう…。

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修理に出していたモバイルノートPCが、修理が終わって戻ってきたと連絡があった。
今度こそ正真正銘の「初期不良」で、代金がかからずに済んだので有難い。
消耗品のバッテリー部分だったのに幸運だ。
明日、迎えに行ってやらねば…。
今日はダンナの給料日なので銀行巡りをするために街へ出かけた。
最寄りの駅に着くと、運悪く電車が行ってしまったところ。だが駅前にバスが来ていたので、少し躊躇したのだが思い切って乗り込む。乗り込んだ途端に激しく後悔した。
…満員だ。
バスは電車と違って狭いので(特に巡回バスなので造りが小さい)他人との距離が近い。
そのことが私を酷いストレスに晒す。
大声で会社の不満を言い合っているママ二人組(幸運なことに子供は乗っていなかった)の会話が否応なしにキンキンと耳に飛び込み、耳栓をして来なかったのをこれまた激しく後悔する。
主治医に「外では危ないので出来るだけ耳栓は外して慣らすように」と言われているので、少しずつ実行してみているのだ。
息苦しくなって来たので、我慢できずに途中のバス停で降りてしまった。
街まではまだ大分あるが、運動だと思ってウォーキングすることにした。
携帯している水を入れたペットボトルでデパスを流し込んでから、歩き始めた。
大通りに沿った歩道を、ごく普通に歩いていた。
と、前方から自転車に乗った作業服のおじさんが向かってきた。
私とぶつかりそうになり、何なの、このおじさん…と避けたところ、すれ違いざまに罵声を浴びせかけられた。
「──どけってんだよ、バカ。」
一瞬、何を言われたのか判らず、きょとんとしてしまったが、次の瞬間どーんと落ち込んでしまった。
ちなみに、車道は左側にあり、私は歩道を建物側(歩道の右側)を歩いていたのだ。
おじさんも同じように向こうから建物側をふらふらと走ってきた。
…え?私が悪かったの?歩道は歩行者優先じゃないの?
酷く悲しくなってしまい、すぐに帰りたくなって用事を済ませてさっさと帰途に着いた。
帰宅してから悶々と考えたが、そもそも自転車は車道を走らなければならないし、歩道を走るなら、車道側(つまりはこの場合はおじさんにとって右側)を走らなければいけない筈だ。
私に非なんてないじゃないか、これぽっちも。
そう思うと怒りと共に泣きたくなってきた。
おじさんは何かでイライラしていたのかもしれない。
でもそれは私には無関係だし、まるで自分が正しいかのように暴言を吐いて去って行ったのだ。
私は街なかで、こういう他人の何気ない暴言に傷つけられることが多々ある。
皆、多かれ少なかれそういうことがあるだろうが、私はそれをスルー出来ない。
「何あれ。バカみたい」で済ませればいいのだが、それがどうしても出来ないのだ。
いつまでも、言葉で傷つけられた箇所をいじいじとほじくっては痛みを感じ続けてしまう。
世の中これだけ人間が溢れていれば、様々な「接触事故」を起こすことも少なくないだろうが、相手はいつも、不意に信じられない言葉の刃を向けてくる。
今までで一番忘れられないのが、とある駅で電車を降り、昇りエスカレーターに乗っていた時のことだ。
初めは気付かなかったのだが、何やら後ろからブツブツと声がする。
声の調子から、若い男の人のようだった。
誰かと話している様でもなく、気持ち悪いなあと思った瞬間、彼の次の言葉に固まった。
「頭の後ろが薄くなってんだ。だっせぇー。女のくせに。」
そう聞き取れた瞬間、私は身体が硬直してしまった。
背中に一斉にべっとりと冷たい汗が噴き出すのを感じた。
私は髪の毛のつむじが後頭部の目立つところにあり、ぐるぐると渦を巻いている。
それがとても目立つので、子供の頃から自分でも気にしていたのである。
──後ろの男の人は、私に言ってるんだ!
そう気づいた途端、ショックで身体が震えだし、涙が出そうになるのを必死に堪えた。
どうしてこんなことを言われなくてはならないのだろう。
咄嗟に考えたのは「私が何か気に障るようなことを彼にしたのか?」ということだ。
けれども、心当たりがまるで無い。
なんとなく覚えているのは、自分と同じドアから降りて、すぐ傍にあったエスカレーターに乗って来た人ではないような気がするということだ。
私は降車側とは反対側のドアのところに立っていて、慌てて向きを変えて降りたので、多分降りたのも最後。乗っていたのもたったの二駅だ。
エスカレーターで順番を割り込んだ覚えもない。
振り向く勇気がとてもないまま、呆然とエスカレーターを降り、私はその場に崩れ折れそうになった。
なんで見ず知らずの人に、そんなことを言われなければならないのだろう。
理不尽さに涙が出た。
私に何か、人をイライラさせる要素でもあるのだろうかと、それから一時は酷く落ち込み、外出する時はいつもイヤホンで音楽を聴いていた。
他人の言葉で傷つけられないためだ。
現在の「聴覚過敏」の芽が、この頃からもう既にある。
イヤホンが耳栓に変わっただけ。
私は「音」と同時に、何時ぶつけられるかも知れぬこうした「他人の暴言」をも恐れている。
以前に私は、「言葉は人を殺す」という記事を書いたが、本当に「言葉」ほど証拠が残らず、完全犯罪で相手を殺せる凶器は無い。
心無い言葉を、ただ自分の自己満足のために、或いは気まぐれに他人にぶつけた人間は、その相手がどれほど傷つくか想像してみたことがあるだろうか。
どれほど心の中で血を流すか、大きなカサブタを作るか、考えてみたことがあるだろうか。
何だかこういうことがあると、本当に落ち込む。
世の中の人みんな、自分も含めて「セトモノ」ばかりのような気がしてしまう今日この頃だ。
甘いものでも食べて、元気を出そう…。

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イライラするんだよ!…日記
2016/04/08
4月8日 (金)
増薬したトラゾドンがちっとも効いてない。
肝臓の無駄働きじゃないか。
相変わらず眠れないし、夜中に何度も起きてしまい、夢の中なんだか現実なんだか判らない騒音を耳にして、気が狂いそうな毎日だ。
最近は昼間もドンドン(一体家の中で何したらこんな音が出せるんだ)うるさい。
このまま続くなら、私どう出るかわかんないよ状態だ。
これ、明らかに悪化しているんじゃ…。
早くも散り始めている桜(今年は特に、何の感銘もない)の下を、駅に向かって歩く。
今日は母がまた多大なストレスを抱えてかなり参っているのでその愚痴を聞きに行くのだ。
最近私は、つまらないことでやたらイライラするようになってしまったので、電車の中でもデカい声でキャッキャしてる女子中学生(?)の集団に我慢が出来ず、車両を変えた。
ちいがエサ箱をやたらカタカタ鳴らすのにもイライラ。
ももがやたら外に牧草を散らかすのにもイライラ。
ダンナが「明日は雨が降る」って前の晩に限って洗濯物を山のように出すのにもイライラ。
テレビを観る時、やたらザッピングするのにもすごーくイライラ。
──あー、イライラする。なんだこれ?
ところで、母はすっかりげんなりしていた。
以前も書いたが、ネガティブな父の態度にもう我慢がならなくなり、最近は父の顔を見るのも嫌で家に居られず、外出ばかりしていると言う。
ずっと何かを考え込み、母とは口も利かない。
話しかけてもろくに返事もしない。
テレビを集中して観るでもなく、一日ぼーっと何かを考えている。
食事の間も黙ったまま。
口を開けば「死にたい」「生きていたくない」と、ネガティブな言葉の繰り返し。
だけど父の場合はこれ、ただの「自分は不幸だ」アピールなのだ。
こんな態度を母にとりつつも、母がいなければ何ひとつ自分からしようとしない(できない)。
そのくせプライドが高く、「自分は博識で常識もあり、そんじょそこらの老人とは違う」と思っている。
…これでは一緒に居る母はたまったもんじゃないと思う。
「何が気に入らないんだか知らないけど、私にどうしろって言うのよ!」と嘆く母。
そうして母がたまらずに怒りをぶつけると、慌てて気を遣ってくるのだと言う。
私もうつ病だから父のそのネガティブな状態は判るのだが、「ネガティブ状態」のアピールは、向けられた人間を本当に疲弊させる。
それが判っているから、私はダンナに対しては一切ネガティブなところを見せない。
調子が悪ければ自室にこもってひとりで泣くか、寝ている。会話も普通にする。
これは自分が強い訳でも、ダンナを気遣っている訳でも決してなく、それをアピールすることによってダンナが疲弊し、不機嫌になるのを見て、自分がまた落ち込むのが嫌なのだ。つまりは自分の為である。
「ほっときなよ。」と私は言った。
「あんまり一緒になって心配して様子窺ってると疲れちゃうから、お母さんはお母さんで普通にしてればいいんだよ。そういう時は何言ってもダメだから、構うとこっちがイライラするだけだから。ほっときなよ。」
冷たい娘だが、このままでは母まで具合が悪くなってしまう。
父が何に落ち込んでるのかは知らないが、そういう時は誰の言葉も父には効果が無い。
父が自分で自分の気持ちに折り合いをつけて、上がってくるしか方法はないのだ。
だから放置しておけばいい。
──何故なら、「私がそうだから」。
…それにしても父には、もう少し母のことを思いやって欲しいものだと真剣に思う。
パチンコで勝ったから、と母が「し〇むら」で服を買ってくれた。
センスが疑われそうな服だが、こういう変わってるのが好き。

ところで。
ダンナが最近LINEのスタンプ集めにはまっていて、訳わからんスタンプを一日に何度も送ってよこす。
仕事ヒマなのか?
これにも地味にイライラしている。
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増薬したトラゾドンがちっとも効いてない。
肝臓の無駄働きじゃないか。
相変わらず眠れないし、夜中に何度も起きてしまい、夢の中なんだか現実なんだか判らない騒音を耳にして、気が狂いそうな毎日だ。
最近は昼間もドンドン(一体家の中で何したらこんな音が出せるんだ)うるさい。
このまま続くなら、私どう出るかわかんないよ状態だ。
これ、明らかに悪化しているんじゃ…。
早くも散り始めている桜(今年は特に、何の感銘もない)の下を、駅に向かって歩く。
今日は母がまた多大なストレスを抱えてかなり参っているのでその愚痴を聞きに行くのだ。
最近私は、つまらないことでやたらイライラするようになってしまったので、電車の中でもデカい声でキャッキャしてる女子中学生(?)の集団に我慢が出来ず、車両を変えた。
ちいがエサ箱をやたらカタカタ鳴らすのにもイライラ。
ももがやたら外に牧草を散らかすのにもイライラ。
ダンナが「明日は雨が降る」って前の晩に限って洗濯物を山のように出すのにもイライラ。
テレビを観る時、やたらザッピングするのにもすごーくイライラ。
──あー、イライラする。なんだこれ?
ところで、母はすっかりげんなりしていた。
以前も書いたが、ネガティブな父の態度にもう我慢がならなくなり、最近は父の顔を見るのも嫌で家に居られず、外出ばかりしていると言う。
ずっと何かを考え込み、母とは口も利かない。
話しかけてもろくに返事もしない。
テレビを集中して観るでもなく、一日ぼーっと何かを考えている。
食事の間も黙ったまま。
口を開けば「死にたい」「生きていたくない」と、ネガティブな言葉の繰り返し。
だけど父の場合はこれ、ただの「自分は不幸だ」アピールなのだ。
こんな態度を母にとりつつも、母がいなければ何ひとつ自分からしようとしない(できない)。
そのくせプライドが高く、「自分は博識で常識もあり、そんじょそこらの老人とは違う」と思っている。
…これでは一緒に居る母はたまったもんじゃないと思う。
「何が気に入らないんだか知らないけど、私にどうしろって言うのよ!」と嘆く母。
そうして母がたまらずに怒りをぶつけると、慌てて気を遣ってくるのだと言う。
私もうつ病だから父のそのネガティブな状態は判るのだが、「ネガティブ状態」のアピールは、向けられた人間を本当に疲弊させる。
それが判っているから、私はダンナに対しては一切ネガティブなところを見せない。
調子が悪ければ自室にこもってひとりで泣くか、寝ている。会話も普通にする。
これは自分が強い訳でも、ダンナを気遣っている訳でも決してなく、それをアピールすることによってダンナが疲弊し、不機嫌になるのを見て、自分がまた落ち込むのが嫌なのだ。つまりは自分の為である。
「ほっときなよ。」と私は言った。
「あんまり一緒になって心配して様子窺ってると疲れちゃうから、お母さんはお母さんで普通にしてればいいんだよ。そういう時は何言ってもダメだから、構うとこっちがイライラするだけだから。ほっときなよ。」
冷たい娘だが、このままでは母まで具合が悪くなってしまう。
父が何に落ち込んでるのかは知らないが、そういう時は誰の言葉も父には効果が無い。
父が自分で自分の気持ちに折り合いをつけて、上がってくるしか方法はないのだ。
だから放置しておけばいい。
──何故なら、「私がそうだから」。
…それにしても父には、もう少し母のことを思いやって欲しいものだと真剣に思う。
パチンコで勝ったから、と母が「し〇むら」で服を買ってくれた。
センスが疑われそうな服だが、こういう変わってるのが好き。

ところで。
ダンナが最近LINEのスタンプ集めにはまっていて、訳わからんスタンプを一日に何度も送ってよこす。
仕事ヒマなのか?
これにも地味にイライラしている。
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久々に映画を観た(ざわだる日記)
2016/03/02
3月1日(火) 晴れ
早いもので今日から3月だ。
仕事をしていた頃は決算で繁忙期の真っ最中。
残業、残業の毎日で、ぐったりして帰宅し、時間との戦いの中で家事をこなしていた。
あの頃は毎日が24時間では到底足りない…といつもイライラしていた。
ところが今の状態はどうだ。
やりたいこともやれないのに、たっぷりとある時間を消費するのに毎日苦労している。
そのうちほとんどが「休養」と称しただるだる睡眠である。
こんなふうに無駄に時間を食い潰していくのは、長いスパンで考えたらすごく非生産的で勿体ないことだと思うが、今の私には時間を有効に使う…ということが出来ない。
気力がないのだ。
ふと、この気候と暦のせいもあるのかもしれないと考える。
期末のこの暖かくなり始めの季節は、色々なイベントが不安感や焦燥感を呼んでくる。
そのために3月、4月は健常者さえ不安定になると言う。
私も明らかに3月が近づくにつれて途端に不安定に逆戻り。
身体がそれを覚えているのかもしれない。
それでも今日こそは、調子の良い時に借りてきたBDを観てしまわないと、明日が返却日だ。
少し調子の良かった時に街へ出て、久々にTSUTAYAを覗いた。
新作がだいぶ出ていて、観たいかも…と思えるものがいくつかあった。
「観たい」という感情がいつまで続くか判らないが、とにかくポイントも溜まっているし、何かを借りようと思って物色した。
私は、映画館で映画を観る…ということが出来ない。
映画が好きで、かつてはよく観ていたのだが、その頃も映画館で観ることはまれだった。
ひとつの空間に他人と近い距離で詰め込まれ、しかも長時間席に拘束される…ということが辛抱できず、周りが気になって映画に没頭できないのだ。だから、レンタルされるまでずっと待ち、家で好きな時間にゆったりとした姿勢で観る。
しかし借りてきたはいいものの、家に帰ったらもう観る気が失せていた。
そのまま放置していてもう一週間経ってしまう。
どうしても観る気が起きずにそのまま返却したことも数回ある。
勿体ないので、ざわざわ感と戦いながらも今回はきちんと観ることにした。
借りてきたのは「天空の蜂」。
こういう時は心の深い部分を責めてくる叙情的な作品は駄目で、コロコロと場面展開が目まぐるしいこうしたエンターテインメント性が強そうな作品が良い。
調子の良かった時の私も、それは心得ていたようだ。
2時間強という長さで、少しプレッシャーを感じたが、そもそも無理矢理観るという姿勢はどうなんだと思った。
だったら借りて来なければいいのに、と調子の良かった時の自分を責めた。
けれどもこれで少し、「時間が殺せる」。(←この表現、大好きなブログの管理人さんが使っておられたのだが、言い得て妙!である。)
案の定、集中力が続かず、休み休み観た。ネットでは低評価のようだが、それでも最後までそんなに退屈さを感じさせられなかった。観た後に良い感じの量で余韻が残る。
ネタばれになってしまうのでここでは内容についての記載は伏せるが、そんなに憤慨するほど無駄な2時間強ではなかったと思う。
観終えたら外はもう薄暗くなっていた。
3月2日(水) 晴れ
ざわざわ感は今日は少しはましだと思う。家事も出来る方だ。
落ち込み感は今のところなりを潜めている。
ずっとできなかったダンナのふとんを全て干し、家中の観葉植物を日当たりの良い窓の下に並べた。
軽く家中にコロコロもかけ、お昼はきちんと食べられた。
けれども、小さなことが億劫で仕方がない。
例えば、明日の分の薬を仕分けするとか、洗濯するにしても柔軟剤が切れていて買い置きの詰め替えを入れなければならないとか、もものえさが切れていて、買い置きの新しい袋をハサミで切って開けなければいけないとか、ダンナが脱ぎ散らしたシャツを畳むとか…。
洗濯するとか風呂を洗うとか大規模(?)な家事は出来るのに、ほんの小さなことが億劫でたまらない。
私はうつになってから、満足に料理ができなくなった。
ここ最近で、渋々キッチンに立って作ったものと言えば、にら玉とか、卵焼きとか、料理とも言えないものばかりである。もはやカレーなどは私にとっては「手のかかる料理」になってしまった。
ダンナが早番の時は、ご飯は炊いて惣菜をスーパーで買い、遅番の時は何時になるか判らないのでコンビニやスーパーでもうお弁当を買ってしまう。ダンナが何も言わないので本当に感謝している。
家計が火の車だというのに、この贅沢さはどうだろう……。
けれども、今の時代は店に行けば、適量で何でも売っている。
ふたり暮らしだと、無駄に食材を買って余り腐らせるよりも、こっちの方がかえって経済的だという思いもある。(言い訳)
ひと通り家事を済ませてから強烈な睡魔が来たので軽く1時間ほどベッドで横になってから、BDを返しがてら街に出掛けた。もちろん耳栓は外せないままだ。
ちいももたちを覗きに行ったら眠っていたので、声をかけずにそっと外に出た。
外はまだ風は冷たいが、暖かな春先の日差しである。
うっすらと咲き始めた梅を眺めながら、今は一番ウォーキングに良い季節なのに、私はもう随分と歩いていないことに気付いて愕然とする。体力的にというよりも、「歩くのが億劫」なのである。
ちょっとそのことに罪悪感めいたものを感じて電車に乗った。
DHCでサプリメントを買い、支払いの時に店員さんの美しい指先のネイルに心を動かされた。
マニキュアなんて、もうどのくらいしてないんだろう。
仕事をしていた時は欠かさずマニキュアをしていた。ネイルサロンは苦手だったし、自分でネイルアートをするのが好きだったので、道具もひと揃え持っている。季節や気分に合わせてシールやラインストーンを貼ったりして楽しんでいた。(家事ですぐに剥がれたがそのたびまめに修正していた)
けれども…と自分の荒れた指先を私は眺めた。
ネイルどころか化粧も随分していない。肌の手入れもしていない。億劫だからだ。
今は良い季節で、すっぴんでもマスクで隠せる。
調子の悪いときは外出時でも、億劫なのでコンタクトレンズさえ入れない私。
マスクをすると曇るので、メガネもかけずに出かけている。
心療内科もそのいでたちで出かける。
耳には耳栓、目はぼんやりと良く見えない…こんな状態で外出するのは良く考えたら本当に危険な行為だ。
何かあっても文句が言えない。
人が少なかったので、久々にショッピングセンターのメイク用品の一角に足を踏み入れた。
ぼさぼさの長い髪を毛玉だらけのニット帽で隠し、着古したダウン姿の私は何とも場違いだ。
今は可愛い色のチークなんかも出てるんだなあ…とマスクを外して試供品をパフでポンポン顔にしてみる。
鏡を覗いたらまるでおてもやん…。
慌ててマスクで隠して帰途に着いた。
週末には友人たちとの飲み会がある。
今の精神状態ではちょっときついが、やっぱり行くことに決めた。
久々に化粧をしなければ。
梅も桜も好きだけど、ダリアが一番好き。
全然季節違いだけど…。

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早いもので今日から3月だ。
仕事をしていた頃は決算で繁忙期の真っ最中。
残業、残業の毎日で、ぐったりして帰宅し、時間との戦いの中で家事をこなしていた。
あの頃は毎日が24時間では到底足りない…といつもイライラしていた。
ところが今の状態はどうだ。
やりたいこともやれないのに、たっぷりとある時間を消費するのに毎日苦労している。
そのうちほとんどが「休養」と称しただるだる睡眠である。
こんなふうに無駄に時間を食い潰していくのは、長いスパンで考えたらすごく非生産的で勿体ないことだと思うが、今の私には時間を有効に使う…ということが出来ない。
気力がないのだ。
ふと、この気候と暦のせいもあるのかもしれないと考える。
期末のこの暖かくなり始めの季節は、色々なイベントが不安感や焦燥感を呼んでくる。
そのために3月、4月は健常者さえ不安定になると言う。
私も明らかに3月が近づくにつれて途端に不安定に逆戻り。
身体がそれを覚えているのかもしれない。
それでも今日こそは、調子の良い時に借りてきたBDを観てしまわないと、明日が返却日だ。
少し調子の良かった時に街へ出て、久々にTSUTAYAを覗いた。
新作がだいぶ出ていて、観たいかも…と思えるものがいくつかあった。
「観たい」という感情がいつまで続くか判らないが、とにかくポイントも溜まっているし、何かを借りようと思って物色した。
私は、映画館で映画を観る…ということが出来ない。
映画が好きで、かつてはよく観ていたのだが、その頃も映画館で観ることはまれだった。
ひとつの空間に他人と近い距離で詰め込まれ、しかも長時間席に拘束される…ということが辛抱できず、周りが気になって映画に没頭できないのだ。だから、レンタルされるまでずっと待ち、家で好きな時間にゆったりとした姿勢で観る。
しかし借りてきたはいいものの、家に帰ったらもう観る気が失せていた。
そのまま放置していてもう一週間経ってしまう。
どうしても観る気が起きずにそのまま返却したことも数回ある。
勿体ないので、ざわざわ感と戦いながらも今回はきちんと観ることにした。
借りてきたのは「天空の蜂」。
こういう時は心の深い部分を責めてくる叙情的な作品は駄目で、コロコロと場面展開が目まぐるしいこうしたエンターテインメント性が強そうな作品が良い。
調子の良かった時の私も、それは心得ていたようだ。
2時間強という長さで、少しプレッシャーを感じたが、そもそも無理矢理観るという姿勢はどうなんだと思った。
だったら借りて来なければいいのに、と調子の良かった時の自分を責めた。
けれどもこれで少し、「時間が殺せる」。(←この表現、大好きなブログの管理人さんが使っておられたのだが、言い得て妙!である。)
案の定、集中力が続かず、休み休み観た。ネットでは低評価のようだが、それでも最後までそんなに退屈さを感じさせられなかった。観た後に良い感じの量で余韻が残る。
ネタばれになってしまうのでここでは内容についての記載は伏せるが、そんなに憤慨するほど無駄な2時間強ではなかったと思う。
観終えたら外はもう薄暗くなっていた。
3月2日(水) 晴れ
ざわざわ感は今日は少しはましだと思う。家事も出来る方だ。
落ち込み感は今のところなりを潜めている。
ずっとできなかったダンナのふとんを全て干し、家中の観葉植物を日当たりの良い窓の下に並べた。
軽く家中にコロコロもかけ、お昼はきちんと食べられた。
けれども、小さなことが億劫で仕方がない。
例えば、明日の分の薬を仕分けするとか、洗濯するにしても柔軟剤が切れていて買い置きの詰め替えを入れなければならないとか、もものえさが切れていて、買い置きの新しい袋をハサミで切って開けなければいけないとか、ダンナが脱ぎ散らしたシャツを畳むとか…。
洗濯するとか風呂を洗うとか大規模(?)な家事は出来るのに、ほんの小さなことが億劫でたまらない。
私はうつになってから、満足に料理ができなくなった。
ここ最近で、渋々キッチンに立って作ったものと言えば、にら玉とか、卵焼きとか、料理とも言えないものばかりである。もはやカレーなどは私にとっては「手のかかる料理」になってしまった。
ダンナが早番の時は、ご飯は炊いて惣菜をスーパーで買い、遅番の時は何時になるか判らないのでコンビニやスーパーでもうお弁当を買ってしまう。ダンナが何も言わないので本当に感謝している。
家計が火の車だというのに、この贅沢さはどうだろう……。
けれども、今の時代は店に行けば、適量で何でも売っている。
ふたり暮らしだと、無駄に食材を買って余り腐らせるよりも、こっちの方がかえって経済的だという思いもある。(言い訳)
ひと通り家事を済ませてから強烈な睡魔が来たので軽く1時間ほどベッドで横になってから、BDを返しがてら街に出掛けた。もちろん耳栓は外せないままだ。
ちいももたちを覗きに行ったら眠っていたので、声をかけずにそっと外に出た。
外はまだ風は冷たいが、暖かな春先の日差しである。
うっすらと咲き始めた梅を眺めながら、今は一番ウォーキングに良い季節なのに、私はもう随分と歩いていないことに気付いて愕然とする。体力的にというよりも、「歩くのが億劫」なのである。
ちょっとそのことに罪悪感めいたものを感じて電車に乗った。
DHCでサプリメントを買い、支払いの時に店員さんの美しい指先のネイルに心を動かされた。
マニキュアなんて、もうどのくらいしてないんだろう。
仕事をしていた時は欠かさずマニキュアをしていた。ネイルサロンは苦手だったし、自分でネイルアートをするのが好きだったので、道具もひと揃え持っている。季節や気分に合わせてシールやラインストーンを貼ったりして楽しんでいた。(家事ですぐに剥がれたがそのたびまめに修正していた)
けれども…と自分の荒れた指先を私は眺めた。
ネイルどころか化粧も随分していない。肌の手入れもしていない。億劫だからだ。
今は良い季節で、すっぴんでもマスクで隠せる。
調子の悪いときは外出時でも、億劫なのでコンタクトレンズさえ入れない私。
マスクをすると曇るので、メガネもかけずに出かけている。
心療内科もそのいでたちで出かける。
耳には耳栓、目はぼんやりと良く見えない…こんな状態で外出するのは良く考えたら本当に危険な行為だ。
何かあっても文句が言えない。
人が少なかったので、久々にショッピングセンターのメイク用品の一角に足を踏み入れた。
ぼさぼさの長い髪を毛玉だらけのニット帽で隠し、着古したダウン姿の私は何とも場違いだ。
今は可愛い色のチークなんかも出てるんだなあ…とマスクを外して試供品をパフでポンポン顔にしてみる。
鏡を覗いたらまるでおてもやん…。
慌ててマスクで隠して帰途に着いた。
週末には友人たちとの飲み会がある。
今の精神状態ではちょっときついが、やっぱり行くことに決めた。
久々に化粧をしなければ。
梅も桜も好きだけど、ダリアが一番好き。
全然季節違いだけど…。

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「このままでは引きこもりに戻ってしまう!」…な日記
2016/02/02
1月31日(日) 晴れ
この間の診療日でも、主治医に「悪化してるねえ~」と眉をひそめられてしまったのだが。
確かに本当に調子が悪い。
訳の判らない不安感と、無気力感、倦怠感に苦しめられている。
どうしよう。何もする気が起きない。
どうしよう。なんでこんなに無気力でだるいんだろう。
このままではまた「引きこもり生活」に戻ってしまう。
うつになったばかりの頃は、正真正銘の引きこもりだった。
何しろ、「外へ出ていく」ことが怖くて出来なくなってしまったのだ。
人が怖い、喧騒が怖い、あらゆる音が怖い、人にどう見られているか気になる心が怖い。
自室に閉じこもって薬の副作用と戦いながら、自分の先行きや色んなことを考えては泣いていた。
その頃よりは格段に回復しているとは思うのに、未だにこの酷い無気力状態…「だるだる病」が襲ってくる。
今週はダンナが土日ともに休みだが、珍しく「どこかへ出かけよう」と言ってこないのでホッとする。
昨日から私が自室に閉じこもって出て来ないので察してくれたんだろう。
ダンナはダンナで、私は私で、会話もなくただダラダラと時間を消費する。
ダラダラしていても、ダンナがいると食事の用意はしなくてはならない。
一人だったら面倒臭くて昼は何も食べない。
昼を回ってもダンナが起きてくる様子がないので、そろそろと自室から出てリビングに行ってみると、食べ散らかしたお菓子の残骸…。ダンナは隣の和室で爆睡。
……私は眩暈がした。
私が調子悪いのを薄々判っていて、昼になり空腹でも「お昼どうする?」とか決して声を掛けて来ない。
その辺にあるものを食べてまた寝る。
───これも気遣いか?
仕方なく私が、歩いて5分ほどのコンビニへ買い物に出かける。
嫌々ジャージの下だけジーンズに履き替え、ダウンを羽織る。ぐしゃぐしゃの長い髪はニット帽を深く被り、すっぴんはマスクで誤魔化した。
面倒臭いのでダンナにカップ麺のでかいやつとおにぎりふたつ、私に菓子パンを買ってとっとと戻る。
今の私にはこのコンビニまでがぎりぎり出かけられる距離である。
帰って来てそれらをキッチンに置いて再び自室にこもり、なんとなくムカムカする。
何で私が買って来なければいけないのか。
ダンナは行こうともしないので昨日も調子が悪いのに、私が渋々出かけて行った。
ダンナはそれが当たり前だと思っているのか、空腹になる時間になっても何もしない。
たまには彼が買いに行ってくれてもいいのではないか。
だけど、こんなこと考えてはいけないんだと自分を戒める。
ダンナは毎日一生懸命働いて、昨日今日と休養中なのである。
万年休養中で自堕落な生活を送っている私が、こういうことはやるべきなのだと言い聞かせた。
こういう時は全ての非が自分にあるように感じてしまう。
それはいけないと主治医にも言われたが、今の私には無理である。
コーヒーを飲もうとキッチンに行くと、在庫が切れかけている…これも買って来なければならない。
そう言えば、お茶ももう無い。牛乳も、ダンナの「飲むヨーグルト」も。
お風呂の洗剤も無いし、ももの牧草もそろそろネットで注文せねば。
なんで「もの」って無くなるときは一斉になくなるのだろう。
行き場もないイライラを何にぶつけていいのか判らない。
掃除もしたい、お風呂も洗ってない。旅行の準備もしなければならない、書類も書かなければならない。
けれども今の私には、それらをする気力がない。
旅行の準備もやりかけて面倒臭くなって止め、掃除も掃除機を組み立てている間にどうしようもない倦怠感に襲われてそのままだ。
妹からのLINEを返す気力もなく、既読スルー。
2月1日(月) くもり
どうも昼間寝ているせいか夜は目が覚めてしまう。
また嫌な夢を見て辟易する。
生活のサイクルからしてダメダメだ。
今日から2月なのに気付いて慌ててカレンダーをめくる。
1月は「行く」、2月は「逃げる」、3月は「去る」というが、本当に早い。
こんな調子ですぐに半年くらい経ってしまうのではないか?
…その時私はどうなっているんだろう…と怖くなったので、思考を一旦停止する。
今日こそは買い物に出かけなければと、昨夜から決心を固めて買うものをメモして壁に貼り、ベッドに入ったのに、今日になったらその決心は跡形もなく消えていた。
ダンナが早出だったので、暗いうちに送り出した後、薬を飲んだら猛烈な睡魔が襲い、負けて寝込む。
目覚めたら、外は私と同じようにどんよりと暗い空である。
タバコばかり喫い、ちいとももにちょっかいを出して軽く1時間を消費する。
出かけるならもう着替えなければ、人が多い時間帯になってしまう。
なのにだらだらと何もせず、またも時間の無駄遣い。
昔はあんなに時間に追われる生活で、ほんの僅かな時間の隙間さえ、何かできないかと常にきょろきょろと状況を窺い、ぎっちりと時間をタスクで埋めて過ごしていたのに。
貧乏性なのかなんなのか、とにかく時間を無駄にはしたくなく、何もしないでぼーっとしているなんて自分の中では有り得ないことだったのだ。
それがどうだ。今は時間を無駄に消費してばかりいる。
こうして何もせず、身体を休めることも必要だと主治医に言われたが、いったいそれはいつまで?
いつまでこの生活が続くのだろう。
それを思うと今度はネガティブの波に捕まるので、そこでまたもや一旦思考を停止する。
今日も外へ出ていく気力がないので、あきらめて自室にこもる。
そう言えばここのところ外へ出たのはコンビニだけ。
あんなに好きだったウォーキングも、今年に入ってから全くしていないことに気付いて愕然とする。
一時は就活をするまでに浮上したのに、一体どうしてこうなってしまったんだろう。
ハロワに行くのも、求人情報誌を見るのも今は億劫。
何よりこんな状態では、働ける自信などもうどこかに行ってしまって久しい。
せめて新聞だけでもポストから取ってこないとダンナに申し訳なく、ジャージのままエントランスに降りる。
掃除をしている管理人さんに会ってしまい、さわやかに挨拶された。
こんなに寒い日も、管理人さんは汗だくで床の掃除をしている。
管理人さんだけじゃない、世の中の人は皆、きちんと行くべき場所に行き、やるべきことをやって時間を消費しているのだ。
暗い気持ちになって部屋へ逃げ込む私。
子供のいない専業主婦だって世の中には沢山いる。
その是非を考えることもなく、それが「当たり前」の人もいるんだよ、と友人に以前慰められたのを思い出した。
けれども、私は専業主婦でさえない。
やるべきことを何にもしてないのだから。
フルタイムで働き、残業も多く、それでも家事に一切手を抜くことをせず、時間に追い立てられて毎日クタクタだった私。
今思うと、あんな生活を続けていたのは本当にこの自分なのかと疑いたくなってくる。
いつも通りにただ無音が怖いので点いているだけのテレビの音。
それをBGMにして、キーボードを叩きつけるようにしてこれを書いている。
今日は髪を洗わなければ…。
昨日どうしても気力がなく、断念してしまったので今日こそは、とそれだけは固く誓う。
いつも見に行くと寄ってきて顔を覗き込んでくれるちい。
…癒される。

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確かに本当に調子が悪い。
訳の判らない不安感と、無気力感、倦怠感に苦しめられている。
どうしよう。何もする気が起きない。
どうしよう。なんでこんなに無気力でだるいんだろう。
このままではまた「引きこもり生活」に戻ってしまう。
うつになったばかりの頃は、正真正銘の引きこもりだった。
何しろ、「外へ出ていく」ことが怖くて出来なくなってしまったのだ。
人が怖い、喧騒が怖い、あらゆる音が怖い、人にどう見られているか気になる心が怖い。
自室に閉じこもって薬の副作用と戦いながら、自分の先行きや色んなことを考えては泣いていた。
その頃よりは格段に回復しているとは思うのに、未だにこの酷い無気力状態…「だるだる病」が襲ってくる。
今週はダンナが土日ともに休みだが、珍しく「どこかへ出かけよう」と言ってこないのでホッとする。
昨日から私が自室に閉じこもって出て来ないので察してくれたんだろう。
ダンナはダンナで、私は私で、会話もなくただダラダラと時間を消費する。
ダラダラしていても、ダンナがいると食事の用意はしなくてはならない。
一人だったら面倒臭くて昼は何も食べない。
昼を回ってもダンナが起きてくる様子がないので、そろそろと自室から出てリビングに行ってみると、食べ散らかしたお菓子の残骸…。ダンナは隣の和室で爆睡。
……私は眩暈がした。
私が調子悪いのを薄々判っていて、昼になり空腹でも「お昼どうする?」とか決して声を掛けて来ない。
その辺にあるものを食べてまた寝る。
───これも気遣いか?
仕方なく私が、歩いて5分ほどのコンビニへ買い物に出かける。
嫌々ジャージの下だけジーンズに履き替え、ダウンを羽織る。ぐしゃぐしゃの長い髪はニット帽を深く被り、すっぴんはマスクで誤魔化した。
面倒臭いのでダンナにカップ麺のでかいやつとおにぎりふたつ、私に菓子パンを買ってとっとと戻る。
今の私にはこのコンビニまでがぎりぎり出かけられる距離である。
帰って来てそれらをキッチンに置いて再び自室にこもり、なんとなくムカムカする。
何で私が買って来なければいけないのか。
ダンナは行こうともしないので昨日も調子が悪いのに、私が渋々出かけて行った。
ダンナはそれが当たり前だと思っているのか、空腹になる時間になっても何もしない。
たまには彼が買いに行ってくれてもいいのではないか。
だけど、こんなこと考えてはいけないんだと自分を戒める。
ダンナは毎日一生懸命働いて、昨日今日と休養中なのである。
万年休養中で自堕落な生活を送っている私が、こういうことはやるべきなのだと言い聞かせた。
こういう時は全ての非が自分にあるように感じてしまう。
それはいけないと主治医にも言われたが、今の私には無理である。
コーヒーを飲もうとキッチンに行くと、在庫が切れかけている…これも買って来なければならない。
そう言えば、お茶ももう無い。牛乳も、ダンナの「飲むヨーグルト」も。
お風呂の洗剤も無いし、ももの牧草もそろそろネットで注文せねば。
なんで「もの」って無くなるときは一斉になくなるのだろう。
行き場もないイライラを何にぶつけていいのか判らない。
掃除もしたい、お風呂も洗ってない。旅行の準備もしなければならない、書類も書かなければならない。
けれども今の私には、それらをする気力がない。
旅行の準備もやりかけて面倒臭くなって止め、掃除も掃除機を組み立てている間にどうしようもない倦怠感に襲われてそのままだ。
妹からのLINEを返す気力もなく、既読スルー。
2月1日(月) くもり
どうも昼間寝ているせいか夜は目が覚めてしまう。
また嫌な夢を見て辟易する。
生活のサイクルからしてダメダメだ。
今日から2月なのに気付いて慌ててカレンダーをめくる。
1月は「行く」、2月は「逃げる」、3月は「去る」というが、本当に早い。
こんな調子ですぐに半年くらい経ってしまうのではないか?
…その時私はどうなっているんだろう…と怖くなったので、思考を一旦停止する。
今日こそは買い物に出かけなければと、昨夜から決心を固めて買うものをメモして壁に貼り、ベッドに入ったのに、今日になったらその決心は跡形もなく消えていた。
ダンナが早出だったので、暗いうちに送り出した後、薬を飲んだら猛烈な睡魔が襲い、負けて寝込む。
目覚めたら、外は私と同じようにどんよりと暗い空である。
タバコばかり喫い、ちいとももにちょっかいを出して軽く1時間を消費する。
出かけるならもう着替えなければ、人が多い時間帯になってしまう。
なのにだらだらと何もせず、またも時間の無駄遣い。
昔はあんなに時間に追われる生活で、ほんの僅かな時間の隙間さえ、何かできないかと常にきょろきょろと状況を窺い、ぎっちりと時間をタスクで埋めて過ごしていたのに。
貧乏性なのかなんなのか、とにかく時間を無駄にはしたくなく、何もしないでぼーっとしているなんて自分の中では有り得ないことだったのだ。
それがどうだ。今は時間を無駄に消費してばかりいる。
こうして何もせず、身体を休めることも必要だと主治医に言われたが、いったいそれはいつまで?
いつまでこの生活が続くのだろう。
それを思うと今度はネガティブの波に捕まるので、そこでまたもや一旦思考を停止する。
今日も外へ出ていく気力がないので、あきらめて自室にこもる。
そう言えばここのところ外へ出たのはコンビニだけ。
あんなに好きだったウォーキングも、今年に入ってから全くしていないことに気付いて愕然とする。
一時は就活をするまでに浮上したのに、一体どうしてこうなってしまったんだろう。
ハロワに行くのも、求人情報誌を見るのも今は億劫。
何よりこんな状態では、働ける自信などもうどこかに行ってしまって久しい。
せめて新聞だけでもポストから取ってこないとダンナに申し訳なく、ジャージのままエントランスに降りる。
掃除をしている管理人さんに会ってしまい、さわやかに挨拶された。
こんなに寒い日も、管理人さんは汗だくで床の掃除をしている。
管理人さんだけじゃない、世の中の人は皆、きちんと行くべき場所に行き、やるべきことをやって時間を消費しているのだ。
暗い気持ちになって部屋へ逃げ込む私。
子供のいない専業主婦だって世の中には沢山いる。
その是非を考えることもなく、それが「当たり前」の人もいるんだよ、と友人に以前慰められたのを思い出した。
けれども、私は専業主婦でさえない。
やるべきことを何にもしてないのだから。
フルタイムで働き、残業も多く、それでも家事に一切手を抜くことをせず、時間に追い立てられて毎日クタクタだった私。
今思うと、あんな生活を続けていたのは本当にこの自分なのかと疑いたくなってくる。
いつも通りにただ無音が怖いので点いているだけのテレビの音。
それをBGMにして、キーボードを叩きつけるようにしてこれを書いている。
今日は髪を洗わなければ…。
昨日どうしても気力がなく、断念してしまったので今日こそは、とそれだけは固く誓う。
いつも見に行くと寄ってきて顔を覗き込んでくれるちい。
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だるネガとの闘いの記
2016/01/20
1/20(水) 晴れ
夜中何度か中途覚醒。
ぼんやりと何故か、公開処刑みたいだったSMAPの謝罪会見のことを考えた。
その後、早朝4時半頃また目が覚めた。嫌な夢を見た。
(以下、ちょっとグロめかもです。ご注意を)
黒い小さな蜘蛛が糸を引いて、たくさん纏わりついて身体から離れない。
虫が大嫌いな私は半狂乱で剥がそうとするが、なかなか剥がれない。糸が絡む。
そのうち、左の腕を大きなコバルトブルーの(綺麗な色だった)蜘蛛に噛まれる…というか貼りつかれる。
足を掴んで剥がそうとするがこれも剥がれず、ぶちっと蜘蛛の体を引きちぎるようにして剥がす。
見ると一緒に腕の皮膚が剥がれて大けがをしていた。大きなカサブタになっていた。
何故か、そのカサブタをも剥がす私……。
…なんだろう、嫌な夢見ちゃったなあ。
気持ちが悪いのでそのままベッドの中でごそごそする。
最近、テレビとかで蜘蛛なんて見てないし、何か暗示くさい…。
思わず自分の左腕を確かめた。
朝起きた瞬間から、今日も「だるだる病」が自分を覆っているのに気付く。
あーあ。今日もきっとしんどいなあ。
この頃、朝にダンナのお弁当を作るのが本当にしんどくてたまらない。
それどころか、ちいもものケージの掃除もしんどくてしんどくてたまらない。(ごめんよ、ちいもも)
一日で一番しんどいのが入浴だ。
目は覚めているものの、なかなか起き出せずにだらだらしていたが、しなければ仕方がない。
思い切って勢いをつけて起きる。まだ外は真っ暗である。
無理をしてはいけないと言うが、こんな状態でも無理をしなくちゃいけないこともある。
休み休み、何とか全部終わらせた。
明日もこんな調子なのかと思うと、今から気が重くなる。
「だるだる病」はネガティブ思考と肩を組んでやって来る。(だるネガ状態)
どっちがどっちを連れてくるのか判らないが、とにかくペアで私を攻撃して来るのだ。
何もやる気が起きないことに加え、全てのことが脳の中でネガティブな方向に変換される。
これらに捕まると本当に厄介だ。
そんな日に、歯医者の予約が入っていたのを思い出した。
出かける気にならず、キャンセルしようかと思ったが、今日は最後のクリーニングでこれで治療が終わる。
今日限りの我慢だと、仕方なく行くことにする。
出かけるとなったら、前から気になっていた自立支援医療受給者証の更新に市役所まで出かけようと思い立つ。
外出する用事はどうしても一度で済ませたいと思ってしまうのだ。
行かなきゃと思っているのに、どうしても外出するのが億劫で、だらだらしていて遅刻しそうになった。
慌てて出たので、コンタクトを入れてくるのを忘れてしまった。
……見えない。
歯医者でクリーニング(結構痛い)が無事終わり、最後のチェックをしていた先生が、ふと呟いた。
「…うーん。あれ?」
『これで終わりです。また何かありましたら来て下さいね(ニコッ)』…という言葉を当然のように待ってた私は、即座に嫌な予感がした。
「うーん、右上の一番奥なんですけれどもね、ちょっと詰めたところの隙間から虫歯になってるみたいなんですよー。
…ここ、痛くない?」
「全然痛くないです。」(きっぱり)
「中で虫歯が広がってるかもしれないからね。早めに治療の予約して下さいねー。」
──今日で終わりじゃないのかよ!!(心の中で号泣)
…これがよく聞く「歯医者なかなか終わらない地獄」なんだなあと、がっくりと肩を落とす私。
これで終わりだと期待していた分、落ち込みが激しい。何だかひどく疲れてしまう。
一瞬、もう更新に行くのは止めて帰宅しようかと思ったが、今日行かなければまた悶々とする日々が続くばかりだ。
意を決して市役所に向かった。
コンタクトをしてくるのを忘れたので、何も見えない。どこに行くのかももう忘れてしまった。
一応デパスは飲んできたけれど、市役所の喧騒に早くも緊張し始めている。
総合案内の人に訊き、やっと窓口に辿り着けた時には汗でびっしょりになっていた。
係の人に言われたとおりに書類を記入するのだが(じっと見られていると手が震えて恥ずかしかった)、たかが数字等を書き写すだけなのに上手くさらさらと出来ない。何度も何度も数字を見返してしまう。自分の住所も一瞬間違えそうになる始末。だいぶ緊張してるようだ。
…悪化してるな、とふと思う。
保険証のコピーとマイナンバーの通知書を見せて、手続きは終わった。
背中に何かひどく重いものが乗っているような、この気持ちの沈みようは何なんだろう。
帰りの電車の中でぐったりと疲れてしまった。
家に帰ると、「電気ご使用量のお知らせ」が来ていて、あまりの金額の高さにその場にへたり込みそうになった。なるべく電気を(とりわけ暖房を)点けないようにしてるのに、なんなんだこの金額は!
「──冬だもの。こればかりは仕方ないよ。必要な出費だよ。」
ポジティブな私が小声で囁くが、それはすぐにネガティブ思考の攻撃によって跡形もなく掻き消された。
「…ダメだ。ダメだよ。やっぱりやっていけないよ。早く働かなきゃ。私が仕事してないからだよ!」
「だいたい、昼間家に居るから、電気代も水道代もかかるんだよ。働かなきゃダメだよ。」
「旅行なんかしてる場合じゃないよ。」
───少し寝よう……。
こういう時はあまり色々考えない方がいい。(学んだ)
ちなみに気になったので、朝の気持ち悪い夢を調べてみた。
●蜘蛛が大量発生する夢…ストレス増大。蜘蛛は特に人間関係の意味を含む。
●蜘蛛に襲われる夢…大きな蜘蛛や多数の蜘蛛に襲われる夢なら不安が大きいことの暗示。心身の疲労がひどく、ストレスの元となる場所や人を避け、休息が必要。
●蜘蛛に噛まれる夢…パートナーや職場の同僚の裏切りを受ける前兆を示す凶夢。コミュニケーションを密にし、家族関係や人間関係の改善要。また事故や病気にも注意。
あのコバルトブル-の綺麗な蜘蛛が凄く気になった。
●明るく美しい青…仲間に助けられ、安らぎと発展が得られる暗示。(でもそれをちぎっちゃったよ、私)
…それでトータル的にはどうなの?…という感じで良く判らない。
あんまりいい夢じゃなさそうだ。
一応、備忘録のつもりで書き残しておこう。
サークルKサンクスのこれに最近はまってる。
小さくて食べやすいし、美味しい。オススメです。(甘いもんばっか)

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夜中何度か中途覚醒。
ぼんやりと何故か、公開処刑みたいだったSMAPの謝罪会見のことを考えた。
その後、早朝4時半頃また目が覚めた。嫌な夢を見た。
(以下、ちょっとグロめかもです。ご注意を)
黒い小さな蜘蛛が糸を引いて、たくさん纏わりついて身体から離れない。
虫が大嫌いな私は半狂乱で剥がそうとするが、なかなか剥がれない。糸が絡む。
そのうち、左の腕を大きなコバルトブルーの(綺麗な色だった)蜘蛛に噛まれる…というか貼りつかれる。
足を掴んで剥がそうとするがこれも剥がれず、ぶちっと蜘蛛の体を引きちぎるようにして剥がす。
見ると一緒に腕の皮膚が剥がれて大けがをしていた。大きなカサブタになっていた。
何故か、そのカサブタをも剥がす私……。
…なんだろう、嫌な夢見ちゃったなあ。
気持ちが悪いのでそのままベッドの中でごそごそする。
最近、テレビとかで蜘蛛なんて見てないし、何か暗示くさい…。
思わず自分の左腕を確かめた。
朝起きた瞬間から、今日も「だるだる病」が自分を覆っているのに気付く。
あーあ。今日もきっとしんどいなあ。
この頃、朝にダンナのお弁当を作るのが本当にしんどくてたまらない。
それどころか、ちいもものケージの掃除もしんどくてしんどくてたまらない。(ごめんよ、ちいもも)
一日で一番しんどいのが入浴だ。
目は覚めているものの、なかなか起き出せずにだらだらしていたが、しなければ仕方がない。
思い切って勢いをつけて起きる。まだ外は真っ暗である。
無理をしてはいけないと言うが、こんな状態でも無理をしなくちゃいけないこともある。
休み休み、何とか全部終わらせた。
明日もこんな調子なのかと思うと、今から気が重くなる。
「だるだる病」はネガティブ思考と肩を組んでやって来る。(だるネガ状態)
どっちがどっちを連れてくるのか判らないが、とにかくペアで私を攻撃して来るのだ。
何もやる気が起きないことに加え、全てのことが脳の中でネガティブな方向に変換される。
これらに捕まると本当に厄介だ。
そんな日に、歯医者の予約が入っていたのを思い出した。
出かける気にならず、キャンセルしようかと思ったが、今日は最後のクリーニングでこれで治療が終わる。
今日限りの我慢だと、仕方なく行くことにする。
出かけるとなったら、前から気になっていた自立支援医療受給者証の更新に市役所まで出かけようと思い立つ。
外出する用事はどうしても一度で済ませたいと思ってしまうのだ。
行かなきゃと思っているのに、どうしても外出するのが億劫で、だらだらしていて遅刻しそうになった。
慌てて出たので、コンタクトを入れてくるのを忘れてしまった。
……見えない。
歯医者でクリーニング(結構痛い)が無事終わり、最後のチェックをしていた先生が、ふと呟いた。
「…うーん。あれ?」
『これで終わりです。また何かありましたら来て下さいね(ニコッ)』…という言葉を当然のように待ってた私は、即座に嫌な予感がした。
「うーん、右上の一番奥なんですけれどもね、ちょっと詰めたところの隙間から虫歯になってるみたいなんですよー。
…ここ、痛くない?」
「全然痛くないです。」(きっぱり)
「中で虫歯が広がってるかもしれないからね。早めに治療の予約して下さいねー。」
──今日で終わりじゃないのかよ!!(心の中で号泣)
…これがよく聞く「歯医者なかなか終わらない地獄」なんだなあと、がっくりと肩を落とす私。
これで終わりだと期待していた分、落ち込みが激しい。何だかひどく疲れてしまう。
一瞬、もう更新に行くのは止めて帰宅しようかと思ったが、今日行かなければまた悶々とする日々が続くばかりだ。
意を決して市役所に向かった。
コンタクトをしてくるのを忘れたので、何も見えない。どこに行くのかももう忘れてしまった。
一応デパスは飲んできたけれど、市役所の喧騒に早くも緊張し始めている。
総合案内の人に訊き、やっと窓口に辿り着けた時には汗でびっしょりになっていた。
係の人に言われたとおりに書類を記入するのだが(じっと見られていると手が震えて恥ずかしかった)、たかが数字等を書き写すだけなのに上手くさらさらと出来ない。何度も何度も数字を見返してしまう。自分の住所も一瞬間違えそうになる始末。だいぶ緊張してるようだ。
…悪化してるな、とふと思う。
保険証のコピーとマイナンバーの通知書を見せて、手続きは終わった。
背中に何かひどく重いものが乗っているような、この気持ちの沈みようは何なんだろう。
帰りの電車の中でぐったりと疲れてしまった。
家に帰ると、「電気ご使用量のお知らせ」が来ていて、あまりの金額の高さにその場にへたり込みそうになった。なるべく電気を(とりわけ暖房を)点けないようにしてるのに、なんなんだこの金額は!
「──冬だもの。こればかりは仕方ないよ。必要な出費だよ。」
ポジティブな私が小声で囁くが、それはすぐにネガティブ思考の攻撃によって跡形もなく掻き消された。
「…ダメだ。ダメだよ。やっぱりやっていけないよ。早く働かなきゃ。私が仕事してないからだよ!」
「だいたい、昼間家に居るから、電気代も水道代もかかるんだよ。働かなきゃダメだよ。」
「旅行なんかしてる場合じゃないよ。」
───少し寝よう……。
こういう時はあまり色々考えない方がいい。(学んだ)
ちなみに気になったので、朝の気持ち悪い夢を調べてみた。
●蜘蛛が大量発生する夢…ストレス増大。蜘蛛は特に人間関係の意味を含む。
●蜘蛛に襲われる夢…大きな蜘蛛や多数の蜘蛛に襲われる夢なら不安が大きいことの暗示。心身の疲労がひどく、ストレスの元となる場所や人を避け、休息が必要。
●蜘蛛に噛まれる夢…パートナーや職場の同僚の裏切りを受ける前兆を示す凶夢。コミュニケーションを密にし、家族関係や人間関係の改善要。また事故や病気にも注意。
あのコバルトブル-の綺麗な蜘蛛が凄く気になった。
●明るく美しい青…仲間に助けられ、安らぎと発展が得られる暗示。(でもそれをちぎっちゃったよ、私)
…それでトータル的にはどうなの?…という感じで良く判らない。
あんまりいい夢じゃなさそうだ。
一応、備忘録のつもりで書き残しておこう。
サークルKサンクスのこれに最近はまってる。
小さくて食べやすいし、美味しい。オススメです。(甘いもんばっか)

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